EP356:伊予の事件簿「落葉樹の博戯(らくようじゅのはくぎ)」 その2
ドキンッ!
少しずつ、速く、鼓動が打ち始めた。
少しずつ、息が苦しくなる。
頬が熱い。
責めるでもなく、懇願するでもなく、ただ、無表情に見つめる。
尖った鼻、尖った顎、ゆるく真一文字に結んだ口元。
目だけが別の生き物のように黒く輝き、私の答えを待っている。
全てを、風という運命に任せたような、落ち葉のような飄々とした脆さを身に纏っていた。
追いかけなければ、手をすり抜けてどこかへ飛び去ってしまう!
手を伸ばさなければ、水面に落ちて流れ去ってしまう!
感じたことのない焦燥感に駆られた。
本心を見透かされないようにワザと口をとがらせ不機嫌に
「だって、将来の影男さんに『出世の機会を潰した』って恨まれるのはイヤだもの!
どうせ何年後かには、私を悪者にして『あのとき道を間違えなければ、今頃、参議になれたのに!伊予のせいで今は惨めだ!』とか愚痴るんでしょっ!!
そんなこと言うぐらいなら、内舎人になって実力で参議になれるかどうかを試してみて欲しいわっ!!」
プンと頬を膨らませ横を向く。
スッ!
影男さんが手を伸ばし、私の手を握った。
「伊予さん、私の目を見て」
「イヤっ!!」
私を、嫌いになって欲しい。
ワガママで、自分のことしか考えてない、愛する価値のない女子だって
こんな女子のために、有望な前途を潰したくないって
思ってほしい。
クイッ!
あごをつままれ、正面を向かされた。
目に溜まった涙が、もう少しでこぼれ落ちそうだった。
「本当は、どう思ってるんですか?」
口の端を少し上げ、困ったように微笑んでる。
「だって!私は、あなたを愛せない!なのに、引き留めることなんてできないっ!!あなたの将来を奪う権利はないっ!」
グィッ!!!
握った手を引っ張られ、胸に抱きしめられた。
「伊予、さん・・伊予・・・・・・・・・・・・・・・浄見」
ドキッ!
「その・・名前は・・誰にも知られたくないの!」
抱きしめる腕が硬くなり、体が締め付けられる。
指に力が入り、グッと背中に食い込む。
「わかってます。あなたは大納言の妻になる。それでも構わない。
あなたは大納言を愛してる。それも、承知してます。
あなたたちを引き離すつもりはない。
ただ、一生、あなたのそばにいたい。
あなたを、守り続けたい。」
ギュッ!
胸が苦しくなった。
「ダメよ!何も返せないものっ!あなたに、返してあげられるものがないのっ!そんなの不公平だわ!一方的にもらう事なんてできないっ!!」
クスクス
影男さんが思わず笑ったような気がした。
抱きしめる力が緩み、私を胸から離して、あごの下に指を添え
「それなら銭を受け取ります。一生、専属の身辺警護になります。あなたの払える額でいい。これで公平でしょう?」
バカなの?
そんな利益のない取引っ!!
誰がするのよっ!!
「わかったわ!銭を払えば私が雇い主ってことね?ヘマしたり、嫌になったらすぐにやめてもらいますからっ!!」
影男さんが不安そうに眉根を寄せ
「わかりました。あなたの負担になるようでしたら、すぐに身を引きます。そのときはハッキリと言ってください。」
ん?
まだ銭を払ってないから雇い主でもなんでもないけど。
「じゃあそういうことで!あっ!でも、内舎人の話、断らないでねっ!!一旦なってみて、ダメならやめて、私の身辺警護でもいいってこと・・・」
まだ話してる途中なのに、あごの下に指を添えたまま唇を近づけてくる。
唇を重ねられ、摘ままれたあごを上に傾けられ、舌を舌に絡められた。
「っんっっ!!」
前よりも大胆に、舌が動き回る。
頭がぼぉっとして思考力が奪われる。
唇がやっと離れたと思ったら
「何もわかってませんね。内舎人になれば、私の負けです。」
とろけるようなボンヤリとした表情で、ふぅっと吐息を吐くように呟いた。
はぁぁ?
どーゆー意味??!!!
(その3へつづく)