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04 月下の少女

 アトルを含む捨て駒部隊が走り去り、レーシアとしては拗ねたい気分で一杯だったのだが、そうはいかなかった。


 すっかり忘れていたあの浮遊する板、その発光がまだ続いていたのである。しかもそれはレーシアが近付くと強くなる。こうなるとレーシアも興味を示してしまう。

 全く脅威を覚えなかったため、レーシアはアトルたちからの連絡が入り次第すぐにでも出発できるよう準備を整える集団の中で、馬車の傍にしゃがみ込んでその板をつついていた。


 馬車の中には先ほどアジャットが入り、中にいる重傷者たちに事情の説明と謝罪をしている。樹国の者たちからの理解はすぐに得られるだろうが、果たしてミラレークスの者たちはどのような反応を示すか。


 準備のためにばたばたと動き回る人々の中にも、レーシアに刺すような視線を向ける者はいる。それらの視線はレーシアに、サラリスと出会う前のことを思い出させるから、レーシアはそれが怖い。しかし、自分には誰も手を出さないと分かってもいるため、取り乱すようなことは避けられた。


 はあ、と息を吐き、板をつつきながら、もう片方の掌に乗せられた宝樹玉の包みを見る。

 アトルは戻って来るつもりのようだったが、万が一のこともあると嘯いて、この包みをレーシアに渡して行ったのである。


「持っててって言ったのに……」


 いじけて呟いて、レーシアはつんつんと板のアルナー水晶に触れる。それに応えるように明るく光るアルナー水晶に、レーシアは覚えず微笑んだ。


 と、馬車の扉が開き、アジャットが俯きながら出て来た。開かれた扉から、中の者たちの罵声が漏れ聞こえる。


「あ、アジャット」


 レーシアが声を掛けると、アジャットは顔を上げ、フードの奥から彼女を見たようだった。


「レーシアさん……」


 準備に走る人々を見ながらレーシアの傍に屈んで、アジャットはふと呟いた。


「辛い目に、遭ってきたのだな」


 レーシアは肩を竦めた。


「どうだろう」


 記憶にサラリスが登場してからというもの、レーシアは己を不幸と思ったことはない。


「私が万病の坩堝でも災厄の根源でも、サラリスは私のことを好きって言ってくれたもの。それで十分」


 弾んでさえいるその声に、アジャットは俯いた。


「――あなたは強いな、レーシアさん」


 うん? と首を傾げるレーシアに、アジャットはぽつぽつと続けた。


「あなたは強い。目的のためには手段を選ばないことも一種の強さだし、そもそもあなたの魔力も宝具も封具も、我々には及びもつかない強力さだ」


 レーシアは過去を振り返る目をして、しみじみと頷いた。


「そうね」


「アトル青年は魔術師としてはまだ粗もある。そんな彼があの魔法陣を撃破できたのは、遣ったのがあなたの魔力だからだよ」


「でしょうね」


 レーシアは気のない同意をした。彼女の魔力が自分のものを大きく凌駕すると知ったときのサラリスの慌て振りから、レーシアは自分が常に凶器を抱えているようなものだと思っていた。


「あなたは〈器〉として、こういった諸々のことを他人から押し付けられたと言ったが」


 アジャットは言って、屈んでいた腰をまっすぐに伸ばした。


「我々からすれば、我々もあなたがいたためにこんなことをしていると言える。――結局、誰が誰に押し付けたという話ではないのではないかな?」


 レーシアはぽかんとした顔でアジャットを見上げ、またアルナー水晶をつつきながら、「よく分かんない」と呟いたのだった。





************





 町は混乱の渦中にあった。


 門を無理やり開けて入ったアトルたちが最初に聞いたのは、喧騒に紛れてなおそれだと分かる、五つの鐘塔で鐘が一斉に鳴らされる音だった。


 高く低く、重く軽やかに、荘厳に。

 音色の違う五つの鐘。一斉に鳴らされればそれは厄災、順番に鳴らされればそれは祝福。


「襲ってるのがどこの誰だかは知らねえけど、一般人まで巻き添えにしてるのか!」


 アトルが声を上げ、樹国の者たちは無感動に辺りを見渡していた。


「敵はどこに? それが分からねば〈器〉の方のお役には立てないぞ」


 町の人々が悲鳴を上げながら走り回る。奇妙なことは、誰も門に向かって殺到してこないことだ。

 火事の様子もなければ、大規模な魔術が行使された形跡も、ここからでは見られない。


「何が起こってる……?」


 とにかく中に入らなければ分からないので、アトルたちは馬に足を進めさせようとしたが、馬の様子がおかしい。あからさまに前進を嫌がる。手綱に逆らい、口から泡を吹くその様子は只事ではない。


「歩いた方が早い」


 誰が言ったのか分からないが、とにかくその言葉は尤もだったので、アトルたちは馬を下り、足早に、しかし警戒を怠ることはなく、町の中心を目指した。

 異変はすぐに起こった。数十歩歩いたところで振り返ると、町を囲む城壁が目の前にあったのである。


「あれ? もうちょっと遠くにあるはずじゃない?」


 アリサが素っ頓狂な声を上げるが、事態を呑み込んだ魔術師たちは険しい顔をした。


「ここまで精緻な幻覚――技量も魔力も相当だぞ」

「一人がこれをやり果せるものか――複数だ。それも相当息の合う」

「どこの手の者だ?」


 幻覚を見せるのは精神系の魔術である。それだけでも高度な部類に入るというのに、大都市とはいえないものの、町を一つ丸ごと囲うような魔術を展開しているのである。驚くべき所業であった。

 アリサとアルディは、ケルティのミラレークス支部で魔力量を測ったときに、ミラレークスの職員から魔力についての最低限の説明を受けている。そのため、振り返って目と鼻の先にあるように見える城壁が幻覚であるならば、それがいかに高度なものであるのか、想像くらいは出来る。二人揃って「わお」と呟いた。


「ま、これで町の人たちが門目掛けて走って来なかった理由も分かりましたね」


 と言ったのは樹国の女性。


「きっと『町の中にいる人間』にこの幻覚が見えているんでしょう」


「肝心の敵はどこだ?」

「町の連中も騒ぐばかりで――一体何に怯えている?」


 ぼそぼそと声が上がり、アトルも視線を正面に戻した。

 町の住人たちは恐怖か混乱かに叫び声を上げながら逃げ惑っており、その逃げ方には一向に脈絡がない。

 ある男は妻子と思しき女性と子供の手を引いて、町を一周しようとするかのように走り回り、またある男は、恋人か妻か、若い女性と共に町の中心に向かって走っている。親から逸れたらしき小さな男の子は立ち止まって泣いており、老婆を連れた壮年の男は、走るに走れない歯痒さを漂わせながら町を横断しようとしている。

 いよいよ民家の間に足を踏み入れ、そんな光景を目撃したアトルたちは、ひたすらに首を傾げた。


「なんだ? 何が起こってる?」


 窓硝子は悉く砕け散り、その破片が道に散らばって、松明の明かりを反射して橙色に輝いている。枠から外れた扉まであり、辺りは暴徒に襲われた後のようだ。


「住人の手による破壊だろうな」


 樹国の誰かがぼそりと呟き、アトルも無言でそれに同意した。

 なぜならば、この破壊に魔術が伴っていた形跡がないのだ。魔術による何らかの働き掛けがあったのならば、窓硝子は恐らく粉末状になるまでに砕かれる箇所が出てくるはずであるし、敷石も割れているはずだ。扉も、ただ枠から外れるのではなくて粉砕されるはずである。

 アトルは通りを走り、あるいは転び、あるいは他人の手を引くために歩かざるを得ない、そんな人々を眉を顰めて見た。


 彼らは悲鳴を上げて逃げているが、助けを求めている様子はない。恐怖を訴えてはいるが、救命を懇願してはいない。明らかに外部の者と分かるはずのアトルたちを見ても、何の誰何もしてこないし、怯えもせず、町を襲った何者かの仲間と勘違いして怒りを向けてくることもなく、まして助けを求めてもこない。

 異様な、いっそ人工的な匂いさえする恐怖と混乱。


「とにかくもっと奥に進んでみようぜ。じゃねえと誰がなんでここを襲ってんのかも分かんねえし。ここに来てたはずの連中も見当たらねえし」


 アトルが言うと、周囲の数人が顎を引くようにして頷いた。

 町の人々はアトルたちに何の注意も払わず、彼らの進路を邪魔しないよう気を付ければ、アトルたちは進み放題だった。町の中心を目指して通りを行く彼ら二十名に、注目する者は誰もいない。


 喧騒に顔を顰めながら、しかし徹底的に無視されるがゆえにいっそ静けささえ体感して、アトルたちは奥に進んだ。


 町の中心に近付くにつれ、確実に人の数が減ってきた。町の中心を目指していたように見えた住人たちでさえ、中心部より手前で道を逸れ、折り返す。この奥に何かがある、あるいは誰かがいると断言しているような光景である。

 アリサが不気味な空気を感じ取り、心持ちアトルに身を寄せる。そんな中でも動じていないゼーンはさすがというべきか。


 町の中心は、民家に囲まれた広場になっていた。


 そこに踏み込んだアトルたちが最初に見たのは、月下に佇む一人の女だった。こちらに背を向けていて、黒い軍服を纏った背中に、長く波打つ赤金色の髪を流しているのが、月の光に煌めいて見えた。


「な、なぜ――」


 そんな声が足元から聞こえて、アトルたちは視線を下に向ける。そして、絶句した。

 死屍累々。そんな言葉が思い浮かぶ。


 広場に点々と、町に向かった者たちが倒れている。既に息のない者もいるようだ。そんな中で、アトルたちを凝視した一人の男が、必死に頭を上げながら声を絞り出す。


「なぜ来た! すぐ逃げろ! あれは――」


 女が振り返った。乏しい明かりで、その整った顔が微笑んだのが見えた。


「――あれは化け物だ!」


 絞り出した声の叫び、それと同時に女が己の胸に手を当てた。


「まあ、失礼してしまいますわ」


 瞬間、樹国の誰か、使命感に富んだ誰かとアトルが同時に柘榴石の耳飾りを指で弾き、その向こうに魔術の糸を通じて繋がっている誰かに対して、囁くように、ただしはっきりと伝えた。


「買い出し組は全滅してる。敵は今のところ女一人しか視認できない」


 これがアトルの伝えた言葉だ。


 ――目的は達された。





************





『買出し組は全滅してる。敵は今のところ女一人しか視認できない』

『敵を視認しました。女一人。すぐに出発してください』


 二つの声が重なって耳飾りから聞こえ、待機していた者たちは一瞬の沈黙を共有した。

 そして、力のない号令が掛かった。


「――出発だ」


 馬車を置いて、彼らがレーシアを連れて移動しようとして、しかし次の瞬間、彼らの最前列、その目の前を閃光が薙ぎ払った。

 誰一人として傷付けはしなかったが、その閃光は明確な一線を引き、そこに半透明の障壁を生じさせていた。

 それをしたのは他でもない――


「えーっと」


 レーシアが「それ」を見上げ、傍のアジャットを見上げておずおずと微笑んだ。


「なんかごめんね。ちゃんと握っておけば良かった」


 上空をすいすいと滑空する、アルナー水晶を埋め込まれた金属の板。そのアルナー水晶が煌めいて、彼らを囲うように障壁を構築していたのである。


「どうするんだよ!」


 怒声が轟いた。誰の声なのかは分からない。いやむしろ、それは複数の人の声だったのかも知れない。


「軍隊に追い掛けられて! 重傷者を山程出して! あいつらを見殺しにする決意までさせて! 今度は出発できねえだと!」


 レーシアが度肝を抜かれたような顔をした。


 轟々と罵声が響く。


「ふざけんな! 職務とはいえもう限界だ!」


 怒鳴り声、あるいはもはや悲鳴。四方八方をその声に囲まれ、レーシアはさっと蒼褪めた。それはただ現状に怯えたのではなく――



(化け物! おまえが――だからもっと早く殺しておけと――今すぐに殺せばみんな助かる――いっそこれを差し出せば――見目はいい子だから――)


 頭の奥で声がする。

 呪わしい子、忌まわしい子、災厄までもたらす子。そう呼ばれた記憶が確かにある。


(石を投げろ、それでも駄目なら殴り殺せ。それも効かないなら水に入れろ。――ああ、これは効く、大丈夫だこいつは不死身じゃないぞ! いい具合に死に掛けているぞ、さぁあいつらに差し出せ!)


 万病の坩堝、災厄の根源。日照りの原因、飢饉の源。



 アジャットがレーシアを庇うように彼女に近付いた。レーシアは細かく震え始め、まず最初にサラリスを呼ぼうとし、しかし今は彼女に頼れないと――彼女に頼れば、それがすなわちレーシアの危機を表わしていると理解して守りに来てくれる青年はいないと、そう思い出して、レーシアは頭を抱えて叫んだ。


「――この人たちを何とかして!」


 閃いた名前は一つだった。

 確実に自分を助ける、そのことで利益を受ける者。


「ディーン! 早く何とかして!」


 アジャットが傷付いたような顔をしたことを、窺い知れる者はいない。


 そして、レーシアの傍に凛と立った赤髪の騎士が、ただ静かにそれを拝命する。


「承りました」


 樹国の精鋭が、レーシアの前に一歩を踏み出す。


「ご安心を」


 ディーンの声が、余りにも静かにレーシアの安全を保障し、その眼差しがレーシアを睨む者たちを冷ややかに威圧した。


「これより後、あなたが傷付くことはございません」






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