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17 心臓と夢と思考

 御者をディーンに代わって車内に戻って来たリーゼガルトは、やはりただならぬ雰囲気は感じ取っていたとみえて、開口一番に何かあったのか尋ねた。


「うむ。レーシアさんの心臓が止まるという大事件が――」


 アジャットが答え、リーゼガルトは目と、ついでに口を大きく開いた。


「……マジで?」


 リーゼガルトはレーシアに目を遣り、しみじみと呟いた。


「すげえ……生きてる……」


 すげえことに生きてるそのレーシアは、胸部の圧迫により乱れた衣服を整えた際、「どうしてこんなに服に皺が寄っているのだろう」と疑問に思いこそすれ、特に身体の異常を確かめることはしなかった。

 だが、余りにも衣服が皺くちゃであるため、アジャットの服を借りて着替えようということになり、ミルティアが張った視覚障壁の奥に彼女が引っ込んでしばらく。

 突如として悲鳴が上がった。


「どうした!?」


 無論、アトルをはじめ馬車内にいた全員が慌てふためき、その只中にレーシアが飛び出してきた。視覚障壁は、視覚は遮れど他のものは遮らないのである。

 レーシアはまだ着替えておらず、肌着同然のインナードレスしか身に着けていなかった。


 かつて、レーシアが初めて己の腕にエンデリアルザの証章を発見したときも、今と似たような状況であったことをアトルは思い出した。

 が、そのときと今では色々と事情が違う。

 まず第一に、感情を昂らせてはいけないレーシアが顔を真っ赤にして興奮している。そして第二に、馬車内にはあのときとは比較にならない人数の男性がいる。第三が、アトルがはっきりとレーシアを異性として意識しているということである。


 大問題が三つもあって、アトルにはどれからどう対処すればいいのかすら見当も付かず、取り敢えず他の男性同様、その場でくるりと背を向けた。


「アリサ!」


 幸いにも、レーシアが呼び掛けたのは女性だった。アリサはきょとんとした顔で応じる。


「なに? ――どうしたの?」


 レーシアはアリサに飛び付いて、がくがくとその身体を揺すった。アリサは「はいはいはい」とばかりにその腕を叩いて落ち着かせ、もう一度尋ねる。


「どうしたの?」


「これっ、これはっ」


 レーシアは吃りながら言い、オリアとアジャットが同時に彼女に近寄って、口々に宥めた。


「レーシアさん、落ち着いて」

「深呼吸、深呼吸だ」


 取り敢えず瞑目し、深く呼吸したレーシアは、目を開けると自分の胸を指差した。


「――痣が」


「ああ、出来ちゃったか」


 アリサは事も無げに答え、つんつんとそこをつついた。


「ほら、あなた心臓止まったでしょ?

 動かすためにひたすらそこを押したのよ」


 レーシアは戦々恐々と尋ねた。


「だ――誰が」


 アリサは空気を読んだ。オリアも空気を読んだ。ついでに場にいた他全員は空気を読み、アトルに至っては空気を読んでくれと願った。

 だがここでまた、空気を読むことを知らない女、アジャットの真髄が光る。


「ああ、アリサ嬢とアトル青年が」


 あっさりと放たれたその言葉に、レーシアは一瞬呆然とし、それから額に手の甲を当て、へなへなと頽れた。


「レーシアさん!」

「ちょっと大丈夫!?」

「レーシア!」


 女性陣が大合唱し、振り向くに振り向けない男性陣が葛藤した。その中で、レーシアは最早半泣きである。


「分かってる、助けてくれたんだよね、分かってる」


 そう、己に言い聞かせるように呟き、そして顔を覆うと呻いた。


「私の乙女の夢が砕けた」


 その発言で、アトルの心が叩きのめされた。


 何とも暗澹とした空気を湛えて、馬車が宝具へ向かって走り行く――。






 アトルの気分は沈んだがレーシアの気分も沈んだ。


 着替えた彼女は今は、白を基調としたワンピースを着ている。腰は紺色の細帯を数回交差させるようにして、胸までの部分を柔らかく抑えており、ひらりと広がるスカートの裾にもまた、紺色の飾り布が使われている。丈は前から見ると膝丈だが、後ろはそれよりやや長く、レーシアの履いているブーツとよく合っていた。

 文句なしに可愛らしい格好で、がっくりと項垂れている美少女。謝るのもおかしい話なので何一つとして声を掛けられない、これまたがっくりと項垂れた青年。


 馬車内は何とも言えぬ空気に席巻されていた。


「ねえ、これってどうなの」

「確かに。私たちって今、レーシアさんの命が懸かってる、宝具に向かって進んでるんですよね?」

「この緊張感のなさはなんだ……」

「そもそも、昨日まで動くことも怖がってたレーシアさんが、なぜ普通に動いて喋っているんだ」

「一回心臓が止まるごとに余裕が生まれる――とか?」

「なんだそりゃ。ぞっとしねえな」


 アトルとレーシアを寝台に置いて、他の者たちは馬車前方で一塊になってこそこそと言い合っていた。


 事実、レーシアが過剰に怯えることはなくなっている。それは、レーシア自身の記憶にはないことだが、あの明るい草原で、レーシアの生存を保障するような言葉を聞いたことが原因の一つだった。


 はあ、と溜息を吐き、レーシアが口を開いた。


「アトル――いつもありがとう」


 アトルは若干ぐったりした声を出した。


「いや――別に」


 レーシアとアトルは、互いに微妙に他所を向きつつ、同じ寝台に腰掛けていた。

 そこを、ずい、とレーシアが膝をアトルに向ける。


「ええと、アトル」


「おう」


 アトルがやや警戒気味に答え、前の方で団子になっている皆さんが、「お!」とばかりに身を乗り出すのを視界の端に捉え、うんざりした顔をした。


「いつもいつも助けてくれてるもんね?」


 縋るような表情で訊かれ、アトルは面食らった。


「あ? ああ、まあ」


 レーシアは何やら悔しげに続けた。


「つまり今回もその一端であって、私のその、じょ、女性としての魅力を云々したりとかは、してないよね?」


 アトルは顔を強張らせる。


「そんな場合じゃなかっただろ……」


 あの緊迫した空気を、アトルに後追いまで決意させたレーシアの生気のない瞳を、どこをどうすればそう解釈できるのか。

 さすがに不機嫌を孕んだアトルの視線に、レーシアは慌てた様子で両手を振る。


「ごめん、ごめんなさい、そうじゃなくて」


 レーシアは古傷が疼いたかのような顔で笑った。


「色気も胸もないって言われたことが――いやなんでもない」


「は?」


 ちなみにサラリスに言われたことである。


 レーシアは思わず目を閉じ、中指を額に当てて回想した。夜の店を経営している男を口汚く撃退したサラリスの言葉の一部を。



『あんたが持ってるような店に入らせるには、この子には色気も胸も足りないわよ! その節穴の目がしっかり見えるようになったらとっとと失せるのね、この脳足りんが!』



 当時、レーシアは十三歳であった。

 愛されてる、嬉しい、守ってくれた、と当時はただただ感激したのだが、二、三年経ってから、その発言を思い返してはっとしたのである。


 ――色気と胸とは。それはあらねばならぬのか。果たして自分にあるのか。


 レーシアにとって不幸なことに、唯一身近にいた比較対象であるサラリスの胸部は、豊かな部類に入っていた。

 ゆえに、レーシアの中で、自分が魅力的であるという認識も自信も、育とうはずもなかったのである。


 アトルは訳が分からないというような顔で黙っていたが、レーシアの顔が存外に深刻そうだったため、思わずその頭に掌を乗せて、安心させるように言っていた。


「大丈夫だ。一切誰も一人として、あの場でそういうことは考えられなかったから」


 レーシアは手を下ろして、上目遣いでアトルを見上げ、その表情に嘘がないことを確認し、そしてようやくいつものように笑った。


「そっか。そうだよね!」


 助けてくれてありがとう、と座ったままで軽く頭を下げたレーシアは、しかし顔を上げると、しばらく自分の唇に手を触れて考え込んでいた。

 そしてまた、馬車の前方に集まっていた者たちが、ようやくいつものように馬車のあちこちに立つなり座るなりして、自分への注目が皆無になってしばらく。

 アトルがぼんやりと自分の手を見詰め、誰にも聞こえない声でぼそりと呟いていた。


「確かに――そんなになかったな」


 十三歳と十七歳、その差は判然としないものだった。






 レーシアの心臓が止まった大騒ぎが一段落し、馬車内は緩やかにいつもの秩序を取り戻していた。

 時刻は夜明けに迫っている。レーシアは再び毛布に包まって動かなくなり、魔術師たちは敵影と宝具の気配に神経を研ぎ澄ませる。

 だが調子が戻ったからといって、全員の記憶までが消滅した訳ではない。


「レーシアさんは不思議な子だな」


 アジャットがしみじみと言う。


「普通ああいう局面で、乙女の夢が砕けたとは言わんだろう」


「あたくしもそう思ってよ」


 ディアナが即座に答えた。彼女は昨日、レーシアが息を吹き返した瞬間に上手くアジャットに抱き付けたらしく、また感極まっていたアジャットもそれを嫌がらなかったので、かなり機嫌がいいのだった。


「普通、ああいう場面で言うとしたら――」


 深く頷き、アジャット、オリア、ベティが口を開いた。ベティは若干棒読みである。


「命の恩を忘れて相手を痴漢と責める」

「もうお嫁に行けない」

「なんてとこに触ってんのよー」


 ディアナがオリアの答えに爆笑した。


「お嫁! お嫁!」

「なんですか、変じゃないでしょ!」


 これ全て、馬車の後方の窓を覗きながらの会話である。


 レーシアにもその声は少なからず聞こえていただろうが、彼女は全くの無反応を貫いているように、他の者からは見えた。――その実、彼女は眉間に皺を寄せ、「お嫁……?」と訝しげに呟いていたのだが。


 アトルはレーシアがいる寝台ではない方の寝台の上で胡坐を掻き、ぶすっとした顔で窓の外を見上げていた。


(なんだよレーシア――)


 その胸中に渦巻くのは不安である。


(本気で……嫌だったのか……?)


 あそこまで大騒ぎされると傷付こうというものである。自然、レーシアに話し掛け辛い。

 嫌がるとか嫌がらないとかを考えている場合ではなかったのは事実であり、レーシアが虫唾が走るほど嫌がっていようが、命を救った以上、アトルはむしろ胸を張ってレーシアに礼を要求していい。しかしアトルの感情は別である。


 だがレーシアにとってはアトルの沈黙は別の意味を持っており、彼女は己の態度を顧みて大いに反省し、かつてなく己を恥じた。

 そんな訳で、レーシアは意を決して食事の際にアトルの傍に寄った。


「どうした?」


 レーシアの表情が余りにも深刻なので、思わず身構えてアトルが訊けば、レーシアはその場でがばりと頭を下げた。


「ごめんなさい!」


「レーシア?」


「命を救ってもらったのに!」


「レーシア、落ち着け」


「あんなこと言って!」


「落ち着けってば」


 謝り倒すレーシアを落ち着かせ、アトルは困り顔をする。


「取り敢えず宝具に辿り着くまではもう触れないでおこ――」


「でも!」


 レーシアが「大恩のある人に私はなんてことを」と表情で語ったため、アトルは放置すれば延々とレーシアが自分を責めると判断した。

 立ち上がり、レーシアを馬車の後部に誘導する。食事のために前方に集まる他の者と距離を置いたのだ。


「あのな、」


 アトルが言い差すと、レーシアは悲劇的な顔をした。


「ごめんなさい、本当に、ええと、つまり、」


「落ち着け」


 アトルは一瞬考えたが、この機会を利用することにした。

 声を低め、ついでに元素系の魔術で他の者に伝わる声を散らしつつ、慎重な口調で尋ねる。


「いや、おまえが本気で嫌だったんなら俺の方が謝らないといけない――」


「なんで?」


 レーシアは目を見開いた。


「助けてもらったのにそんなこと――アトル、失礼してほんとにごめんなさい」


 しおらしくまた頭を下げたレーシアに、アトルは眉を寄せた。


「……失礼云々は置いといてだ。――おまえ、嫌だったんだろう?」


 ぐ、と詰まったレーシアに、アトルの心はまた傷付いた。

 マジかよ、というのがその心境である。


(そもそもレーシア見付けたのは俺だし、なんだかんだ世話焼いてるし、結構信頼されてると思ってたのに――嫌われてはないだろうけど――好かれてもないのかよ!?)


 だが、アトルの表に出さない落胆を、レーシアは削り取った。


「私はいいんだけど、アトルが――」


 アトルは眉を上げた。


「俺が?」


 レーシアは眉根を寄せ、アトルの顔ではなく胸の辺りを見てぼそぼそと言った。


「だってあくまで私を助けようとしたからで――それはすっごくありがたいんだけど、なんか初めてにしては無味乾燥というか――せめて意識があれば――」


 アトルは若干目を見開いた。落胆が綺麗に押し流されていった。


(あ――、嫌がっては、いない? 状況を気にしてるだけなのか?)


 レーシアが「いやでもそれは高望みで」とぶつぶつ言っているのを見ながら、アトルは気分が浮上するのを感じた。


(え、なら全然いいだろ)


 後追いを決意するくらいには、アトルはレーシアに惚れている。レーシアが気にしている問題点はそれで解決しているのである。

 だがレーシアが肝心のその事実を知らないので苦悩しているというのが現状である。


 アトルは数秒、考えを巡らせた。

 ここでさっさと告白したとしよう。――高確率でレーシアは大混乱、どう答えていいか図りかね、アトルを避け始めるのが目に見えている。

 ずっと同性である「サラリス」と行動していたためか、レーシアの恋愛面の情緒は育っていないとみるべきだ。


 気分が軽くなったアトルは、この場を凌ぐ代替案を思い付き、レーシアの肩に片手を置いた。


「なに?」


 レーシアが首を傾げる。アトルはそれを見下ろして、真顔で言った。


「おまえが俺にした失礼な仕打ちだけど――」


 レーシアが顔を曇らせる。それに重ねて、アトルはレーシアの耳元で、極力小さな声で囁いた。


「――おまえ、確かに胸小せぇな」


 レーシアが硬直し、さっと顔に血を昇らせた。


「あ、ああ、アトルっ!」


 余りに興奮してはレーシアに毒なので、アトルは素早く言葉を差し挟む。


「今の俺の失礼でちゃらだ。いいな?」


 きょとんとして、レーシアが瞬きした。その頭をアトルがぽんぽんと撫でると、意図を理解したのか、レーシアは段々と表情を緩めて笑った。


「うんっ!

 ――で、実際は?」


 がらりと表情を変えて迫ったレーシアに、アトルはさっさと食事の方へ戻ろうとする挙動を見せる。


「アトル、待って。実際は? 実際はどうなの?」


 アトルはわざとらしく耳を塞ぎ、すたすたと輪の中に戻った。


「知らねーな」

「アトル、ちょっと」

「おいレーシア、さっさと食えよ。腹減らすのもやばいんだろ?」


 保存食を手渡され、レーシアは条件反射で頷いた。


「えっ、うん。ありが――じゃなくて、いやありがとうなんだけど、アトル! どうなの」


 アトルは溜息を吐いてまたレーシアの頭を撫でて、噛んで含めるように言った。


「アリサに訊けよ」


 レーシアは目を見開いた。


「やだ。恥ずかしい」


 恐ろしいことに本気だった。

 同性よりそれを訊きやすいと思われてる俺ってどうなの、とアトルが己の立場を嘆いたことは言うまでもない。





************





 そのものの事態も深刻であれば、事態の尾も割と深刻に引かれた、レーシア心停止事件。


 その日の昼頃になってようやく、当事者を含む全員からその衝撃が抜け、むしろ最悪一歩手前の事態を経験したことにより、何やら開き直りのような空気が生まれた。


「神経尖らせてレーシアさんを追い詰めるより、もういっそのこと明るくしときましょうよ」


 と言ったのはオリアだったが、そのオリアの後頭部を叩いてリーゼガルトが突っ込んだ。


「てめえが辛気臭ぇ面してんのに疲れたんだろ」


 あいた、とオリアが頭を擦り、アジャットがじとりとした声を出した。


「仲がいいな、二人とも」


 リーゼガルトが凍り付いた。


 とはいえ、眠たくなったのかミルティアはジャディスに寄り掛かってうたた寝をしているし、アジャットにはディアナがじゃれかかっている。狭い空間に押し込められて、樹国とミラレークスの垣根には穴が開いていた。


「あ、待って。向こう向こう」


 レーシアが声を出し、彼女の指差した方向に馬車の進路が微修正される。御者台に座るディーンがヒースを焼き払う炎が散らす火花が、窓からでも微かに見えた。


「あとどれくらいだ?」


 レーシアが横になる寝台の傍の床に座り込んだアトルが訊き、レーシアは力を籠めて頷いた。


「大丈夫。ほんとにあともうちょっと」

「ならいいけど……」


 アトルは案じる顔のままでそう言い、アジャットが訝しげに腕を組んだ。


「おかしいな。全く襲撃がない」


 ディアナも首を傾げる。


「そうね。デイザルトたちならば追い縋って来そうなものだけど」


 アトルが口を挟んだ。


「あのアディエラとかいう奴は?」


「あれは――」


 ディアナが詰まり、ヘリオが続けた。


「あの勢力は別格ですよォ。追い着くも逃がすも、結構あちらさんの意思次第ですよォ」


 オリアが溜息を落とす。


「ヘリオ、余計なこと言わない」


 アトルは寝台の支柱に後頭部を預けた。


 考えてはいたが、考えたくはなかった。アディエラと呼ばれていた少女がどこに属しているのかを。

 圧倒的な戦力と、レーシアを丁重に扱うこと。「サラリス」(ゆかり)であろうこと。

 全て鑑みて閃くものは一つだけだ。


 ――大陸最強の軍事国家、宝国。


 一度だけではあったが、宝士が差し向けられて来たこともあり、宝国もまたレーシアの身柄を欲しているのは間違いない。疑問なのは、なぜ最初からアディエラなどの、化け物とまで呼ばれる者を差し向けて来なかったかということだが、それを考えるには宝国についての知識が少なすぎる。


 宝国はレーシアが「サラリス」と一緒にいた最後の場所であり、百年戦争の発端となった国であり、その内情に関して、樹国と並ぶ神秘性を保つ国である。


 あのとき――レーシアが封具を使ったあのとき、上空を飛んだ飛翔船。

 あれがもしアディエラが属する勢力のものであり、それが宝国であるとしたら、宝国の意図は漠然と分かる。


 宝国は、レーシアの行動を尊重しようとしているのだ。


 アディエラが町一つ壊滅させたことを取っても、それがウィンドレンでの一斉検問に備えてのことであったとしたら。

 あの、不可解な自害を遂げたミラレークスの一般魔術師。あれもまた、宝国に寝返っていたとしたら。


 それら全てに共通するのは、恐ろしいまでに「レーシア本意」な行動原理だ。


 レーシア一人のためだけに、何十人を犠牲にすることを厭わない。ならば今、一切の邪魔をしてこないことにも合点がいく。それどころかどこかで、デイザルトたちの足止めをしているのかも知れない。

 推測の域は出ない。だがもしそうだとすれば、その目的が全く分からない――


「アトル」


 レーシアに呼ばれ、アトルは考えを中断してレーシアに視線を向けた。


「どうした?」


 レーシアは眉を下げ、微笑んだ。


「――心配してくれてありがとう」


 アトルは顔を顰めた。


「宝具まで連れて来てくれてありがとう、なら聞いてやる。礼はまだ早いだろ」


 うん、と呟いたレーシアは束の間目を閉じた。


「ほんとに、ほんとにもうちょっと」


 アトルはレーシアの顔を見て唇を噛んだ。


 彼女は宝国に滞在していた時期がある。宝国がどのような国なのか、それを知っているはずなのだ。


 あのアディエラという者が宝国の者なのか、それについての確信を得るためには、少なからずレーシアの話を聞く必要がある。

 だが、恐らくレーシアには、宝国は味方であるという認識があるのだろう。これまでにも、宝国のことを悪く言う様子は見られなかった。ゆえに、宝国のことを詮索するのが難しい。話が聞けたにしても、それが公平な視点から語られるとは考え辛い。

 しかし、あそこまで残虐な振る舞いをする者が属す勢力が、世間で言われる「正しさ」に則して存在しているとは考えられない。人としての正しさを踏み倒していなければ、あのような行動には走れない。


 ではもしも、本当にアディエラが宝国の者であったとするならば。

 その国に、レーシアを連れて行った「サラリス」の本意とは。


 宝国がレーシアを大切にしようとしているとしても、他人の生命と尊厳を踏み躙った上で何かを尊重するなど、そのものの価値を貶めるだけだ。

 そもそも、百年戦争のきっかけとなった国に対して、戦災孤児のアトルが良い感情を抱いている訳もない。

 だが一方で、レーシアの、あの恐ろしいまでに欠けた倫理観を思い起こせば、それが宝国の影響であるとも十分に考えられる。


(……やめよう)


 アトルは首を振った。

 全て推論を前提とした思考であり、確証がない以上、無意味に近い行為だろう。


 だが――デイザルトの、あの憎悪の眼差し。

 彼が異様に一般人へ及ぼす被害に敏感なことを思えば、彼が百年戦争をどう思っているのかは容易に想像がつく。

 ならばデイザルトは、宝国を憎んでいるはずだ。

 そして彼があそこまでレーシアに固執する理由が、彼女と宝国との繋がりにあるとすれば――


(まあ、お門違いだよな)


 アトルは内心でそう零す。

 百年戦争が始まった当時のエンデリアルザは、「サラリス」だ。


(――ん、待てよ)


 アトルはもう一度レーシアを見る。目が合って、レーシアは不思議そうに首を傾げた。慌てて微笑んで誤魔化し、視線を逸らせ――、アトルは、背筋を戦慄が駆け抜けるのを自覚した。


 半信半疑ではあるが、「サラリス」が今もどこかで生きているとしよう。

 彼女がレーシアの語るような、優しい人物ではなかったとしよう。

 レーシアを眠らせ、百年を越えさせたのが、何か己の目的のためであったとしよう。そのためにあの手紙を(したた)めたとしよう。


 そして彼女は、今までずっと一緒にいた「サラリス」を、レーシアが捜し求めると分かっていたはずだ。


 宝具と封具のことを、そして〈器〉のことを何も知らない人物がレーシアを見付けるということは、確かにレーシアのことを守る。だがそれ以上に、その人物が自身で「何が最善であるか」ということの判断が出来ないということをも意味するのだ。


 ――「サラリス」が、百年戦争を望んだような、そんな人物であったとしたら。


 そうであるという確証はない。だが、そうでないという確証もない。


 むしろ疑うのが遅すぎた。「サラリス」という人物のことを語ったのは専らレーシアだったから、そのレーシアが「サラリス」に心酔していたからというのはある。だが、それでも、もしも――。

 もしもこの、勘のような考えが的を射ていたとしたら――


(やべえぞ……)


 レーシアを――「サラリス」さえも凌ぐ魔力をその身に宿し、宝具と封具を繊細なまでに操れる、大陸を沈められる兵器でもある少女を、その傍に戻すことは、余りにも危険過ぎる。









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[良い点] 肋骨骨折まで行かなかったか素人行動で弱かったのかたまたまか、
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