EP314:伊予の事件簿「夢想の人影(むそうのひとかげ)」 その4
・・・・この言葉が兄さまの口から出たのならよかったのに。
そっくりの笑顔で微笑まれると、断り切れない。
枇杷屋敷で、忠平様と夕餉を食べ終わり、おしゃべりしたりでしばらく過ごし、その時を迎えた。
小袖姿になって、寝所の畳に座り、仰向けに寝転がろうとする忠平様に
「そう、そうやって横になって、腕をこちらに伸ばしてっ!!」
指示して、自分の枕を、忠平様の伸ばした腕の近くの、いい場所に配置する。
えいやっ!!
覚悟を決めて、仰向けに寝転がり、腕の上に頸をのせた。
すぐに忠平様が寝がえりをうち、もう片方の手でお腹を抱きしめようとするので、
グッ!
両手で押し返し、尖った声で
「変なことするなら、帰ります。」
言い放つと、その手を引っ込めた。
「藤原元佐も恋人になったのか?やつの屋敷に通ってるらしいな?」
忠平様がそれ以上ゴソゴソ手を動かすことも無かったので、眠くなってきた私は
「ええ、でも、・・・深い関係じゃ・・・無い・・・」
ブツブツ言う呟きを聞き流しながら寝落ちした。
少しウトウトしたあと、不意に耳元で
「浄見、口づけしていい?」
低くて硬い声がし、痺れるような興奮が耳を震わせ、パチッと目を開いた。
薄墨色の筆で引いたような端正な目と、微笑みを浮かべた薄い唇がすぐそばにあり、今にも唇が触れそうな距離で囁いた。
隣に横たわった兄さまが上半身を起こし、片肘ともう片方の手で支えて覆いかぶさり、私を覗き込んでいた。
寝ぼけながら、無意識に腕を伸ばし、頸に絡め
「ええ。兄さま、好きよ。大好き」
唇が口を覆い、舌が入った。
歓びがあふれ、快感が体中を満たす。
・・・・はずなのに、違和感があった。
何度も舌を吸われ、唇で愛撫されても、舌でかき回されても、
いつもの快感と陶酔がなかった。
すればするほど、気持ち悪くなって、我慢できなくなり
グイッ!
手で強く体を押しのけ顔をよく見た。
忠平様が顔を上気させ、困惑したように見つめてる。
「騙したのねっ!!!」
瞬間的に怒りに火がつき、裏切られたことにショックを受けた。
「信じてたのにっ!!兄さまのフリして、こんなことするなんてっ!!」
すぐに身体を起こして立ち上がり、袴を身につける。
着替えて今すぐ内裏に戻ろうと思った。
一刻も早く、ここを出ていきたかった。
忠平様が前に立ちはだかり、手を合わせて
「ごめんっ!伊予っ!もうしないからっ!大人しく寝るからっ!今帰るなんて夜道は危ないしっ!!」
「牛車を出して頂戴っ!!」
「こんな時間になんて、内裏の衛兵も怪しんで、女房を通してくれないって!」
「じゃあ別の対の屋で寝るからっ!!」
ズカズカと歩いて出ていこうとしたら、袖を掴まれた。
「さっきのは、その、兄上とお前は、いつもあんなふうに口づけしてるんだな。私の時とは全然違う。わかったよ。お前が私を何とも思っていないことは、痛い程わかった。」
少し怒りがおさまり、冷静になった。
思ったより低い声が出た。
「二度としないでくれればいいわ。じゃあね。」
袖を掴む手を振り払って出ていこうとした。
「なぜ?影男と添い寝した?
なぜ兄上と寝ないんだ?
そんなに好きなら。」
立ち止まって、俯くと床板の木目が黒々とした不規則なまだら模様を描いて周囲に広がっていた。
「それは、私が兄さまに・・・・嫌われたから。
突然、逢ってくれなくなって、寂しくなって誘惑したら、私と深い関係になったことを後悔してると言われたの」
忠平様が目の前に立ち、私の腕に手を添え、目を覗き込んだ。
「本当に?そんなこと言ったのか?」
思い出すだけで引け目を感じ、まともに目を合わすことができず、目をそらした。
「文字通りじゃないけど、そういう意味のことを言われた。『無垢な少女』じゃない私には用が無いみたい。」
(その5へつづく)