EP340:伊予の事件簿「応天門の彗星(おうてんもんのほうきぼし) 」その6
「そこまでだっ!!泉丸っ!!」
体の芯が痺れるような、硬くて低い声が、鋭く響いた。
暗闇に包まれた床から突然、冠が飛び出したように見え、続いて顔、肩、上半身と続き、やがて濃紫色の衣冠姿の全身が見えた。
兄さまがゆっくりと階段を上がってくる姿だった。
泉丸は素早く私の後ろに周り、頸に腕を回して締め上げようとした。
う゛っっ!!
苦しっっ!!
息ができないっ!!!
そのまま後ろに、頸にかけた腕で体を引っ張り、欄干のそばまで引きずられた。
「近づくなっ!浄見を投げ落とすぞっ!!」
泉丸が凄むと兄さまは
「落ち着け。そんなことをしてもお前に何の得もないだろ?浄見を放してくれ。
でなければ、
・・・お前を殺す。逃げても必ず殺す。」
無表情で腰の太刀に手をかけた。
泉丸は観念したように私から腕を解くと、身を翻して欄干から外へヒラリと飛び降りた。
ガシャーーッッンッッ!!!
瓦が割れるような音がし、
ドサッ、タッタッ!!
走って逃げる足音が聞こえた。
兄さまが急いで駆け寄り拘束を解いてくれ
「怪我はない?」
張り詰めた表情、蒼白な顔色、強張った頬、引きつった唇。
私の頬に触れる指先が少し震えてた。
こんなにも心配してくれてる!
死にそうだったけど、助かってホッとしたやら嬉しいやらで、ゾクゾクする歓喜の興奮に身を震わせた。
ギュッ!!
胸に抱きついて頬をうずめ
『大好き』
心の中で呟く。
『殺す』と兄さまは、一瞬もためらわず言った。
そこまで覚悟してくれてる。
怖いけど、死にそうなほど嬉しい。
そこまで愛してくれてることが伝わる。
『この人とずっと一緒にいたい。そばにいて愛されたい、愛したい』
腕に目一杯力を込めて抱きしめると、もっと強く抱きしめられた。
安堵と喜び。
『好き!』が溢れる。
「ごめんなさい。臺与とのことを責めたりして。バカだったわ!あんなことぐらいで兄さまを非難するなんて。」
「ん。よかった。浄見が無事で。影男も拘束を解いたからその辺にいると思うが。」
私から腕をほどいて、キョロキョロと見回し
「あれ?いないな。泉丸を追いかけたのかもしない。」
あっ!!
まだ間に合うかも!
思い出して西の空を指さし、
「彗星を見た?もう雲に隠れたかしら?さっきはほうき星が見えたのよ!」
あっという間に雲が広がったのか、星も見えない真っ暗な空になってた。
兄さまは目を細め見つけようとしたけどムリだったみたいに首を横に振り
「彗星は天文異変とされ、天文博士が占い、過去に発生した同様の事例から勘案してその意味を解釈したものを観測記録とともに奏書に認めて密封して、速やかに陰陽頭を通じて天皇に対して上奏されることになっている。
占いの結果はたいてい『凶』だというが、確かに、私にとっては『凶兆』に間違いなかったな。
現に浄見が誘拐されたんだから。」
そんなっ!!
彗星って不吉なの?
キレイで幻想的だと思ったのに!
それに、彗星が凶兆だというなら、もっと国家の重大事を指してるんじゃないの?
急に不安になった。
ウウンと首を横に振り、
「誘拐されたけど無事に助かったわ!私には関係ないわよっ!!
もしかして、蝋山さんの死に関係があるのかしら?
彼が重要人物だとか?
それともこれからどこかで謀反が起きるとか、地震とかの災害や宮中で火災が起きるとか!」
兄さまは怪訝な表情で
「蝋山の死?少なくともそれは関係ない。
蝋山は造酒司の役人だった。
味見と称して酒を浴びるほど飲み続けていたらしい蝋山は、あの日の夕方、酒に酔ったまま帰ろうとしたが、ひとりで歩けないぐらい前後不覚になっていた。
介抱してそこまでは付き合った部下が、面倒を見きれず応天門に置いて帰ったとの証言があった。
そのまま寝込んだ蝋山の衣に篝火の火の粉が飛んで火がついた。
体内の酒が燃焼を促進し、体の脂肪が溶けだしてロウソクのように燃え続けた結果、下半身と手、顔を残して燃え尽きてしまったんだ。
人体が自然に発火すると炎の色は青いというからそれを『青い光』と言ったんだろうな。(*作者注:人体にはリンが多いからでしょうか?)
意識を失っていたであろう蝋山は起き上がることもできずに亡くなってしまった。
気の毒だし、珍しい現象だがあり得ないことではない。」
へぇ~~~~!!!
そんなことがあるの??!!
お酒をたくさん飲める地位も幸せなのやらどうなのやら。
複雑な気持ちで考え込んでると、不意に兄さまが薄墨色の目元と酷薄そうな口元を緩めフッと微笑み
「それより、そろそろ口づけしていい?」
甘く囁くので、
ドキッ!
痺れたように動けなくなり、ウンと首だけで頷いた。
ゆっくりと顔が近づく。
夜空に、雲の切れ間から彗星が顔を出したのが目の端にチラッと見えた。
彗星なら
兄さまに教えてあげなくちゃ!
でも・・・・
ウウン。
違うわ!
きっと星か何かっ!!
言い聞かせてまぶたを閉じる。
とろけるような唇、ゾクゾクとする快感の興奮のほうが
二度と見れない彗星の輝きより
今の私には、もっと魅力的で、抗えない、眩しい誘惑だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
浄見のためにフォローすると、彗星(今来てるのは『紫金山・アトラス彗星』!)は地球に近づくと四十日間ぐらいは見えるようなので、一日ぐらい見逃しても大丈夫です!
この時代は肉眼だから微妙ですけど。