EP348:伊予の事件簿「傾国の鶯(けいこくのうぐいす)」 その1
【あらすじ:帝がご所望の唐の物語を入手した私は、漢文が苦手な椛更衣のために全文和語へ翻訳することになったけど、一人で臨むにはハードルが高すぎ!影男さんに手伝ってもらうのはいいけど、朝から晩まで一緒にいるから自然に距離も近くなる。油断しすぎの私は怪しい文や行動に時平様への不信感を煽られ、すぐに口車に乗り、膨らみすぎた疑惑のあまり突っかかってしまった。国が傾く程、誰かを愛するのはやっぱりちょっと違うと思う私は、今日も優柔不断に付け込まれる!】
今は、899年、時の帝は醍醐天皇。
私・浄見と『兄さま』こと大納言・藤原時平様との関係はというと、詳しく話せば長くなるけど、時平様は私にとって幼いころから面倒を見てもらってる優しい兄さまであり、初恋の人。
私が十六歳になった今の二人の関係は、いい感じだけど完全に恋人関係とは言えない。
何せ兄さまの色好みが甚だしいことは宮中でも有名なので、告白されたぐらいでは本気度は疑わしい。
過ごしやすい秋という季節が、消えてなくなってしまったかのように、厳しい暑さのすぐ後に、冬の到来を感じさせる寒さになった。
帝がご所望だった『鶯鶯伝』を入手したので、早速、椛更衣にお渡ししようと、御座で文を書いてらっしゃる椛更衣に近づきそばに座った。
「あのお、椛更衣、先日、ある方から、このような唐の物語を勧められまして、もし、ご興味がおありならお読みになってはいかがでしょう?」
薄い冊子の『鶯鶯伝』を差し出す。
椛更衣は文を書く手をとめて、チラリと表紙に視線を落とすと
『まぁ!』
クリっとした目を丸くして驚き
「どこで手に入れたの?ちょうど探してたの!!」
テンションが上がる。
やっぱり!
これを目当てに仁和寺で隠密の真似事をなさってたのね!
「ええと、知り合いの、貴族の男性が面白いからって勧めてくれたんです。」
実は先日、大納言邸に行ったとき、兄さまの書棚から時間つぶしに適当な物語を選んでたら見つけたのよね!
表紙に『鶯鶯伝』って書いてある、二十頁ぐらいの薄い冊子を見つけて『あっ!』って手に取り
「まぁ!兄さまが持ってたなんて!椛更衣にお貸ししていい?」
「いいけど、私の名は出さないように。帝は臣下と親密になりすぎるのは都合が悪いと考えてらっしゃるから、私の名を出すときっとご遠慮なさるだろうから。」
「わかった!ありがとっっ!!」
って入手した。
椛更衣はペラペラと中身に目を通しながら
「・・・・う~~ん、伊予、漢字ばっかりねぇ。唐物だから仕方ないけど、全く読めないわ!主上はお読みになれるんだろうけど、内容について語り合おう!ってときにお話についていけないのが辛いわ!!」
困り顔っぽく眉を寄せるけど、クリっとした目を輝かせて、上目遣いで私を見つめる。
ハイハイ。
わかりました!!
可愛らしい困り顔で見つめられると、何とかしてあげたくなる!
・・・・椛更衣が普段おっとりしてるのって、こうやって周りがついつい何でもしてあげるから?
もしかしてそれを狙ってわざとゆったりした動作感?
でも、まんまと策にはまって解決案を出す。
「じゃあ、私が翻訳してそれを椛更衣がお読みになってから、帝に『鶯鶯伝』をお渡しになればいいのでは?」
途端に顔がパッ!と明るくなり、
「そうね!そうしてくれると嬉しいわっ!!伊予って漢文が翻訳できるのね!スゴ~~~い!!」
手を叩いて褒めてくれるけど、実はそれほど自信ない。
あっ!
確か、文章得業生になったことがあるなら得意のハズよね?
おそるおそる椛更衣にお願いしてみる。
「あの、でも、あんまり自信が無いので、大舎人の影男さんに教わってもいいですか?空いた時間に隣の梅壺に来てもらって。」
椛更衣は目を丸くしつつ意味ありげな微笑みを浮かべ
「いいわよ~~ぉ!じゃあ、伊予は翻訳が終わるまで女房の仕事をしなくていいわっ!!恋人?の影男さん?と一緒に頑張ってねっ!!フフフッ!」
広げた扇でヒラヒラ扇がれながら冷やかされた。
次の日、椛更衣が大舎人寮に通達してくれたのか朝早くから影男さんがやってきた。
食べ終わった朝餉の膳を下げようと廊下を渡ってた時に現れたので
「ちょっと待っててね!」
って待たせようとしたのに、桜が私の膳をもぎ取って
「伊予は何かの書を翻訳?するんでしょ?椛更衣がおっしゃってたわ!伊予はその仕事に集中させるようにって。さぁ、行って!」
膳を持って行ってくれた。
使われてない梅壺に文机や硯、筆、墨、水さし、紙を運んで、畳も準備して、几帳や屏風で囲み、集中できる快適な空間を作った。
手招きして影男さんを呼び寄せ、座らせて、『鶯鶯伝』を開いて置く。
「ええと、翻訳を考えてみるから、間違ってたら訂正してほしいの。一文ずつだから結構時間がかかるけど。」
文机に向かって横に並んで座ると、影男さんはなぜか緊張して正座してモジモジと、三白眼の黒目を大きくして私を見つめる。
(その2へつづく)