EP343:伊予の事件簿「千古不易の言祝ぎ(せんこふえきのことほぎ)」 その3
次の日の午後、雷鳴壺へ御渡りになっていた帝が清涼殿にお戻りになったあと、房で縫物をしていた私のところへ桜がやってきた。
「椛更衣が伊予をお呼びよ」
雲を模った金地の隙間から、紅葉と秋草の間を群青の川が、屏風全体を斜めに横切って流れる、色鮮やかな山水風景の屏風を背景に、御座にお座りになる椛更衣の前に進み出て着席した。
扇を開き口元を隠した椛更衣がウキウキとした口調で
「三日後、仁和寺に参詣するから、伊予も同行してね!」
えっ?
仁和寺?
といえば、確か父帝(光孝天皇)の勅願で建てられ、遺志を引き継がれた宇多上皇によって十年ほど前に落成した(仁和4年(888年))お寺?
別当は天台宗の幽仙律師だと聞いてるけど、宇多上皇も度々いらっしゃるなら、絶~~~っっ対っ行けないっっ!!
困ってる私を見て椛更衣が声をひそめ
「帝の勅命なのっ!伊予はダメ?・・・・伊予が行けないとなると、有馬と桜だけ?で行くの?有馬は怖いし、桜は頼りないしで、伊予が一番信頼できるし気も合うんだけど・・・・」
不安そうにおっしゃるので、ますます困った。
う~~~ん。
どうしよう?
上皇さえいなければいいんだけど。
「あのぉ・・・宇多上皇が仁和寺にお見えになるってことはありませんか?頻繁にいらしてると伺いました。それなら私は遠慮させていただきます。ええと、そのぉ、私の父が昔、宇多上皇に無礼を働いたことがございまして、それ以来、お怒りが解けず我が一族はお目にかかることを禁止されております。」
竹丸が忠平様に言ったムチャクチャな言い訳を再登場させた。
椛更衣はポンと扇を手に打ち付け
「なら大丈夫っ!!宇多上皇はちょうど三日後は高野山に御参詣にいらしてるとか!仁和寺にはいらっしゃらないわ!ねっ!!じゃあ伊予も一緒に行けるわね!」
パッ!と表情を輝かせた。
ん?
少し不思議に思って
「それって公式の儀式ではないですよね?なぜ椛更衣は上皇の私的なご予定を御存じなの?」
椛更衣が焦ったような早口で
「お、主上がおっしゃったの!上皇のご参詣が私たちのと重ならないように采配されたって!ホラっ!重なると何かと面倒でしょ!」
確かに、『帝の妃と同日に上皇が同じ寺で過ごす』はちょっとヤバい?
密通の疑いがかけられる可能性も?
でも、上皇が来ないならと、喜んで仁和寺へ同行することにした。
三日後、内裏から七里(3.85km)ぐらい離れた衣笠山の南に位置する仁和寺に、椛更衣がお忍びで参詣するということで、ご実家で手配してもらった地味な糸毛車で出かけた。
四人は窮屈なので、有馬さんは雷鳴壺で留守を預かってもらって、椛更衣、桜、私の三人で牛車に乗り込んだ。
雲のすきまから時折、青空がのぞくような、過ごしやすい、涼しい遊山日和。
仁和寺に到着すると、東門で牛車を降り、市女笠・壺装束姿の私たち三人と、荷物を運んでくれる従者として影男さんとで東門の石段を上がり中に入った。
木々の間の砂利で舗装された道を中門まで歩くと、狩衣姿の公達が姿勢を正して待っていた。
到着した私たちに軽く会釈し、
「上皇から境内を案内するよう仰せつかっております。上皇侍従・藤原忠平と申します。」
私の目をチラッと見るので、プンと横を向くと、険しい顔つきになった。
忠平様はすぐに平然とした表情に戻り、椛更衣に向かって
「では、こちらへどうぞ」
手を差し伸べて中へ案内する。
私は忠平様を無視するように、中門を守る広目天の石像に見入ってるフリをした。
まずは金堂へと石畳を敷き詰めた道を歩くと、高床のお堂があり、履き物を脱いで階段を上がり、中に入った。
奧に安置してある本尊の阿弥陀如来と脇侍に手を合わせる。
ふっくらとした頬の柔和に微笑む阿弥陀如来さまを見ると、トゲトゲした心が温かくなった。
その後、鐘楼や経蔵、観音堂、五重塔を案内されその度に、そもそもお寺に来ることさえ数回目の私はテンションが上がり、
「わぁ~~!仏さまが金色のピカピカっ!!キレイッ!」
とか、
「微笑んでて可愛らしい表情っ!!頬がぷっくりしてて目が細くって竹丸に似てるっ!!」
とか
「愛染明王が赤く塗られてるのってやっぱり血の色を表してるから?ホラ、愛欲?って何かと血が関係あるし!」
とか
「多聞天の彫刻の細かさっ!!凄すぎっ!!特に衣のしわの緻密なのっ!!踏まれてる邪鬼も目がギョロッとして可愛いっ!!」
一人で騒ぐたびに、椛更衣は苦笑いし、桜は
「そうねぇ~!」
って同意したり、仏像の体つきが現実的じゃなくて魅力的じゃない!って文句いったりしてた。
桜曰く仏像ってせっかく半裸なんだから、ムキムキで筋肉質な方がもっと見る人(特に女性)が喜ぶって意見。
私も少し共感する。
美しいほうがいいよねぇ。見る分には。
忠平様は笑っていいものかどうか悩んでるような微妙な半笑いの表情だった。
見せてもらえるところは全て案内してくれると、椛更衣が
「少し疲れたので、僧坊で休憩させてもらえます?」
忠平様に訊ねた。
(その4へつづく)