表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/293

13 「善ですら」

 窮地を脱した一行は、丘を越えて先に進み、崖を迂回した先の森を回り込むようにして進もうとしていた。


「アジャットの馬鹿!」


 ミルティアの怒声が響いた。常ならば注意を引いているところ、周囲には同じような状態の人々が数組あったのでそのような事態は免れていた。


「なぁにが『きみは子供だ』よ! 中等指定魔術師舐めんじゃぁないわヨっ!」


「いや、大変すまない、正直になり過ぎた」


 ミルティアの前できっちりと膝を折って座るアジャットが、フードを被った頭を傾ける。

 一言多かったためにミルティアは怒りの火に油を全力投入され、息を吸い込んで更に怒鳴る。


「はぁ? いっつもぉそう思ってたぁってこと? 有り得ないもぉアジャットのこと信じられない!」

「それは困――」

「大体ぃ、下等指定魔術師のぉリーゼガルトがぁ残ったってのはぁどういうことなの!」


 飛び火するとは思わなかったのか、傍にいたリーゼガルトはびくっと飛び上がった。


「お、おおお俺?」

「この格下がぁっ!」


 悪かったって――っ! と絶叫するリーゼガルトの声が、傍にある森の木の梢を揺らした。


 一行は、さすがにあの後で移動を続けるのは気力体力共に無理があったため、森の傍で小休止を取っていた。

 周囲にはやはり知覚を妨げる魔術を張っているが、これは完全にアルナー水晶頼みである。


 その小休止は無論休むために取ったものであるが、レーシアの護衛に付いた数人は、ミルティアと同じような経緯でそうさせられたらしく、心配を鬱憤に変えて大噴出する者が数人あった。怒られる側としては休むどころではない。


「騒がしいこと」


 開け放たれた馬車の入り口の傍でディアナが呟いた。馬車の中には交代で魔術師が詰め、重傷人の手当てに当たっていた。


 ごめん悪かった、反省してる、格下風情がすいませんでした、とリーゼガルトが平謝りし、腕を組んで鼻を鳴らしたミルティアがやっと言った。


「まぁいいわ」


 ほう、とリーゼガルトが息を漏らし、そこにレーシアが心細げに近寄ってきた。


「――ねえ」


「ん?」


 リーゼガルトが振り返って応えると、レーシアは眉を寄せながら尋ねた。


「アトルを見なかった? ここに来るまでも避けられてたのだけど――」


「あ――それは」


 言い差して、リーゼガルトは口を噤んだ。


 三大禁忌の一つを、アトルは二度目に犯したことになる。

 前回も彼は強い嫌悪を示していたのだ、今回とてそうだろうし――あるいは今回の方が、嫌悪の程度が深いことすら十分に考えられる。

 レーシアが一言アトルを糾弾すれば、アトルは国家によって捕えられ、刑を受ける。ここジフィリーアにおいては、それは終身刑だ。

 レーシアから提案したことである以上、そのようなことは万に一つも有り得ないが、罪を犯した事実は変わらない。

 アトルがどんな風にレーシアに接すればいいかを決めかねて、彼女を避けるのはある意味自然なことだ。


 前回ならばまだしも、今回においては、アトルは明確にレーシアを庇護の対象として認識してさえいたのだ。


「捜してるんだけど見当たらなくて――」


 レーシアは迷子になったように呟き、目を伏せた。


「あー、レーシア」


 リーゼガルトは頬を掻きながらそれを見て、この少女を最優先の庇護に値するとしているアトルの気持ちを、少しばかり理解した。


「今は何ていうか、そっとしといた方がいいんじゃねえかな……?」


「なんで?」


 目を上げて、レーシアは不服を唱えた。


「私の魔力をアトルに使ってもらうって、私が考えたのよ。私がいいって言ったのよ。落ち込む権利がどうしてアトルにあるのよ」


 ある意味正論である。恐らくレーシアは、アトルと逆の立場であればそう割り切れるのだろうが――


「いや――アトルの気持ちも考えてやれよ……」


 若干呆然と呟くリーゼガルトからは、今し方感じたアトルへの理解は露と消えていた。


「もういいわ。自分で捜す」


 レーシアはふいとそっぽを向き、そのまま歩き去った。


 知覚を妨げる魔術の範囲は、森に少し被る程度だ。レーシアは森の方へと歩きながら、酷使した喉を必要以上に傷めないよう、やや控えた声で呼ばわった。


「アトル――、アトル――」


 どこかで誰かが食事の準備をし始めたのか、湯気が見え、人の話し声に混じって調理の音が聞こえ始めた。


 忘れていた空腹を思い出し、レーシアは少しだけ悩ましげに己の腹部を押さえたが、すぐにその手を離して呼び掛けを再開した。


「アトルー。アトルってば、どこにいるの?」


 擦れ違う者、見掛ける者の何人かはレーシアを見て友好的な表情を浮かべ、それより多くの者が顔を背ける。


 レーシアは――レーシアとアトルは確かに彼らの「今回の」恩人だが、それ以上にレーシアは彼らの負った傷の元凶である。

 そして何よりも、彼らは――特に魔術師は、アトルの魔術師としての技能がそう抜きん出たものではないと分かっている。


 そのアトルが、あの凶悪極まりない魔法陣を一撃で破壊し、軍勢をたった一人で拘束してのけたのだ。それを可能にしたのは、レーシアの、余りにも巨大な魔力。


 聞いてはいても理解はしていなかった、その常識の範疇を超えた現実に、多くの者が恐れを抱いたのだ。


 だがそれも、レーシアにとってはどうでもいいことだった。


 レーシアが気にするのはサラリスが自分をどう思っているかであり、レーシアが恐れるのはサラリスに嫌われることである。サラリスがいればそれでいいと割り切れてしまうのが、レーシアが生きる世界なのだ。


 ――だから今日、アトルの生存を気に掛けたのは、レーシアにとっては革新的な出来事だったのだ。


「アトルー、アトルー」


 アトルの古巣〈インケルタ〉の人々の所には最初に顔を出し、「アトルはいない」という返答を貰っている。となれば、アトルは一人で行動しているに違いないと見て、こうしてあちこちを捜している。


「アトル?」


 木の陰を覗き、また別の木の陰を覗く。だがそうやっているうちに、もし本当にアトルがレーシアを避けているならば、レーシアの声が聞こえてきた段階でそこを離れるということに思い至った。


「面倒ねぇ。――アトルー! アトルってば!」


 声を上げた後で、レーシアはその場をうろうろと回る。それから口を閉じてアトルを捜し始めた。


 魔術の範囲に入る森をふらふらと彷徨うこと十数分、一本の木の根元で座り込むアトルを見付けた。


 アトルを見付けたレーシアは足を止め、そっと後退った。


 彼女が遠慮したくなるような、そんな沈痛で悲痛な空気が漂っていたわけではない。アトルが男泣きに泣いていて、レーシアが空気を読んだわけでもない。


 座り込む、と言うのだろうか、これを。


 立てた両膝に腕を乗せてだらんと垂らし、頭を垂れているアトルの全身から、目に見えるのではないかというくらいに濃く、負の感情が漏れている。近付くことを躊躇うようなどんよりとした空気を、たった一人で数十人分は生み出しているのではないかとレーシアは思った。


 とはいえ、レーシアはアトルを捜していたのである。気を取り直し、アトルに近付きながら咳払いする。


 アトルがふっと顔を上げた。見たことがないような暗い顔だ。


「……レーシア」


「アトル、捜してたの」


 レーシアは言い、つつ、とアトルに近付いて、その正面にしゃがみ込んだ。アトルは目を逸らす。


「……なんで」


「うん、それを訊きに」


 レーシアは真面目に答え、首を傾げた。濃紺の髪がさらさらと肩を滑った。


「なんで避けるの? なんで落ち込んでるの?」


 アトルは思わずというようにレーシアを見た。


「なんでっておまえ――!」

 そこまで言ってまた目を逸らし、

「――俺がやったことは最低のことだぞ」


「私が頼んだんだよ」


「そういうことじゃない!」


 アトルは怒鳴り、また顔を伏せた。


 あのときアトルは、レーシアを、ひいてはあの場にいた全員を、守りたくてレーシアの魔力を使ったのではない。彼自身が生き残りたかったから、レーシアの魔力を使ったのだ。

 レーシアは違う。レーシアはあのまま逃げることも出来たというのに、戻って来てアトルに魔力を使わせた。そこには他人を案じる気持ちが確かにあったのだ。その差がアトルの自己嫌悪を深くする。


 アトルはちらりと顔を上げ、怒鳴られて目を見開くレーシアに小声で詫びた。


「――悪い、怒鳴って」


「ううん」


 レーシアは首を振り、また尋ねた。


「そういうことじゃないなら、どういうこと?」


「…………」


「みんな助かったのに、どうして落ち込んでるの?」


「俺は、」


「私が頼んだことなのに、どうして私を避けるの?」


「俺は、」


「最低のことでも何でも、必要なことだったでしょう?」


「俺は!」


 アトルは語気を荒げた。


「俺はおまえのためじゃなくて、俺が生き残りたくておまえの魔力を使ったんだぞ!」


 答えが得られたからか、レーシアは嬉しげに目を細めた。


「うん」


「俺はおまえを守ろうとしたのに、それも出来なかった」


「うん?」


「あれは最低なことだった」


「うーん」


 レーシアは首を傾げ、お道化たように眉を寄せると、あっけらかんと言った。


「私がアトルのところに戻ったのは、これからもアトルといたいと思ったからだよ」


「――――」


「他の人じゃ手の引っ張り方も雑だし、しんどくても気付いてくれないの」


 レーシアは外套の物入れからアトルが握らせた宝樹玉の包みを取り出すと、もう片方の手でアトルの手を取り、その手に包みを握らせた。目を伏せて、はんなりと微笑む。


「私じゃ失くしちゃいそうだから、これはアトルに持っててほしい」


 アトルは呆気にとられてレーシアを見た。


「おまえ――」


 レーシアは目を上げ、穏やかに続けた。


「あなたが生き残りたかったのなら、それでいいでしょう?」


 首を振り掛けたアトルを止めるように眼差しに力を入れて。


「分かりやすく言うわ。

 あなたは、最初に私の目を覚まさせてくれた。――アトルがいなかったら、私はあのまま死んでたかも知れない。

 アトルは、宝具のことも封具のことも関係なしに、ちゃんと私を気遣ってくれる。

 アトルは、私に石を投げたりしない。アトルは、私のことを叩いたりしない。アトルは、私のことを溺れさせたりしない。

 アトルは、私を心配してくれる。

 アトルは、サラリス以外で初めて、私をただの女の子だと言ってくれた」


 レーシアはその澄んだ目で、透き通るような眼差しでアトルを見た。


「全部アトルがしてくれたこと」


 アトルと目を合わせて、レーシアははっきりと言った。


「だからあの程度、恩返しの一部にもなりはしないの」


 明確な許しの言葉だった。アトルのためだけに紡がれた言葉だった。


「あなたが生き残りたいのなら、いつでも使ってくれていいの。――こんな魔力(もの)、私にとっては何の価値もないもの」


 だから落ち込まないで、と続けられた言葉に、アトルは無意識のうちに頷いていた。






 ――アトル、一緒にたたかおう?


 あの言葉で、レーシアはアトルと同じ土俵に上がった。

 アトルにとって庇護の対象である立場から、肩を並べる立場へと。


 ――あの程度、恩返しの一部にもなりはしないの。


 そしてこの言葉で、アトルはレーシアへの認識を改めざるを得なくなった。

 保護しなければならない「子供」ではない、もっと自分と同じ高さに立ち、立派に個人として考え方を確立している「人」として。


 例えば遭遇するかも知れない危険を伏せたりすることで、真綿に包むようにして守る対象ではなくて――もっと別の――



 自分の言葉に頷いたアトルに、レーシアが嬉しそうに微笑む。度々見てきたその表情に、その度にそうなっていたように、アトルは見蕩れる。


 レーシアがどんな風に世界を見ているのかを知りたいと思う。自分がどんな風に世界を見ているのかを知ってほしいと思う。笑っていてほしいと思う。幸せでいてほしいと思う。傍にいたいと思う。


 レーシアを、その幼く見える言動のために子供と思ってきたけれど、彼女の内面は恐らく、アトルが思っていた以上に成熟している。考え方に極端な部分はあり、そこは間違いなく問題だが、それでも彼女は一人の女性である。


 そう見做せば、アトルは今、レーシアの笑顔を見て心臓が跳ねた理由を知っていることになる。



「じゃあもう避けたりしないよね?」



 これは、恋情だ。



「――ああ」


 答えたアトルの、たった今自覚した気持ちに気付いた様子もなく、レーシアは明るく笑った。


「良かった!」


 そしてその言葉に被るようにして、レーシアの腹の虫が鳴いた。


「…………」


 レーシアは気まずげに黙ったが、アトルはがしっと彼女の手を握ると、立ち上がり、いつもの調子で説教をしていた。


「おまえ、今の自分の状況分かってんだろうな!? ほら、さっさと食いに行くぞ!」


 宝樹玉の包みを道具箱に押し込みながらずんずんと歩くアトルに手を引かれ、レーシアは満面の笑みを浮かべた。


「うんっ!」





************





「エンデリアルザは知っていたな、あの魔法陣を」


 デイザルトの抑えた声が、拘束の魔術が切れた後、丘に響いた。


 緑の目がこれ以上なく冷ややかに、冷酷ささえ漂わせるのを、彼の部下は見ていたが、中の一人がそっと言った。


「しかし、デイザルト様――。エンデリアルザは、先頭に出て来ました」


 デイザルトの視線を受け、彼は大きく頷く。


「彼らを見殺しにし、自分だけが生き残ることをしませんでした」


 彼らが展開したあの魔法陣は、念動の術式と元素の術式を組み合わせたものである。

 発動されれば、周囲のものを念動で吹き飛ばし、その後に吹き飛ばしたものを対象として火炎の術式で焼き払い、そして最後に氷結の術式でそれら全てのものを割り砕く。


 ――百年戦争で多用され、多くの戦死者を出した魔法陣である。


 つまりあの魔法陣を知っていたということは、百年戦争をその只中で見ていたということに他ならない。


「何が宝国の奥にいたと――何も知らなかっただと――」


 デイザルトの声が怨嗟を含んで低くなる。


「ああ、あれは確かに前に出てきたとも。だが、それが何だ? 今更何の行いであれの罪が消えると?」


「しかしデイザルト様、エンデリアルザは魔法陣の細工に気付きませんでした――。間近で見たことはないのでは?」


 デイザルトはあの魔法陣を描く際、そこに細工を施していた。

 ――発動された際であっても、その影響を全て上空に限定するつもりだったのだ。


 全てはレーシアが、あの魔法陣を知っているのかどうかを確かめるため。


 がん、と剣を地面に突き立て、デイザルトが叫ぶ。


「だったら何だという! 数多の人々を殺し、死の権利さえ奪って彼らの身体を蒸発させ、戦闘員でさえなかった人々をも躊躇なく虐殺した、エンデリアルザの非道が許されるものか!

 ――悪が一体何を以て償うに足りるという! 善ですら――悪が善で贖えるものか!」


 夕日が紅蓮に空を灼く。


「彼らに悲鳴を、痛みを、苦しみを、絶望を、悲しみを、あれだけ味わわせ! あったはずだった喜びも幸せも奪って! それを贖える行為があるものか――そのような理不尽が罷り通ってなるものか!」


 夕日が長く長く彼の影を地面に伸ばす。





 百年戦争当時、エンデリアルザの証章はサラリスにあった。

 サラリスはセゼレラに在り、その国が宣戦布告もなく、他国に大量虐殺を仕掛けたことが、百年戦争の発端である。


 当時のエンデリアルザは、名実ともにサラリス。


 空を真っ赤に焼く火柱が立ち上るのを、紅茶を飲みながら窓を通して眺めていた、銀髪の少女がいる。

 己を愛い子と呼ぶ空人と雷兵が焼かれて墜ちていくのを、眉ひとつ動かさずに、窓の張り出しに生けられた一輪の花を指先でなぞりながら見ていた少女が。




 恩人と思う青年と並んで楽しげに食事を摂り、冗談を聞いて笑い声を上げる濃紺の髪の少女が、自分の全てと慕う少女が。







書き溜めに追い着き始めました。

考えなしにどかすか投稿するからですね(笑)

これから更新速度が衰えることになると思いますが、ブックマークしてくださっているものすごく貴重な方、どうか見捨てないでください……!


そしてこれで五章が終了となります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ