29 「期待なさった以上の結果を」
大気を駆けていく術式の気配を感じ、蹲っていたリリファは顔を上げた。
「これは――」
はっとする。リリファは慌てて身を起こし、痛みに呻いて転倒して、近くにいた者に悲鳴を上げさせた。
しかしリリファはそれに構わず怒鳴った。
「通信魔術を起動して! ディーンに繋いで!」
それを受け、複数人が一斉に通信魔術を起動する。
ミラレークスから渡された柘榴石の耳飾りを使う者もあれば、己の魔力で起動するものもあった。だが方法に関わらず、彼らは一様に動揺の声を上げた。
「だ――駄目です!」
「妨害されて――」
リリファは息を吸い込み、大剣を杖にやっとのことで立ち上がりながら叫んだ。
「あいつの障壁を強化して!」
リリファ自身もまた、二階のその部屋へと魔力を差し向ける。
リリファの声を聞いた魔術師、そして異常を感じ取った魔術師が同じようにハッセラルトを監禁する障壁に魔力を注ぐ。
だが無駄だった。
空気を引き裂くような音がする。内側からとてつもない質量のものが出現したかの如く、障壁が引き千切られながら弾け飛ぶ。抑え込もうにも話にならない。
「嘘でしょ……」
リリファは呆然と呟き、天井を仰いだ。
「エンデリアルザの魔力……!」
余りにも強烈な魔力が宿を席巻する。魔力的な五感のある者たちが、各々のその五感を守るためにのた打ち回り、ある者は耳を塞ぎある者は目を覆い、そしてある者は痛みと紛う刺激に絶叫した。
天井が震える。それはつまり、二階の床が震えているということだ。やがて石造りの天井から砂塵がぱらぱらと降ってきて――
「逃げて! 天井が落ちる!」
リリファが叫んだ。誰かがその彼女の腕を掴み、外へと引き摺って連れ出そうとする。
「逃げて!」
宿全体が軋んだ。表の通りにいた住人たちが、何事かとその建物を振り仰ぐ。
その瞬間、宿が倒壊した。
柱が砕け、窓硝子が一斉に外側へと弾け飛ぶ。壁に亀裂が走り、大小様々な瓦礫と化して押し潰される。
天井が目の前に迫り、リリファは覚えず顔を覆った。
魔術師たちが念動系の魔術を振り絞った。念動系の基礎、物を動かす術式が、最大限の精緻さで起動され、一人でも多くを生かそうと揮われる。
「オヤジたちは!?」
裏庭にいたアルディたちが宿に飛び込もうとし、リリファの腕を掴んでいた男がそれを留めた。
「よせ!」
隣の建物をも巻き込んで、粉塵を巻き上げながら宿が倒れる。
ジャスミンが泣き叫んだ。
「オヤジ! オヤジ!? 母さん!?」
リリファは舞い上がる粉塵に咳き込み、顔を上げた。
その視線の先に彼がいる。
倒壊した宿を見下ろして、どれ程の魔力を使っているというのか、宙に佇む蜂蜜色の髪の青年。
風に服をはためかせて、腕を組んで空を踏み、足下を睥睨しているハッセラルト。
「おまえ――!」
怨嗟の声を上げたリリファに、ふとその視線が向いた。
「ああ、そういやあんたが一番強いんだったっけ」
どうでもいいことのようにそう言って、ハッセラルトはリリファに向き直るように立ち位置を変えた。
その足下は、踏まれる度に燐光を発する。
「じゃあ、さっさと死ね」
ハッセラルトが片手を振った。
咄嗟にリリファは大剣を盾にしようとしたが、その間さえない。宙を奔った衝撃波が正確無比にリリファを打ち据え、リリファは大きく飛ばされて裏庭の方へ転がった。
「――うっ」
苦痛の声を上げ、リリファの身体が仲間の遺体の傍で停止する。
ハッセラルトは腕を組み直すと、リリファから視線を逸らせ、町全体を睨み下ろした。
「俺、もうへま出来ねえから」
そう言って、ハッセラルトは自身の周囲に魔法陣を構築していく。方形のもの円形のもの、種類は様々だが目的は一つ。
「あの方が期待なさった以上の結果を出す。俺の命を惜しんでくださったあの方を喜ばせる。俺の大事な妹分を助ける。――だから」
魔法陣が光り輝き、魔術師たちがそれを相殺しようと魔術を飛ばす。だがどれも効果を現わさない。魔術師たちは素早く行動を切り替え、防壁を構築しながらじりじりと後退した。
「この町の連中全部皆殺しだ」
ハッセラルトが厳然と言い放った。
リリファは喘ぎながら身を起こし、大剣を構えた。足下が覚束ない。だが、ここで抵抗しなければ皆殺しが実行されてしまう。
リリファの動きに気付いたのか、ハッセラルトがリリファに目を向けた。
「――まだ生きてんの?」
不機嫌にそう言い、手を持ち上げてリリファを指差そうと――
「何回も喰らうかっ!」
リリファの足下が爆発した。念動系の魔術を用いた緊急回避。その瞬間、爆発の威力を受けてリリファの速度は常人の域を脱する。裏庭を一瞬で抜け、宿の瓦礫の手前へ。そこで失速するも、無茶を承知でもう一度足下を爆発させる。威力が過ぎて足裏と脹脛から血が飛び散った。
「下がって!」
アルディたちに怒鳴る。彼らが指示に従ったかどうか見届ける間はない。リリファの身体は爆発を受けて上空へと飛んだ。
空中で剣を振り被る。一太刀浴びせることを目的に、それだけを念じたリリファの行動は――
「だから、死ねってば」
心底つまらないというような表情のハッセラルトが軽く足を振った、その瞬間に潰えた。
空中から叩き落されて、リリファは地面に激突して血を吐く。その彼女目掛けて、ハッセラルトは容赦なく止めの一撃を加えようとした。
鋭利な氷の刃がリリファ目掛けて降り注ぐ。
「――させるかっ!」
割り込んだ声が、その声の主の術式が、リリファを守って展開された。僅かに橙色を帯びて輝く防壁が、氷の刃を受け止めてへし折る。
「ゼド!」
リリファが驚きと喜びが半々に籠もった声を上げた。ゼドの後ろには数人が更に控えており、ゼドは彼らに指示を与える。
「リリファを安全な場所に連れて行って回復させろ。そいつが全快すれば勝機はある」
樹国の中でも上から数えた方が早い実力を持つディーンを役立たず呼ばわりし、顎で使う彼女である。その実力は樹国の中で五本の指に入る。
「宿の中にいた人たちは!?」
リリファは鬼気迫る表情で尋ね、ゼドは頷いた。
「俺らの機転に感謝しろ。殆ど助けた」
ほう、とリリファが息を漏らし、そのリリファをアルファンドという男が背負う。
「リリファさん、退きますぜ」
「どこに行こうと殺すけど!」
ハッセラルトの怒声、それに続く炎弾が防壁を熱し溶かし始めた。
ゼドは宙に佇むハッセラルトを睨み上げ、啖呵を切った。
「敗者に用はねえってのが樹国の考えだが、ここにいるのは全部、負傷した敗者どもだ!
役立たずの用なしの底力思い知れ!」
やばいよこれ死んじゃうやつだよ、とリリファは内心で思い、それは恐らくアルファンドも同じだった。
〈インケルタ〉の者たちに、付いて来るよう視線で合図し、リリファはアルファンドの背中に身を預ける。
「お、オヤジは――」
ラッカーが不安に揺れる声を上げ、それにアルファンドが答えた。
「生き残りは向こうに集まってる。そこにいるはずだ、行くぞ!」
走り出す彼らの背後で、ハッセラルトが撃った炎弾をゼドが何とか凌ぎ切る。
「役立たず? 用なし? そんな連中生きてて何になるってんだ!」
ハッセラルトが怒鳴り声を上げ、ゼド目掛けて規模の違う炎の渦を撃ち出した。
青白く輝く熱の猛威を前にして、ゼドに為す術はなかった。
背後で火柱が天を舐めんばかりに伸び上がる。それが意味することを悟って、アルファンドは同行する者たちに指示を叫んだ。
「レックとヴィー、こいつらをオヤジとやらのとこへ連れて行け!
ジーンとラインスは俺と来い! リリファの回復が第一だ!」
「おう!」
ゼドを排除したハッセラルトが衝撃波をばら撒いた。どこを狙った訳でもない。恐ろしいことに、彼は本気で町を壊滅させるつもりだ。
衝撃波を喰らい、どこかの家で屋根が吹き飛ぶ。更に鐘塔の一つが凍結し、鐘を鳴らされる間もなく粉々に砕かれた。
悲鳴が上がった。
赤ん坊の泣き声が妙に耳に付く中、瓦礫の山を回り込んだアルディたちは、そこでゼーンを庇う形で拡がるアレックたちを見付けた。
「オヤジ!」
「母さん!」
戻って来た「餓鬼」たちに、アレックが無言で手を伸ばして引き寄せ、数人を纏めて抱き締めた。
「怪我人は?」
訊かれて、ミーシャが首を振る。
「いないよ。そっちは?」
シーナは唇を噛み、搾り出すように囁いた。
「ショーンとグレイスは駄目だったよ」
その瞬間、ミーシャまでも含む全員がその場で泣き崩れた。
崩壊していく町が奏でる轟音が、その泣き声さえも奪っていく。
上空に佇むハッセラルトは暴力を撒き散らしながら、その慟哭に気付いた様子も見せない。
二つ目の鐘塔が炎に包まれて崩れ去り、その様を見上げたアルファンドが薄い苦笑を漏らした。
「なんてこったい……安全な場所なんてねえな」
彼に負われ、大剣を握り締めるリリファは声を絞り出した。
「あんた――精神系得意だっけ?」
アルファンドは静かに首を振る。
「いや。あんな器用なもん扱えねえですよ」
リリファは悔しげに眉を寄せた。
「そっか……痛覚を誤魔化してもらおうと思ったんだけど……」
「危ねえこと考えますな!」
リリファは浅い息を吐いた。
「だけどここで、多少なりともあいつに噛み付けるの、私だけでしょ?」
それは事実だ、という認識がアルファンドを躊躇わせる。
鐘塔を包む炎が空を焼く。
「こんなの相手にカエルムが対処したのかよ……!」
アルファンドは呻き、リリファはぼんやりとそれに答えた。
「レーシアさんが傍にいれば、宝国の連中はこんな大掛かりなことしないよ……」
アルファンドの脳裏に、レーシアの魔力をアトルが使ったときのあの圧倒的な威力が蘇った。あのときも絶体絶命だと思ったが、今この瞬間はあのときのことが懐かしくさえある。
「あのときみたいに……助からねえもんですかな」
自嘲気味に呟いたアルファンドは、しかし首を振る。
「あるべき定めに反しますな、こんな言葉は」
――しかし、定めはアルファンドたちに死を運命付けてはいなかった。
開け放たれた町を囲む城壁の門。そこを潜る人影が一つ。
黒い外套を羽織った、老人と呼ばれる年齢に見える白髪の男である。歳を感じさせない動きで、背筋は伸びており、すらりと背が高い。彼は大陸南方でよく見られる、この辺りでは珍しい黒い肌を持っており、その肌に白髪がよく映えた。腰に長剣を差しており、その柄はよく使い込まれていることが分かる、古びてなお手入れを怠られていないものだった。
老人は町の様子に顔を歪めると、一言呟いた。
「なんということだ……」
その声に籠められた悲哀、その重さは、到底測れるものではなかった。
彼の外套が翻る。その瞬間、老人は町の中――ハッセラルトが宙に佇む場所を目掛けて、俄かには信じ難い速さで疾駆し始めた。
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炎は絶えず撃ち込まれ、そこここで小さな火が燃えている。その火が陽炎を発生させるのを見ながら、泣き疲れたシェラがデリックに寄り掛かり、ぽつんと呟いた。
「ねえ」
デリックは無言で首を傾けた。シェラは遠くを見ながら、ぼんやりとした口調で囁いた。
「なんでこんなことになったんだろ……」
デリックは乱暴に顔を拭い、ぶっきらぼうに答えた。
「――こんなとこで、待たされたからだろ」
陽炎が辺りの風景を歪ませる。
視界全体が揺らいでなお、これは陽炎なのだと、デリックは自分に言い聞かせ続けた。




