EP362:伊予の事件簿「推拿の伎倆(すいなのぎりょう)」 その3
情報が少なすぎて何の推理もできないので考えるのをあきらめた。
次の日、久しぶりに影男さんから文が来て、その夜、私の房に来ることになった。
兄さまが来る予定はないから、多分鉢合わせしないつもり。
だけど、いっつも予想外に修羅場になるのよねぇ。
冷たい雨が夕方から夜中、つい先ほどまで降り続き、冷え込みに拍車がかかった。
白い息を吐きながら、雷鳴壺へ続く渡殿で待ってると、釣灯篭に時々照らされ梅壺の西廂を歩いてくる影男さんの姿が見えた。
久しぶりに会えて、懐かしさがこみ上げた。
まだ十日ぐらいしかたってないのに!
嬉しくなってピョンピョン跳ねて手を振った。
影男さんが無表情に三白眼の上目遣いで
「房に行ってもいいんですか?」
ウンと頷き
「もう外は寒いし、厚い壁代(御簾の内側の帷)の中の私の房の方が温かいわ!」
雷鳴壺は妻戸をしめ、格子をおろし、御簾と壁代があったとしても、隙間だらけには違いないけど、さらに几帳や衝立で何重にも仕切られてるから風はあまり入らないし、何たって単衣は何枚も重ね着してるから、さほど寒くはない。
私の房で向かい合って座り、灯台の明かり越しに見る影男さんの表情は、普段通り傀儡のような無表情だけど、三白眼の黒目が灯台の明かりを反射し、煌めいてる様子には、狩りの最中の肉食獣のような緊張感が漂っていた。
ピリっ!
ちょっと身が引き締まる思いがしながら、内舎人の仕事内容とか近況を聞いてると、影男さんが
「そういえば最近話題の新人按摩師・董林杏の治療を受けました。効果があったように思われます。背中の筋肉の強張りが取れ痛みが無くなりました。」
「へぇ~~~!董林杏って凄いんだぁ!」
感心してると、三白眼の黒目が大きくなり、引きつったような微笑みを浮かべ
「大体の手技を感覚で会得しましたから、試してあげましょうか?体の痛みが取れますよ。」
はぁ?
そんなにすぐに覚えられるの?
それに、素人がやって大丈夫なもの?
「う~~ん、そういえば、肩は凝ってるかなぁ。書写の仕事が多いから。」
「じゃあ小袖になってそこにうつ伏せになってください。」
畳を指さす。
不安になりながらも単衣を脱ぎ、小袖になってうつ伏せに寝転びながら
「按摩って手で押したり揉んだりして凝りをほぐすんでしょ?強くしないでね?」
「大丈夫。力を入れずにしますから。」
うつ伏せになって顔の下で手を組み寝転がってると、体幹に向かって膝をついて座った影男さんが頸の後ろを摘まんだ。
頸の後ろの筋と筋の間に指が入り、つまむようにして下に動いていく。
ときどきゆっくり、指に力が入り、奥まで圧力がじんわりと伝わり何とも言えず心地いい。
凝りがほぐれてるっっ!!
気持ちいい~~~!!
「体のあちこちにツボがあるらしいですね。そこをいい力加減で押すと気持ちいいようです。」
今度は頸の付け根から腕の付け根、へ指が移動する。
筋肉の間に指を入れ、掴むようにして揉みながらゆっくりと動く。
気持ちよくてウトウトしてると
「董林杏が暴漢に襲われたのを、上皇侍従が助け怪我を負ったらしいですが本当ですかね?」
「う・・・ん。そうみたい。お見舞いに行ったけど忠平様の怪我は大したことなさそう。董林杏は悪い人じゃなさそうなのにどうして襲われたのかしら?」
「私が内舎人仲間から聞いた話によると、施術中にいざこざがあったとか。」
「ふ~~~ん。董林杏のせいで痛みがひどくなったとか?失敗して逆に怪我をさせたとか?」
「さぁ?」
少し目が覚めてきて、テンションが上がり
「じゃあじゃあ!患者の知られたくない秘密を知ってしまって口封じのために襲われたとか?」
「・・・さぁ。今度詳しく聞いておきましょう。」
頭も冴えてきて次々と妄想が膨れ上がる。
「董林杏は唐語も話せる知識人らしいの!民間から採用されたって言うし、もしかして唐国の間者?で朝廷内の秘密を探ってるとか?だって忠平様は否定したけど上皇が絡んでるかもしれないし!」
「そんなに重要な人物ならまた襲われることになりそうですね。」
グッグッ!
手を動かしながらおしゃべりしてると、いつの間にか肩甲骨の周りを手のひらの親指の付け根で律動的に押されてる。
温かい柔らかい手のひらで、軽く一定の速さで力が加わると、頭がぼ~~っと気持ちよくなる。
それに、押す動作と動作の間に、指が背中に軽く触れ、ゾクゾクする。
脇の下を摘まむように揉まれたとき、思わず声が出そうになった。
我慢してるのに、背骨に沿ってゆっくりと手のひらで触れ移動しながら撫でさすられると、無意識に、兄さまのことを思い出し、ウットリとろけそうな気持ちになった。
手が腰の近くまで降り、もう少しでお尻というところで、踵に移った。
なぜかホッと安心し、本格的に眠くなり、意識が無くなってしまった。
目が覚めると、うつ伏せのままで、背中に単衣が着せられ、影男さんの姿は消えてた。
まだ夜明け前で外は暗い。
身を起こして辺りを見回してもどこにもいない。
もうちょっと話したかったのに。
次はいつ会えるの?とか。
寂しいな
なぜ?
影男さんに触れられても嫌じゃない。
触れるのも。
引き締まった筋肉質な肉体は鍛錬をかかさない証拠。
漢語の翻訳もできるし、知的なのも確か。
そういう精神的・肉体的な強さに憧れるし、その反面、人を傷つけない優しさとか、思いやりに安心するから。
ん?
腕を肩からグルグル回してみる。
体の凝りもほぐれたみたい!
肩が軽くて動きやすくなった!
今度は私がしてあげようっ!!
(その4へつづく)