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06 氷の大天蓋

「ここから出るぞ!」


 アトルは後続に向けて怒鳴った。


「有り得ねえ、なんだあの化け物!?」


 氷の大壁、本来はあれのみで人一人の魔力を呑蝕し尽くす。その上まだ、一瞬で三人の人間を葬ってのけたのだ。

 行為の残酷さも、その手際も、化け物と呼ばざるを得ないものだった。


 魔術の素養のない者に、アトルが感じている戦慄を共感することは出来ない。〈インケルタ〉の面々はアトルの言葉に応えなかった。


 と、前方に町の住人が見えた。五、六人が、まっすぐにこちらに向かって来る。アトルはまた彼らの脈絡のない行動の一環かと思ったのだが、ずっと無口に黙っていたゼーンがアトルの前に出て、彼を止めた。


「待て、様子がおかしいぜ」

「え?」


 遠目に、しかも夜で明かりも乏しい中、アトルは彼らの表情を窺い知れないが、ゼーンは確信ありげに――そして不快げに眉を寄せた。


「さっきとは歩調が違ぇ。こっちに敵意がある」


 命の恩人であり育ての親である彼の言葉を、アトルも他の「餓鬼」たちも、疑う訳もなかった。


「じゃあ道を逸れ――」


 裏道へと進もうとしたアトルだが、舌打ちした。


「こっちからも来やがる!」


 住人たちに迫られて、荒事に慣れた〈インケルタ〉の面々は躊躇しない。


「蹴散らすぞ!」


「ちょっといいか?」


 アトルが水を差した。


「かなり高等な魔術だけど、本人の意に沿わない行動をさせる魔術があぁ――っ!?」


 正面から来た一団、その先頭を殴り倒すゼーンに、アトルの説明は途中で打ち切られた。彼にあと出来ることは叫ぶことのみである。


「殺すなよ!」


「任せろ!」


 ほぼ全員の声が揃い、その言に誇張はない。

 魔術師ではない一般人に、〈インケルタ〉の者が負ける訳もないのである。ばったばったと相手を薙ぎ倒し邁進する。


(けどどこで邪魔されるか――)


 アトルは住人たちの鳩尾を、割と容赦なく拳で抉りながら考えた。


(城壁を見せてるあの幻影。元から自分で作った術式なら割り込みやすい――あれに何か仕込んでくるか? けどあれを突破しねえことには町から出られねえぞ)


 かは、と息を吐いて、覆い被さるように崩れ落ちてきた若い男を後続に向かって突き飛ばす。横手から飛び掛ってきた壮年の男性の鳩尾を蹴り上げたアトルは、デリックが二人の男の襟首を掴んで彼らの額同士をぶつけ、気絶させているのを見て何とも言えない顔をした。


(あの規模の術式に介入するのはまず無理だよな)


 城壁の幻影を飛び越えるという荒業もあるが、アトル一人の魔力で自分を含む五人にそれを越えさせるのは余りにも無謀である。


 どうするか――と頭を捻ったまさにそのとき、頭の上から火の粉が舞い落ちてきた。


 はっとしてそれを振り仰ぎ、後ろ――町の中央を振り返る。既にゼーンはそちらを見ており、何とも言えない感慨をその目に宿していた。


 町の中央に、天を衝くように高く、溶岩が吹き上がっている。火山の火口をここに無理やり顕現させたような不自然さをもって、歪な火山が凶悪に火を噴いている。

 火砕流の発生はない。ただ真っ赤な溶岩が、これもまた現実離れしたゆっくりとした動きで、上へ上へと輝きを昇らせているのみだ。そこから舞う火の粉が、さながら雪のように町に降っていた。

 触れれば消し炭になるその熱は、不思議とまだ感じられない。肌に感じるのは、冬の夜の冷たい空気だけだ。


 アトルの背中を冷や汗が濡らした。

 なんだあれは――そんな感想しか出てこない。

 元素系であるということは分かる。分かるがそれだけだ。どれだけ緻密に術式を組んで、それにどれだけ莫大な魔力を注げばあんな現象が起きるのか、アトルには分からない。


 はっとして振り返る。あれだけ大規模な事象を起こしているのだから、町を覆う幻影は消えているはずだ。

 その考えは正しく、城壁は正しい位置に佇んでいた。それが見えた。

 しかしそれは朗報でも何でもない。邪魔が入るというならばそちらの方がずっとましだった。こんな――、こんな、町一つを破壊するような暴力よりは。


「わたくしの目論見が外れましたわ。お恥ずかしいことです」


 少女の声が町に降り注ぐ。これもまた魔術。どれだけ魔力に余裕があるのか、訝しくなりさえする芸当。


「町の皆さま、ごめんなさいまし。出来るだけ町の外に出て行ってくださいませね。まさかこの方たちが、人を人とも思わぬような、進路の邪魔をする無辜の方々を惨殺していくような、そんな非道の輩とは思いもしませんでしたのよ」


 アトルは唇を噛んだ。樹国の捨て駒たちは、彼らを妨害した町の住人たちに容赦はしなかったのだ。

 そしてそのことを、目論見違いとしか言わない少女。


「という訳で、町の皆さま。あなた方はこれにてお役御免ですわぁ。だって役に立たないんですもの。お好きにお逃げなさいませ」


 溶岩が、ただ高くその質量を増していた溶岩が、崩れ始める。下へ、町へ――


「わたくしが心から敬愛するただ一人のお方のために。そのお方がわたくしに掛けてくださったお言葉の通りに。わたくしの命を惜しんでくださったその方のご命令通りに致します」


 溶岩が、道で、屋根で、街路樹で、窓枠で、跳ねた。真っ赤な灼熱の滴が町を蹂躙するために、ゆっくりと、じわりじわりと歩みを進める。

 予想することさえ出来なかった、圧倒的な魔力に基づく傲慢な暴力。


「『これを止めてほしくば』」


 少女の声の調子が変わる。まるで何かを読み上げているように。

 まるで本来の目的ではない何かを要求するように。


「『レーシアの居場所を教えなさい』」


 アトルは口の中で悪態を吐いた。

 しかし幸い、溶岩の速度は遅い。


「走れ!」


 周囲に大喝して、アトルは手近にいた住人の腕を引いた。その男はまるで、今まで自分が敵意を向けていた相手を初めて見るという顔をして、疑問符と恐怖を同時に滲ませる。


「あ、あんたは――?」

「なんでもいい! 走れ!」


 アトルは男の背中を叩く。

 気絶させた数人を、今度は叩き起こすために、アトルがその場で術式を編んで冷水を撒き散らした。勢いよく掛けられた冷たい水の感触に、のろのろと身を起こす彼らを、〈インケルタ〉の面々が引き摺り立たせ、前に押し出して走らせる。


「早く行けって!」


 その後ろから走り出しながら、アトルたちは今一度背後を振り仰いだ。


 輝きながら町に広がる灼熱の海。それを見て、正気に戻った者たちの絶叫が夜空を劈いている。


「ア、アトル、あれ止められないのか!?」


 デリックが叫び、アトルが罵倒で返した。


「出来るか!」


 アジャットやミルティア、ディアナやディーンといった、魔力の大きな者たちが一斉に、示し合わせて凍結させれば、あるいは凝固するかも知れないが。


「いいから行け!」


 熱が伝わり始めた。

 動ける者が一斉に町の外に通じる門を目指す。町の中心部はすぐに阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


 アトルは人波に逆らう形で町の中心に取って返し始めたが、これは別に自己犠牲の精神からではない。あの少女が今どこにいるのか――この町を脱出するアトルたちの後を尾けられる状態なのか、確かめたかったのだ。元はといえばそれが目的でもある。


「ちょっとアトル、どこ行くの!」


 アリサの声が掛かったが、ゼーンが無言でアリサの手を引いてくれる。

 だが、アトルの前進はそう長くは続けられなかった。

 溶岩の塊が音を立てて飛来する。

 それは町中どこに対してもそうであって、決してアトルを狙った訳ではなかったが、アトルは肝を冷やした。


「やべっ……」


 振り返り、ちょうどアリサの上に降り注ぎそうだった溶岩の塊を、慌てて生成した氷の盾で防ぎ、滑らせて逸らせた。


「アリサ、大丈夫か!?」

「ぴんぴんしてる!」


 周囲は地獄絵図。逃げるに逃げられず、右往左往する人々が余りにも多い。


 今この状態で、魔術師であるアトルが離れるのは、彼らの身に危険が及ぶ。アトルはそう判断し、とにかくアリサたちの傍へ戻ったが、ゼーンは渋い顔をしていた。


「走れもしねえぞ、この状況」


 逃げ惑う人々で通りは立錐の余地もない。それでもなんとか門に向かう彼らの頭上を、嫌がらせのように溶岩が飛び交う。


 アトルは眉間に皺を寄せ、可能な限り急いで術式を組み立て始めた。薄らと輝く魔法陣が彼の頭上に展開され始め、しかしそれを見る余裕のある者などいはしない。


「熱い熱い熱い!」

「何なんだよ、何なんだよ畜生――」

「助けて!」


 声が鼓膜を揺らす。

 子供が後ろから押されて転び、落ちていた硝子の破片で膝を切る。泣き出すも、それに頓着する者はいない。むしろ立て続けに背中を押され、踏まれて痛みと恐怖に泣き喚く。


「起きろ、こら」


 アトルが手を伸ばしてその男の子を拾い上げ、立たせる。

 振り返れば溶岩に、夜空が真っ赤に燃え立っていた。


「うぅう――」

「泣くな、走れ」


 転倒者が続出し、彼らに立ち上がる間さえ与えない人々の波が行く。


「助けて! 助けて!」

「なんでこんなことに……っ!」

「そこで女の子が転んでる! 何してんの立たせてあげて!」


 阿鼻叫喚。怒鳴り声と悲鳴。

 余りにも規模の大きい残虐。


 アトルは完成した術式を解放した。


 甲高い澄んだ音と共に氷の天蓋が頭上を覆い始める。ぱきぱきと音を立てて空気が凝固していき、白く凍えた傘が広がる。外気の冷たさを吸い込んで、まともにその規模の氷を生み出すよりはずっと少ない魔力で効率良く、アトルの魔術が展開される。

 中空を凍らせる術式が魔力を得て、町の上空を覆っていく。鳥瞰してみれば、町の中心部からやや外れた箇所から、急激に白い塊が湧き出し、町の半ばを覆ったように見えたことだろう。


 泣き叫んでいた人々が息を呑み、呆気に取られて足を止め、自分たちの頭上を見上げた。


「走れ! 長くもつと思うな!」


 アトルが彼らを怒鳴りつけ、はっとした住人たちがまた門を目指して走り始める。


 ミルティアと同程度の魔力を保有するアトルが、限界まで術の範囲を広げている。しかも外気の冷たさを利用することで。もしもここにアジャットなりがいれば、その手際と機転を褒め称えたことだろう。本来一人の魔術師が、町を半分とはいえ魔術で覆えるものではない。


 だが、今のアトルにとっては、足りない。

 一つの町を覆うには余りにも足りない。


 自身もまた門の方へと走りながら、術式を維持するために魔力を注ぎ込み、アトルはどうしようもない悔しさに胸を掻き毟りたくなった。


 この町で食糧を補給しようとしていなければ。別の道筋を通っていれば、あるいは、こんな惨事を避けられたのではないのか。


 今までレーシアが――レーシアの抱える事情が巻き込み、レーシアを確保する勢力がばら撒いてきた被害とは比較にならない。一つの町を襲うには余りにも残酷で、許し難いこの現実。


 悲鳴が夜陰を貫く。アトルの築いた氷の天蓋に、幾つも溶岩の塊が飛来し、その度に氷がアトルの魔力を吸い取って修復される。

 冴え冴えと冷気を発していた氷が、艶を帯び、滴を落とし始める。

 それを感じ取ったアトルが歯を食いしばり、更に魔力を注いだ。集中する余りにふらつくアトルの腕を、ゼーンが無言で引いて走る。


 一人の魔術師が負担するには大き過ぎる魔術の行使だ。アトルの魔力残量が凄まじい勢いで磨り減っていく。だがここで折れては生きては戻れない。


 死にたくない、と強く思った。

 生きようとする意志に、アトルの平均を大きく上回る魔力が反応する。魔力が意志の力を吸い取ってなけなしの力を繋ぐ。


(ていうか今のままだと、俺が死んでもレーシアが泣いてくれるか怪しいよな!)


 思うだけでも悲し過ぎる現状を内心で叫び、アトルはまだ氷の天井の範囲を広げようとした。


(やべえ――切りがねえ)


 眉を寄せる。やはり術者を叩くしかないという結論に至らざるを得ないアトルだったが、こんなことをこなす魔力を預けられている少女相手に、アトルだけでは勝ち目などあろうはずもない。


 町は既に三分の一ほどが溶岩の下に呑み込まれ、灰と化している。アトルの魔術で飛来する溶岩の塊からは守られている箇所も、流れてくる溶岩は防がれていない。


 アトルたちからはようやっと門が見え始め、アトルたちが通ったときのままに開いている門に、最後の希望を見出した人々が、最後の力を振り絞って足を速めた。


 門に到達した人々が、それを潜ろうとし――驚いた声を上げて、門の真ん中を開けるようにして町の外へと逃げ出して行く。


 術者に対抗する他にはないのかと、必死に手立てを考えるアトル、そしてそんな彼を嘲笑うように、唐突に、そして劇的に変化は起きた。


 溶岩が、一瞬のうちに冷えて黒く凝固し、その動きを完璧に止めたのだ。


「は……?」


 気が抜けたように呟くアトル。その間に、彼の氷の天井が青白い光の粒子となって宙に舞い、溶け消えた。

 本来ならばとうに限界を迎えているはずだったのだ。それを、アトルが極限を越えてなお集中し続けていたことにより、辛うじて保たせていたに過ぎない。

 アトルの集中が途絶えれば、あっという間に塵に還るのが当然だ。


 しん、と夜闇が空間を埋め尽くし、一瞬後、それを打ち払うように光球が浮かんだ。


 幾つも幾つも、漂うように舞い上がる白い光球。それが、先程までとはまるで違う穏やかさで夜空を白く染めていく。


「そこの魔術師、アディエラ・シェレスに相違ないか」


 そこに掛かった誰何の声、それもまた魔術で広く拡散されていく。その声にアトルも覚えがあった。


「――ディーン……?」


 その声は、アトルから辛うじて人波を透かして見える門の辺りから発せられていた。


 そして、状況を把握しようと伸び上がるアトルの目に、信じられない者の姿が飛び込んできた。


「なんで――」


 アトルの喉から、掠れた声が漏れた。


「なんで、レーシアがここにいるんだ……?」


 ディーンを、まるで従えるようにして、レーシアがそこに立っていた。






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