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08 三大禁忌の術式

 ライルが迷子であることを聞き、なおかつこれまで二人がどのような行動を取ってきたのか聞かされたアトルは、思い切り呆れた目でレーシアを見た。


「馬鹿だろおまえ」


 容赦ない言葉にレーシアが首を竦める。


「迷子が二人して何やってんだよ。そういうときはとにかく人がいる方に進むのがいいに決まってるだろ」


「あれ?」


 そこに突き刺さるライルの無邪気な声。


「お姉ちゃん迷子じゃないって言ってたよ」


「…………」


 レーシアがあらぬ方向を向いて押し黙った。

 その横顔を見たアトルはそこに滝のように流れる汗を幻視し、溜息を吐いて話を合わせてやった。


「俺が間違ったんだよ、ライル。こいつは迷子じゃなくて、ちょっと曲がり角を間違えただけだ」


 そうそうそう、とレーシアが頷きながら、アトルに感謝の眼差しを注いだ。

 ライルは疑いの色の濃い眼差しをレーシアに向けたが、それには気付かなかったらしい。

 レーシアは脱いだ帽子を身体の前で抱えながら、わざとらしく言った。


「私も人のいる所に行こうって言ったの。ね、ライル?」


「うん」


 ライルはこくんと頷き、レーシアがアトルを見る。


「肝心の、人がいる方向が全然分からないのだけど……」


「はいはい」

 アトルは肩を竦めた。

「魔術師どもが暴れ回ったのがあっちだろ、だから多分向こうに――」


「レーシアさまっ!」


 突如聞こえた声に、アトルは思わずレーシアを庇うように立った。レーシアは唖然としたような怯えたような顔をして口走る。


「なんで……っ、かなり逃げたのに!」


 声がした方に顔を向ける。アトルがレーシアと合流する前にいた通りとは逆の方向だ。

 そこに緑色の法衣に似た衣装を着けた男が立っていた。まだ距離があるものの、彼が深い傷を幾つか負っていることが分かる。


「まずい、アトル」


 レーシアが切羽詰まった声音で囁いた。


「あの人アジャットたちに勝って来たんだ……」


「マジかよ……」

 アトルは呻いた。

「さすがにしつこ過ぎるだろ」


 追い着かれるにしても、リリファが最初だろうと思っていたのだが――。


 ぐずぐずしていてはまたもや乱戦になりかねない。ここまで事態が長引き、膠着したのも、期せずして複数の勢力がかち合ってしまったせいなのだ。同じことを繰り返すのは得策ではない。


「おい、そこの餓鬼――ライルだっけか、走れるか?」


 アトルが視線を宝士に固定したまま、切羽詰まった声で訊く。ライルはただならぬ気配を察したのか、小さな声で答えた。


「す――少しなら……」


 アトルは舌打ちを漏らした。レーシアだけを連れて逃げるのならば可能性がある。レーシアに体重は殆どないのだから、背負うなり何なりすれば、実質アトル一人で逃げるのと変わらないからだ。だが、ライルを連れていればどうなるか。

 ――確実に追い着かれる。レーシアは丁重な扱いを受けるだろうが、アトルにそれを期待するのは絶望的だ。


「も、もう何がどうなってるの……」


 宝士の執念に慄きながらレーシアが呟いた。相手にしている暇はないので、アトルは口早に囁いた。


「ライルを連れてく余裕はない。だからここで――」


 ライルが泣きそうな顔をするのと、レーシアがぎょっとして目を見開くのが同時だった。


「置いて行くのっ?」


 レーシアが信じられないといった口調で声を高くし、アトルは殺気を籠めて彼女を睨んだ。


「黙れ、おまえと一緒にいる方が危ねえだろうが」


 レーシアの顔が一気に険しくなった。


「そんなこと知らないわ!」


「おまえ――」


 さすがにアトルが絶句する一方で、レーシアは軽く屈んでライルと視線を合わせ、あろうことかきっぱりと断言してしまった。


「大丈夫。一緒に捜しましょう」


「おい!」

「レーシアさま!」


 アトルの声と宝士の声が重なり、ほぼ同時にアジャットの声が轟いた。


「レーシアさん!」


 アトルはレーシアの腕を引いた。もう止まっていられない。


「逃げるぞ!」


 レーシアがアトルを見上げ、ライルの手を取って頷いた。


 安易な情に流されたレーシアにこれまでにない苛立ちが湧き上がってくる。今一番優先するべきことは何なのか、それを弁えられない人間がアトルは嫌いなのだ。


 アトルが出て来た通りに飛び込み、三人は――というよりはアトルは、頭の中で方角を考えることすら放棄してひたすら走った。

 路地に飛び込み、表通りへと走り抜け、そのまま脇道に駆け込む。ライルが限界を迎えているのか、レーシアの手を重く引いている。だが速度を緩めるわけにはいかない。

 振り切れない、後ろに確かに複数の気配がある。

 路地に飛び込み、曲がり角を全て勘のみを頼りに曲がる。何度目かに左折し、アトルはつんのめった。


「くそっ!」


 目の前には古びた板で作られた行き止まり。壊すには時間が掛かり過ぎるし、乗り越えるには高すぎる。

〈インケルタ〉で空き巣紛いのことをしたこともあるアトルならともかくとして、他の二人にはとても無理だ。

 アトルとしては、ライルのことは割合どうでもいいが、レーシアのことを見捨てるわけにはいかないのである。


「やべ……っ!」


 アトルの焦りの色の濃い顔を見て、レーシアが咄嗟にだろう、振り返る。既に緑の法衣の男が迫りつつあった。


「レーシアさま――」


 男の懇願の匂いのする声に被せるように、腹を括ったかの如くレーシアが、荒い息を抑えて歌い始めた。



(あした)には 久方の光 露に映え――」



 宝士が前のめりになって足を止め、大袈裟なまでに後退した。恐らくはこれが、レーシアの宝具を呼び出すための歌の冒頭なのだろう。


 実際に呼び出す気はさらさらなかったのだろうレーシアは、即座に口を噤んでアトルを窺った。アトルは彼女の手を握る手に力を込めることで機転を讃え、飛び出して宝士を避けるようにして別の道へと疾走した。


「おねえちゃ、も、むり――」


 ライルが音を上げ、レーシアがよろめきながら立ち止まろうとするのを、アトルがその腕を引いて止めさせる。


「走るんだよ! 走れないなら置いて行け!」


 すぐ後ろ、振り返れば顔が見える程の距離に宝士と、恐らくはアジャットがいる。


 陽が落ち始め、町が急速に影に覆われていく。視界が効きにくくなるアトルたちとは違い、アジャットたちは魔術で視界を確保することが出来る――。


 レーシアが大幅にアトルに遅れを取り始めた。手を引かれているので辛うじて進めている状態だ。


 アトルは舌打ちを漏らし、危険を冒して立ち止まった。走り通しで激しく脈打っている心臓が、急に立ち止まった身体に負荷を与えて眩暈がする。だがそれにも構わず膝を突き、レーシアを促した。


「レーシア、負ぶってやるから」


 ぜえぜえと喘ぐレーシアが、ライルを指差した。アトルは叫ぶ。


「そいつを担ぐ余裕は俺にもねえよ!」


 レーシアが了解したのか、背中に体重を預けてくる。


「ライル、付いて来られないなら置いてくからな」


 半ばは置いて行く予告として言い、アトルはもう一度走り始めた。


「アトル、駄目だよ」

 レーシアが半ば啜り泣きながら耳元で囁いてきた。

「サラリスが言ってたの、誰かにしたことはいつか返って来るって」


 宝士はもうすぐ近くに迫っている。


「一緒に捜すって言ったの、あの子と」


 レーシアが、間違いなく泣きながら言った。


 アトルはどきりとした。

 顔を見た訳ではないけれど――レーシアが泣くのを見たのは、初めてだった。半泣きのときは多々あったけれど、実際に泣いたことは一度もない少女だった。


「誰かと一緒に捜してほしいの――」


 俺が一緒に捜してやるって言っただろう、と言おうとして、アトルは気付いた。


 信じていない。


 アトルが言ったことに感謝しこそすれ、レーシアはそれを信じていないのだ。馬鹿のように見えて、実際は他人との間に明確な一線を引いてしまう少女なのだ。人を信頼することはしても、誰かが言ったことを約束として信じることをしていない――。


 今、レーシアがたとえ女性に認められる伝家の宝刀を抜いていようと、それに付き合うべきではない。頭では分かっているのだが、感情がそれに追い着かなかった――こんなことは久し振りだ。


「おまえさ、」

 アトルは呟いた。

「はったりでも何でもいいからあいつら止められねえの?」


「出来たらもうしてる!」


 レーシアが声を張り上げ、それからはっと息を呑んだ。

 数秒の間考えを巡らせ、それから「いける、大丈夫、いける、いける!」と呪文のように呟いた。


「下ろして!」


「はあっ!?」


「いいから!」


 レーシアが背中で暴れ始めたため、やむを得ずアトルはレーシアを下ろすが、すぐにもまた走り出せる姿勢は崩さない。

 レーシアは五歩分ほど遅れていたライルに向かって手を伸ばし、彼を引き寄せ、その前に出た。


「アトル、協力して」


 レーシアが張り詰めた声で呟き、アトルが疑わしげな表情ながらも自分の横に並んだのを確認した。


「どうか、どうかご同行を――」


 宝士が徐々に暗くなっていく群青の影の中で、顔を必死に歪めながら懇願した。レーシアはそれをじっと見て、アトルの手を握りながら小さな声で囁いた。


「瞑想の意義は自分の中に出来る限り早く没入できるようにすること」


 突然の科白にアトルが目を剥く。


「ちょっ――」


 間違いなく魔術の訓練の話だが、こんなに唐突に使えるようになるならば苦労はしない。

 危機的状況で新たな力に目覚めるのは、英雄譚の主人公の専売特許だ。


「魔力は頭の中心と胸の奥にあって、」


 レーシアはいっそ淡々と続ける。だがアトルの手を握る力は痛いほどで、彼女の緊張が伝わってくる。


「人によって暖かかったり、冷たかったり、固かったり、柔らかかったり、」


 アトルは絶句していた。


「属性の付与は、魔力を外界に出力するときに通す枠の形の思考、」


 レーシアの手にますます力が入る。


「ちょっとだけ集中して、いつもみたいに」


「おい待てふざけ――」


「はやくはやく」


 宝士はレーシアが動かないことに安堵したのか、またはレーシアを刺激しないためか、ゆっくりと近付いて来る。

 下手にレーシアを刺激して魔力爆発を喰らい、アジャットにレーシアの身柄を押さえられるよりはましだと考えているのだろう。

 アジャットも、立ち位置は宝士の後ろ――下手に宝士を狙えばレーシアに当たりかねない。


 アトルは眉間に皺を寄せ、いつも瞑想をする時の、あのぼんやりとした自分の境目に意識の半ばを漂わせた。

 だが彼の頭はひっきりなしに、「殺されるぞ、逃げろ!」と叫んでおり、とてもではないがいつものように落ち着くことはできない。


「とても危ない状況ね、」


 レーシアが微かな声で囁く。


「頭の中心と胸の奥を意識して、」


 アトルは激しくなる違和感に眉を寄せた。


 おかしい、レーシアがなぜこんなことを知っている? 〈器〉は魔力を使うことが御法度で、魔術については無知でなくてはならないはずだ――


「そこに絶対にあるはずだから」


「レーシアさま」


 とうとう宝士が目の前に来た。彼がそっと膝を突き、レーシアに手を伸べる。――まるで姫君に忠誠を誓う騎士のように。


「どうかご同行を」


 レーシアが首を振った。


「サラリスに会わせてくれないんでしょう」


 それとほぼ同時に、アトルは自分の中で微かな兆しを捉えた。兆しとしか言いようがないような、曖昧で、弱く、霞のような、真冬の空気のように冷たい――


 思わずレーシアの手を握る力を強めてしまい、恐らくそれで、レーシアに「発見」が伝わった。


「術式は糸の形の思考。頭から胸からすっと出て、腕に繋がる」


 レーシアが落ち着いた声音で言った。宝士の男が怪訝な顔をする。怪訝なというよりは――、嫌悪感を示しているのか。


 半信半疑ではあったが、レーシアに賭けるしかない。


 アトルは糸を思い浮かべるが、何にもならない。焦った拍子にその魔力らしき何かが遠ざかり、肝を冷やす。それを留めようとして頭の中で残留を命じ、魔力があるらしき意識の一部を台座のように固めようとする――


 ――魔力らしきそれが、動いた――


 そうか、単に考えるだけではなくて、思考にこの――魔力らしき何かを絡めるのか。

 そう納得し、アトルはいっそう集中した。胸と頭に同時に集中しなければならない。銃を撃つのとはまた違った難しさだ。


 刃を思わせる、刺すような冷たさが目の裏側を通り、心臓を縮み上がらせ、二箇所から腕に這い進む。その糸はすぐに切れそうになり、維持だけでも血を吐くような辛さがあった。


 掌に冷たさが到達した。指先にまでそれが広がり、じんじんと痛む。額の辺りがひりひりと痛んだ。


 掌で堰き止められた冷たい流れが、強固な壁にぶつかっている印象があった。


 レーシアがこちらに視線を向けた。


 その完璧に整った容貌が、ありったけの信頼を映している。大きな薄青い目が、いっそうの親しみを籠めてアトルの視線と交わった。


 壁が緩んだ、あるいは低くなった。


 限界まで堰き止められていた冷たい流れがその向こうへと殺到し、――



 ――待て、これはまさか――



 アトルが目を見開いた。向こう側に殺到した自分の魔力を必死に戻そうとする。

 しかし下手に魔力を動かそうとしただけで、頭と胸が空っぽになるような凄まじい倦怠感に襲われ、たたらを踏んでよろめいた。


「アトル青年っ!?」


 アジャットの声がする。この際敵でも味方でも何でもいい、アトルは「止めてくれ」と懇願しようとして、



 向こう側、つまりレーシアの魔力の海の巨大さに呆然とした。




 渦巻くような華やかな海。身体から絶えず溢れて滝となる魔力。中心に凝り、彼女の封具と宝具から彼女を守る盾となっている魔力。そしてそれら全てを合わせてもまだ及びもつかないだけの、膨大な魔力。

 恐ろしくなるほどに質の高い、圧倒的な魔力――


 自分のものとは明らかに違う、うららかなまでの暖かさ――





「うっ」


 レーシアが微かに呻き、アトルは我に返った。


 彼の勘に間違いが無ければ、今アトルはレーシアの魔力に片手を突っ込んでいる状態にある。


 それは、相手の尊厳を踏み躙る行為であり、全ての国家が法で禁じていること。


「レーシア、なんで――」


 呆然とした声が出た。今迂闊に魔力を動かせば、恐らく勢い余ってレーシアの魔力をも動かしてしまう。


 だが、レーシアは顔を歪めながらもまだ言った。


「今度は、風、かな」

「おい――」

「術式は――」

「おい待て!」


 アトルが怒鳴った。


「なんでこんなことさせた!?」


 喚いた彼に、レーシアは――あろうことか――微笑んで見せた。


「大丈夫」


 伸びやかな声は恐らくいつも通りだった。


「私は、出来るって言ったわ」


「違うだろ!」

 アトルが叫んだ。

「おまえが嫌だろう、こんなこと!」


 宝士が目の前にいる。だが、レーシアが繰り出した常軌を逸した一手に呆然としているようだ。


「アトル」


 レーシアは眉を寄せ、呟いた。


「だってこうでもしないと、アトルが殺されちゃうもの」


 吐き気がした。


「レーシア、これは――」


 これは、越えてはならない一線だ。為してはならない、許されないことだ。


 もう言葉も出ないアトルがよろよろと後退る。手を繋いだまま、レーシアもそれに合わせて半身で振り返り、アトルと目を合わせて、存外に強い口調で言った。


「風の術式はよく覚えていないけれど、大丈夫。畢竟術式は思考の形だもの」


「…………」


「アトルが知ってる風を思い出せば、それでいいはずだよ」


 動けないアトルを困ったように見て、レーシアは首を傾げた。


「――大丈夫?」


 語尾を上げたその口調に、アトルは危うく泣きそうになった。


 安心できる所へ連れて行くと、いくら決めたとはいえそれは、アトルにそれをするだけの実力があって初めて成し得ることだ。

 力が無ければ何もできないと、アトルは小さな頃から骨に刻まれるようにして学んできたはずだった。

 それを、こんな形でもう一度突き付けられることになるとは思わなかった。


「アトル青年、駄目だ――」


 アジャットが本気の焦燥を滲ませた声で叫んだ。


 同時に我に返ったらしき宝士が手を伸ばし、レーシアをアトルから引き離そうと――


「触るな!」


 反射的にアトルが叫んだ。繋いだ手を引き、レーシアを自分の後ろへ押し遣る。同時に魔力の蠢きを感じて呻いた。

 大人しくアトルの陰に隠れながら、レーシアが困惑した声で言った。


「アトル、早くしないとまずいわ」


 宝士と睨み合いながら、アトルはこの禁忌を犯す以外での切り抜け方を考え始めた。だが全く思い付かない。


「アトル青年!」


 アジャットが悲鳴を上げた。

 レーシアも焦った様子でぐいぐいとアトルの手を引く。


「お願いだから早くしてよ!」


 このまま走って逃げるのは無理だ。体力にも限界があるし、既に両者の距離が殆どないこの状況では、追い着かれるのは火を見るよりも明らか。


「私が頼んでるの!」


 アジャットに付き、彼女の高等指定魔術師としての能力を当てにして逃げ切るのはどうか。――駄目だ。アトルとレーシア、アジャットの間には宝士がいるのだ。意思の疎通が出来ない。


「私は大丈夫だから!」


 レーシアが叫び、アトルの手を激しく揺らした。


「なんで迷ってるの! いつだってアトルは当然みたいな顔をして、一番合理的な道を採ってきたでしょう!」


「絶対に駄目だ!」


 アジャットの声を上回って、レーシアが更に声を張り上げた。


「なんで今に限って迷ってるの! サラリスに会いに行くために、出来ることはしてくれるんでしょ!? 今この人に捕まったら、私は――」


 アトルが宝士から視線を外してレーシアを見た。

 レーシアは激怒の顔をしていたが、その薄青い目に浮かんでいるのは困惑と恐怖だけだった。


「私は、サラリスに二度と会えないかも知れないの! それだけはいや!」


 宝士とアジャットが同時に何事かを叫んだ。だがアトルは聞いていなかった。

 聞いたのはただ、レーシアの振り絞るような、叫び声にも勝って耳の奥に突き刺さる囁きだけだった。



「――私を助けて――」




 冷えた路地裏に吹く、喧噪を含んだ寒風。

 夜中に高い屋根に登ったとき、全身で感じる大風。

 嵐の日に窓を叩き、雨粒を運ぶ暴風。

 昼下がりに屋根の上に寝転んだときに、頬と額を撫でる微風。





 アトルとレーシアの足元から豪風が巻き起こる。二人の足元の敷石が砕けながら浮かび上がり、その風が刹那に、吹き荒れる猛威を辺り一帯に叩き付けた。







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