EP360:伊予の事件簿「推拿の伎倆(すいなのぎりょう)」 その1
【あらすじ:新任の按摩師は異例の民間採用で、施術は効くと話題で引っ張りだこの大人気。その按摩師が暴漢二人組に襲われ、それを忠平様が助けたというから、裏に何かあると踏んだ時平様は私に調べるよう頼んだ。他人に触られるのが嫌いな私は今日も肩こりとは無縁で暮らしたい!】
今は、899年、時の帝は醍醐天皇。
私・浄見と『兄さま』こと大納言・藤原時平様との関係はというと、詳しく話せば長くなるけど、時平様は私にとって幼いころから面倒を見てもらってる優しい兄さまであり、初恋の人。
私が十六歳になった今の二人の関係は、いい感じだけど完全に恋人関係とは言えない。
何せ兄さまの色好みが甚だしいことは宮中でも有名なので、告白されたぐらいでは本気度は疑わしい。
朝晩には火桶が恋しくなるぐらい冷え込む晩秋のこの頃、
『こんなときに影男さんがいてくれれば、夜は温かいのにな~~』
影男さんが内舎人になって、雷鳴壺に来なくなってから、すでに一週間。
私の注文をハイハイ聞いてくれて守ってくれる、本当の兄上みたいな人だったのに。
って『恋しがり方』が邪道?
便利に使える都合のいい殿方ってこと?
でもまぁ、どーせ影男さんに新しい恋人ができるまでだし、何を要求してるわけでもないし、寂しがるぐらいいいよね?
雷鳴壺で女房の仕事をしてると、桐壺から茶々がお使いにやってきた。
茶々は面長でほっそりとした顔に扁桃形の生気のある目と少し長くて丸い鼻のすぐ下には快活そうに端の上がった大きな口が特徴の桐壺の女房で、一番のお友達。
両手で、直径二寸(6cm)、高さ三寸(9cm)ぐらいの蓋の付いた瓶を持ってる。
渡殿を渡り終えたぐらいでそばに近寄ると茶々が
「あら!伊予っ!いいところにいたわね!今朝、桐壺更衣様が食欲がないと仰るので、典薬寮から取り寄せた蘇をお召し上がりになったんだけど、少ししかお食べにならなくって、随分余ってもったいないから一緒に食べましょう!」
蘇!(牛乳を沸騰するまで煮詰めた乳製品)
わーーい!ご馳走っ!!!
「やった!蜜は?かかってる?甘味と濃厚な牛乳のコクが堪らないわよね~~~!!!」
でも、食べたあと口の周りがずっと蘇の、気になる『乳クサい臭い』がするのだけは欠点だけど。
私の房で二人分の匙を持ってきてひと瓶の蘇を交互にすくって食べながらおしゃべりする。
茶々が
「今朝ね、典薬寮に蘇を頂きにいったときにね、役人たちが噂してたんだけど、最近、按摩師(*作者注:日本には養老令において、唐王朝をまねて典薬寮に、按摩博士、按摩師、按摩生をおいた)になった董林杏という人の治療が、バカ受けで、予約申し込みがひっきりなしなんだって~~!」
「え?それだけ病人が役人の中に大勢いるってこと?按摩の施術ってどんな病気のときにするの?」
「う~~~ん、よくわからないけど、按摩してもらうと、骨折、捻挫、脱臼、怪我のあとの腫れとか、痛みが和らぐみたいねぇ。」
「今までの按摩師と何が違うの?」
茶々が首をひねり
「さぁ~~~?私も董林杏に治療してもらいたい人が殺到してるとしか聞いてないの。予約はひと月先まで埋まってるみたいだから、伊予も今からお願いすればひと月後には按摩してもらえるんじゃない?」
「いいって!施術を受けたいワケじゃないの!病人じゃないしっ!!」
という事があった次の日、兄さまから文を受け取った。
内容は
『四郎(藤原忠平)が暴漢に襲われ怪我をしたらしい。枇杷屋敷に見舞いに行ってやってくれないか?暴漢に襲われる原因になったのが、典薬寮の新任按摩師董林杏だというから、背後に仁和寺あたりの企みがあるのかもしれない。それを探りつつ怪我の具合を確かめてきてくれ。
時平』
え?
私に間者の真似をしろって?
な~~にぃ~~~!!
よしっっ!!
頑張るしかないっ!!
気合を入れてワクワクの興奮を隠しつつ、椛更衣に外出許可を頂き、早速、枇杷屋敷に向かった。
久しぶりに水干・括り袴を着て、角髪を結った少年風侍従姿で。
歩いて四半刻(30分)ぐらいで枇杷屋敷に到着し、緑の葉が溌剌とした大きな枇杷の木を見ながら門を入り、侍所で案内を乞うた。
応対してくれた雑色が面会可能かどうかを主殿に確かめに行ってくれて
「通せとのことです。」
雑色に案内されて、主殿に通されると、忠平様の姿が見えないので、寝所と思われる几帳と衝立で区切られた場所に近づき、几帳の前に座って
「あのぉ~~、伊予です。お加減はいかかですか?怪我をされたと伺ったのでお見舞いに参りました。」
返事がない。
さっきの雑色が話を通してくれてないのかな?
もう一度声を出そうとしたとき、几帳の向こうから
「入って」
硬くて低い、艶のある声が聞こえた。
几帳をよけてはいると、小袖姿で胡坐をかいて、畳に座る忠平様の姿があった。
枕や衾があるからさっきまで寝てたみたい。
兄さまに似た端正な眉をひそめて、苦痛の表情で虚空の一点を見つめ、私の方を見ない。
ただでさえ浅黒い顔が、痛みで血の気が引いたのか黒土色になってた。
沈黙に耐えられず、できるだけ明るい声で
「ええっと、起き上がれるなら怪我はそれほどじゃなかったのね?よかった!
それで、暴漢に襲われたんですって?なぜなの?」
サッと顔を私の方へ向け、
「何が目的で来たんだっ!兄上の命令か?私を心配してるわけじゃないだろっ!」
ムッとして不機嫌そう。
(その2へつづく)