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03 セルダの町攻防戦の始まり

 ルルセット王国に近付くということは、宝国に近付くということでもある。

 尤も、アトルがレーシアを発見したときに取っていた経路はもっと直線的にシャッハレイを指していたため、通った道筋は全く違うが。


 宝国に近付くにつれ、百年戦争の惨禍ははっきりと表れてくる。十年ごときでは復興など出来ないだけの傷が、あの大戦争によって刻まれたのだ。主な戦場となった場所は数えるだに馬鹿馬鹿しいだけの数に上るが、特に凄惨な戦場となった場所の一つに、宝国と樹国の近辺が挙げられる。

 ジフィリーアで言えば三大都市のように、大都市と言われる都市は、人口も多く国の目も行き届きやすいため、復興も迅速だった。しかしそれは、田舎の地を置き去りにして復興が進んだとも言い換えられるのだ。


 窓の外を流れていく景色が侘しくなっていっているのは明らかだろうに、レーシアは何も言わなかった。彼女はこうして外を出歩くことさえ久し振りなはずであり、それゆえに周囲の変化には敢えて鈍感になっているのかも知れなかった。彼女が気にしているのは目下、「サラリス」の探し物のことだけだった。


 目的地がはっきりと分からないこととは別に、リーゼガルトたち――正確に言えば、ミラレークスの四人組の中でグラッド以外の全員――を苛立たせることがあった。


 アトルの魔力が顕現しないのである。


 顕現するとしても通常見られるような火花を散らす程度の反応、これでは繰り返されたところで魔力を顕現させるコツなど掴めようはずがない。

 原因としては、


「なんでそんなに避けるのだけは上手ぇんだよ!?」


 というリーゼガルトの叫びによって窺える、アトルの場慣れであった。たまには当てられるべきだとは思うのだが、いかんせん十年以上に亘る経験がそうさせてくれないのである。

 しかしながら、ミルティアは苛立った様子でアトルをつつく。


「いくら場慣れしてるって言ってもぉ、一応指定魔術師のぉリーゼガルトが、魔術で攻撃し掛けてんのヨ? 鈍すぎるんじゃぁないの、あんた」


「そこまで鈍くはないと思うぞ」


 アトルが抗議の口調で言えば、アジャットが深刻そうに口を開いた。


「魔術師級の魔力とはいえ、魔力の大小は様々だからな……。相当弱い魔力、というようなことがなければいいのだが」


 アジャットはリーゼガルトをちらりと見て溜息を吐く。


「きちんと魔力が顕現しなければ、リーゼガルトでもどれほどの大きさなのかは分からないからな……」


 リーゼガルトは魔術的な触覚を持つが、魔力を感知するにせよ、宿主の中に留まっている魔力を感知することは不可能だ。彼が知覚できるのは、座標展開された魔力と魔術なのである。

 またグラッドも魔術的な聴覚を持っているが、彼が感知するのは魔術に限られる。アトルの魔力を感知するのは端から不可能なのである。

 無理やりに魔力を顕現させようとしても、例えばアジャットが全力で魔術を使ってしまってはアトルの命が危うい。ある程度の手加減はせざるを得ないのだ。


「顕現したところで、レーシアがいるからな」


 リーゼガルトは肩を竦めた。レーシアが垂れ流している魔力を知覚し続けることで、感覚が狂ってしまっているらしい。

 そのレーシア自身は垂れ流しの魔力のせいで、日々本の山の重さに呻いているのだが。


 その反動なのかは分からないが、レーシアは買い出しの際に外に出たがった。最初こそ彼女の独特な髪色から躊躇したアジャットたちだったが、髪を結い上げて帽子を被れば目立たないだろうこと、それとレーシアの不満が爆発することを恐れて、渋々ながらも許可を出した。


 最初の一回は、のんびりと町を見るレーシアは楽しげだったが、付き添う方ははらはらし通しだった。何しろ百年分は時代遅れな娘なのである。いつどのように突飛な行動を取るか分かったものではない。

 しかしレーシアは比較的大人しくしており、「郷に入りては郷に従え」という先達の教えを実践するかのような賢い行動をした。それが数回に及べば、同行する方も気が楽というものである。


 辺りはもう随分寂れている。アルファーナ高原はかなり近くなっていた。



 買い出しに寄った町、セルダでもレーシアは楽しそうだった。

 何でも、意識が無かった百年の前、半年程も自由に外を歩けなかった状況にあったらしい。そのため、見るもの全てが物珍しいようだ。しかしそれでも、人目がある間は好奇心を堪えることも出来るようだった。


 レーシアは水色のワンピースに丈の長い外套を着て、茶色い帽子を目深に被っている。しかし、帽子にくるりと巻かれた珊瑚色のリボンの効果で、アジャットのような怪しさを演出することは免れていた。


 レーシアと出歩いている買い出し組は三人、アトルとグラッドとアジャットだ。レーシアを安心させるために、彼女には出来る限りアトルが付き添うよう、ミラレークスの四人組は気を遣い、また、万一レーシアが襲撃されても対応できるよう、最も能力の高いアジャットがレーシアに付き添うようにしていた。


「あとは、痛み止めのための薬草が心許なくなっていますが……」


 グラッドが小さな手帳を捲りながら言うと、レーシアが目をきらきらさせながらグラッドを振り返り、後ろ向きで軽やかに歩きながら尋ねた。


「薬草を買いに行くの? わあ、どんなお店?」


「前を向いた方がいいよ」


 アジャットが穏やかに言う一方で、グラッドは彼らしくどもりながら注意した。


「い、言っては何ですが、僻地の店ですので、その、期待は、余り、しない方が……」


 レーシアは首を傾げたものの、期待満点の表情で「うん!」と答えてアトルを呆れさせたのだった。


 レーシアが薬草を商う店に行くのは初めてだ。どんな事情かは知らないが、ミラレークスの四人組は馬車にそれはそれは沢山の薬草を積んでいたのだった。その中で痛み止めの薬草だけが驚異的な勢いで減ったのは、主にアトルのせいである。


 田舎だけあって店の佇まいも質素である。薬草の店も、小さな店の中に所狭しと薬草の束が吊るされた、窮屈な店構えだった。

 尤もレーシアは「なんかすごいね」と言いながら目を輝かせていたのだが。


 外套の襟を立てて寒そうにするレーシアは、グラッドが中で買い物をしている間は外にいるよう言われても、嫌な顔はしなかった。店の広さは彼女も弁えただろうし、そもそも退屈していないのだ。彼女の傍にはアトルとアジャットがいる。


「寒くなって来たなぁ」


 アトルが呟くと、アジャットが真面目な声音で答えた。


「私にとってはありがたい季節ではあるが」


 フードを深々と下ろした外套は、真夏でも常備らしかった。


 アジャットとグラッドは、通信魔術を補助する柘榴石の耳飾りを着けており、アジャットはフードの中に手を入れて、それを頻繁に指で弾いているようだった。

 大方、リーゼガルトたちから連絡が入らないかどうかを確認しているのだろう。耳をすませば、チィン、とあえかな音がしているのが分かった。


「アトル、いい匂いがする」


 レーシアが楽しそうに言った。アトルはレーシアを振り返る。


「ああ、向こうに飯屋があったからな」


 めしや、と口の中で繰り返し、レーシアは頷く。表情は完全に「めしや」がどんな所かを想像していた。アトルは思わず笑う。


「なんだおまえ、あちこち行き来してたくせに外食したことないのかよ?」


「ごはんは大抵、サラリスが……」


 レーシアは懐かしそうな顔をしながら答え、アトルは軽い気分でアジャットを見た。


「なあ、この後レーシアとどっかで飯食って行けねえかな?」


 レーシアがぱっと表情を明るくした。


「ほんと? いいの?」


 アジャットは口籠り、迷うように頭を傾けたが、レーシアの顔を見て溜息を一つ零した。


「まあ、いいだろう」


「やった!」

 レーシアは両手で拳を作り、誇らしげにアトルを見た。

「アトル、私も外食をするのよ」


「はいはい、良かったな」


 アトルはそれをあしらい、レーシアは楽しげに続けた。


「今日はごはんの準備が楽に済むかな」


 彼女目当ての追手の対処を全てミラレークスの四人に丸投げし、行先さえも満足に決められないレーシアがしていることと言えば、誰でも出来るような雑用なのである。

 その雑用をやらなくていいことでどれくらい助かっているのか、アトルは本人に言うつもりはない。レーシアは鼻歌交じりに雑用をしている姿が可愛いのであって、それが役に立っているだろうと想像している姿に愛嬌があるのである。


 買い物を済ませたグラッドが、へこへこと頭を下げながら店から出て来た。彼に対する警戒は既に殆どないレーシアが、小走りで傍へ寄り、得意げに外食の予定を話した。

 グラッドはレーシアが寄って来たことに対し、控えめな嬉しさを表現したが、話された内容にひどく驚いてアジャットを見た。


「アジャットさん? いいのですか?」


 レーシアが不安そうに顔を曇らせた。アジャットを振り返り、眉を寄せる。


「アジャット? 私、無理を言った?」


「いや」

 アジャットは首を振った。

「問題ないよ。行こう」


 彼女がフードの中に手を入れ、耳飾りを弾く音がした。アトルが注意深く彼女を窺うと、アジャットは低く、レーシアに勘付かれないよう潜めた声で言っていた。


「――そちらで対処を頼む」





************





 アトルたちが入ったのは、よくある大衆食堂だったが、地理的にも繁盛することは難しいだろう、遠慮がちな佇まいの店だった。

 からんころん、とドアベルが鳴り、「いらっしゃい」と店主の声がする。客は既に数名おり、皆が料理を口にしながら寛いでいた。

 アトルたちが適当な席に座ると、給仕が笑顔で寄って来て献立表を渡す。レーシアは興味津々にそれを見た。


「どうするの? これ?」


 浮いてはいけないと思うのか、レーシアは限界まで潜めた声でアトルに訊いてきた。四人掛けの机で、アトルとレーシアは隣同士で座っている。アトルの正面にはアジャットだ。


「この中から食べたいものを選んで、給仕を呼んで注文。で、持って来てもらうのを待つんだよ」


 アトルも低い声で答え、それを聞いたレーシアは「把握した」とばかりに表情を明るくした。

 レーシアはわくわくした顔で献立を選び、他の三人はさっさと決めた。給仕を呼んで注文するときも、レーシアは楽しげな表情のままであり、給仕は――まだ少年と呼べるような年頃だったが――それに思わずといったように見惚れていた。

 料理が来るまでの時間は大抵退屈になりがちだが、レーシアはそんなことはないらしい。店内を見回してはアトルに小声で何事かを言ってくる。


「アトル、見てあれ、あの絵。すごくない?」


 生憎、アトルに芸術鑑賞の趣味は無い。


「は? いや、分かんねえけど」

「多分イエーリの絵の模写だと思うの。すごく精巧」


 イエーリって誰だよ、とアトルの顔に書いてあったのだろう、アジャットが口を挟んだ。


「彼は二百年ほど前の画伯だ。あの絵は、そうだな、『昼下がりの娘』の模写ではないかな」


 はあなるほど、とアトルは頷いた。


「ねえアトル、あれ。あの花、さっき薬草屋さんにもなかった?」


 アトルはレーシアは指差している花瓶の花を見てから、数秒して閃いた。


「ああ、あったな。萎れて天井からぶら下がってる状態だったけど」

「何に使うのかな?」


 レーシアの好奇心は留まるところを知らないらしい。


 アトルは義理で返事をし続けてやったが、アジャットとグラッドは途中から、暖かく見守るだけとなっていた。


 食事を待つ間にも、アジャットは何度か耳飾りを気にしていた。時折舌打ちも漏らしている。

 グラッドにそのような仕草は見られなかったが、彼はいつもどことなくびくびくしているので、今もそわそわとしていることに不自然なことはない。

 アジャットの表情は――フードのせいで――見えないが、彼女の纏う雰囲気に剣呑なものが混ざり始めているのを、アトルは本能の域で察しており、レーシアも時折不安そうな顔をしていた。


 ほわほわと湯気を立てる料理が、今まさに運ばれて来たときだった。


「アトル青年、レーシアさんを連れて出ろ」


 アジャットが固い声で言った。


 これまでにも何度か、アジャットのこういった声を聞いたことがある。そのどれもが、レーシア目当ての追手に追い着かれたときだ。


 アトルは即座にそれに従い、レーシアの腕を引いて立ち上がった。レーシアはきょとんとしているが、抵抗する気は無いらしい。


「お客様?」


 給仕が訳が分からないといった様子で尋ねたが、アジャットはきびきびと言っていた。


「すまない、急用だ。代金はここに置いておく」


 銀貨を数枚、ちゃりんと音を立てて机に置き、アジャットは溜息交じりに言った。


「馬車に戻ろう」


 レーシアが一瞬、食事に未練の視線を送ったものの、素直にアトルに付いて席を離れる。グラッドとアジャットがその後ろをしっかりと固めた。


 先頭を切ることになったアトルが出口である扉に手を掛けようとするのと同時に、


「…………!?」


 閃光が走り、


「わっ!?」


 扉が爆散した。


 扉だったものの破片を大量に浴びたアトルは、顔を腕で庇いつつ、レーシアを後ろに押し遣って扉から遠ざけた。

 アジャットが素早く前に出て、爆散した扉の向こうと対峙する。

 扉は木製だったので、辺りには木端が舞い散る粉塵の煙幕が張られていた。だが、それが自然に収まるのを待つようでは魔術師ではないだろう。指先の動き一つで、アジャットはそれを強制的に収めた。

 咳き込みながらもアトルの後ろからひょこりと顔を出し、レーシアが呟いた。


「誰もいないんだけど……」


 確かにそうだった。


 粉塵が収められ、一瞬のうちに澄み切った視界には、昼下がりの町並みが映るのみ。たった今の騒ぎに気付いた数名が足を止めてはいたものの、それだけだ。


「とにかく行くぞ」


 呆気に取られた他の客を置き去りに、アジャットが低い声で急き立てた。

 アトルが念のためレーシアの手を取り、アジャットから離れないようにして後に続く。

 とはいえアトルは、この事態に多少の驚きはあれど、それほどの危機感は抱いていなかった。今までも何度も襲撃はあったものの、アードで出会ったほどの規模や質のものはなかったのだ。つまりは指定魔術師たちが問題なく対処できたのだ。

 レーシアも同じ気持ちであるらしく、いつもののほほんとした顔こそ引っ込めているものの、大して怯える様子もなくアトルに付いて来る。

 アトルは髪に付いた木切れなどを片手でせっせと排除しながらのことである。

 無言で通りを突っ切るアジャットに、グラッドが鋭い声を上げた。


「アジャットさん、上です」


 アジャットが上空を振り仰ぐ。アトルもレーシアも、反射的に上を見た。

 雲のたなびく晴天――。


「元素系魔術の音がします」


 グラッドが続けて言う。


「ほお」


 アジャットが感情の起伏のない声で呟くのと同時に、傍の家屋の、その屋根の上から声がした。


「やーっと追い着きましたぁ!」


 空を見ていた視線を、四人全員が一斉にそちらに集中させた。


 屋根の上に立っているのは、二十歳を幾つか過ぎたと見える女性だった。

 長い金髪を風に靡かせ、男物の衣服を着て堂々と胸を張っている。線の細い印象ではあったが、左手に握られ杖の如く屋根に突き立てられた結果、その屋根を抉っている大剣がその印象を塗り替えて余りあった。

 彼女は青い目をきらきらとさせながら、右手でびしっとレーシアを指した。


「今までの手荒な勧誘お許しくださいっ。やっと直接お迎えに上がることが出来ましたっ!」


 レーシアはまず右を見て、それから左を見て、アトルの手を握ったままこそこそと左右に動き、金髪の彼女の指先がそれに従って動くのを見て、確かに自分に話し掛けられていると確信した上で、真顔で尋ねた。


「……誰?」


 アジャットがレーシアの前に移動し、グラッドがレーシアの後ろに立つ。


 金髪の彼女はにっこりと笑い、剣を屋根に突き立てたまま大仰に礼をした。


「申し遅れました、私はリリファと申しますー。これまで愚図な部下どもが大変失礼な方法で勧誘していたことでしょうが、だがしかーしっ」


 彼女はそのまま、芝居がかった仕草で胸に手を当てた。


「この私が現状を把握し、あなたに追い着いたからにはもう大丈夫っ。これからは快適な旅路をお約束しまーす!」


 レーシアは目を見開いた。


「えーっと」


 アトルは嫌な予感と共に彼女に目を遣った。レーシアは小首を傾げて呟いた。


「私はこれからあの人と一緒にいればいいのかな?」


「おい待てレーシア」


 アトルが冷静に突っ込んだ。


 レーシアを確保した時点で、手近なミラレークス支部に駆け込まなかったアジャットたちの判断は、正しかったと言わざるを得ない。レーシアは本当に、誰にでもほいほい付いて行く。ミラレークスの派閥争いにも、良くない影響をそれはもう大盤振る舞いしたことだろう。


「誰が、あいつに付いて行くって?」


 アトルのどすの利いた声に、レーシアもさすがに自分の発言の問題点に気付いたようだった。目を見開いて口元に手を宛がう。


「あっ。今はアジャットたちと一緒にいるんだった」

「気付くのが遅ぇよ!」


 アトルがレーシアの頭を、空いている方の手で小突く。レーシアはよろけたものの、真顔でリリファに会釈していた。


「えっと、リリファさん? 同行は出来かねるのですけれど」


 リリファは固まっていた。剣に添えた左手が微かに震えているようだが、それ以外の部分は微動だにしない。レーシアはただただそのことを妙に思ったようだが、アトルや他の二人は違う。

 あれは、極限まで激怒しているがゆえのことだと、そう感づいているのだ。

 相手の力量がよく分からず、それゆえに迂闊に手を出せず、アジャットとグラッドが固唾を呑む。


 リリファがようやく動き出し、大きく息を吸い込んだ、その瞬間――、


「落ち着け、リリファ」


 男の声がした。


 アトルとレーシアがぱっと振り返ったときには既に、グラッドがその男と対峙していた。アジャットは振り返る素振りすらしない。背後への――グラッドへの圧倒的信頼がそこにあった。


 そこに立っている男は、どうやら追い着いたところのようだ、軽く息を乱している。赤い長髪を後頭部で束ね、灰色の目で不機嫌に屋根の上のリリファを見上げている。二十代前半と見え、造作の整った顔ではあったが、どことなく苦労性が滲む表情をしていた。


「一人で行くなとあれほど言ったろう。おまえはまったく聞き分けのない……」


「グラッド、ここを引き受けろ」

 アジャットが凛とした声を上げた。

「アトル青年、彼女を連れて私と」


 アトルが繋いだままだった手を引いて、アジャットに一歩近付く。


「行かせるわけにはいかん!」


 男が声を上げ、身に纏う騎士装束に似合う、端正な仕草で腰の剣を抜いた。その剣にあっと言う間に疾風が纏いつく。――元素系魔術だ。


「グラッド」


 アジャットが低く呼び、グラッドが頷いて彼の魔術を展開した。


 白く輝く魔法陣がグラッド、アジャット、アトル、レーシアの足元に、絡み合うようにして展開された。一瞬後、魔法陣から淡い光が立ち昇り、今まさに振り下ろされようとした男の剣を、硬質な音と共に弾き上げた。


 まず町中で展開されるには大規模過ぎるであろう魔術に、通行人から悲鳴が上がった。


 そんなことなどどこ吹く風、アジャットがアトルを一瞥してから足を踏み出した。その行く手に、魔法陣を回り込んだ男が立って剣を構えた。


「悪いが突破する」


 アジャットが呟き、左手を突き出した。


 アトルも食らったことのある衝撃波が、アトルのときのような手加減も遠慮もなしに男へと迸った。

 男が手にする疾風を纏う剣がそれを防ぎ、逸らしたものの、その間隙があれば十分だ。

 進行方向をくるりと変えて、アジャットを先頭に三人が駆け抜ける。それを放置するほど男も鈍くはないのだろうが、いかんせんグラッドがいる。



 アジャットたちが無事に離脱したことを確認し、グラッドは屋根の上のリリファに視線を向ける。彼女は苛立たしげにグラッドを見下ろしてから、自分の足元に視線を移した。そこにはグラッドが起動した拘束のための念動系魔術が絡んでいる。

 リリファはふう、と息を吐くと、大剣を放り出して屋根の上に座り込んだ。


「ディーンーっ、そいつやっつけて! 私をここから動かしてよっ!」


 ディーンと呼ばれた男は軽く額を押さえた。


「また無茶を……」


 視線を移した先、グラッドは、魔法陣こそ解除したものの、未だ白い筋状の光を纏い、静かな眼差しでディーンを見ている。


「相当な実力と見える。だがまあ、いい――」


 ディーンは剣を改めて構え直した。


「とにかく集中だけでも解いてもらう。リリファを放してもらおうか」


 剣の纏う疾風が唸る。グラッドは無言で左手を挙げた。

 ばちばちという音がして、その左腕に雷電が纏いつき始めている。グラッドはその腕を無造作に振った。

 雷が炸裂し、新たな悲鳴が外野から上がる。

 間一髪で雷の直撃を避けたディーンが、ぼやくような口調で呟いた。


「面倒な勢力に捕まえられたようだ、レーシアさんの方も」


「方『も』?」


 グラッドが反応し、眉を寄せた。


「どういうことですか? エンデリアルザの行方を知っているとでも?」


「知っているといえばそうだがね」

 ディーンはにやりと笑った。

「お二方の現状からしてつくづく思う――」


 グラッドが首を傾げ、それを見てのことか、最早外野と成り果てたリリファが「男が可愛子ぶらないでよっ」と叫ぶ。それを無視して肩を竦め、ディーンが科白を締め括った。


「――当代〈器〉は運がない」


「エンデリアルザはどこにいるのですか」


 グラッドが、彼にしては珍しい詰問の口調で質した。


「そもそも人の身で百年以上も長らえることは――」


「レーシアさんに訊かれたならば、我々の拠点までお越し願った上で丁寧に説明申し上げるがね、きみのような者に対して、そんな重要な情報を垂れ流すわけがないだろう」


 ディーンは遮るようにして捲し立てた後、得心がいったように笑った。


「それから今の言葉で分かったぞ、きみらはミラレークスの手か」


「…………」


 グラッドが怪訝そうにする。その頭上に、囃し立てるような調子のリリファの声が炸裂した。


「なんたってこちらが把握してるエンデリアルザ捕獲に動いてる勢力の中で、一番(いっちばん)情報不足なのはミラレークスだもんねーっ。ディーンっ、やっちゃえやっちゃえー」


 ディーンが溜息を零す。彼は一気に剣に込める魔力を高めた。疾風の中で剣が震える。


「いつも言っているだろう――」


 グラッドがもう一度足元に魔法陣を描き――


「――俺に命令するなと!」


 その魔法陣をディーンの剣が貫いた。


 悲鳴のような、金属的な摩擦音のような、何とも言えない不快な音が周囲に轟いた。魔法陣が砕け散り、グラッドが思わずといったように顔を顰めた。


 しかし、そこで止まるようでは特等指定される魔術師ではない。


 グラッドを中心に、鮮やかな光の筋が走った。反射的にディーンはそれを避けようとするが、グラッドの方が明らかに速い。飛び退ったその脚を、光の筋が確かに捉え、引き裂いた。


「――――っ!」


 声にならない絶叫。真っ赤な血が辺りに撒き散らされ、ディーンが体勢を崩して倒れ込む。だが、それでも彼は動き続ける。

 甲高い音と共に彼の剣から疾風が消え失せ――いや違う。

 風が刀身から離れて飛んだ。その小さな竜巻が、グラッドの足元へと飛ぶが、グラッドは容易くこれを回避した。しかしその先にディーンは火炎を飛ばしている。

 火炎を正面から蒸発させたグラッドは、ディーンの真下に魔法陣を描き出した。魔力によって地面に刻まれる、円形の魔法陣が赤く輝く。


 止めを刺すつもりなのだ。


 しかしディーンは跳ね起き、素早くその魔法陣から退避する。グラッドの魔法陣が発動し、巨大な光で形作られた牙が確かな威力を持って、自らの上に置かれた生贄を喰らおうとするも、その牙は空しくディーンの残した血溜まりのみを噛み裂いた。


 グラッドは眉を寄せる。あの傷からして動けるはずはないだろうと踏んだのだが――。


 ディーンの脚は、完治とはいかないものの、筋肉や神経などが粗方治っているようだった。どうやらグラッドが竜巻と火炎に対処している間に治療を施したらしい。


 グラッドは小さく舌打ちを漏らした。


 魔術師同士の一騎打ちの場合、勝敗を分ける要因は六つあると言われている。

 一つは魔力量の差。二つ目は知識の差――ひいては、作り出せる魔術の質の高さの差。そして三つ目が、治癒魔術の得手不得手である。


 受けた傷をその場で癒すことが出来るのならば、これほど有利なことはない。


 ディーンと呼ばれるこの男は、どうやら治癒師並みの腕を持っているらしかった。


 だが同時に、繊細な念動系の魔術である治癒術は魔力を大きく使う。持久力を犠牲にすることにもなる諸刃の剣なのだ。使い所によっては死を招き、そしてその死を呼び入れる能力の高さこそが、治癒術を上手く遣う魔術師相手に勝つために必要な素質なのである。


 グラッドの耳が、ディーンが握る剣の辺りに響く鐘の音を捉える。あれが魔術の音。こういった、響くような音は元素系魔術の特徴だ。


 グラッドは溜息を吐き、彼が最も得意とする、広範囲に及ぶ殲滅魔法の準備に入った。

 避けられないほどの大きな魔術を放ちさえすれば、確実にこの男を仕留められる。巻き添えにすることになる家屋の主たちには申し訳ないが、グラッドにとっての優先順位は、この町そのものよりも命令――レーシアをリアテードにあるミラレークス本部に連れて行くということにある。


 金色の光の筋が、四方数十メートルに亘って走り、魔法陣を描き出す。それを見たディーンがさすがに焦った顔をした。今度の魔術は魔法陣の上から退避しさえすればいいというものではない、一騎打ちという状況にあるまじき、卑怯なまでに確実な手段なのだ。

 この魔術を中和しようとするならば、同程度の規模の、反対の事象を指示する魔術をぶつけなくてはならないが、魔法陣の大きさゆえ、そこに書き込まれた情報を解析している時間がない。

 グラッドが魔法陣を発動させ――


「――やめろ!」


 突如入った横槍に、彼の意思に関係なく術式が解体された。効力を失った魔法陣が儚く空中に溶けていく。


「誰――」


 誰何の声を半ばで途切れさせ、グラッドは耳を塞いだ。


 彼にしか聞こえない轟音が響いている。発生源は間違いなく、横槍を入れた目の前の男が持つ槍――その柄の半ばに埋め込まれたアルナー水晶だ。


 なぜ今まで聞こえなかったのか、それほどの音が轟いている。


 術式を発動させたのがたった今であったならば、今の今まで存在に気付かなかったことも分かるが、ではなぜ今横槍を入れたのか。


 グラッドは耳を塞いだままで目の前の男を観察する。


 物腰といい仕草といい、どことなく洗練された感があり、そしてその目に宿る過剰なまでの使命感と忠誠心は、アードで対峙した敵を思わせた。


「デイザルト……の手の者、か」


 呟けば、槍を持つ男はぐっと歯を食いしばった。それが答えだった。


 今この町、セルダには、レーシアを巡る三つの勢力の手の者がいるらしい。――ミラレークス、デイザルトたち、そしてこの、リリファとディーンが属する勢力と。


「下手を打ったな、どこのか知らないが」


 ディーンが忌々しげに吐き捨てた。


「そのアルナー水晶――仕込まれた術式は何だ。術式無効か?」


 グラッドははっとして顔を上げる。術式が無効にされるならば――。


「馬鹿が……。リリファが自由になっただろうが」


 屋根の上で、よっこらせとばかりに立ち上がり、大剣を背負う線の細い女性の姿。


「ミラレークスの魔術師、きみは俺に苦戦したようだから言っておくが」


 グラッドは再び魔術を編もうとしたが、術式無効のアルナー水晶が近くで効力を発揮しているせいで上

手くいかない。


「リリファの技量は俺の上を行く。技量だけじゃない――」


 足元に風を集め、「せーの」とばかりに屋根から飛び降りてくるリリファの、その青い目――。


「残酷さもな」


 今まで押し込めに押し込めていた苛立ちを放出するかのように、リリファが剣を横薙ぎにに振るう。地面に激突しそうな距離、身体の傾き方を利用した一閃を、三人が辛うじて避けた。


 そう、リリファはディーンすらをも巻き込みかねない勢いで剣を振るったのだ。


「何やってんの、ディーン」


 右手を地面に突き、軽やかに体勢を整えて跳ねるように立ち上がった彼女が不機嫌に言う。


「私、言ったよね。そいつ倒して私を自由にしてって。時間掛かり過ぎ。しかもこれ、ディーンのお蔭じゃないし」


 それから、と続けたリリファの青い目が、殺意を映してきらりと光った。


「あんたら、邪魔。私はレーシアさんを迎えに行く。――邪魔は、させない」






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