EP352:伊予の事件簿「傾国の鶯(けいこくのうぐいす)」 その5
数日後、やっと、『鶯鶯伝』全ての翻訳を終え、椛更衣には、和語で書き終えた紙束を紐で結んで冊子にしてお渡しした。
翻訳すると文字数が三倍ぐらいになって六十頁ぐらい。
漢文って余分な情報がなくて紙の節約になるのね!
凄く合理的な言語?
椛更衣が翻訳を読み終わって、いよいよ帝に『鶯鶯伝』を献上するというので、
「もし、内容について話し合うとか、賑やかな場には大納言様も招いていただけます?あの方も『鶯鶯伝』をお読みになったそうなので。感想を語り合うにしても色んな物事のとらえ方や意見があったほうが楽しいと思いますの!」
身内だけの小さな集まりで意見を交わすときでも、帝はたいてい最後に発言なさって、臣下や妃嬪がわざと同調することを防いでらっしゃる。
例え普段は仲の良い大納言である兄さまでも、親密さが表面に出ないよう注意しておられるみたい。
だから、椛更衣から提案すれば兄さまの列席に反対なさらないと思う。
そんなに堅苦しい場でもないし!
その集まりが三日後に実現し、帝が『鶯鶯伝』をお読みになったあと、雷鳴壺に御渡りになり、御座にお座りになり、その下座に椛更衣と大納言である兄さまが対面してお座りになった。
私は南廂に控えて、お話が聞こえる距離に座ってた。
帝が目を輝かせて
「大納言聞いてくれっ!朕はやっと念願の『鶯鶯伝』を読むことができた!面白かった!」
兄さまが微笑み
「それはようございました。帝はどこをお気に召しましたか?」
帝が少し悩んだように扇を鬢に当ててウ~~ンと唸り、
「鶯鶯の高潔な態度かな?張生が科挙に落第して別れることになっても悲しみはするが、玉環を贈って張生の身体を気遣い、幸せを願って別れる『生涯愛し通すという覚悟』があるところが、素晴らしい女子だなと感心した!」
ちなみに『鶯鶯伝』のあらすじはこう
『貞元のころ、普救寺に宿泊していた張生は、兵士の略奪から寺を守り、たまたま同じ寺に同宿していた崔家の未亡人から感謝された。
宴席で張生は未亡人の17歳の娘にひと目ぼれし、娘の侍女である紅娘の入れ知恵で娘に詩を贈った。
娘は「夜に忍んでいらっしゃい」という意味の詩を返すが、実際に張生が尋ねていくと意外にも娘は張生を叱りつけるのであった。
ところが数日後に今度は娘の方から張生を訪れ、ふたりは情を通じる。
やがて張生は科挙試験のために都に旅立つが、その後、自分が娘によって身を滅ぼすであろうと考えなおし、感情を抑えるようになった。
1年ほどして張生も娘も別な人間と結婚した。その後、張生は娘に会おうとしたが、娘は張生に2つの詩を送り、その後行方不明になった。娘の幼名は鶯鶯といった。』
注目点は、鶯鶯が張生に色よい返事を出しながら、忍んできた張生を理路整然と叱りつけるところ?
で数日後には自分から出かけて行ってアッサリ枕を交わすところ?
究極のツンデレ?じゃない?
張生もひと月以上も逢瀬を重ねたくせに、『美女は自らに災いを及ぼすことがなければ天下に災いを下すことになり、巫山の神女のごとく「朝雲暮雨(男女の契り)」となるか、あるいは蛟螭(水神の蛇)に変身するか、あるいは国を亡ぼした殷の紂王の寵妃妲己か周の幽王の愛姫褒姒と同じである』なんて決めつけて、大げさな理由で鶯鶯と別れるところ。
遠距離恋愛は無理!とか単に飽きただけじゃないの?
ってツッコみたくなる。
酷い男だなぁ!
と思うけど、まぁ二人が納得してるなら部外者が『ヤイヤイ』口出すことでもない。
帝は不思議そうな顔つきで
「でも、朕が疑問に思ったところは、誘いの詩を送っておきながら、夜忍んできた張生を鶯鶯はなぜ叱りつけたのか?だ。皆どう思う?」
一同を見渡される。
兄さまが
「詩を送ったあと倫理・道徳的に道に外れていると後悔したんだと思います。」
椛更衣は
「母親が、盗賊を撃退したら娘をやるって勝手に約束したでしょ?鶯鶯は張生を好ましい男性だと思ったものの、母親の言いなりにはなりたくなかったんじゃないでしょうか?」
私が黙ってると、三人とも私を見つめるので、え?私も答えるの?と慌てて
「ええっと、その、きっと、鶯鶯は、一目で張生に恋に落ちたことが自分でも信じられなくて、戸惑ったんだと思います。
詩を送った時は、素直に愛してる!って気持ちでいっぱいだったけど、冷静になってみると、そんなに簡単に恋に落ちた自分に腹が立ったんじゃないかなと。
でその苛立ちを張生にぶつけた、完全に八つ当たりだと思います。」
帝がフム!と唸って
「じゃあ二人とも一目惚れ同士ってことか!朕もそんな相手に出会いたいものだ。別れた後もお互い愛し会えるほどの相手に。」
夢見るような顔つきをされた。
う~~ん。
ってことは張生が鶯鶯のことを過剰に災いだ!とか言うのも想いをキッパリ断つため?
それぐらい大げさに『愛すれば災難が起こる!』と自分に言い聞かせなければ、どうしようもなく惹かれてズルズル愛してしまうから?
結構『純愛』だったりして。
兄さまが私のことを『魔性』と称したのも同じ?
愛することをやめられない、妖魔みたいなもの?
・・・・何か化け物に喩えられるって失礼な話だけど、それぐらい愛されれば幸せかな?
でも、鶯鶯のように、一人の男性を最後まで愛し抜けるか?
の問いに自信が無くなりつつあった私は、ずっと気になってた
『埋ずみびや いと長き日を 飽きぬれば 月を待つ身の 西廂の下』
の和歌の送り主や、その恋の行方、それと兄さまの言葉
「これから一週間以内に影男の本心を暴いて、浄見に見せてやる!」
の真意を早く二人きりで会って兄さまに問いたださなければ!って焦った。
(その6へつづく)