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06 憤激の論点

「レーシアさん――」


 男の言葉を、レーシアは憤慨した口調で遮った。


「そこをどいて、どこかに行ってよ。ミルティアに何したの」


 レーシアの感情が昂ったことを恐れ、グラッドが思わず振り返り、彼女の肩に手を置いた。


「お、落ち着いて――」


 はっとしたレーシアが深呼吸する。そんな彼女を見て、男がとん、とステッキを突く。


「穏便に来ていただきたかったのですが」


 とん。


「仕方がありません。こちらも上司が厳しいもので」


 とん。


「お連れしないことには私も帰れないのですよ」


 ――とん。


「ですので、お出でいただきます」


 咄嗟にグラッドが防壁を張った。相手の実力が分からない以上、身を守ることを最優先としたのだ。同時に柘榴石の耳飾りに込められた魔力を使い、叫んだ。


「アジャットさん! 戻ってください!」


 リーゼガルトに呼び掛けてはいけない、彼は多分――。

 その叫び声に被せるようにして、異変を察知したレーシアが悲鳴を上げた。


「グラッド!」


 その視線の先を追ったグラッドが、絶句した。


 グラッドが張った淡く光る防壁に、蛇が絡み付いている。くねくねと這う蛇が数匹、床を這い防壁に纏いついている。蛇の鱗は鈍色で、その躰のくねりが生理的な嫌悪を誘った。

 煌々と硬質な音を発して、男の持つステッキに接している馬車の床が円く輝いている。蛇はそこから這い出して、次々に防壁に取り付いて行く。


「ぐ、グラッド……」


 グラッドが試すように、防壁越しに火炎の魔術を放って蛇を焼いた――瞬間、白熱した光を発して蛇が膨れ上がり、二匹に分裂して防壁にべしゃりと張り付いた。


「うぇ……」


 レーシアが呻いたが、グラッドも全く同感である。そもそもレーシアは爬虫類が特に嫌いなわけではない。だが、この蛇は爬虫類の範囲に入れられない異質さを持っていた。

 しゅうしゅうと舌を出し入れしながら、中の一匹が頭をもたげた。まっくろ(・・・・)に輝くその小さな目を見た瞬間、レーシアは訳もない吐き気に襲われる。


「おぇ……」


 やがて防壁の下半分に、蛇がびっしりと張り付いた。それらが動き回る度、防壁からじゅうじゅうと溶けるような不吉な音がする。


「ま――まずくない? グラッド?」


 レーシアが焦りながら言えば、グラッドは僅かに眉を顰めていた。


「はい――私はこういう、細かい魔術は得手ではないのですが……、致し方ありません」


 グラッドは慎重に人差し指を立てた。彼の足元に円形の魔法陣が浮かび上がり、それよりも小さな魔法陣が周囲にぽつぽつと出現する。

 ポゥ、と輝くそれらが連鎖的に閃光を発した。

 防壁が内側から膨れ上がるようにして砕け散った。眩い白光の中で、身を捩る蛇たちの陰影が引き千切られるようにして粉々になる。同時に腹に響く音がして、衝撃波が弾けた。男が軽く吹き飛び、開け放しの扉の向こうに転がり落ちる。


 グラッドは一瞬躊躇した。このまま馬車内で籠城を決め込むべきか、あるいは外に出て敵から距離を置くべきか、迷ったのだ。が、その一瞬が命取りだった。グラッドが扉を閉めるよりも――あるいはレーシアを連れて外に出るよりも――早く、唸るような音を立てて扉の真下で旋風が起き、扉を固定した。グラッドが眉を寄せる。男の魔術とはまた違った趣の音を、彼の魔術的な聴覚が捉えたからだ。


 グラッドは広域魔術でもって特等指定された魔術師である。つまり、今しがた扉を固定している魔術を相殺するような、そういった細やかな術の行使は得意ではない。


 扉が閉められないということは即ち、籠城が出来ないということ。


 アトルならば多少の無茶をしてでも、馬車ごとその場を離れただろう。そうすることで追手を振り放そうとしただろうが、グラッドの頭にはミルティアの安否を確認することも浮かんでいた。


「――若者」


 ゆっくりと立ち上がり、衣服の砂埃を払った男が、旋風の巻き付く扉に寄り掛かった。


「私はそう、頑丈な身体を持っているわけではないのだよ――」


 グラッドがレーシアを庇うように立ち、レーシアは不安げな顔をしつつも大人しく隠れた。


「……怒らせたみたい」


 ぼそりと呟いたレーシアに、グラッドは真面目に頷いた。


「そうですね」


 グラッドが静かに柘榴石の耳飾りを指で弾く。チィン、とあえかな音がして、続いてアジャットの焦ったような声が聞こえた。


『すぐ行く! ミルティアは大丈夫なのか!? 返事がない!』


「ミルティアさんは――」


 グラッドの返事に割り込んで、アトルの怒鳴り声が耳元で炸裂した。


『レーシアは! 怪我はないのか!』


 耳飾りを着けておらず、また魔術も使えないレーシアにこの声は聞こえなかったはずだが、グラッドは思わずレーシアを窺った。レーシアがそれに気付いて首を傾げる。

 それと同時に、男がステッキで地面を突いた。ごう、と巻き起こる紅蓮の炎が渦を巻き、男の顔を真下から陰影を際立たせて輝かせた。

 グラッドは黙って魔術を発動させながら、小声でレーシアに告げた。


「外に出ます――ミルティアさんが心配です」


「うん」


「大丈夫ですか? あなたが――その、無理そうなら……」


「無理でも何でも」


 レーシアが男を見ながら顔を強張らせた。


「あの人、私たちを見逃す気はないみたいだから――」


 キン、と冷えた音を響かせて、グラッドの正面に透き通った氷の大楯が構築された。周囲の水蒸気が白く色付く霧になって流れる。

 足元に炎の渦を従えて、男が背筋を伸ばして立った。炎は男に影響を及ぼしてはいないようだが、今やその色は青白く、周囲の空気を揺らめかせて燃え上がっている。馬車の扉がじりじりと煙を上げ始め、レーシアがいっそう不安そうな顔をした。

 そんなレーシアの表情を見て取って、男がはっきりと嘲笑した。


「彼女を不安にさせるとは、指定魔術師もその程度か」


「――返す言葉もありません……」


 気弱な言葉とは裏腹に、氷の弾丸を撃ち出しながらグラッドがレーシアを振り返る。


「アジャットさんたちと合流しましょう」


「うん」


 レーシアが頷いた。それを見届けて、グラッドが大きく一歩を踏み出した。


 吹雪と見紛う量の氷雪が馬車内を席巻した。

 同時にグラッドは空気の殻を作ってレーシアを包み、彼女の体温が下がらないようにする。レーシアの周囲以外の一帯の気温を一気に下降させながら、グラッドが衝撃波を放つ。

 男はそれを弾いたが、グラッドは何度も繰り返し衝撃波を放ち、徐々に男を後退させた。


「ちょ――ベルディさん? 扉はいつまで固定しとけば――って、」


 聞き覚えのない若い女の声がして、グラッドはようやく馬車から足を踏み出しながらそちらを一瞥した。

 茶髪の女が唖然とした顔付きでこちらを見ていた。どうやらステッキの男の名はベルディというらしい。


「わお。初めて見るけど指定魔術師って伊達じゃないんだ――」


 視線を女からベルディに向け直したグラッドは、しかしすぐにまた女を見た。正確には、ミルティアを見た。


 女は地面に片膝を突いており、倒れたミルティアの介抱をしているようだった。ベルディが言っていた通りだが、問題はミルティアの容態だった。地面を真っ赤に濡らす程に出血し、とても命に別条がないとは思えない。

 レーシアもミルティアを見たらしく、静かに息を呑んだ。


「ミルティア――」


「ベルディさん、大丈夫です? この子、人質にでもします?」


 女が片眼鏡を押さえながら言った――瞬間、白光を纏った大刀が女を掠めてその背後に突き刺さった。それに驚いたのか、ベルディが展開する火炎の術式が収束し、消失した。

 グラッドが安堵の息を吐く――リーゼガルトだ。


「どこにいたんです」


 僅かに責めるように言ったグラッドだったが、姿を見せたリーゼガルトの顔色に、たちまち案じる気持ちが勝った。


「リーゼガルトさん……?」


「悪いけど本気で吐きそうだ」


 リーゼガルトは呻きながらも女に対峙した。


「俺が吐く前にそいつを返せ」


「勝手なことを」


 女が機嫌を損ねたように言った。


「いきなり女性に刃物を投げるだなんて。非常識、失礼、恥知らず」


「大丈夫ですか!」


 グラッドの声にちらりと視線を上げて、リーゼガルトは眉間に皺を刻んだ。


「グラッドさんはどんな風に聞こえてるのか分かんねえけど――そっちのおっさんの魔力、すげえ気持ち悪い感触だぞ」


 リーゼガルトは座標展開された魔力、魔術の感触を捉える能力を持つ。今回はそれが裏目に出て、参戦が遅れたらしい。一方のグラッドは魔術を音として起点と展開座標で捉える能力を持つが、ベルディの魔術にそこまでの嫌悪感を抱かせる音を感知してはいない。


 風切り音を立ててリーゼガルトの大刀が彼の手元に戻った。それを正眼に構えたリーゼガルトと、グラッドが目を合わせる。


「――ミルティアさんを」

「任せろ、そっちはレーシアを――」


 グラッドが頷く。


「守ります。――幸いここは外ですし、」


 彼の緑の目が、初めて害意を持ってベルディを見た。


「私の得手の魔術には丁度いいでしょう」


 レーシアがしっかりとグラッドの後ろに隠れ、ベルディとその連れの女、二人を窺うように見た。


「阿呆だわ、こいつら」


 女がぼそりと呟き、立ち上がって膝に付いた砂を払った。その足元で微かに呻いたミルティアを一瞥し、女はリーゼガルトに視線を移す。


「あっさり負けた仲間に情を掛けるだなんて、どんだけ優しい環境で育ったのよ。馬鹿みたい」


「オリア、大丈夫かい」


 ベルディが尋ね、オリアと呼ばれた女はにこりと笑った。


「大丈夫ですっ、私も強いんです!」


 今度はグラッドが火炎の術式を起動した。ベルディの足元を中心として出現した巨大な魔法陣から、渦を巻くようにして紅蓮の炎が天を焦がすように巻き起こる。人間など一瞬で消し炭にするだけの威力はあったが、ベルディは同規模の氷の術式を起動した。彼を鎧うように出現した氷が大地を舐めてグラッドの魔法陣を凍結させ、炎と氷が相殺し合う。

 熱気と冷気が弾けたが、今の炎で確実にこの事態はアジャットたちにも伝わったはずだ。



 グラッドとベルディの戦闘の余波を弾き飛ばしながら、リーゼガルトがオリアに向かって踏み込んだ。目的は無論、ミルティアの確保である。

 オリアとしてもミルティアを手元に置いておくことに何ら拘泥はしないので、リーゼガルトから飛び退るように距離を置いた。彼女が短く吐いた呼気から光の粒が零れ、それがたちまち弾丸となってリーゼガルトを襲う。

 リーゼガルトはミルティアの傍に駆け寄り、自分と彼女を包む障壁を張ってそれをやり過ごしたが、彼の顔は厳しい。

 リーゼガルトはあくまでも下等指定魔術師であり、中等指定魔術師であるミルティアが敗北を喫した相手に、相手が一人になったとはいえ、勝てることはまず有り得ない。ゆえに彼に出来ることは、高等指定魔術師――アジャットが戻ってくるまでも時間を稼ぐことだ。


 リーゼガルトを襲った光の弾丸が幾つかずつ融合し、蝶の形を取ってひらひらとリーゼガルトの防壁の前で飛び回る。それを見据えながら、リーゼガルトはミルティアの様子を確認した。

 腹部に穴が空いているようだが、オリアの処置は適切で、命に別状はない。ただ、すぐに動けというのは無理があるし、今現在の戦力としては数えられない――それどころか、守る対象が増えた状態だ。


 オリアが右腕をさっと振って光の蝶たちに号令を与えた。その軽やかな見た目とは対照的に獰猛な動きで、蝶たちが障壁に齧りつく。がりがりと障壁を削り、それどころか障壁を食べてその身を徐々に大きくしていく。


「ちっ」


 リーゼガルトが咄嗟に障壁を解除し、蝶たちに襲われる寸前に衝撃波を放ってその蝶たちを煽って遠ざけた。錐揉みしながら吹っ飛んだ蝶たちは、しかしすぐにオリアの傍に集合し、忠実に次なる命令を待つ。

 蝶を従えて、オリアは片眼鏡を指で押さえた。


「んー、さすが指定魔術師、一筋縄ではいかないか」


 ミルティアの傍に膝を突くリーゼガルトに、彼女は「ちっちっち」と指を振って見せた。


「でも、あれか。その女の子の方が階級高いね。私とベルディさんの二人掛かりの奇襲だったのに応戦してきたもん、びっくり」


 リーゼガルトが顔を顰める。それを見ながら、オリアはにっこりと微笑んだ。


「不幸だねぇ、きみたちも。えっと、ミラレークスだっけ。こんな任務に関わらなければ、もうちょっと平和に過ごせてたのにね」


 リーゼガルトは目を細めた。


 彼らは、リーゼガルトたち――即ち、現在レーシアの身柄を確保している勢力がミラレークスであると知っている。

 即ち彼らは、今までに襲撃を仕掛けてきた勢力の中のどれかに属し、なおかつその勢力の者と、リーゼガルトたちは対話をしたことがあるということ、あるいはリーゼガルトたちのことを調査したということ。

 そしてその勢力は、内部での情報伝達をしっかりと行っている――つまり、むやみやたらに襲ってきているわけではなく、きちんとした目的を持っていると考えられる。



 グラッドとベルディの間で暴風と閃光と土埃が爆発するように弾け飛び、微かにレーシアの悲鳴が聞こえた。



 オリアの視線が一瞬そちらを向いたものの、すぐにリーゼガルトに戻った。

 そのまま彼女が右腕を振るう。蝶たちが一斉にリーゼガルトを襲った。リーゼガルトは大刀の刀身に魔術を纏わせ、振り回すようにして蝶たちを切り裂いていく。

 だが斬られた蝶たちは例外なく斬られた数だけ増え、リーゼガルトは舌打ちを漏らした。対照的にオリアはにやりと笑う。


「ほら、ちょっとまずいんじゃない?」


「そう思うなら止め刺してみろよ」


 リーゼガルトが挑発するように言えば、オリアはむっとした顔をした。


「あ――あのねえっ!」


「出来ねえんだろ?」


 ほぼ勘だけを頼りに、リーゼガルトははったりを述べ立てる。


「グラッドさんの方見てりゃ分かるがあのおっさん、大味な魔術しか使わねえもんな。使おうと思えばもっと細かく使えるのかも知れねえが、レーシアを背中に庇ってるグラッドさん相手にあんだけ撃ってんだから、あんまり得意じゃねえんだろ? ってことはあんたは、あのおっさんの過剰殺戮の制動として傍に付けられてんじゃねえの? つまりあんたはちまちました魔術しか使えねえんだろ?」


「…………」


 オリアは身動きしない。瞬きすらしない。その姿にやや不吉なものを感じつつ、リーゼガルトは言い切った。


「魔力量が足らねえのか技術が未熟なのか知らねえが、あんたはその珍妙な蝶々で俺を引き留めとくのが精一杯なんじゃねえの」


 オリアの表情が一気に険悪になった。彼女は軽く俯くと、身体の脇で拳を握り、低く呟いた。


「――取り付け」


 蝶がざわりと動いた。リーゼガルトはぎょっとしたが、彼女の命令は「殺せ」ではない。己の勘に対する確信が俄かに固まり始めた。


 光の蝶々がリーゼガルトに群がり始める。反射的にリーゼガルトが風を起こし、それらを散らそうとしたが、それらの蝶に風は無意味だった。舌打ちしたリーゼガルトが障壁を張りながら衝撃波を撃つ。衝撃波で数匹の蝶が煽られてあらぬ方向へ飛んで行き、残った蝶も障壁に当たってひしゃげた。だがすぐにまた障壁を喰らい始めた蝶々に、リーゼガルトの背中に悪寒が走った。


「気色悪ィ……」


 持久戦になりそうな予感に、リーゼガルトは一旦視線を下げてミルティアの具合を確認した。出血は既に止まっているが、痛みはあるらしく、時折呻いている。


「ミル、しっかりしろよ」


 彼女に対してというよりはむしろ自分に向けて呟き、リーゼガルトは視線を上げた。



 轟音を上げて地面が隆起する。グラッドの魔術だ。グラッドとベルディは、リーゼガルトとオリアよりも遥かに規模の大きい魔術で争っている。

 地面ごと跳ね上げられたベルディは、帽子を押さえつつステッキを握った手を振る。魔法陣が中空に浮かび上がり、微かに発光したかと思うと、雷光をグラッド目掛けて吐き出した。

 グラッドの後ろに隠れるレーシアが抑えた悲鳴を上げ、グラッドは眉ひとつ動かさずに念動系の魔術で雷撃を捻じ曲げた。彼らから少し離れた地面に突き刺さった稲妻が濛々たる土埃を上げる。



 その土埃を風で払い、オリアが両腕を突き上げた。途端、リーゼガルトの障壁に取り付いていた蝶々が動きを止め、互いに融合し始める。

 溶け合うようにすっと一つになった蝶は、当初よりもかなり大きなものであり、リーゼガルトの全身の大きさを超える程だ。

 その巨大な蝶が一気にリーゼガルトの障壁を押し砕いた。リーゼガルトとミルティアはあわや蝶の下敷きになるところだったが、間一髪でミルティアを抱えたリーゼガルトが飛び退った。


「あっぶね――」


 巨大な蝶が翅をゆらゆらと揺らす。リーゼガルトはミルティアを自身の後ろに寝かせると、立ち上がり、改めて大刀を構えた。


「こんの――虫がっ!」


 大刀の刀身に小さな魔法陣がいくつも浮かぶ。そのどれもが刀身に強さと鋭さを与えるためのものだ。それに加え、リーゼガルトは刀身に魔力を這わせる。

 斬、とリーゼガルトの斬撃が宙を飛んだ。それが蝶の片方の翅をざっくりと傷付けるも、その翅はすぐに回復する。


「何回やっても同じことっ!」


 叫び、オリアが両手を軽く組み合わせた。その手にぼっと光が点り、閃光が放たれる。リーゼガルトが身を捩り、間一髪で避けたが、その閃光が掠めた頬から血が滴った。


「やろう……っ!」



 隆起した地面に仁王立ちしたベルディが、ステッキをその地面に強く叩きつけた。辺りに同心円状の衝撃波が走る。

 グラッドは問題なく自分とレーシアを守り、リーゼガルトもミルティアと自分を素早く庇った。味方であるオリアにはそもそも無害であったらしいが、このとき被害を受けたのは馬車であった。


 派手な音を立てて巨大な馬車が横転する。レーシアがそれを振り返って目を剥き、馬車に引き摺られた馬たちの悲鳴が上がった。



「――うっ」


 ミルティアが呻き、目を開けた。


「ミル!? 目が覚めたのか! 大丈夫かっ!?」


 軽く身体を捻り、彼女を振り返ったリーゼガルトが叫ぶように尋ねたが、ミルティアはリーゼガルトを見てはいなかった。オリアもベルディも、グラッドもレーシアさえも見ていなかった。


 ミルティアは固く拳を握る。その目に炎のような憤激が走った。


「――あの子たちに」


 地を這う低い声に、オリアが訝しそうにしながらも戦闘を続行しようとして、


「あの子たちに何してくれんのよっ!」


 彼女の言葉の独特の抑揚さえ消え去った、ミルティアの怒鳴り声に目を白黒させた。


「――はっ?」


「怪我した子がいたら許さないからっ!」


 ミルティアが身を起こそうとして、泡を食ったリーゼガルトの介助を受けた。


「あ、やー、ミル?」


 リーゼガルトの顔が強張っているが、ミルティアは頓着しない。彼女の愛する馬たちの安否を気に掛け、逆に言うと他のことは頭から消え去っている様子である。


「リューク、シャル、アーザ、エリ、アンデュー、ニレッタ、みんな大丈夫っ?」


「……なにこの子……」


 オリアが呟いた。ミルティアの怒鳴り声に、グラッドもこちらを見た。隆起した地面の上で、仁王立ちしたままのベルディの目も点になっている。ただ一人レーシアだけが動いた。


 そっと動いたレーシアは、馬車に引き摺られて体勢を崩した馬の様子をそっと窺い、更にそっとミルティアに注進した。


「怪我は、してないと思う……怖がってるけど……」


 ミルティアは腹部を押さえながらよろよろと立ち、怒鳴り散らした。


「馬が! 足を折ったら! どうなるか! 分かってるの!」


「…………」


 五人分の沈黙が重なった。このとき敵味方を越えて彼らの心は一つだった。


 ――なに、この子。


 レーシアが静かにグラッドの後ろに隠れて彼の袖口を握る。その動きではっとしたグラッドが改めてベルディを睨み直し、ベルディもはっとしたように戦闘態勢に戻った。


 だがリーゼガルトとオリアは戦闘には戻れない。なぜならば怒り狂ったミルティアが喚いているからだ。奇襲を受け、殆ど時間を掛けずに敗北したミルティアは、魔力を殆ど使っていない。

 ――ゆえに、あるのだ。余裕が。

 今このとき、怒りで我を忘れ痛みを忘れているミルティアには、ある意味他の誰よりも、戦闘意欲と余裕があるのだ。


「お、おいミル――」


 どおん、と景気のいい音と共に、ミルティアが念動系の魔術を撃ち出した。オリアを狙い澄ました魔術だったが、オリアは心底竦み上がった顔をして――断じてミルティアの魔術に恐れを成しているのではない、彼女の怒りの場違いさにびびっているのである――間一髪でそれを避けた。


「ちっ、逃がしたか!」


 悪役のような科白を吐きながら、ミルティアが次なる魔術を放つ。今度は空気を固めて連続で撃ち出しているようだ。


「お、おいミル――」


 今度の魔術も多くが空振ったが、中の数発が蝶に命中し、その片方の触角を吹き飛ばし翅に穴を空けた。


「あの虫がっ!」


 鳶色の目を光らせながらミルティアが吐き捨て、次なる魔術の準備を始めた。


「お、おいミル――」


 三度目にしてようやっとリーゼガルトを振り返ったミルティアの顔を見て、リーゼガルトは言葉を呑み込んだ。


 殺気立っているのだ。目などはもう、据わっているのだ。


(やべえよ。これやべえよ)


 腰が引けたリーゼガルトに、用は無いとばかりに鼻を鳴らして、ミルティアは第三弾の魔術を放った。今度は白熱した光の弾である。それを難なく氷の盾で防ぎながら、オリアが思わずというようにリーゼガルトを見た。その目が如実に言っていた――


 ――この子、おかしくない? と。


 リーゼガルトは項垂れた。いつもはこうじゃないんだと言おうにも、今現在のミルティアは余りにも異常であった。


「くそっ!」


 舌打ちしたミルティアに恐れを成すことで、図らずも通じ合ってしまった二人は目を合わせる。


「あ、あのねっ」


 氷の盾をそっと解除して、両手を肩の高さに挙げながらオリアが言い出した。


「その、なんていうか、無理して殺し合う気はこっちにも無いのよ」


「……おう」


 なんだかげっそりしてしまったリーゼガルトが応じるその傍らでは、相変わらず大規模魔術が飛び交う戦闘が続行されている。


「こっちも色々あって――上司は厳しいし、指揮官は鬼だし――、まあそんな感じで、任務は遂行しないとまずいわけ」


「ほお」


「だからレーシアさんの身柄を譲る訳にはいかないんだけど、ここは平和的にいこうよ。お互いにあそこで喧嘩してる味方を止めようよ。その上でレーシアさんを連れて行かせてよ」


 リーゼガルトはすっと目を細めた。


「――こっちもレーシアを譲る訳にはいかない」


 再び緊張感が高まり始めた。だが、オリアは何とかして話し合いで解決しようとしているようだ。


「よく考えて。レーシアさんを連れて行って、ミラレークスには何の得もないはずでしょ?」


「――どういう意味だ」


 リーゼガルトの低い問い掛けに、オリアは首を傾げた。


「あれ? そっちは会ってない? デイザルトっていう、愛想の悪い金髪の男」


 息を呑んだのはリーゼガルトとミルティアが同時。リーゼガルトが慎重に問う。


「あの男が、どうした」


「私たちはあの男の素性と目的に目星を付けてるよ」


 オリアは軽快に言い放った。


「だから言える。あの男はしつこいよ。たとえミラレークス本部にレーシアさんを匿おうとも、あいつは追ってくるよ。それこそ死ぬまで、命を懸けてレーシアさんを捕らえようとする。草の根分けてもレーシアさんを捜し出す。絶対に逃がさない」


 微笑んで彼女は続けたが、口調と声は徐々に重いものになっていった。


「ミラレークスが総出であいつを迎え撃とうとしても無駄。ミラレークスは所詮、魔力法協会。戦闘が本職じゃないもの。だけどあいつは違う。戦闘を本職としている人たちを、万単位で繰り出してくるよ。そんな中でレーシアさんを守れるの? 出来ないでしょ?」


 ミルティアは思わず怒りを収め、レーシアに視線を移した。グラッドに庇われて怯えている少女。彼女のために万単位の人間が動く。


「だけど私たちは違う。私たちは〈器〉を迎えるため、その障害を排除するために存在するの。戦闘に熟練している人は確かに一万人もいないけれど、一人で軍隊を相手に出来る人がいる」


 両手を合わせて腹部に手首を当て、真摯な口調でオリアは言った。


「信じてくれて大丈夫。私たちと来れば、彼女は辛い思いをしないわ。私たちは彼女にあるお願いがあって来てほしいだけなのよ」


 リーゼガルトは眉を顰めた。


「今まで散々俺たちを殺そうとしておいて、よくもそんな――」


「損害賠償請求には応じます」


 真面目な顔でオリアは言った。


「だから譲ってほしい。レーシアさんのために命を落とすなんて、そういう人は少ない方がいいというのが、私たちの意向なの」



 グラッドとベルディの間で衝撃波が炸裂し、轟音に全員が耳を塞いだ。

 ベルディが立て続けにグラッドの足元に空気の弾丸を撃ち込み、グラッドはレーシアを背に庇いながら後退する。

 ベルディがそれを誘導するようにして、オリアとの挟撃が可能な位置にグラッドとレーシアを追い込む。オリアはその意図を察しつつも、少し迷うような顔をしており、またリーゼガルトも挟撃を許す気は無い。


 戦況の膠着は目に見えている。むしろ背後にレーシアを庇った状態で挟撃への警戒もしなければならないグラッドにとっては厳しい状況だ。


 加勢しようとしたミルティアがはっとしたように振り返った。町の方向を見た彼女が目を瞠る。


 それに気付いたベルディも僅かに視線をそちらへ向けて、眉を寄せる。リーゼガルトもそちらを見て唇を吊り上げた。



 中空に一筋の線が走り、それがオリアとグラッド、レーシアの間で仄かに輝く障壁となった。その精密な術式は下等指定魔術師、中等指定魔術師のものではない。しかもかなりの遠距離から作用する魔術である。


「高等――」


 ベルディが口に出そうとした言葉が、半ばで文字通りへし折られた。


「――で」


 疾走して来た勢いそのままに跳躍し、ベルディの横面に回し蹴りを叩き込みながら、アルナー水晶の光る銃を抜いた青年が、零距離で銃口をベルディの蟀谷に向ける。そして不機嫌な声音で言った。


「――レーシアに怪我はないんだろうな?」


「アトル!」


 レーシアが、歓喜の声で彼の名を叫んだ。






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