01 章始め 下/食糧問題
おばあさんたちとおじいさんたちは、毎日飽きもせずに自分のことを調べるけれど、最近になってその頻度が落ちたように思う。
底冷えのする廊下を若い人たちに腕を引かれて走る。やはり痛くて、溢れ出していく力が数度爆発を起こした。しかしこの人たちに変化はない。床と壁はごっそりと抉れたけれど、腕を引っ張る男の人はこちらを振り向きすらしなかった。
何の変化も起こせないのなら、いっそ何も起こらない方がずっといいのに。こんな爆発は耳が痛くなるだけだ。
前の方から、別の男の人が走って来た。何かを叫んでいるけれど、爆発の余波で耳が痛い自分には聞き取れない。腕を引く人が足を速め、転びそうになる。合流した二人がぼそぼそと何かを話し合っている。
ぼそぼそぼそぼそ。ぼそぼそぼそぼそ。
そしてこちらを見下ろして、「走るぞ」と言う。もう走ったのになぜそんなことを言うのだろう、と思うと涙が出てくるが、泣いたところで気遣ってくれるような人は存在しない。ならばどうして涙があるのか、つくづく疑問に思うのだが。
襲撃が、なぜここが、これのことがばれて、いやまだ機会は。
そんな遣り取りをしながら先を走る二人に引き摺られて、自分も走らされる。脇腹と足が痛くてまた何度か爆発を起こしてしまったが、二人は気にも留めなかった。
自分の肌の上で銀色の、糸のような光がいくつも身をくねらせ、爆ぜる音を立てながら激しく明滅するのが見える。そう言えば自分の肌はこの二人の肌に比べて随分と白いが、なぜ肌の色に違いが出るのだろう。
どこにいるかはまだ、戦線はどうなっている、囲まれているのか、もうここを捨てるしか、いや老師さまたちを。
腕を引かれて走らされる。息すら儘ならなくなって涙が零れたが、何の意味もない。
助けて、助けて、助けて、助けて――
必死に心の中で唱えていたときだった。
唐突に、前を走っていた片方、手を握っていない方の男が転んだ。身を庇う仕草すらせず、前のめりにばたんと。
手を引っ張っていた方の男も足を止め、声を上げる。自分はただぽかんとして、変な倒れ方をするものだと感心していた。
後ろからいくつか足音がしたので振り返る。そこに見たことのない服を着た人たちが見えた。何人かがこちらに向けて手を伸ばしており、変な格好で走るものだとぼんやり思った。
後ろの人たちが何やら声を掛けてきた。その手を離せ。今ならばまだ命だけは助けてやる。
自分の手を握った男に、「いのち」ってなに? と尋ねようとして見上げると、それよりも早く男に怒鳴られた。
何をしている、走れ。育ててやった恩義も分からんのか、これだから化け物は。
訳が分からない。走るというのは手を引かれたときにすることで、歩くよりも速い移動手段のことであるはずだ。
自分が混乱している間に、手を前に伸ばした誰かが奇声を上げた。後から思い返すと気合の声なのだが、奇声にしか聞こえなかったのである。
橙色の火花が散って、立っていた方の男がばったりと倒れた。手を握られたままだった自分も倒れた。
後ろから付いて来た人たちが近付いてきて、自分を立たせる。そのまま検分されて、後ろの方にいた女の人――若い女という生き物もこの世にはいたのである! 驚きだ――が、何度か頷いた。ウン、これだよこれ。と言っている。
この人たちが着ている服の胸のところには刺繍があって、それは炎紋に囲まれた丸い盾の模様をしている。
その印をなぜだかはっきりと覚えている。
今度はその人たちに手を引かれて、元来た道を引き返す。通るところ通るところに人が倒れていて、見覚えのあるおばあさんやおじいさん、若い人たちも倒れているが、なぜそんなことをしているのか分からない。寝るのは寝台の上で、と教わったはずなのだが。
そして外に連れ出されると、今度は箱のような物に入らされた。箱の側面の一部は扉になっていて、箱の前には見たことのない大きな生き物が繋がれている。箱の下は丸いもので支えられていた。
箱には一緒に、あの若い女の人が乗る。中を見渡していると、がたこん、と振動があって、箱が動き出した。
心臓が口から飛び出すかと思った。思い切り叫ぶと、自分から溢れ出す力がまたしても爆発を起こした。
いつもと違ったのは、それが物だけではなく人にも影響を及ぼしたことだ。
吹き飛び、何やら赤い水を頭やら背中やらから流す女の人や、周りの人、ばらばらになった箱の残骸を見ながら、いつものおじいさんとおばあさんとこの人たちは、一体どういう知り合いなのだろうと考えていた。
箱がばらばらになったので、自分は地面に落下したわけだけれど、どういう訳だか痛くはない。爆発を起こすのと同じ力が身を守ってくれたのだろう。
その後、なぜだか起き上がらない女の人たちに代わって、同じ服を着た人たちが何人か来て、自分に箱のことを説明する。
どうやらこれは馬車というものらしく、繋がれている動物を馬というらしい。乗っていても何も危険なことはなく、驚くこともなく、黙って座っているだけですごい距離を移動できるものだという。
へえ、と頷いた自分をその人たちはまた別の箱――馬車に入れる。動くとやっぱり驚いてしまい、また同じことが起きた。また別の、同じ服を着た人たちが寄ってきて、何やら自分の頭の上で相談する。
直後、首の後ろに衝撃が走った。また爆発が起きそうな気配がしたが、今度は爆発は小さいもので済んだはずだ。なぜなら自分の意識が遠ざかってなくなっていくから。
こうして自分はおじいさんたちやおばあさんたちと会わなくなって、別の人たちと――
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小休止を挟んで人心地ついたところで、また西への移動が再開された。
今回は助かったとはいえ、士気は高いとはいえない。同規模の襲撃があと一度でもあれば、今度こそ無事では済まないと、全員が感じ取っているのである。
そんな中で元凶であるレーシアは呑気なものである。
ミラレークスの馬車が怪我人で一杯になり、〈インケルタ〉の幌馬車の殆どがぺしゃんこになったので、レーシアすらも馬車には乗れず、足で歩くか馬に乗るかの選択を迫られることとなった。
この点に関してはアトルとディアナの猛抗議が長々と展開された。曰く、レーシアは馬車に乗せるべきだと。
「怪我人の中でも馬に乗れる者くらいはいてよ。それを外に出せばいいお話でしょ。リリファちゃんなら出てくれるのではなくて」
「それは言い過ぎだが、何人かが詰めればレーシアの場所くらい作れるだろ!」
アジャットは彼ら二人をフードの奥から冷ややかな目で見て告げた。
「血の臭いの充満する馬車でレーシアさんに過ごせと?」
レーシアを馬車に乗せようという動きはなくなった。
次に問題となるのが歩きか乗馬かという点である。アトルは歩かせる方を主張した。
「落馬でもしたら洒落にならねえし」
ディアナは乗馬を主張した。
「お傍に付けば問題はなくってよ。それより歩いてお疲れになったらどうするの」
結果として、レーシアはのほほんと言った。
「歩く。疲れたらアトル、おんぶして」
おう、と答えるアトルに躊躇はなかった。
というわけでレーシアはアトルと並んで歩いている。傍にはアジャットとミルティアとリーゼガルト、オリアがいた。ディアナもいたのだが、アジャットがあからさまに嫌がったためにディーンの傍へと移動していったのだ。
先程は、逃げ回り崖下へ飛び降りまた逃げて大立ち回りを演じと、なかなか散々な目に遭ったアトルたちだったが、他の班も壮絶さにおいては引けを取らなかったらしい。
特に目立つミラレークスの馬車で移動していたリーゼガルトやミルティア、オリアたちは集中攻撃を浴び、寿命を擦り減らす思いをしたらしかった。
「最初は籠城で押し切ろうと思ったんだけどな、攻撃が凄まじいのなんの。俺が御者台にいたんだが、いつ殺されるかひやひやしたぜ」
「もう余りにも凄すぎて、私も外に出て援護してたんですけどね」
オリアがばっちりレーシアを見ながら言った。眼差しは「ほら私を気に入って!」と訴えていた。
「ふうん」
レーシアは言い、欠伸を噛み殺した。話がつまらないのではなくて、純粋に眠いようだった。激動の一日だったことは否定できないことであり、アトルはレーシアの顔を覗き込む。
「寝るか、レーシア? だったら背中貸すけど」
レーシアは一瞬考えたようだったが、すぐに首を振った。
「ううん、大丈夫」
そうか、と呟いたアトルは別に残念に思ってなどいないはずである。
「ですけど、今のうちに寝ておいたほうがいいんじゃないですか?」
オリアが首を傾げて言った。レーシアも首を傾げる。
「なんで?」
「だってその、これまでも夜間は移動してましたけど、馬車が空くまでレーシアさんにも夜に外にいてもらうことになります……」
「夜通し背負って歩くのは、アトル青年といえども辛いだろう。彼も眠らなければならんし」
アジャットが言葉を足し、レーシアはそれにたった今思い当った顔をした。
「あ、そうか」
移動しながらの睡眠というのは厄介なものである。交代しながら馬の背を借り、馬を頻繁に代えていく必要もある。
「更に、先程の襲撃で食糧もやられた」
アジャットが平淡な声で言い、アトルは思わず顔を強張らせた。
「おい、町に寄ったりしたらまた何か起きるだろ……」
「私もそう思う」
アジャットは頷き、リーゼガルトがそれを受けた。
「だから、レーシアを守る大多数と、買い出しに行く少人数に分かれるのが一番だろうと思うんだが――」
「アトルは私といてね」
間髪入れずにレーシアが言い、アトルは思わずにやけ、それを誤魔化すために咳払いした。
「――おう」
リーゼガルトは横目でアトルを見てから、言葉を続けた。
「買い出し組には最低限の戦力を付けりゃあいい。魔術師の殆どはレーシアの方だ」
アトルは深々と頷いた。
「それがいい」
今回と同規模の襲撃は、相手の準備の周到さも考え合わせると、そうそう連続で降ってきたりはしないだろうが、レーシアを狙っているのは一つの勢力だけではない。レーシアの通るだろう町のミラレークス支部に、裏切り者がいる可能性すらあるのである。
尤もそれを言うと、イヴァンたちを思い出したリーゼガルトたちの表情が死んだようになるので言えないが。
レーシアを町に入れないことは決定事項だったが、いざ最寄りの町の近くまで来たとき、それは決定事項でも何でもなく、不可抗力となった。
理由は簡単である。
日暮れ直前になって、ミラレークスの巨大馬車の車輪が外れたのだった。




