03 人を人と思うように
「あれは?」
ディーンが首を傾げるが、アジャットは――というよりも、場にいたミラレークスの者は全員が呻き声を漏らしていた。
「――救難信号だ。ミラレークスの」
アジャットが愕然と呟き、混乱の色の濃い声で続けた。
「何があった?」
ディーンはあくまで冷静だった。
「買い出しは次の町ということになるな」
「違うだろう!」
アジャットが声を上げ、アトルもそこは同意見だった。
町に行ったミラレークスの者が危機に陥ったということ。仲間として助けに行きたい気持ちは勿論だが、そのためにレーシアを危険に晒すことは出来ない。顔と名前の一致も怪しい援軍の者たちとレーシアなら、アトルは迷いなくレーシアを取る。だがアジャットにとってはれっきとした仲間だ。
そして更に、ミラレークスの巨大馬車の修理の問題もある。
だが、ディーンは落ち着き払っていた。
「馬車は諦める。買い出しも次の町だ。動ける者が騎乗と徒歩で行程を全うする」
「しかし、――」
「ミラレークスの高等指定。我々の目的はレーシアさんを、宝具の下へお連れすることだ。履き違えるんじゃない」
アトルは眉を寄せた。
「怪我人も置いて行くのか」
「当たり前だ。何者によるものかは知らんが、襲撃があった以上、彼らは足手纏いだ」
アトルは唇を噛んだ。
馬車の中には重傷を負ったグラッドもいる。この半年以上を共に過ごした彼に対し、仲間としての情を抱いても何ら不思議はなく、実際にアトルは、彼を見捨てることを辛いと感じている。
同じようにリリファを見捨てることになるディーンは、何の感慨も抱いていないようだ。しかしその一方で、彼の拳は固く握り締められていた。
だがアジャットは割り切れない。
「待て、まだ町で何が起こったのかは分かっていないだろう。そう早急に見捨てることを決めるのは――」
「何かが起こったことは確かだろうが」
ディーンの反駁に、しかし彼の拳が固く握られていることに気付いたアジャットが、鋭い口調で反論を重ねた。
「そちらもリリファを置いて行くことになるんだぞ。彼女が死んでも構わないと?」
一瞬応えに窮したディーンは、だが、すぐに落ち着いて断言した。
「ここでリリファを優先しては、俺が後でリリファに斬られかねん。――それにあれは、殺しても死なん」
「だが、置いて行く必要もないような、そんな些細な出来事かも知れないだろう! 誰かが誤って救難信号を上げたということも――」
レーシアは発言者を見るように視線を動かしていたが、アジャットの言葉を遮るように言葉を発した。
「じゃ、見てきたら?」
「阿呆」
「戦力を分散させるのは得策ではないかと」
アトルとディーンがそれぞれ間髪いれずに言い、レーシアは首を竦めたものの、その首を傾げてまだ言った。
「でも、このままじゃ馬車は動かないでしょう? それに、町で今何が起こっているのか分かっていないと、対処のしようもないでしょう?」
ディーンは溜息を吐き、耳元で揺れる柘榴石の耳飾りを爪で弾いた。
「聞こえるか?」
通信の魔術を試みているのだ。が、すぐに首を振る。
「妨害されている感覚ではないですが、通じませんね。恐らく魔術師全員、応答している場合ではないのか、あるいは応答できないのか」
レーシアはアトルを見て更に言った。
「今、町に行った人たちが誰に、どういう風に襲われてて、どれくらい戦って、こっちにその人たちが向かってくるのがいつくらいなのか、分かっていないと逃げるに逃げられないと思うの」
アトルは躊躇った。一理あるが、その言葉には致命的な問題点が含まれているのだ。
町まで行き、戦況を見届け、そしてその者たちが折り返してくるまで、レーシアを含む全員がここで待っていなければならないという、時間の浪費の問題が。
レーシアは首を傾げ、アトルが一体何に悩んでいるのか分からないという顔をしたが、自分の言葉は間違っていないという確信を持っているようだった。
彼女が初めて、自分からディーンに声を掛けた。
「ディーン」
「はい」
ディーンの返答は折り目正しく、躊躇いはなかった。
「樹国の人たちの中で、あなたはどれくらい強い方なの?」
「上から数えた方が早いと自負しております」
ふうん、と答えたレーシアは、余りにもはっきりと言った。
「私があなたを許すための機会をあげる」
ディーンが目を見開いた。レーシアはいっそ眠そうな声で続けた。
「いなくなっても困らない樹国の人たちを、町に向かわせて。それで、今、町で何が起こっているのか報告させて。私たちはその人たちが戻って来るのを待たずに出発すればいいじゃない。必要なのは情報でしょう?」
「仰る通りです」
アトルは耳を疑った。一方のレーシアは平然としている。
「樹国は、私を生かしておくことに執心しているんでしょう。だったらそのために犠牲に出来る人員もいるはずよ。早くして」
赤毛の騎士装束の男は頭を下げ、実際にその指示を実行に移すべく踵を返した。
「レーシア、おまえ」
アトルの愕然とした声に、レーシアはアトルを見上げて不思議そうにした。
「なに? どうしたの?」
分かっていない。
この少女は、自身が今、人に死を命じたことを、少なくともその命を危険に晒せと命じさせたことを、欠片たりとも理解していない。
「おまえ――人に死ねって言ってんだぞ。それも、目の前にいる本人に死ねって言ってるんじゃなくて、他人に、死ねって命令しろって、言ってるんだぞ」
何か得体の知れないものを見るような目で自分を見るアトルに、レーシアは心底から、無邪気に、悪意の欠片もなく、不思議そうに首を傾げて、言い放った。
「アトル、勘違いしてる」
「――何をだ」
辛うじて返したアトルに、レーシアは噛んで含めるようにして言った。
「私は、〈器〉。空人と雷兵の愛し子。この人たちが、私を生かしておきたいの。だから私のために何かをするということは、この人たちのしたいこと」
絶句した。レーシアの発言の内容だけでなく、その、余りにも無邪気な、眠たげでさえある口調に。
「私が〈器〉であるということは、私が望んだことじゃない。〈器〉を巡って争ってくれだなんて、私は頼んでない。それ全部、私は、他の人たちから押し付けられたの」
レーシアは「ね?」というように周囲を見渡した。その瞳はうんざりしたような光を灯し、そして口調は眠たげで、苛立たしげで、面倒そうですらあった。
「〈器〉であるというそのことで私が石を投げられたなら、〈器〉であるというそのことで私が嫌われたなら、〈器〉であるというそのことで私が池に投げ込まれたなら、〈器〉であるというそのことで私が殴られたなら、〈器〉であるというそのことで私が賊どもに差し出されそうになったなら、〈器〉であるというそのことで私がお母さんを知らないのなら、〈器〉であるというそのことで私が百年眠らされたのなら、だったら他の人たちは、私にそれを押し付けた分、私が特異であるというその分、私に尽くしてよ」
レーシアは、物心がついたまさにそのときに刻み込まれた傷の映った目でアトルを見て、躊躇いなく言い切った。
「〈器〉であるというそのことで失った全部、サラリスがくれたの。サラリスに会うためなら、私は何だってする。人がちょっと死ぬくらいなんなの?」
アトルは息を吸い込み、そのまま止めた。
アジャットが絶句している。レーシアの声に籠められた、もはや自覚すらされていない膨大な怨嗟に息を呑んでいる。
呼吸する度、歳を重ねる度、レーシアが思い知らされ、ただ唯一サラリスのみと共有した孤独と、サラリスすら経験しなかった幼少期の記憶と、百年間の世界との乖離。
それを一体、誰が否定できるだろう。
寒い路地裏で膝を抱え、世間を呪ったことはアトルにもあるが、それとはまるで次元が違う。
レーシアの、恨むでもなく憎むでもなく、ただひたすらに日常の表情。その日常は、怨嗟と寂莫と愛情で出来ている。
〈器〉に生まれた怨嗟と、〈器〉であるがゆえの寂莫と、〈器〉だからこそ得られた愛情と。
アトルは細く息を吐いた。
人を人とも思わぬ言葉を吐いても、深い深い憎悪を秘めていても、それでもアトルが思い出すのは、歌うときの楽しげなレーシアであり、好奇心に満ちた目をするレーシアであり、一緒にたたかおうと言ってくれたレーシアであり、恩返しだと笑ってくれたレーシアだから――そのレーシアに、アトルは恋をしたから。
レーシアの、それがたとえ一部であっても、彼女がそういう女の子だと知っているから。
ただの女の子、本当ならば百年近く前にその寿命を終えていたはずのこの少女が、〈器〉であるからこそアトルと出会えたというのなら、アトルは彼女が〈器〉であることに感謝しよう。だからこそ全てを懸けて守り抜こう。
彼女を必ず、安心できる所へ連れて行こう。
レーシアが〈器〉であるがゆえに倫理観のない、人を人とも思わぬ人間になってしまったのならば、命を懸けても彼女を普通の人間に――倫理観もあれば、人が亡くなればそれを痛ましいことだと感じる、そんな人間にしてみせよう。
アトルはレーシアが好きだから、彼女が他の者からも、有り余るくらいの愛情を受けることが出来るようにしてみせよう。
少なくともレーシアがアトルを案じてくれたことがあることを、アトルは知っている。
だからアトルは、出来る限り穏やかな声で言った。
「この人たちのしたいこと、な。だったら俺もしたいようにするからな」
レーシアが怪訝そうにする。
「俺はおまえの役に立ちたい気分だ。だから俺も、町に行く」
「えっ?」
「おまえは先に進んでてくれ。情報をそっちに伝えて、俺たちも追い掛ける」
死ぬつもりは欠片もない。レーシアを安心できる所へ連れて行くまで、命を落とせるわけもない。
ただ、こうすることで少しでも、レーシアが自分がディーンに命じたことの残酷さを理解してくれればいいと、そう思った。
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レーシアの大反対を受けながらも――というより、レーシアは唯一打算なく頼れるアトルと離れるのが嫌だったのだろうが――、アトルは町に向かった。
樹国の面々の中から選ばれた捨て駒たちと、そして〈インケルタ〉の一部の者たちと共に行動する形である。先頭と殿が掲げる松明の火が、夜闇に明々と輝いた。
〈インケルタ〉がわざわざレーシアのために町まで偵察に行く必要はまるでないし、樹国としても、アトルに対しての人質であり、デイザルトに対しての盾である〈インケルタ〉を失うのは痛いという観点から同行を諌めたのだったが、
「……なんでおまえはこう、成長がないんだろな……」
呆れて溜息を零すアトルの隣で、アリサが胸を張っていた。
ミラレークスの者たちは、仲間の安否を確かめたい気持ちは無論あっただろうが、レーシアの傍にある戦力を分散させ過ぎるのは余りにも愚かである。ゆえに、ここにいる指定魔術師はアトル一人、ミラレークスに籍を置く者もアトル一人だった。
が、昼間にアトルに置いて行かれそうになった(正確にはアトルを置いて行きそうになった)アリサの心の傷は深く、何が何でも一緒に行くと言い張ったのである。ゼーンが何と言って宥めようが無駄で、「じゃあ俺も」という感じで付いて来た〈インケルタ〉の「餓鬼」が二名、デリックとアルディ。そして可愛がっているアリサを一人で行かせるわけもないゼーン。
〈インケルタ〉からはこの四名がアトルに同行していた。
「成長がないとは言わないわよ」
物心付く前から路地裏で一緒に生き抜いてきた幼馴染みは笑う。アトルはもはや溜息しか出ない。
「あのさ、結構危ない目に遭ってる連中の様子を見に行くって、分かってるか?」
デリックとアルディに至っては遠足の勢いである。アトルは項垂れた。
「辛気臭い顔してても何にもなんねえじゃん!」
アルディが言い、それはそうなのでアトルも頷いたが、内心ははらはらしている。
町に向かったのは魔術師も交えた一団であり、恐らく襲撃者の中にも魔術師はいる。魔術師がいくら稀少とはいえ、抜きん出た力を保持するものがあれば、それに同調して釣り上がっていくのが戦場の危険さだ。
〈インケルタ〉から来たこの四名に、魔術師はいない。ゼーンは勘が鋭く、何度も修羅場を潜っているから心配はないだろうが、残る三名に非常に不安が残る。彼らは障壁すら張れないのだ。魔術戦の只中に置かれれば、それこそものの数瞬で殺されてしまう。
アジャットたちに仕込まれたアトルの防壁魔法は、強固さにおいては玄人の域だ。だがそれも、永遠にその強度を維持できるわけではなく、また守れる範囲にも限界がある。
他の同行者たちは、ディーンに死を命じられても顔色一つ変えなかったアロ・フォルトゥーナの狂信者たちだから、彼らに〈インケルタ〉の「餓鬼」たちの防護を応援してもらうのは絶望的である。よってアトルは繰り返し、
「戦闘になったら俺の近くにいるんだぞ、多少無理でも絶対だぞ」
と言い聞かせ続けたのだった。
アトルたちは総勢で二十名前後、なかなかの大所帯だった。魔術師は全員が柘榴石の耳飾りを着け、レーシアの傍にいる魔術師たちに連絡がつくようにしている。
彼らは、アトルにそのつもりがないにせよ、捨て駒として町に赴くわけだから、馬を与えられるかも危うかったのだが、復路はともかく往路においては速度が大切であるとされ、馬を与えられて疾走している。
町が近付いてきた。この夜半、当然だがその門はしっかりと閉ざされているが、魔術師にとってそれは何の障害にもならない。
樹国の者たちのうち、先頭を走る数人が手を挙げた。念動系の基礎の基礎、物を動かす魔術が圧倒的な強制力で門を持ち上げ、開かせる。
町の中から喧騒が響いてきた。




