EP301:竹丸と伊予の事件日記「誘惑の濁世(ゆうわくのじょくせ)」 その7
*****【伊予の事件簿】*****
スクッ!
しゃがみ込んで見下ろしていた兄さまが、立ち上がり背を向けた。
やっぱり
拒絶されてる!!
呼吸ができない・・・
涙が出そう!
ダメっ!!
あきらめちゃっ!
すぐに立ち上がり、背中に抱き着いた。
ギュッと腕に力をこめる。
低い、硬い、掠れた声で
「浄見、大人になるまで、もう少し、離れていようと言っただろう?」
「なぜそんな事を言うのっ!?もう大人よっ!」
必死のあまり、金切り声に近くなった。
ふぅっと息を吐き
「四郎とそうなったから?」
ボソリと呟く。
知ってるの?
忠平様とのことを?
ギクッ!としたけど、それで兄さまの興味を引けるなら構わないっ!
「気になる?何をしたか?」
「・・・・別に。むしろよかったと思ってる。他の男を知れば、私がどこにでもいる凡庸な男だと気づくだろう。浄見がもっと他の可能性を探るなら、それはそれでいい経験だと思うし、その、昔馴染みだからといって、私にこだわる必要は・・・・」
何言ってるの?
ずっと!
ワケが分からないっ!!
話を遮ろうと
「忠平様は私の衣を脱がせて、素肌を見たのよ!」
兄さまがビクッと身を震わせた。
「素肌の胸に触れて、口づけられたの」
身体を硬く強張らせているのが、回した腕からわかる。
まるで、全身で、私を拒絶するみたいに。
口づけを振り払われたときのことを思い出した。
付き合う前、何度も、抱きしめられた直後に遠ざけられた、あの感覚
この世にたった一人で取り残されたような
真っ暗闇に閉じ込められたような
もう嫌っ!!
あんな寂しさっ!
この手は絶対放さない!
もっとギュッと両手に力をこめ、しがみついた。
でも何をすればいいの?
どうすればもう一度私を見てくれるの?
何て言えばいい?
「そのあと、あなたがするように、忠平様が敏感な部分に指で触れて・・・」
突然、兄さまが私の手を荒々しく掴み、腰からほどいた。
振り向き、両手で頬をはさみ、上を向かせた。
触れられた頬から痺れるような快感が広がる。
胸が高鳴った。
青ざめた頬には赤みがさし、少し開いた唇は唾液で濡れている。
上気した顔
目の奥にはギラギラと熱情をたぎらせていた。
怒り?
嫉妬?
それとも・・
私の顔を、隅々まで確認するように見つめ
「こんな顔を見せた?四郎に?
この欲情した顔を?!」
言い放った。
ズキッ!
傷ついた。
淫らな女だと責められたような気がした。
でもっ!
上目遣いで、ありったけの蠱惑を込めて見つめ
「今私そんな顔してる?そうね、そうかも。だってあなたが欲しいもの」
言い終えるか終えないかのうちに、顔を引き寄せられ、唇で口を覆われた。
全身の歓喜が花開く。
甘美な蜜が溢れる。
萎れた蕾に、恵の雨が与えられたかのよう。
慈雨が降り注ぎ、ひび割れた大地にしみ込み、潤う。
強く、激しく、何度も、唇や舌を奪われ
かき乱され、
眩暈を覚え、頸にしがみついた。
息を切らせ唇を離した兄さまが、皮肉気に
「悪い子だ。大人を誘惑するなんて。」
「兄さまは何も間違ってないわ!気にすることなんてないっ!」
フッと息を吐き、微笑みながら、私を包み込むように抱きしめた。
「浄見に解釈してもらった和歌があっただろ?あれの本当の意味はね、・・・」
抱きしめながら、父君の関白太政大臣・藤原基経様の日記を泉丸に盗まれ、脅されたことや、そこに記された和歌が何を意味してたのかの話をしてくれた。
ふと疑問が湧き
「泉丸は日記をスンナリ返してくれたの?それとも対価を支払ったの?」
腕をほどき、頬に触れ、唇を親指でなぞりながら微笑み、
「まあね。向こうは割に合わないと思ったかもしれないが。」
ふぅん。
安くついたならよかった!
兄さまが真剣な表情になり
「ただ一つ、浄見にも解釈を頼んだ『いかにせむ 今ひとたひの 逢ふことを 葦のかりねの 一夜恋しき』という和歌だけは日付が無かったんだ。」
「あっ!そーいえば!あれが父君の和歌なら、じゃあ、基経様は誰かと一度きりの逢瀬をして、それを恋しがってたってこと?お相手は誰なの?高貴な方?人妻?」
兄さまはウウンと首を横に振り、う~~ん、と唸った。
「父上が人生でたった一度きりの逢瀬を大事な思い出にしている相手とは誰か?
普通、葦と詠まれることが多いのに、あの和歌では、わざわざ葦と詠んでいただろ?
私が思い当たる、父上と親密で名前に『よし』のつく唯一の人物といえば・・・・藤原淑子様、つまり、叔母上だけだな。」
小さく呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
濁世とは『濁りけがれた世。末世。現世。』という意味だそうです。