EP355:伊予の事件簿「落葉樹の博戯(らくようじゅのはくぎ)」 その1
【あらすじ:本気で好きになりかけてた影男さんが内舎人に昇進して、そばにいてくれなくなる!逢えなくなると思うと、必死で取り戻そうとするのは自然なこと。だけど、この気持ちは永遠に続くものなの?それとも一時の気の迷い?自分の心さえつかみきれない私は、身を切り裂く木枯らしになすすべもない!】
今は、899年、時の帝は醍醐天皇。
私・浄見と『兄さま』こと大納言・藤原時平様との関係はというと、詳しく話せば長くなるけど、時平様は私にとって幼いころから面倒を見てもらってる優しい兄さまであり、初恋の人。
私が十六歳になった今の二人の関係は、いい感じだけど完全に恋人関係とは言えない。
何せ兄さまの色好みが甚だしいことは宮中でも有名なので、告白されたぐらいでは本気度は疑わしい。
過ごしやすい昼間の温かさに比べて、朝晩が冷え込むようになった秋のこの頃、落葉樹たちは葉を乾燥させたり紅く色づかせたりして次の季節への準備を着々と進めている。
託ち事一つ言わず、今まで苦楽を共にした自分の一部である葉の全てを、時が来れば潔く落とす木々たちに尊敬の念すら覚えた。
影男さんが臨時除目で内舎人に任命されるという話を聞いたのは、椛更衣からだった。
「伊予!帝がね、『鶯鶯伝』の和訳をお読みになって、とても感心されててね、
『伊予は教養豊かだな』
としきりにお褒めになるから、悔しくなって、あれは伴影男という大舎人と一緒に翻訳したんですよってお伝えしたら、ふむ!と仰って、次にお会いしたとき、
『大納言と相談して臨時除目で伴影男を内舎人に任命することに決まった』
って仰ってたわ!よかったわね~~~恋人が昇進して!」
内舎人は『帯刀宿衛、供奉雑使、駕行時の護衛と天皇の身辺警護にあたる。21歳以上の四位以下五位以上の子弟から選抜される』というお役目で、帝につかえ常勤するから舎人の中で一番昇進しやすい。
影男さんの父君はおそらく五位以上の貴族ではないから異例の抜擢。
大舎人は『21歳以上の内六位以下八位以上の人の嫡子・庶子を簡試し、上等(端正・書算堪能)・下等(劣弱・文章不知)を式部省に送り、簡試の上で上等を大舎人、下等を使部に任じ、中等(強幹で弓馬に熟達)を兵部省に送り兵衛とした。』ので、内舎人の方がより早く出世できるのは確か。
椛更衣は片手に扇を持ちつつ、手と扇でゆっくりパチパチと拍手し、満面に笑みをたたえてる。
「はぁ、はい。ありがとうございます。」
一応そういったけど、心の中は複雑。
もし影男さんが内舎人になれば、今までのように雷鳴壺にべったり入り浸るようなことはできない。
モチロン私の護衛もできなくなるから、新しい後任の護衛が来ると思う。
影男さんが自分から辞めたいと言い出したのを引き留めたけど、結局、私の傍からいなくなることになった。
寂しい
って気持ちと
帝のお声がかりでトントン拍子に出世すれば、参議以上の議政官になるのも夢じゃないかも!
よかったわね!!
おめでとうっ!!
って祝福したい気持ちとがごちゃ混ぜになった。
まぁ、たまには逢えるし、影男さんの実力ならすぐに出世して、将来は参議とか少納言とか立派な太政官になるかもしれない!
嬉しさ半分、寂しさ半分で女房の仕事をこなしてると、庭に影男さんが現れた。
すぐに駆け寄り
「おめでとうっ!!よかったわね!『鶯鶯伝』の翻訳、頑張った甲斐があったわよねっ!!」
声をかけたけど、いつもの無表情をもっと冷たくしたような暗い顔で
「今夜話したいことがあります。仕事が終わったら、梅壺(使われてない殿舎)に来てくれますか?」
うんと頷くと、クルリと背を向け足早に立ち去った。
一日の仕事が終わり、後は寝るだけ!となってから、渡殿を渡って梅壺に急いだ。
月明かりのない夜だけど、殿舎の屋根の端々に釣下がってる釣灯篭の明かりを頼りに、姿形は見分けることができた。
梅壺は御簾も格子も取り外されていて、母屋には几帳や衝立とともに一カ所に集められている。
南廂まで来ると、真ん中に立ち、庭の梅を眺めてる舎人姿の背中が見えた。
近づいて
「影男さん?話って何?」
振り向いて、口の端を少し上げ、無理やり微笑み
「内舎人になるようにと内示を受けましたが、大舎人頭には辞退したい旨を伝えました。」
はぁ?
「任官は除目で決まるんでしょ?大舎人寮の長官?に言っても仕方ないんじゃないの?
って違うでしょっ!!
どーして出世を棒に振るのっ!!内舎人になって、功勲を上げれば帝のお目に留まり、いい官職をもらって参議とか中央官僚になれるかもしれないのにっ!!」
三白眼の黒目が大きくなり眉根を寄せ困惑した表情で
「内舎人になれば、あなたを守ることができなくなる。常にそばにいることはできなくなるでしょう?」
何ソレ?!!
せっかくのチャンスなのにっっ??!!!
イラっ!として
「それはっ!そうだけどっ!出世したかったんでしょ?フツー五位以上の貴族の子弟しかなれない内舎人になれば、彼らと同じところから始められるっ!実力を見せれば追い越して出世できるわっ!!そうしたかったんでしょ?!」
いつもの無表情に戻り、首を横に振った。
「それは既に、あなたを守ると決めた時に、諦めました。」
私の心の奥を読み取ろうとするかのように見つめ
「あなたは、寂しくないんですか?私が、そばに、いなく、ても・・」
三白眼の黒目が見たことも無いくらい、大きく、黒く、強く輝き、最後は聞き取れないくらい声が掠れた。
(その2へつづく)