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07 化け物には石を投げるもの

 かなりの距離を走った上に回し蹴りまでお見舞いしたアトルは、さすがに少し息を荒げていた。


 銃口から距離を置くためと、純粋に蹴られた頬に痛みがあったためとで、ベルディが数歩後退る。

 アトルは躊躇いなく引き金を引いたが、ベルディが素早く防壁を張った。それには殆ど興味を示さず、アトルはレーシアを振り返った。


「大丈夫か、レーシア」


「うん!」


 心から嬉しそうに頷いて、レーシアは迷いなくグラッドの陰から飛び出し、アトルに駆け寄った。

 銃を持っていない左手で彼女を迎えながら、アトルはざっとレーシアを検分し、実際に怪我が無さそうだということを確認した。


「あちゃー、お仲間増えちゃった」


 オリアが呟いた。

 ひゅんッと音を立てて、オリアとグラッドを隔てていた障壁が、鞭のようにしなって彼女を威嚇し、消失する。


「……しかも高等指定魔術師か……」


 まだ少し距離のある、風にはためく暗褐色の外套を着た人影を見て、オリアが苦笑した。


「まあ、この際きちんと話しましょ。ベルディさん、やっぱりいきなり襲った私たちも悪いですって」


 オリアが言えば、ベルディが心から忌々しそうな顔をする。


「だが――」


 彼の言葉を意に介さず、オリアが両手を挙げた。


「話を聞いて。ま、こっちの彼にはさっき言ったけど――」


「こっちの彼」リーゼガルトは舌打ちした。


「私たちは無理して殺し合いをしようっていうんじゃないの。レーシアさんに付いて来てほしいだけ。私たちと来れば、あなたは辛い思いをせずに済みます、レーシアさん。あのしつっこいデイザルトって男からも守ってあげられる」


 アトルが半歩、オリアの方へ踏み出し、レーシアが彼の左手をぎゅっと握った。


「そこの青年。あなたは矢鱈と血気盛んだけれど、あの男は本当に、冗談抜きで、万単位の軍人を動かしてレーシアさんを追い掛けて来るよ。きみではレーシアさんと一緒に居られない。それにね、私たちはただ、レーシアさんに一つお願いを聞いてほしいだけ。それさえ聞き届けてくれれば、後はもうレーシアさんの好きなことをさせて差し上げる――もちろん、目の届く所にいてもらわないといけないけど」


 レーシアが首を傾げた。


「サラリスに会わせてくれないの?」


「レーシア、ここは『お願い』が何なのかを確認するところだ」


 アトルがすかさず突っ込み、その様子にオリアは顔を引き攣らせた。


「あ、えーと、エンデリアルザ、ね。彼女とは――その、面会は難しいけれど……」


「面会?」


 レーシアが聞き返した。


「何言ってるの? 私はサラリスに会ったらまたサラリスと一緒にあちこちに行きたいのよ。サラリスと一緒にいたいのよ」


「そもそもなんでレーシアを目の届く所に置いとこうとするんだよ。それじゃ飼い殺しじゃねえか」


 アトルの喧嘩腰の言葉に、ベルディが口を開いた。


「――飼い殺し?」


「ベルディさん」


 オリアが窘めるように言った。アトルはベルディを見て目付きを険しくする。


「――なんだよ」


 アトルは、レーシアにとって「サラリス」がどれだけ大切な存在なのか、実感として理解しているわけではない。命を懸けるほどに大切なのだと、頭で言葉として理解しているに過ぎないのだ。

 ゆえに真っ先に気になるのは、レーシアの人としての尊厳が、どれだけ守られるのかということなのだ。


「まるで彼女が人であるかのように言うね、きみは」


 ベルディは言って、微笑んだ。


「――――っ!」


 アトルの感情が一瞬にして沸点まで振り切られ、彼は躊躇なく銃をベルディに向けた。


「謝れ」


 怒りの余り声が震えた。引き金に指を掛けて、アトルは吐き捨てる。


「レーシアに謝れ!」


 アトルの左手を握ったままのレーシアが狼狽したようにアトルを見上げておろおろする。


「あ、アトル――」


「おまえも! なんで怒らない!」


 アトルに怒鳴られ、レーシアは首を竦めた。


「だって……」


「レーシアさんは自分のことが分かっているようだ」


 ベルディは銃を向けられているとも思えぬ落ち着いた声音で言った。


「名前は知らないが、よく覚えておきなさい、若者。彼女は――」


 レーシアは困ったように眉を下げている。その彼女を見ながら、ベルディは断言した。


「――化け物だよ」


 アトルがかっとなって引き金を引く。銃に埋め込まれた二つのアルナー水晶が鋭利な煌めきを宿し、一瞬後、凝った光の弾が撃ち出された。が、それはベルディには当たらず、彼の頬を掠める程度の軌道を描いた。

 アトルが損じたのではない。レーシアがアトルの右腕を揺らしたからだ。


「レーシア!」


 アトルが怒号を上げる。それにやはり首を竦めて、レーシアはぼそりと呟く。


「別に、撃たなくても――」


「なんで怒らない!?」


「だってほら、私の魔力量は異常だし――宝具も封具も、とんでもないものだし――」


「そういうことじゃないだろう!」


 レーシアは対応に困って俯いた。


 初めてサラリスに会った日のことを、彼女は覚えている。眠りに就かされる寸前の、あの忌まわしい記憶などよりも鮮明に、その幸せな思い出を胸に仕舞っている。


(化け物! おまえが――だからもっと早く殺しておけと――今すぐに殺せばみんな助かる――いっそこれを差し出せば――見目はいい子だから――)


 生まれたときから尋常ではない量の魔力を持て余し、常に魔力爆発を起こし続ける子どもの、一体どこを愛せるだろう。

 まだ幼かったからよく分かっていなかったけれど、記憶を掘り返せば母親のことで責められたこともあるから、きっと誕生と同時に母の命も奪ったのだろう。父親だったのだろう男性は近付いて来ようともしなかった。

 空腹や嫌悪感を感じると無闇に魔力を爆発させてしまう子どもだったから、きっとそれを恐れて他の人が育ててくれたのだろうと思う。殺されそうになっても同じこと。魔力が常にレーシアを守った。

 部外者が町に入って来た記憶がある。きっとあれは賊の類だったのだろう。混乱状態に陥った町で、誰かがそれをレーシアのせいだと言った。呪わしい子、忌まわしい子、災厄までもたらす子。


(石を投げろ、それでも駄目なら殴り殺せ。それも効かないなら水に入れろ。――ああ、これは効く、大丈夫だこいつは不死身じゃないぞ! いい具合に死に掛けているぞ、さぁあいつらに差し出せ!)


 賊に人身御供よろしく差し出されそうになったところを逃げ出し、そこに火を点けられた。捕まって殴打に悲鳴を上げたが、大人たちもきっと恐ろしかったのだろうと思う。

 そうしてぼろぼろになったところで、サラリスと出会った。


 それから先には、幸せな記憶しかなかったと言っても良い。〈器〉としてはレーシアは、十分に幸せな人生を歩んでいたのだ。


(あなたは世界で一番可愛いわ。あなたはとても素直な、私の自慢)


 サラリスの柔らかい声で、幾度となくそう言われた。


 サラリスは自分のことが特別大好きだから、そんな風に言ってくれるのだ。他の人にとっては、自分はやっぱり化け物だ。


 他の人は、仲間に入れてくれることはあっても、愛してくれることはない。一緒にいることは出来ても、一緒に生きていくことは出来ない。人として信頼することは出来ても、その人が言ったことまでを信じることは出来ない。甘えても良いが身を任せてはいけない。頼っても良いが愛してはいけない。


「――おまえはそんな風に言われて嫌じゃないのかよ!?」


 アトルが怒鳴る。レーシアは咄嗟に身を縮め、にへらと笑って顔を上げた。


「嫌じゃないよ」


 アトルが息を呑んだ。どうして彼がそれほど驚くのか分からず、レーシアはにこにこと笑う。


「大丈夫だよ。サラリスにとっては違うもの。だから平気だよ。なんでそんなに怒るの? 私は化け物だよ、間違いないよ」


 アトルの顔が初めて見る程に険悪になっている。レーシアは思わず後退ろうとしたが、アトルの左手がかつてないほどの強さでレーシアの手を握っており、それは出来なかった。


「――誰が」


 低い声でアトルが言う。


「誰が最初にそんなことを言って、誰がおまえにそう思い込ませた」


 問い掛けているはずなのに語尾の上がらない口調に、彼の怒りが滲んでいる。レーシアが思わず仰け反ると、アトルは今度はベルディを睨め付けた。


「おまえ、そこのおっさん」


 怒気を孕んで尖った声が、鋭く響いた。


「俺はあんたよりレーシアのことを知ってる。だから言うけどな、こいつは見掛けよりももっとずっと、ただの女の子だ」


(あなたがとても可愛い、ただの女の子だと気付いてくれる人は、きっととても少ないと思うの)


 サラリスと二人で引いてきた境界線、サラリスから教わった緩衝材、サラリスと二人で生きていく世界を囲む海。


 それらが確かに軋んで、歪んだ。


「そりゃあちょっと変わり者ってか、色々と事情はあるみたいだが、こいつ本人はただの人間だ」


 レーシアのために怪我をする人。レーシアのために怒る人。レーシアを案じる人。レーシアを助ける人。レーシアをただの女の子だという人。


「こいつがこいつの事情のせいで特別な立場にあるって言うんなら、そんなのどこのお偉いさんもそうじゃねえか! おまえはそいつらのことも化け物呼ばわりしてんのかよ? そうなのかよ? そういうお偉いさんたちと、レーシアの何が違うのか言ってみろよ!」


 レーシアを、他の人と同じという人。


 自分の心の中に新しい隙間が出来たような、何かが入って来たような、そんな居心地でレーシアは鳩尾を押さえた。どこか浮き立つような気分なのに、サラリスと二人で幸せに暮らしていく世界が壊されたような気にもなる、そんな心地にレーシアは激しく動揺した。


 ――なんだろう、これは……。


 疑問は、苦痛に押し流された。


 レーシアの感情の昂りに合わせて、封具がいっそう近くなる。肺を押し潰される痛みにレーシアは悲鳴を上げようとして、それすら出来ずに前のめりに姿勢を崩した。慌てたアトルに支えられたものの、安心できる状況ではない。


 ――息が、出来ない……。


 意識が遠ざかる。アトルの滅多に聞かない焦った声をぼんやりと意識しながら、レーシアは気を失った。




 くたり、と腕の中で意識を手放したレーシアを見て、アトルは一瞬で血の気が引くのを感じた。


「レーシア? レーシア! おい!」


「お、落ち着いてください、アトルさん」


 グラッドが思わず割って入る取り乱しように、ベルディとオリアも訝しげにしている。

 グラッドは落ち着いてレーシアの脈を確認し、アトルに告げた。


「気を、失っているだけ――です」


 アトルの顔色は青を通り越して白かった。


「お――俺のせいだよな? 俺が怒鳴ったから――怖がらせたから――」


「アトルさんが怒鳴られた、直後に気を失われたわけでは、その、ありませんから――原因は別、かと」


 アトルは固唾を呑んでレーシアの身体を揺らした。細くレーシアが息を吐き出す。それにひとまずの安堵の息を漏らして、アトルは傍まで来たアジャットに低く言った。


「あいつらの相手なんてしてらんねえ、ここから離れねえと」


「同感だ」


 アジャットは呟き、おずおずとレーシアの頭を撫でて、顔を上げた。


「私が防ぐ。とにかく馬車を立て直せ」


 すっとアジャットが右手を正面に伸ばした。レーシアの異変に怪訝な顔をするベルディとオリアを、それぞれ小さな結界が閉じ込める。無論、二人が即座にそれを破壊しようとし始めたが、高等指定魔術師の作る結界は、そう簡単に破壊されない。


 その隙にグラッドとリーゼガルトが魔術で馬車を立て直す。重い音を立てて車輪が地面に着いた。念動系の魔術で馬たちが体勢を立て直すのを手伝ってやり、最初にリーゼガルトがミルティアを支えて馬車に飛び込んだ。続いてレーシアを抱えたアトルが乗り込み、グラッドが続いて御者台へ。


「アジャットさん――」


「逃がすか!」


 オリアが叫んだ。アジャットがひゅっと指を振る。同時にオリアとベルディを捕らえた結界が砕け散り、その破片が鋭利な刃となって二人を襲った。至近距離のこの攻撃に対応するのはほぼ不可能であり、彼らに出来たのは致命傷を防ぐことだけだった。


 その間にアジャットが馬車に乗った。すかさず馬車に埋め込まれたアルナー水晶の術式が発動し、グラッドに指示を受けた馬たちも走り出す。


 オリアのものかベルディのものかは判然としないが、足止めのための魔術が幾つも飛んで来る。

 それらをアジャットが一人で捌き切った。馬車のすぐ後ろで幾度も爆音が轟く。火花が散り、馬車が何度か横に揺れた。


 レーシアの身体を支えながらその揺れを感じたアトルはぞっとした。攻撃を受けていることにではない。レーシアの体重がしっかりと感じられたからだ。


 ――魔力が摩耗していっている。もう、どれ程の時間が残されているのか。


「レーシア――」


 馬車の後方に設けられている窓からベルディたちの様子を確認したアジャットが、息を吐いて言った。


「――一応は振り切ったようだ」


 振り返った彼女が、明らかに焦った声音で尋ねた。


「レーシアさんの様子は?」


「息はしてる。脈もあるけど――、目を開けない」


 アトルが答えた。彼は寝台の上にレーシアを寝かせて、その傍に付き添っており、滅多にないほど動揺していた。


「なんで封具が近くなったんだ? いきなり――もうそんだけ余裕がないってことなのか?」


「落ち着け」


 アジャットが言い、自身もレーシアの前に膝を突いた。


「移動尽くしで疲れていたこともあるかも知れん……」


「けどレーシアは前からサラリスって人とあちこち行ってたって――移動には慣れてるはずだろ?」


 アトルが言い募ると、アジャットはフードを深く下ろしながらぼそりと言った。


「エンデリアルザに会えないことがそれだけの苦痛になっているのかも知れんな」


「…………」


 否定できないアトルが黙り込んだのをちらりと見て、アジャットが続けた。


「目が覚めたらレーシアさんに訊こう――今は彼女が休みたがっても、そうさせてやれはしないが……」


 アトルが頷く。


「ああ……」


「ミルティアは大丈夫か?」


 アジャットが訊き、もう一つの寝台に横になるミルティアが心底嫌そうな顔をした。


「大丈夫ヨ。けどぉあいつら何なのぉ? いきなりぃ襲ってくるしぃ、ニレッタたちを苛めるしぃ」


 愛馬たちの恨みを忘れないミルティアに、アジャットも思わず無言を返した。


「と、ところでアトル、手続きは済んだのか?」


 リーゼガルトが、ミルティアとアジャットの間に漂う沈黙を何とかしようとしたらしく尋ね、アトルは頷いた。


「ああ、ちゃんと特等指定された。身分証も貰って、協会に裏切り者がいたって話もした」


 アジャットが続けて言う。


「裏切り者については、追々連絡があると思うが――」


 ちょうどそのとき、ぴくりと身動ぎしてレーシアが目を開けた。アトルが慌ててレーシアの顔を覗き込む。


「大丈夫か? 気分は?」


 レーシアはしばしぽかんとしていたが、すぐに身を起こそうと肘を寝台に突いた。アトルに手助けされて起き直ったレーシアは首を傾げる。


「……あの二人は……?」


「振り切った」


 アトルが短く答え、「そんなことより」とレーシアと目を合わせる。


「大丈夫なのか? その――俺が怒鳴ったから――?」


 一瞬訝しげにしたレーシアはすぐに首を振った。


「ううん。アトルのせいじゃないよ」


 封具が近くなり、気を失う寸前に覚えた心地はまだ残っていたが、何となく緩和されている。これは何なのだろう、と思ったレーシアは、その疑問をサラリスに会うまで棚上げにしておくことを殆ど無意識のうちに決めた。

 サラリスなら、親身になって話を聴いてくれ、明快な答えを示してくれるに違いないのだ。


「レーシア」


 アトルが控えめに名前を呼んだ。


「何ていうか、その――、疲れてたりするだろ? ゆっくり休みたいって言われても、今はちょっと出来ねえけど、他に何か――」


 彼にしては珍しいくらいにしどろもどろな様子に、レーシアが不意に、花が綻ぶようにして笑った。


「ありがと、アトル」


 心から嬉しそうにレーシアは言った。


「アトルはいつも、私のこと考えてくれるね」


「へ……?」


 アトルが目を見開くと、レーシアはへらりと笑った。


「大丈夫。――あ、大丈夫ではないんだけど、大丈夫」


「本当か?」


 アトルは重ねて問い掛けた。


「欲しいものとか、してほしいこととか、ないのか?」


 ここで「サラリスに会わせてほしい」などと言い出すような頭の足りない娘ではなかったらしく、レーシアはにこにこと笑った。


「ないよ。大丈夫――」


 そう言いながらも、ちらりと彼女が残念そうな顔をしたことを、アトルは見ていた。それでも何も言えなかったのは、このところの戦闘続きで溜まった疲労から弱気になったためなのか、


(きみではレーシアさんと一緒にいられない)


 オリアが言ったあの言葉が、今になって真に迫ってくるからかも知れなかった。







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