EP351:伊予の事件簿「傾国の鶯(けいこくのうぐいす)」 その4
次の日も引き続き翻訳作業に入るため、朝、梅壺で影男さんを待ちながら、『鶯鶯伝』をパラパラとめくってると、昨日まで気づかなかった最後の頁に、折りたたんだ跡のついた一枚の文が挟まってた。
取り出して読んでみると
『埋ずみびや いと長き日を 飽きぬれば 月を待つ身の 西廂の下』
という和歌が一つだけ。
名前も、他の文章もない。
意味は、多分
『埋火(炉や火鉢などの灰に埋めた炭火)のように燃える恋心を隠して、長い昼がおわるのを飽きるほど待ちわびています。夜になりあなたという月が西の廂の下に姿を現してくれるのを。』
っていう恋文。
はぁ?
誰から誰に宛てたの?
恋人から兄さまへ?
やっぱり浮気してるの?
それともずっと以前の、過去の恋人とか?
『ずっと独りで過ごした』
のかと思ったけど、そんなわけない??!!
同年代の『男性の友人』はいなくても、ちゃっかり女子には慰めてもらってたのねっ!!
そりゃそーよねっ!!
あれだけ恋人がいるんだからっ!!
ふんっ!!
もう相手してやらないっっ!!
一通り、燃え上がった嫉妬の炎が胸中で燃え尽きると、冷静になって考えてみた。
う~~~ん。
これってもしかして、こういう意味にもとれない?
『飽き飽きするような太陽が治めるこの時代が変わり、月の時代が来ることを待っています。燃えるように勇ましい気持ちを灰のような無為の中に隠して。』
とか?
西廂の下がどこを指すのかは知らないけど、こう読めば、次の帝を待ちわびる謀反の和歌とも読めるのでは?
文徳・清和天皇の系譜が陽成天皇で途切れ、仁明天皇の系譜から光孝天皇が選ばれて即位され、宇多天皇が引き継がれて以降、宇多天皇は自分の血統を正当な皇族の後継にすべく、まだ若い間に退位され、今上帝に皇位を引き渡された(と世間では言われてる)。
陽成院とその周辺は今でもそれを不満に思っているという噂もある。
まさかぁ~~~!
考えすぎよねっ!!
もしこれを兄さまが受け取ったりしてたら・・・・謀反を企む一味ってことになって・・・・大変だものねっ!!
ハハハッ!
どっちにしても不穏で心配。
あまり考えないでおこうっ!!
そうこうしてるうちに影男さんが来て、また長~~~い翻訳作業に取り掛かった。
とっぷり日が暮れ、その日の作業が終わった契機で影男さんが
「昨日はあの後どうなりました?大納言は怒ってあなたに危害を加えませんでしたか?」
ブンブンと首を横に振り
「それはない!大丈夫よっ!」
影男さんの本心を暴き出す!とは言ってたけど。
影男さんは三白眼の黒目を輝かせ、心の奥まで見通そうとするかのように鋭い目つきで見つめ
「大納言は本当に誠実ですか?
あなた妻にすると言ったんですよね?
それ以後、進展がありませんが、その話は進んでるんですか?
それとも、あなたを妻にするという餌で釣って自分に惹きつけ、心と体を弄ぶだけ弄び、飽きたら捨てるつもりではないのですか?
あなたの身体を守るためというより、責任を取りたくないから子を作らないのでは?他の女子にも同様の手口を繰り返してるのかもしれません。」
はぁぁぁ???!!!!
何言ってるのっっ????!!!!
そんなワケないっっっ!!!
ムカッッ!!!
一瞬で怒りに火がつき言い返そうとしたけど、すぐに気を取り直して落ち着き、
「影男さんが知らない過去が私たちにはあるのっ!
妻になるのだって、今はちょっと、そうできない理由があるだけ。
私は兄さまを信じてる。ちゃんと愛してくれてるって。」
声に出してみると、陳腐だなって思った。
愛してくれてる
証拠は何もないって。
忠平様のように喜ばせようとしてたくさんの文や贈り物をくれるわけでもないし、
影男さんのようにいつもそばにいてくれるわけでもない。
私を住まわせる屋敷を探すって言ってたけど、その後の報告はない。
兄さまは自分が逢いたいときにやってくるか、私を大納言邸に呼び出すだけ。
誘拐されたときとか、本当に危ない時には助けてくれたけど。
兄さまは私を、宇多上皇の手の届かない安全な場所に隠すという理由で宮中にこさせたけど、ただほったらかしにできるからかもしれない。
冷酷で非情な、利己的で傲慢な大臣って、世間では言われてるけど、その姿は兄さまの本性じゃない。
でも、私が勝手にそう思ってるだけで、本当はどうなの?
子ができたら責任を取りたくないから最後までしないの?
屋敷を与えて、頻繁に通うなんてことしたくないから、妻にしないの?
飽きたらすぐに捨てれるように?
悩んでるうちに、胸が締め付けられるように苦しくなった。
怒っても悲しんでも寂しくても、すぐに兄さまに会えるわけじゃない。
忙しいし、大事なお役目をもつ一の大臣だし、二人の妻とたくさんの恋人もいるし、私に割いてくれる時間はわずかなのは当たり前。
そのことに不満があったわけじゃない。
なのに、だんだん自分の気持ちが分からなくなった。
好きなのは本当の気持ち。
だけど、結婚して、一生こんなふうに不安を抱えたまま暮らしたいか?って自問すれば、この先、もっと別の道もあるのかなって。
もっと、一番に、大切にしてくれる、大好きな人が現れるのかなって。
グラグラ揺れて、どうすればいいか、わからなくなった。
不安で、寂しくて、どうしようもない、こんな時に、そばにいてくれるのは、
兄さまじゃなく、影男さんだった。
(その5へつづく)