EP312:伊予の事件簿「夢想の人影(むそうのひとかげ)」 その2
兄さまが意味が分からないという風に肩をすくめ
「非礼は詫びたし、場違いだと思ったからさっさと退散したじゃないかっ!!私を蹴っていくからには、よっぽど面白い集まりかと思ったのに、ただ漢文を読んで解釈するだけだろ?それとも・・・」
眉をひそめ
「本気で藤原元佐を恋人にするつもりか?好きになったのか?さっきも求婚を受け入れてたような気がするが。」
ますますカッとし
「私を拒絶するくせにっ!束縛もするのっ?
兄さまは私と一緒に寝ないんでしょっ??!!少女のままにするんでしょっ!!
でも私はっ、好きな人に触れたいし、添い寝もしたいし、もっとっ近づきったいのにっ・・・・っうっ・・・」
嗚咽がこみ上げ最後まで言えず、黙りこんでボロボロ涙を流した。
スッ
兄さまが両手で頬を包み、親指であふれる涙をぬぐう。
腕を引き寄せ、抱きしめようとする。
「放してっ!!」
ブンッ!
腕を振って手を振り払った。
驚いた表情のあと、困ったように眉根を寄せた。
もっと気にかかってることがある。
口に出して聞けないこと。
欲情した顔で誘惑する女子は嫌い?
私が多淫なのがいけないの?
純粋無垢な少女でなければダメ?
はしたない、淫らな欲望を覚えるのは罪?
こんなに触れたいと思っているのは
求めているのは
私だけ?
あなたは何とも思ってないの?
平気なの?
そんなの不公平だわっ!!
兄さまが懇願するまで、指一本触れさせない!!
強く心に誓った。
こーなったら意地っ!!
私のことを欲しくてたまらなくなって頭を下げるまで、絶~~~~対っ触れさせないっ!!
こっちからは折れないっ!!
濡れた睫毛をパチパチと素早く動かし、睨みつけながら、
「もう内裏に戻るわね。大納言様。」
静かに呟く。
頬の涙は乾きかけていた。
牛車の後簾をめくってヒラリと飛び降り、自分で持ってた履物をはいた後、牛車の中に向かって叫んだ。
「私は好きな人と、好きな時に、逢引きするし、一緒に寝るわ!
恋人は、兄さまだけじゃないのよっ!!」
涙の乾いた跡が、パリパリと引きつるような感覚があった。
傷つけようと、わざと嗜虐的に吐き捨てることで、どこか満たされた気がした。
雷鳴壺に戻り、今日の出来事を椛更衣にお話してると、椛更衣が何か思い出したように
「そういえば、さっきも茶々が伊予の行方を気にしてたわ!雷鳴壺に来るたび、伊予がいないときは行先を尋ねるのよ。なぜかしら?伊予、何か心当たりがある?」
クリっとした目をパチクリさせた。
う~~~ん、
なぜ?
と言われても、心当たりもないし。
今度会ったら直接聞いてみよっ!!
夜も更け、寝る準備をして自分の房に入ろうとすると、庭に影男さんが現れた。
「伊予殿、大納言と何かあったんですか?まとまった銭とこんな命令を受け取りました。」
一枚の紙を差し出す。
手に取って読んでみると
『影男、伊予の動向を探って逐一報告してくれ。
特に、見知らぬ新しい男とどこかで会うようなことがあれば、すぐに知らせてくれ。
文使いに握らせる銭が足りなくなったら追加する。
一割は報酬として受け取ってくれ。
時平』
はぁ?
私を監視するつもり?
影男さんに密告させるのね?
何なのっ??
もし私が多情多淫な好色浮気女だったらどうだっていうの?
別れるつもり?
妻にする話も無し?
考えながら、また泣きそうになった。
自分から
「恋人は、兄さまだけじゃないのよっ!!」
って啖呵切ったくせに
兄さまを失うかも!って想像するだけで胸が痛い。
影男さんが呆れたようにため息をつき
「やっぱり大納言とまだ続いてたんですね。で、何か揉めてる?あなたの浮気を疑ってるような口ぶりですが、新しい男がいるんですか?藤原元佐の他にも?」
三白眼の黒目が大きくなり、輝きを増し、口をとがらせ不満げに呟いた。
筒袖(和服の袖の一種で、袂がなく筒のような形をした袖)の腕をポリポリ掻きながら話すので、そのたびに筋肉質の逞しい腕がチラッと見える。
ううん!と首を横に振り
「兄さまにムカついたから、好きな人と好きな時に一緒に寝るっ!!って宣言したの。」
「じゃあ私と寝て、大納言を嫉妬させますか?」
(その3へつづく)