28 餓鬼の感情
涙を零すその胸中で、リリファは拳を握って快哉を上げていた。
(よしっ、掴んだ!)
墓穴を掘る樹国の者たちを僅かに振り返る。
(指示通り、こいつらに愛想よくしてくれてるし、)
アルディを筆頭として、「餓鬼」たちに視線を走らせる。
(分別のある大人からは引き離した。絶対あの人たち色々見抜いてくるもん)
視線を折り返しながら、沈痛な表情のままで内心では拳を握って己を讃える。
(よくやってるわ、私! こいつらは、仲間だったはずのアトルだけが重要人物っぽくなってることを、内心で面白くないと思ってても不思議じゃない――よしんば思ってなかったとしても、ちょっとつついてやればそうなるわ)
キースに――悲しげに伏目がちで――視線を向ける。
(こいつもそう。格下だったアトルが明らかに自分より強くなってんだもん、面白いわけがないわ)
アトルの今の実力は指定魔術師に並ぶ。リリファから見ても、かなりの遣い手に成長していると認めざるを得ない実力なのだ。
(そんな中、私から重要事項を打ち明けられる――これでこっちに気持ちが傾かないなら、素直に負けを認めるわよ)
逆に、万が一リリファに靡かない場合を考えて、嘘は出来る限り吐かないことが懸命だ。戻って来たアトルと彼らとの間でこのことが話題になったとき、要らぬ紛争を招きかねないからだ。
「宝国って、あの――?」
ジャスミンが戦々恐々と尋ね、リリファはしおらしいばかりでは逆に怪しまれるので、適度な毒舌を混ぜ込む。
「他にどこを宝国って呼ぶのよ?」
そして無論、その後には、
「――ごめん、ちょっと疲れてるみたい」
いや、とか、いいのよ、という声がちらほらと。
(レーシアさんのことは打ち明けるわけにはいかないしな……。それっぽく誤魔化すか!)
リリファは算段を付け、口を開いた。
「レーシアさんは……宝国と縁のある人なの。だからああやって追い掛けて来る。だけどレーシアさんの魔力量は膨大なものよ。軍事国家に渡すわけにはいかないの」
ジャスミンが眉間に皺を寄せる。
「うん……でも、あのアジャットって人たちは、ミラレークスの人なんだよね?」
ミラレークスに対しては、日頃からの鬱憤をそのままぶちまけるだけでいい。リリファは適度な間を置いて、考え考えという風を装い、答えた。
「ミラレークスは――ね。あの人たち、大陸中に支部を持ってるでしょ? だから、なんて言うか……魔力法協会って名乗ってるくらいだし、なんていうか――自分たちが法律で、一番偉いんだ、みたいな――傲慢っていうんじゃないんだけど。そんな感じがあって」
いかにも「あの人たちを悪いって言いたいわけじゃない」という響きを出そうとしているが、リリファはこのことを声を大にして怒鳴りたいのだった。
「レーシアさんくらいの魔力の人だと、何ていうのかな、直接管理したい? みたいな、そんな感じなの」
〈インケルタ〉の「餓鬼」たちは多くが戦災孤児である。お上のそのような考えを嫌う土壌が彼らにはある。
リリファの読みは当たって、彼らの表情は浮かないものになった。
「アトルは――」
レアルが呟き、リリファは唇を噛んで――その実、胸の中で喝采を上げていた。
(待ってましたぁ――っ!)
「アトル、ね」
そう呟いて俯く。
「知ってるか分かんないけど、あいつってミラレークスの指定魔術師になったのよ。ミラレークスの特権階級の」
知っていた者と知らなかった者がいるとみえ、キースなどはあからさまに目を見開いた。
一方で、ラッカーが自嘲気味な笑みを口元に刻む。
「知ってるか分からないけど、か……。他所から見て、そんな他人行儀な間柄に見えてるのか、俺たち」
リリファは笑みを浮かべないように唇を強く噛んだ。
本来、彼らの結束はこんなことで揺らぐようなものではないだろう。もしもそうならば、もっとずっと前に〈インケルタ〉とアトルの間で衝突が起こっているはずだ。だがここ最近の疲れや苛立ち、不安などが、彼らの心を揺らしている。
「ご、ごめん。そんなつもりじゃ……」
おずおずとリリファが言えば、ラッカーははっとしたように首を振る。
「あんたを責めてるわけじゃないんだ」
「でもなんか意外」
ミーシャが感嘆したように言って、リリファの顔を覗き込んだ。
「樹国の人っていうから、なんかもっと怖い人かと思ってたら、私たちにも普通に話し掛けてくれるんだね」
(もー上手くやりすぎでしょ私! やばい、これはやばい。見てろディーン、唸らせてやる!)
内心で己に拍手喝采しながらも、リリファは目的の達成に邁進する。
「――私たちはね、ただアロ・フォルトゥーナを奉じていたいだけなの。でもどこの国も教会が少ないから樹国にいるだけ。宝国がちょっかい出してくるから、強くなったけどね」
悲しげに目を細め、リリファはそう言う。
「……レーシアさんを追い掛けてるのも、そう。レーシアさんは争いの火種になる人だけど、だからって死ねなんて言えないでしょ。そんなの、あるべき定めに反するわ。だから私たちと来てもらって、軍事国家の手の及ばない樹国で暮らしてもらいたいだけなの」
実際にはそれだけではないが、言い出すとややこしくなるのでリリファは黙っていた。
「それを、ミラレークスと宝国が邪魔してるの……?」
シェラが戸惑って言い、眉を顰める。
リリファは俯き、数秒の沈黙を挟んでから、答えた。
「――ええ、そうよ」
彼らが視線を交わすのを見ながら、リリファは打って変わって厳しい口調で捲し立てた。
「レーシアさんは宝国と縁がある。そのせいか分からないけど、彼女自身の倫理観にも物凄く問題があるわ。アトルがあなたたちにとってどういう存在か、他所者の私には分からない。だけど、これだけは断言できる」
一拍置いて、眼差しに力を籠める。
「レーシアさんは、誰かに大切に思われるような人が大切にしていい人じゃないわ」
激しい言い方に、アルディたちが息を呑む。
リリファは更に続けた。
「前の戦闘もその前も。レーシアさんは何をした? 圧倒的な魔力量を持っているのに、ただ庇われていただけ。筆頭で庇っていたのはアトルだけど」
そう言って、リリファは溜息を漏らす。
「あの顔だもんね。いくらでも庇われようはあるだろうけど。それに、レーシアさんからすれば色々と制約も掛かって、自由に動けないこともある。レーシアさんだけが悪いって訳じゃないわ。
でも――アトルはどうだろう」
「餓鬼」たちの顔を見る。どの顔にも反感は浮かんでいない。それを見て取って、リリファは鋭く言った。
「指定魔術師は給料もいいの。レーシアさんを本部に連れ帰れば、評価も鰻上りでしょうね。それにレーシアさんのあの懐きようからして、男としての役得も十分に期待できるし」
その瞬間、予想したよりも激しい嫌悪が彼らの顔に浮かび、リリファは内心で首を傾げる。だが、それに拘っている場合ではない。
「けど、アトルって悪い奴じゃないでしょ?
初めて会ったの、セルダっていう町だったけど、結構一生懸命な好青年だったし」
ミーシャが苦笑する。
「うん、悪い奴じゃないよね」
「小賢しいけどな」
「アルディ、宝国に入ったときもものすごい砂埃被ってたしねぇ」
笑い合う彼らに、リリファは抱き付いて頬擦りしたい気分になった。
「なんていうか、ミラレークスに入って雰囲気変わったんじゃない? なんかいきなりすごい魔術師になっちゃって」
そう言ったのは少々露骨だったが、それでもキースはぼそりと答えた。
「本当に。――あいつが使う魔術、俺は半分だって使えやしねえ」
デリックが視線を斜め下に落としながらぽつりと言う。
「――あいつの知ってること、俺らってどのくらい知ってんのかな」
あと一押しだ。リリファはこっそりと息を吸い込んで気持ちを落ち着かせ、決定的な言葉を述べた。
「――私は、出来れば、レーシアさんとアトルを離れさせたいの」
数秒の静寂、そしてリリファは慌てた風を装って、杖代わりの剣を握っていない方の手を振る。
そろそろ立っているのも難しくなってきていた。
「あ、ごめん。こんなことまで言うもんじゃないよね、気にしないで。ただ――」
目を伏せて、寂しげに苦笑する。リリファの演技は、細部まで穿っても完璧だった。
「――話してる内に、協力してもらえないかなって、思っただけだから」
風が吹き、ばたばたと各々の服が靡く。
八人は目を見交わし、一致した答えをリリファに告げた。リリファは悲しげに微笑んでそれを受け取り、彼らと墓穴を掘る作業を続けようとした。
だが、そろそろ火傷の痛みは耐え難い程になっていた。何度も謝罪を重ねながら、リリファは宿の中に戻る。
「いた……ぁっ」
掠れる声を上げて蹲り、自分自身で火傷を冷やしつつ、リリファは演技ではない涙を溢れさせた。
ぼろぼろと、みっともなく泣きながら、リリファは蹲った姿勢で額を床につける。
「ごめん――ごめんね、みんな……」
涙が床に小さな水溜りを作った。唸るような泣き声が喉から漏れて、それに紛らすようにして、リリファは声を絞り出した。
「……みんなが死んじゃったのに――それを利用して、ごめんなさい」
涙は燃えるように熱く、自己嫌悪の感情はそれ以上の熱さでリリファの心臓を焼いた。
「――みんなの傍で喜んで、本当にごめんなさい」
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ハッセラルトは閉じ込められた部屋の中で座り込み、その蜂蜜色の髪を乱暴に掻き回した。
「有り得ねえ、油断した」
呟いた彼がなぜ、ここで本気で障壁を破ろうとしていないのか。理由は簡単だ。
――彼は反省していたのである。
「油断だ。これが駄目だ。お役目の最中だってのに俺は――」
そう言って、ハッセラルトは自分の額を殴り付けた。ごつ、と音がして、白い額に赤い痕が際立つ。痛みも相応にあったはずだが、ハッセラルトは頓着しない。
「あの方に申し訳ねえ……」
そう、押し殺した声で言って、ハッセラルトは掌を顔に押し付けた。
「アディエラに引き続いて俺まで失敗したら、どんなに悲しまれるだろう……」
その想像が、ハッセラルトには耐え難い。そしてまた、アディエラが失敗したと告げたときのその人の言葉がハッセラルトを苦しめた。
「――失望されたら、どうしよう……」
呟いて、ハッセラルトは大きく震えた。
失望されること、要らないと言われることが、何よりも彼には――彼らには恐ろしいのだ。
彼らの主は優しい。役立たずでも拾って育ててくれる。役に立てば褒めてくれる。しかし一度役に立てば、才能を示せば、彼の評価ではそこを下限とされる。彼らの主は、能力が下降することを認めない。
一度出来たことは、それからも出来る。そして能力は発展していくはずだと。
力を示せばその発展のために、出来る全ての手を打ってくれるが、それはすなわち期待の証だ。応えられなければ失望され――要らないと言われる。
そのことを知っているハッセラルトは息を詰めた。
彼自身、どうやって彼らの主が彼らの失敗や成功を、遥か隔地から知るのかは分かっていない。分け与えられている魔力に何か細工がされているというのが無難な予想だ。
「まだ、まだ失敗してないです、待って、まだ待って」
どこかで彼が聞いているかも知れないと思い、ハッセラルトは声を出した。
同時に、妹のような存在であるアディエラを案じる気持ちが湧き上がってくる。
――彼女は泣いていないだろうか。
彼らの主は多くの子を拾って育てたが、その中でも突出した才能を示したのは一部だ。常に彼の傍仕えを承っている一人と、ハッセラルトと、彼の兄弟のようなあの三人。各地に派遣されていることの多い二人。今生きている中ではそれだけだ。
ゆえに、そう簡単には捨てられないが――
「アディエラは心が弱いからな……」
ハッセラルトは呟き、しかしすぐに首を振った。
「今はアディエラのことじゃなくて、俺のお役目を考えないと」
ハッセラルトは立ち上がる。頬を叩いて気合を入れた。
「あの方が思ってる以上の成果を出して、アディエラのこともお願いすりゃいいんだよな、つまり」
考えをそう切り替えて、ハッセラルトは彼らしい笑みを浮かべた。
「うし、なんか出来そうな気がしてきた」
胸元の碧玉を掴み、ハッセラルトは部屋を――部屋の内側に張られた障壁を見上げる。
白い障壁が継ぎ目なく部屋を覆い、仄かに発光してハッセラルトを外へ出すまいとしている。
だが、ハッセラルトが預けられた魔力を用いて暴れれば、こんなものは大した障害にはならない。
時刻は昼に差し掛かろうとしていた。
陽光が窓から差し込んでいるが、障壁に光を大幅に削られて、ハッセラルトの目からは滲むようにしか見えない。
「それじゃま、真面目にやらないとな」
ぱん、と手を合わせる。その胸元で碧玉が眩しく輝いた。
術式が発動する。透明に輝く魔法陣がハッセラルトの正面に生成された。その円形の魔法陣が円周を広げ、宿を飲み込むように拡がっていく。
宿を越え、町へとその光を伸ばし、昼の日の中でそれに気付く者は殆どいない。
やがて魔法陣は町を覆って、ゆっくりとその空気の中に溶け込んだ。町そのものを、通信の魔術をもたらす精神系の魔術から隔絶させる結界。
「よっしこれで――通信魔術の妨害完了、っと」
ハッセラルトが満足げに唇を曲げる。
ディアナやヘリオにイリの町にいる者たちの全滅を確信させた、通信の魔術の妨害。
――それが行われたのは、アジャットが通信の魔術を起動しようとする、まさに数秒前のことだった。
ハッセラルトが部屋の中で伸びをする。
「ようし……。んじゃ、ここから出ないとなっ」
水晶の象嵌された金の腕輪に手を触れる。その水晶が白い光を纏って火花を散らした。その中に溜められていたのは、他の魔力とは格が違う魔力だ。
その魔力が、ハッセラルトの技量を受けて従順に術式に馴染み、その術式が起こす事象を指定されたままに具現させる。
ハッセラルトを閉じ込める障壁が軋んだ。
揺らぎ揺らいで、悲鳴を上げて――消失する。




