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05 四つ巴の〈器〉争奪戦

 レーシアは爆散した塀から立ち上る粉塵に目を細めながら、新たな登場人物が姿を現すのを待った。

 リリファは容易く粉塵を払えるはずだが、そうしようとしない。恐らく、相手の出方を窺うつもりなのだろうと思われた。

 ただ彼女はぴったりとレーシアに寄り添い、良い受け取り方をするならばレーシアを守ろうとしており、あるいは悪い受け取り方をするならば、断じてレーシアを逃がさないようにする構えを見せていた。


 さあっと吹いた微風に粉塵が浚われ、視界が効くようになる。だが、そこには誰もいない。リリファが舌打ちした。


「――ちっ、誰よもう、遠隔攻撃とか卑怯者が」


 レーシアは視線を、近隣家屋の屋根に移した。

 今、下手を打てばレーシアは重傷を負っていた。だが彼女には傷一つない。それが意味することは一つ、襲撃者はレーシアたちを視認できる位置にいるのだ。

 リリファにもその考えは無論あり、視線が向くのはレーシアと同じ場所。

 そうして警戒する一方で、リリファはレーシアの手を引いた。


「行きましょレーシアさん、ここ危ないみたいですー」


 レーシアは動かない。リリファが首を傾げた。


「レーシアさん?」


 薄青い目が、疑いを籠めてリリファを見据えた。


「サラリスの居場所を知ってること、疑いはしない。私を怒らせたらまずいと、多分あなたは知っているもの」


 レーシアは言いながら、自分よりも少し背の高いリリファの顔を覗き込むようにした。


「でも本当に、私に教える気があるの?」


 リリファがレーシアに向かって、初めて苛立った顔をした。


「あのですね、こっちにも事情があれこれとあるんですよ、お分かり頂けません?」


「知ってる」

 レーシアはいっそ無邪気なまでの口調で言った。

「私たちはいるだけで沢山の人を巻き込むということ、争いを生むってこと。ちゃんと知ってる」


 でもね、と言った声に迷いは寸分たりともなかった。


「そんなことは気にせず自由にしていいと、サラリスが言ったのよ。私はサラリスに会いたいの。サラリスの居場所を、もしも今攻撃を仕掛けてきた人も知っているっていうのなら、私はその人に付いて行く。あなたたちは多分、私にサラリスの居場所を教えてくれないもの」


「レーシアさん」


 リリファが眉を寄せた。


「滅多なことは言わないでくださいよ。一度でも私に付いて来てくれようとしてくださったんなら、最後まで来ていただかないと」


 レーシアは首を傾げ、失望を顔に滲ませた。


「別に他のことでなら全然いいのだけれど、私を利用するのも。でも、サラリスをだしに使うことだけは許せないの」


 リリファが微かに焦った顔をする。レーシアは困ったような顔になり、んー、と考えるような声を出した。


「誰もサラリスの居場所を教えてくれないのなら、やっぱり私はアトルのところにいたいなぁ」


「…………」


 リリファは拳を握り、その拳が微かに震えている。レーシアはそれには気付かず、呑気に言い切った。


「アトルは多分、私のことも考えてくれてると思うの」


「レーシアさん」


 リリファは呟き、毅然とした声を出した。


「最大限にあなたの意思を尊重します。だからどうかここは、信じて、私に付いて来てください。付いて来てくだされば、必ずサラリスさんの居場所をお教えいたします」


 レーシアは疑わしそうな顔をしてリリファから数歩離れ、困ったように眉を下げて帽子の鍔に触れた。


「でもサラリスは――」


 彼女が言い切る前に、リリファに光の槍が殺到した。


 白熱した魔力の塊が槍の形を取って、滲むように輝きながら幾つもリリファに着弾する。着弾した槍が起こす小さな爆発が、地面を抉り取って熱と砂塵と炎を巻き上げた。リリファも咄嗟には全てを防ぎ切れなかったのか、驚いたような短い悲鳴を上げて飛び退った。

 衣服が所々焼き切れ、火傷も負っているようだ。


「なんなのよ!」


 痛がるでもなく彼女は激昂した。背中に背負った鞘から大剣を抜き、片手で構えながら辺りを警戒する。

 しゅうしゅうと密かな音がした――と思うと、先程槍が着弾した地面が爆発した。リリファが力ずくでそれを抑えようとしたものの、堪え切れずに地面が隆起する。リリファが軽く跳ね飛ばされ、レーシアとの距離が開いた。大剣を杖にして体勢を素早く立て直したリリファが「しまった」という顔をするのと、頭上から男性の声が轟くのが同時だった。


「走ってください、レーシアさま!」


 続いて、それとは違う、やや低めの女性の声が響く。


「こちらへ! お早く!」


「待って待って! レーシアさんっ!」


 リリファが半狂乱で叫んだが、どうでも良かった。レーシアが考えたのは、今リリファを襲撃した勢力はサラリスの行方を知っているのかどうかという、ただそれだけ。

 考えるレーシアが動かないのを逡巡だと捉えたのか、頭上の――恐らくは家屋の屋根の上にでもいるのだろう――男の声が叫んだ。


「エンデリアルザに尽くした我らの祖先の献身を、どうか今一度信じていただきたい!」


 その言葉で――その言葉だけでレーシアは相手の身元を特定した。


「宝士……!」


 確信を籠めて呟き、レーシアは女の声がした方へと走る。リリファが追い縋ろうとして、魔術によって妨害される気配がしたが、もう気にならない。



 宝士とは、宝国の近衛騎士の名称。


 百年戦争前夜、宝国に滞在していたレーシアとサラリスの、傍仕えをしていた者たちである。


 そして、レーシアが知る限りでサラリスと最後に接触があった者たちだった。





************





 アトルは息を切らしながら壁に手を突いて前屈みになった。狭い路地である。


 争っていた他の四人の姿はとうに見えなくなっており、人混みからも離脱した形になっている。


 完全にレーシアを見失っていた。この付近でかなり大きな戦闘の音がしたので来てみたのだが、滅茶苦茶になった道と家屋を囲む塀の他に発見できるものはなかった。地面は高熱で焼かれたような痕を残しており、魔術による戦闘があったのは間違いないだろうと思われる。


 問題は、誰と誰が戦ったのかということだ。


 アジャットたち、先程まで争っていた四人のうち誰かなのか、リーゼガルトかミルティアが参戦したのか、それとも新手か、――リリファか。

 レーシアに付いているはずのリリファが誰かと交戦するということは、共に行動しているはずのレーシアにまで危険が及ぶということだ。

 リリファが戦ったのではないことを祈りながら、アトルはそこを離れて進んだわけだが――。


「どこ行ったんだよ、あいつ……」


 呻く。もう手掛かりがない。町を出られたのだとすれば打つ手がない。


 焦りはあるが、どうにか気を鎮めて考える。


 町を出たのだとすれば城門を通るはずだ。アジャットやグラッドが、レーシアの身柄を奪われたことをリーゼガルトたちに報せていないはずはない。となれば、リーゼガルトたちは城門を押さえに掛かるはずだ。

 レーシアが町を出たとは考え難い。

 レーシアがいるところでは、ほぼ必ずと言っていいほど戦闘が起こっているはずだ。戦闘の音を頼りに出来ればいいのだが、如何せん辺りが騒がしく、際立った音を拾えない。

 壮絶に苛立った。リーゼガルトのような魔術的な五感があれば、まだ捜しようがあっただろう。しかしアトルにはレーシアを捜すだけの技能が何もない。


 今現在レーシアを獲得しているのがどういった勢力なのかは知らないが、レーシアの幸福を真実考えているというならば、もっと早い段階でレーシアと「サラリス」を引き合わせていたはずだ。

 アトル自身、「サラリス」については一切何も知らないので、僅かとはいえレーシアが「サラリス」に出会える可能性のある勢力と行動を共にした方がいいのかも知れないとは少しだけ思う。だが、恐らくリリファたちはレーシアを兵器として活用するつもりだろう。そうでなければああまでして本拠地にレーシアを連れて行こうとするはずがない。


 考えれば考えるほど焦りが募る。考えを纏めなければ。


 まず、もしも自分がレーシアを連れていた場合に、彼女を連れて行きたい場所はどこか。――勿論、安全が確保される場所だ。

 リリファにとって安全が確保される場所とはどこか。

 そもそもリリファはまだレーシアを確保し続けていられているのか。


「くそっ」


 アトルは悪態を吐いた。情報が足りない。判断できない。


 どこか離れた所で、建物が倒壊するような音がした。魔術師同士の戦闘の恐ろしさが骨身に沁みてよく分かる。

 続いて上がる悲鳴と怒声。

 路地を出てすぐの所には未だに人波が途切れることなく押し寄せており、彼らもまた事態を呑み込めずに口々に叫んでいる。


「何が起こってるんだ、まったく!」

「ライル! ライルはどこ!」

「ちくしょう、何なんだよぉ」


 徐々に息の整ってきたアトルは顔を上げ、壁から手を離した。


「ああくそ、あいつ――俺に手間ばっか掛けさせやがって……」


 レーシアが時計の中から出て来てからというもの、アトルはレーシアを引っ張って走り、レーシアを狙って来た連中のうち一人に刺され、レーシアに命を救われ、レーシアに話し掛け、レーシアの相手をして、間接的にとはいえレーシアのために魔術の訓練まで受けさせられて、――本当に、レーシアに関係のないことは一切していないのではないかというほどなのだ。


 それほど深く、レーシアと関わっているのだ。


 レーシアが百年ちょっと前にいた、時代遅れの女の子だろうが、兵器になる可能性を持っていようが、アトルが知るレーシアは、臆病であるくせに好奇心旺盛な、人見知りの、アトルになぜだか懐いてしまった可愛らしい女の子だ。空腹であれば見知らぬ人の料理でも遠慮なく口にして、たまに驚くほど礼儀正しい振る舞いをして、そして稀に、恐ろしく澄んだ眼差しを見せる、アトルにとってレーシアというのは、そういう人間なのだ。


「サラリス」が懸念したような、レーシアを利用しようという考えは、誓ってもいい、アトルには無い。


 だからこそ、出来るだけレーシアのことを考えてやらなければならない。


「ああくそ――」


 アトルは呻く。


「どこだよあいつ――一緒にアルファーナに行こうって言った、舌の根の乾かねえ内に……」


 とにかく立ち止まっていては見付けられるものも見付けられない。アトルはまた走り出した。





************





 レーシアにとっては目が回るような一時だった。


 リリファから声の先導で離れたものの、背後で起こる戦闘の音も凄まじければ、とうとうレーシアに追い着いたアジャットたちの足止めが凄まじいのだ。


 今、レーシアを先導しているのは、緑を基調とした法衣に似た制服を身に着ける女性だ。

 短剣を五振りばかり、帯から提げ、水晶の嵌まった金色の幅の広い腕輪をしている。茶色い髪はきりりと結い上げており、眼差しも鋭い。声から察するにあと一人、男の宝士がいるはずだが、彼は姿を見せていない。

 レーシアにとっては懐かしい制服に身を包む女性は、アジャットたちを敵と認識しているのか表情も冷たい。


 アジャットたちがレーシアに辿り着いたのは偶然といえよう。

 ディーンとアジャットが争っているうちに、レーシアが通る――いわば「正解」の通りに出たに過ぎない。

 更にアジャットたちを追う形で、デイザルトの部下と思われる槍の男まで合流しては、レーシアを先導する宝士の顔も険しくなろうというものだ。


 レーシアはその場に揃った全員を見て、うわあと声を上げた。


「いかがなされました」


 宝士に尋ねられ、レーシアは言う。


「あなたは宝士。アジャットはミラレークス。あの――ディーンって人はリリファって人の仲間で、槍の男の人はあの怖い男の人の仲間でしょう。みんな見事にばらばらなのよ」


 そうですね、と宝士は抑えた声で呟いたが、アジャットはそれを鼻で笑った。


「馬鹿を言うな、レーシアさん。我々とてそこまで愚かではない」


「ああ、そうだな。遺憾ながら」


 ディーンもまた、息を整えながら頷く。


 そこに立つ三人の中では、やはりアジャットが最も余裕を持っているようだった。槍の男は腕からの出血が甚だしく、ディーンは額に大粒の汗を流し、足を軽く引き摺っている。対してアジャットは息を切らせているだけで、怪我を庇うような挙動はしていない。


「そうか!」


 レーシアは手を打った。


「私がこの人といるんだもんね、勿論、みんなでこの人に攻撃するよね」


「お下がりくださいレーシアさま」


 宝士が囁き、それから傲然とした声を出した。


「少数精鋭、宝士を舐めると痛い目に遭うぞ」


 言われるままに数歩下がり、四人を見渡しながら、レーシアは冷静に、誰に付いて行くかを考えていた。


 彼女にとって最も優先するべきことは、サラリスと再会することである。そのためには、ディーンか宝士に付くのがいいかと思われる。


 そして二番目に優先すべきことは、サラリスに言われたように、「宝具と封具を出来る限り抑え込むこと」。そのためには、出来る限りで宝具と封具を使うことのないようにしなければならないが、果たしてこの中に、宝具と封具が目当てでない者がいるのかどうか。


 ――いるはずがない。


 脳裏に浮かんだのはアトルの顔だった。彼は宝具についても封具についても、殆どと言って良いほどに何も知らない。だからなのか、彼は絶対に宝具と封具を利用したりはしないだろうと思うのだ。


 ――けれど、とレーシアは思う。


 宝具と封具が何だ。そんなもの、サラリスにもう一度会うための条件だというのならば使ってやろう。

 レーシアの魔力量は、宝具や封具のかなり繊細な操作をも可能にする。そのことを、レーシアは既に確かめて(・・・・・・)知っている。

 レーシアの魔力量は、当代エンデリアルザであるサラリスをも、軽々と凌駕するほどのものなのだ。

 サラリスは宝具や封具の力を使うのに、いちいち面倒な制約を設け、滅多にその力を顕現させることすらなかったが、レーシアは違う。宝具や封具を起動させる際の、あの強烈な反作用さえ抑えられるのならば――。


 そういった諸々を考え合わせると、レーシアの視線は自然とディーンと宝士に向く。だがリリファはサラリスと会わせてくれる感じではなかったな、と思い出し、視線を宝士に当てる。


 この宝士には少なくとももう一人の仲間がいるはずで、この女性の宝士が戦闘において他の者の目を引きつければ何かしらの接触をしてくると思われた。


 つまりレーシアがするべきことは、その接触を待つことだ。


 レーシアの視線や表情から意図を察したのか、ディーンたちの顔が険しくなった。アジャットも、フードで顔こそ見えないものの、雰囲気が固くなる。


「レーシアさん」


 ディーンが強張った声で言った。何を言おうとしたにせよ、余計なことを言わせるものかとばかりに宝士が右手を一閃させる。生まれたのは微かに光を帯びる衝撃波。

 それを飛び退って避け――魔力で相殺させなかったのは、恐らく彼自身の魔力も限界に近いからだろう――ディーンは声を上げた。


「誰が身柄を預かるかは後だ! とにかくあの女からレーシアさんを――!」


「分かっている!」


 槍の男が怒鳴るように答え、腕の傷などお構いなしに槍を上げ、アルナー水晶を起動させた。

 水晶が澄んだ輝きを宿し、辺りの術式を無効化する。

 掻き消された衝撃波の後を追うようにディーンが剣を構えて宝士に肉薄する。宝士が軽やかな足捌きで下がり、その動きでひらひらと法衣に似た制服の裾が揺れた。


 レーシアも思い切り下がり、戦闘の余波を喰らわないようにする。恐らく誰も、レーシアに攻撃を当てたりはしないだろうけれど――槍の男を除いて。


 デイザルトが発した、拷問紛いのことを匂わせる指示は、未だにレーシアを怯えさせていた。


「邪魔だッ!」


 宝士が叩き付けるように言い、制服の裾を蹴り上げるようにしてディーンを蹴り付けた。固い靴底を剣で斬り付けるように受けたディーンが、僅かに驚いたような顔をする。


 剣が通らないのだ。


 レーシアは一人、うんうんと頷く。宝国に到着した当初、サラリスを引っ張り回すようにしてあちこち探険した経験がある彼女は、宝士の身に着けているものはどれも、それなりの防壁を付与されたものだと知っている。剣如き、通すようでは名が廃る。


 宝士が剣を蹴り返し、そのまま軽やかに距離を取る。その際、横目でレーシアの位置を確認するのも忘れない。


 アルナー水晶の影響力が切れた。


 それを肌で感じた全員が、一斉に魔術を起動する。


 アジャットは宝士にぶつけるようにして炎の砲弾を。ディーンは数十に及ぶ風の刃を。槍の男は宝士の足を止めるべく、氷の足枷を、それぞれ魔力によって生成する。

 対する宝士は防御しない。水を凝らせ宙に浮かべて円盤にし、そのまま三人に突っ込ませると同時に今度は炎の術式を起動し、その水を蒸気として目くらましに使う。

 アジャットの炎が水の円盤を突き破り、宝士に到達する。他の二人の魔術は弾かれ、傍の建物に当たってそれを倒壊させた。


 凄まじい音が轟いた。次いで上がる住人たちの無数の悲鳴。


 濛々と上がる粉塵と蒸気の煙幕。それに紛れるように、流れるような速度で宝士が氷の盾をレーシアと自らの前に展開し、アジャットの炎をやり過ごした。

 だが同時にアジャットの起こした暴力的なまでの暴風が煙幕を吹き散らし、思わず目を閉じてしまうようなその風に乗じて、槍の男とディーンが再び宝士に肉薄した。


 レーシアは片手で帽子を押さえながらその腕で顔を風から庇い、もう片方の手でワンピースが捲れ上がらないよう押さえた。きつく閉じた目を恐る恐る開け、戦況を確認する。


 宝士の女性は短剣を二本抜き、左右の手に持ってディーンたちの猛攻を防いでいた。長剣と槍の猛攻を短剣で防いでいるところからして、彼女の身のこなしの凄まじさが窺える。魔術で多少は動きを補正しているにせよ、男二人に不利な武器で、一人で抗っているのである。


 さすがは宝士といったところか。

 大陸最強の軍事国家、宝国。それが擁する少数精鋭ともなれば、戦闘力は推して知るべきだろう。


 彼女が踊るような足取りで男二人を翻弄する。武器の射程は二人の方が明らかに長い。

 ならば届かせなければいいと言わんばかりの、短剣で剣先や槍の穂先を弾けるぎりぎりの間合いを保ち、その先には立ち入らせない。


 だがそんな中でも、アジャットはさすがと言うべきか。静かに、慎重に狙いを定めて魔術を撃ち、僅かずつではあるが宝士の肌に傷を付けていっている。


 二人が接近戦を担当する前衛、一人が魔術を撃つ後衛と、意識したのではないだろうが、そして不本意なことだろうが、それは完璧な陣形である。


 徐々に宝士が体勢を崩し始め、ディーンと槍の男の表情に余裕が見え始めた。押し切れる、と思ったのだろう。


 実際、そのまま戦闘が続けば宝士は恐らく敗北していただろうが――、


「レーシアさま、こちらへ」


 密やかな男の声がした。


 レーシアの左手、恐らく他の者からは建物の影になって見えない位置だ。そこに宝士の制服を着た男が佇んで手招きしている。女性の宝士と揃いの腕輪が、その左腕で光っていた。


 レーシアは何の躊躇もせずにそちらに向かって駆け出した。だが、戦闘中とはいえレーシアの動きに気を配っていなかった者などいない。


 女性の宝士がレーシアと男の宝士を庇うように――逃がすように立ち、そこに三人が殺到する。


 目的は一つ、レーシアを宝士から引き離すことだ。彼らからすれば、男の宝士の姿は見えていない。

 レーシアが一人で場を離れようとしているように見えたことだろう。

 三人の勢いに――三人が三人とも、互いを傷付けることに躊躇していないのだ、それは相当なものだ――宝士が押される。一歩、二歩と後退る。


 だがその間に、レーシアの手を男の宝士が取った。彼も己の勝利を確信したような微笑を浮かべる。

 レーシアの手を引きながら、確かに勝ち誇って三人の方を振り返ったのだ。


「貴様――!」


 槍の男が声を荒げる。死角に入っていた男の宝士が目に入ったのだ。


「レーシアさん!」


 アジャットが叫び、レーシアが僅かに彼女を振り返る。少しだけ申し訳ないというような顔をしたが、アジャットに確証はない。


 止めなければ。


 アジャットはそれしか考えなかった。先程女は「宝士」といった。それが宝国近衛の名称であることはアジャットも知っている。


 宝国に逃げ込まれてしまっては、追い縋ることはまず不可能だ。宝国の中で監視が薄い場所と言えば、それは旧都レンヴェルトのみなのだ。


「宝国に行っても――」

 ディーンが叫んだ。

「何にもなりません!」


「おまえに何が分かるという!」


 女性の宝士が鋭い声を上げ、視線をもう一人の宝士に向けた。


「行け! お連れしろ!」


「駄目だ――」


 アジャットは思わず押し殺した声を上げたが、どうしようもない。


 下手に魔術を撃てばレーシアに当たる――。


 恐らく同じことを懸念しているのだろう、ディーンも女の相手をするばかりで、遠ざかるレーシアたちには手を出し損ねている。


「邪魔だ退けっ!」


 槍の男がアジャットを押し退け、ディーンの動きを読み、合わせて飛び出すことで女の防衛線を突破した。

 女の宝士も三人を相手にし続けたのだ。動きが落ちていない方がおかしい。


「一人逃がした!」


 女が叫び、残りの二人だけでもと思ったのか、魔力を振り絞って防衛線を強化した。


 槍の男が疾駆する。アジャットとディーンは焦燥の中でそれを見た。

 もしもレーシアを連れた男が逃げ切れば、それは即ち彼らの敗け――〈器〉を取り逃がすということだ。だがもしも槍の男がレーシアを奪取した場合、それもアジャットたちにとって有利とは言い難い――。


 レーシアに足を合わせる男の宝士は、それこそ数秒で追い着かれ、レーシアを半歩前に逃がしながら迎撃の構えを見せた。

 だがその際、レーシアを「確保する」ということにおいて万全の構えであっても、レーシアを「守る」ことにおいては穴のある構えであったことは仕方がないだろう。


 レーシアを傷付ける利点などないはずなのだから。


 男の宝士の構えは万全。全力の攻撃に対し、全力で迎撃する準備が整っている。魔力がその体表でぱちぱちと弾け、臨戦態勢であることを示している。

 だからこそ、槍の男に意表を突かれた。


「貴様に用はない!」


 槍の男が吼える。彼は槍を両手で構え、柄の部分で殴打して男の宝士の構えを崩した。通りすがりだと言わんばかりの一閃。それは全力の攻撃に対応しようとしていた男の宝士の意表を突き、体勢を崩させ――。


「何をッ!?」


 アジャットが叫んでレーシア目掛けて駆け出した。


 そう、女の防衛線が崩れたのだ。

 今やアジャットたちの妨害は重要でなかった。この数秒で物事の優先順位が大きく変わり――いや、ただ一つのことのみに絞られた。


 レーシアが驚いたような顔をしている。


 男の宝士の横を駆け抜けた槍の男が、その槍を刺突の構えで引く。――そう、レーシアに向かって。


「死ね!」


 鮮やかに陽光を弾き、槍の穂先が一閃される。


 絶叫と悲鳴が空に反響し、束の間鐘の音を上回って耳を劈いた。







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