05 血色の凄絶
「まあ、失礼してしまいますわ」
そう言って、黒い軍服に身を包んだ女は微笑む。
その琥珀色の目がにっこりと細められたのが見えた。アトルの目の色も琥珀色をしているが、眼前の女のそれは、アトルのものよりも若干赤みが強い色を示す。赤金色の髪の色とよく合う色だ。
女はアトルよりもやや背が低く、恐らくはレーシアと並ぶ身長。ふわふわと波打つ髪と、柔和な顔の輪郭が相まって、どこか浮世離れした、深窓の令嬢のような雰囲気が漂っていた。軍服よりもドレスの方が数段似合うことだろう。年齢は十八か、九か。まだうら若い、戦闘などとは無縁のような少女である。
こんな少女に、魔術師を含む一団が敗北するとは考え辛い。そのことを見越しての、「視認できる敵は一人」という報告である。どこかに仲間がいると思われるからだ。
アトルは地面に横たわる人々を、ざっと視線でなぞった。息のある者がどれだけいるか、確認しようとしたのだ。が、その彼の挙動を、月明かりと掲げられた松明の明かりで見て取ったのか、少女が表情を改めた。
「あら、あらあらあら。駄目ですわ、そんな、よそ見などしては」
おっとりとした声だったが、表情はどことなく剣呑だ。
胸に手を当て、その左の手首に、水晶を嵌め込んだ幅広の、黄金色の腕輪をしているのがきらりと輝いて見えた。首元では首飾りが、三連の紅玉の飾りで紅く輝いている。
少女は足を踏み出した。こつ、と靴の踵が高く鳴る。
「この方たちに訊いてみましたのですけれど、どなたもきちんとお答えくださいませんでしたの」
目を細めて、尋ねた。
「レーシアさまはどちらです?」
少女は嘗めるようにアトルたちを見て、彼らの一様に強張った顔を認め、眉を寄せた。
「あら、お答えいただけない?」
「――――ろ」
足元で、倒れた男の微かな声がする。
「それならば、致し方ありませんわね」
「逃げろ!」
男が叫ぶ、同時に少女が低く身を沈め、飛んだ。
「うわ!?」
思わず声を上げた者が数名。アトルは無言で目を瞠る。
少女は足元の敷石を割り砕きながら、一気にアトルたちへの距離を詰めたのだ。寸前の警告もあって、数歩を引いていたアトルたちに負傷者はいないが、少女を見る目は明らかに変わった。
「はあ、すごいです」
少女はアトルたちの目の前で嫣然と微笑む。そのほっそりとした指が、首飾りを、腕輪を撫でた。
「こんなに自由に使える魔力があるなんて、素敵ですわ」
その言葉を意味を悟った者たちの顔色が蒼白に転じていく。
魔力を、術式を用いて宝石などの結晶に溜めておくことは、古くから使われてきた手段だ。
今、少女の身を飾る宝石には、魔力が溜められているのだ。それがどれくらいの量なのか。そもそもただ一回の使用のためだけの魔力を溜めるなど、非効率的である。柘榴石の耳飾りがそうであるように、補助として細々と使っていくという使用方法が普通なのだ。
この少女のような戦闘方法は恐らく、今まで試されたことすらなかったはずだ。
「これは――まずい」
誰かが呟き、それにアトルは全くもって同意した。
捨て駒になりにきた狂信者たちは、ここで命を落とす気も十分の構えだが、アトルは違う。アトルは無事に、生きて戻ると決めている。
ここは人数を煙幕として、〈インケルタ〉の面々を連れて逃げるべきだと判断した。追い掛けられた挙句にレーシアに危険が及ぶようでは話にならないが、狂信者たちがこの女に揃って掛かっていけば、戦線離脱を知られる危険も低いだろう。
だが、現実はアトルの判断を裏切った。
少女がぱんと大きく手を叩く。それを合図に、白い光の粒子が舞い、広場を囲む高い壁が構築された。
障壁ではない。それは白々と冷気を漂わせる――
「……氷!?」
アトルは呟いた。見上げれば天を衝くその高さ、魔力をどれだけ消費するのか、想像するのも困難な域。しかし少女は疲弊した様子すらなく笑っている。
「魔力がこんなに有り余っているのは初めてですわ。なんて楽しいんでしょう!」
青白い氷が月明かりに白く煌めき、松明の明かりに赤く光を弾く。
これだけの魔力を預けられているならば、恐らく彼女は一人なのかも知れない。
考えるまでもなく、アトルはその壁に衝撃波をぶつけた。みし、と確かに音がして、しかし氷に目立った傷はない。
「ふふっ」
それを見て少女が笑った。
「ここから出て行かれたのでは困りますの。どうかお答えくださいね」
首を傾げる。
「レーシアさまはどちらですの?」
ねえ、と呟いて、近くにいた二人の腕に右手と左手、それぞれを掛ける。
「レーシアさまがどちらにいらっしゃるのか、あなた方は知っていらっしゃるのでしょう?」
それからなぜかはっとした顔をして、その手をぱっと離した。
「あら、いけないことをしましたわ。淑女がみだりに殿方に触れてはならないと、あの方に注意されていますのに」
あの方、という呼び方に、少女の行動が何者かに指示されたものであったということが分かる。
少女は手を組み合わせ、きらきらとした眼差しを、数人を通り越した先にいるアトルに注いだ。
「あなた、他のお方と雰囲気が違いますわ。ねえ、お答えくださらない? レーシアさまはどちらにいらっしゃいますの?」
アトルはそれを全く無視し、樹国の者たちを窺った。彼らはアトルのように氷の壁に何かをするわけでもなく、少女の質問に答えるでもなく、ただ闘志を持って敵を見据えている。全員で一斉に、一箇所に衝撃波をぶつければ、あるいはこの壁も崩れるかも知れないが、協力は望めないようだ。
「お答えくださらないのならば、わたくしはあなた方を追い詰め、問い、それでもお答えくださらなければ、あなた方のうち誰かを殺し、また問わなければなりません」
少女は申し訳なさそうに言った。それからまた手を叩いたが、それは魔術の発動のためではなく、思い付いたことがあったからだった。
「わたくしとしたことが。わたくしばかりがお話しして、お願いしてしまって、申し訳ありませんわ。どうぞあなた方からも、お答えとは別に仰りたいことがあるならば、何なりと仰ってくださいませな」
首を傾げるその仕草は愛らしい。だが、それに応える声は刺々しいものだった。
「口を閉じろ」
「まあ酷い」
少女はにこりと笑い――その表情を一変させた。
それこそ氷のような冷たい表情。
「淑女にそのような口を利いて――育ちが知れますわ。なんて無礼。なんて不躾。なんて不遜。なんて失礼。気が変わりましたわ」
少女はそう言って、右手を軽く振った。
「――――!?」
声のない悲鳴が上がった。
少女の目の前にいた一人、松明を掲げていた男の胴が両断されたのだ。
松明が敷石の上に転がり、鮮血が散る。少女の軍服に血が斑模様を描いた。血と内臓を撒き散らしながら倒れた男の体が、ちょうど松明の上に崩れ落ちる。
焦げたような匂いが立ち込めて、しかし男の身体を燃やすには至らず、松明の火が一つ消えた。
焦げた匂い、金臭い匂い、そしてむせ返るような生臭さ――。その中で、魔術で躊躇なく一人の人間を殺した少女が言っていた。
「何人か減ったところで、支障ございませんわね。――間引きさせていただきますわ、悪しからず」
アトルは怒鳴り声を上げた。
「壁を壊せ! 閉じ込められてたら殺されるだけだ! ここであっさり殺されたら時間稼ぎにもなんねえぞ!」
その言葉の真っ当さを悟って、樹国の魔術師たちもまた衝撃波を放つが、少女がそれを黙って見ているはずもない。
「次はあなたですわ」
二人目が、今度は身体を縦に両断された。先ほど少女に右手を掛けられた男だ。撒き散らされる血の量は先程よりも更に多い。その傍にいた若い男が堪らず嘔吐した。返り血を浴びる距離にいた少女は小動もしない。
アトルは少女を囲む形で障壁を生成した。無論、少女はそれをあっさりと破るが、それは織り込み済みのこと。
少女に聞こえない程の囁き声を、柘榴石の耳飾りを通して全員に伝える。
「残り人数、あいつに近い奴はあいつを囲む障壁を。残りの半分は火とか熱、もう半分が衝撃波だ」
意図を悟り、全員が術式を構築していく。少女は気付かない。だがその間にまた一人が引き裂かれた。腰から下と腰から上と首が、全く同時に敷石の上に落ちた。
余りにも残忍な所業に、アトルは目を疑った。凄惨さが過ぎて、いっそ現実味がないその光景。
「嘘だろ……」
デリックが小さく漏らした呻き声に、ただひたすらに嫌悪が籠もっていた。
血の臭いと吐瀉物の臭いが強烈に鼻を刺した。だが、死者を悼むのも嘔吐するのも後にしなくては殺される。
嫣然と微笑みながら少女が一歩、歩を進め、次の生贄に向かってその繊細な指先を伸ばす――
「今だ!」
アトルの声を号令として、全員が術式を解放した。
少女を囲む半透明の障壁。少女がそれを壊す刹那、氷の壁を焼く熱と火炎が空気を歪ませる。そこに衝撃波がぶつかり、確かに壁が軋んで揺らぎ、しかし崩壊はせず――
「これでも!?」
叫ぶアリサが放ったのは、昼間に渡したままになっていたアルナー水晶の仕込まれた銃だ。白く凝った衝撃波が撃ち出され、過たず壁の最も薄くなっていた箇所を抉った。ぐしゃりと鈍い、溶け掛けた氷を抉る音がする。
「小賢しいですわ!」
忌々しげな少女の声を打ち消すように、がらがらと音を立て、粉塵を巻き上げながら氷の壁が倒壊し始めた。
大きな欠片に砕かれて、打撃が加えられた箇所から壁が崩壊していく。倒れ込むように均衡を崩し、壁がぐらりと大きく揺らいで砕け散る。その破片が降ってくるのを、アトルたちは飛び退って避け、避け切れない物はやむなく魔術で弾き返したが、少女は全ての降り掛かる破片を魔術で跳ね返した。
地面に横たわる、まだ息のある者の微かな呻き声が聞こえて、アトルの胸をずきずきとした痛みが走った。
どうか彼らが氷で傷を負いませんよう。そう願うことしか出来ない。
もしもアトルが今、レーシアの魔力を使っていれば、彼ら全員を守り通し、少女を一撃で倒すことさえ出来ただろう。しかし今ここにレーシアはいない。
粉塵と氷塵が濛々と上がる。アトルが一歩踏み出すと、靴の下で細かい氷が砕ける感触があった。
「助かった、アリサ! 行くぞ!」
アトルが〈インケルタ〉の面々を引き連れる形で広場を飛び出す。それを筆頭に、残った十人足らずの樹国の者たちがばらばらの方向に走り出した。
獲物がばらけた方が、捕食者の捕食率は下がるのだ。
広場に残され、砕けた氷の中佇む少女は顔を伏せ、肩を震わせた。
「――させない」
呟きは決意であり、決意は決定事項だ。
「させないさせないさせない。ここで戦えというのが、彼女が来るまで戦うのが、わたくしの、わたくしに下された、わたくしだけの役目!」
じゅうう、と音がして、少女の足元から氷が溶けていく。溶けるに留まらず、水蒸気となって漂う。まだ息のあった、倒れた者たちの口から断末魔の呻き声が上がる。それは聞こえているだろうに、白い蒸気の中で顔を上げた少女は顔中で笑っていた。
「さあ、奴らを追い立ててください。追い立てて、追い立てて、こちらへ戻してくださいね。わたくしが出迎えて差し上げますから」
町を走り回っていた住人たち、彼らの動きが僅かの間止まり――
「敵」
「敵」
「敵」
囁きが、確認が、呟きが、町中に広がっていく。
「そうです、敵ですわ」
少女はまるでそれが聞こえたかのように頷き、歌うように言った。
「わたくしがあなた方を守りますわ。ここはあなた方の町、あなた方の住む場所。あのような連中に蹂躙される謂れはございませんわ」
「そうだ」
「そうだ」
「そうだ」
嫣然と微笑み、少女は腕輪の水晶を撫でる。
「ならば協力してくださるわね? わたくしの所へ追い立ててくださいますわね?」
町中で、人の動きが変わる。逃走から捕縛へ。脈絡のない動きが、目的を持った動きへ。
その気配を確かに感じて、少女は感嘆の溜息を漏らす。
「ああ、なんて素晴らしいのでしょう、この魔力」
水晶に溜め込まれた、数百人分に匹敵する魔力に陶然とする。
「他者を服従させることに関して高い特性を示す、思考を奪う術式と親和性の高い、上質な魔力。この魔力の主とどこか似ていますわぁ」
その魔力を存分に使って、少女はこの町を制圧した。
町の住人を外に出さないよう幻覚を巡らせ、外部からやって来た者たちを全滅させ、その様子を窺いに来る者が必ずいると確信し、その者たちが町の中心――自分のいる場所を目指すよう、住人たちに暴動を起こさせ、そして出鱈目に動き回らせた。
それはただひたすら、ここにレーシアと行動を共にする者たちを留め置くため。
微笑む少女の整った顔が、真下から赤い輝きに照らされていた。




