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31 食堂に不慣れな美少女にフォークを渡したら

 俺は受付で頭を下げた。


「そういうわけで、仕事をキャンセルしたいんですけど」

「そうですか」

「すいません」


「では、グレイ様は、もうこちらのご利用はなさらないということでしょうか」

「はい、たぶん」

「そうですか。いままで、おつかれさまでした」

「あ、どうも」

「ギルドの収入につながる冒険者ではなかったのですが、多様性という意味では、貴重な存在だったと考えております」

「……どうも」


 けなされてるのか?

 ほめられてるのか?

 ???


「新しい土地での活躍を願っております」

「ありがとうございます。それじゃ、お元気で」

「ありがとうございます」


 受付の女性が微笑んだ。


「え?」

「なにか?」


 いや、微笑んでいなかった。

 どっちだ?


 まあいいか。


 と、帰りかけてやめた。

 最後に、ベーコンとじゃがいもの炒めもの、食べようかな。


 受付の横を通り抜け、食堂に入っていく。


 客はすくなくて、男の二人組と、あとは女性がひとり。

 いつものように、隅の方の席についた。


「いらっしゃいませ!」

「あ、ベーコンとじゃがいもの炒めものを」

「はいかしこまりました!」

 ウェイトレスはすぐ引っ込んだ。


 ウェイトレスはバタバタと、厨房に通じる窓に頭をつっこんで、ベージャガ一丁! と大きな声で言うと、近くのドアからどこか行ってしまった。

 いつも以上に忙しそうだ。


 しばらくして戻ってきたウェイトレスは、ベージャガあがったよ! という厨房からの声と、出てきた料理をぴったりのタイミングで受け取ると、そのまま俺のところへ持ってきた。


「おまたせいたしました!」

 ウェイトレスは食券を受け取ると、そのまま、またドアを開けてどこかへ行ってしまう。


 料理からは、湯気が上がっていた。

 これで最後だと思うと名残惜しい。

 わざわざここまで食べに来るほどではないけれども毎日食べたいくらい、といったらおかしいだろうか。


 でも不思議だ。

 料理よりも、名残惜しいものがあるような気がしてしまう。

 なんだろう。


 そのとき、食堂の中央の、四人がけのテーブルにいる女性が目についた。

 四人がけなのに、彼女だけだ。

 うつむいて、手をひざの上に置いていた。

 料理が見えていないみたいに。


 見れば、彼女のテーブルには、ハンバーグと付け合せの皿、それとライスの皿があった。ハンバーグセットを頼んだんだろう。おいしいけどちょっとお高いのであんまり食べたことはない。


 そうか。


 彼女の手元にフォークもナイフも来ていない。ウェイトレスが忘れたんだろう。

 そういうことはよくある。現に、俺のところにはスプーンがあった。炒めものなのに。


 しょうがない。


 俺は席を立って、フォークを持って彼女のところに向かった。

 食堂に慣れていない人にはあることだ。


 テーブルの前で立ち止まると、うなだれていた彼女が顔を上げる。


「あの、これ」

 フォークをテーブルに置くと、彼女は目を見開いて、俺を見た。


 その顔!

 美少女も美少女、ド美少女じゃないか。

 俺の人生で出会った中で一番の美少女じゃないか。


 こんな顔を見られただけで、今日はうれしいことがあったといえるかもしれない。うむ。


 と席にもどろうとして。

 足が動かない。


 彼女は俺を見ていた。

 早くもどらないと。

 じっと顔を見ていたら、おかしく思われる。

 ほら、彼女も俺をじっと見てるじゃないか。

 いまにも、なんですか? と不審そうに俺を見る表情に変わりそうじゃないですか!


 でも足が動かない。

 頭の奥がビリビリする。


 なんだ?

 なんなんだ?


「あの……」

 俺は言った。

 なんだ俺!

 なにを言う気なんだ!


 彼女が俺を見る。


「あ、いえ……」

 必死でこらえた。


 そうだ俺!

 なにも言うな!

 面識もないのにいきなり話し始めたら、頭がおかしいやつだと思われるぞ!

 特に美少女には、そういうやつが寄ってきそうだし!

 やめとけやめとけ!


 俺は、自分の席に向かって足をふみだした。

 頭がビリビリする。


 これでいい。


 そのとき、椅子を引く音がした。


 振り返ると、美少女が席を立ったところだった。

 彼女はうつむいて、そのまま、食堂の出入り口に向かって歩きだす。

 料理はそのままだ。

 どうしたんだろう。

 体調が悪いんだろうか。


 ああ、せっかく知り合うきっかけ、ができそうだったのに、明日には会えなくなるのか。

 もったいない。


 新しい町にも彼女みたいな美少女はいるんだろうか。

 いるといいなあ。


 いるわけないか。


 いないんだ。



「リリア」


 彼女が立ち止まって、こっちを向いた。

 ……。

 誰が呼んだ?


 なんとなく、口の感覚が残っている。

 朝、起きたとき、夢の中でなにか言ったような気がするような。

 そんな感触。


 彼女は、信じられないものを見るように、こっちを見ている。


 一歩前に出た。


 すると、急に激しい頭痛がした。


 頭の中をかきまわされるみたいだ。

 目の前がだんだん暗くなっていった。

 なにも見えなくなっていくようだ。


 周囲が、急速に真夜中になっていってしまうような暗さ。

 俺はさらに前に出た。


 一歩前に出るごとに、頭を斧の反対側で殴られるような、重い、強い頭痛がおそった。

 前に出ないほうがいい。


 そう思っているのに、俺は、進んでいく。

 どうしてだ。

 なにがあるんだ。



 急に、目の前がはっきりした。

 痛みも消えた。

 視界も明るい。


 美少女が、俺の手をとっていた。


「思い出したの?」

 彼女は言った。


「子どものころ……、森の中で、会った」

 俺は言った。

 考える前に、口から言葉が出ていた。


 そう、たしか、二人で生活をしていたとき、森の中にひょっこりと現れた少女がいた。

 それがリリアという名前で。


「いや」

 そんなに前の話じゃない。

 もっと……。

 もっと最近だ。

 

「一緒にお茶を飲んだり、薪割りをしたり……」

 また頭痛。


 俺は彼女の手をにぎり直した。

 そうしていると、彼女の手から、力が流れこんでくるような気がした。

 頭の奥で、なにか、よみがえってくるような気がした。


「一緒に冒険に行ったり、木の実を食べたり……、それから、青い、うああっ……!」


 いままでと比べものにならない、激しい痛みがやってきた。

 俺は床にひざをついた。


「グレイくん!」

「青い、なにかを、調べて……」

 それで、それでどうした……。


「治療院の先生を呼んでくる!」

「待った!」

 俺は、立ち去りかけた彼女の手を両手でつかんだ。

 そうしていれば、力がわいてくる。


 彼女は、無言で俺の腕をつかんだ。

 力づくで、俺の手をひきはがそうとする。


「やめて」

「ちょ、もうすこしで……!」

「つらいでしょ?」

「そうだけど、でも……!」

 このときを逃せない。

 そう感じていた。


「だめだよ、無理に思い出そうとしたら、グレイくんの頭がおかしくなっちゃう……」

「俺の頭なんか、最初からおかしいんだよ! なんだと!? 誰の頭がおかしいって!!」

「そんなこと言ってないよ……!」

 彼女が、泣き笑いみたいな顔になる。


 すこし、彼女の力がゆるんだ気がした。


「でも、グレイくんの頭に、負担が……」

「そんなこと言ったら、リリアといるときは、いつも頭に負担かかってるよ!」

「えっ!?」

「手をさわられたり、体を押しつけられたり、いつも、いつも、頭がふっとびそうだよ!」

「えっ? えっ?」

「おぶったりとか、一緒に薪割りとか! リリアは平気でも、俺は全然平気じゃないよ!」

「……嫌だったの?」

「逆だよ!」


 彼女が俺を見た。


 目の前がチカチカしはじめた。


 でも耐える。

 耐えてみせる。

 俺は、俺は……。


「グレイくん!」


 彼女の声が遠く聞こえる。

 体から力が抜ける。

 

 くそ……。


 くそ……!






 目を開けた。


 見慣れない天井。

 いや、最近見たばかりだ。おばちゃんの家の、客室だ。


 ……。

 どうして、もうすこし、耐えられなかったんだろう。

 すべてをかけて耐えたつもりだったのに。


 結局俺は、つもり、程度なのか。


 リリア……。

 リリア?


 リリア。


 覚えている。

 リリアの名前を。


 どうして?

 俺は、過去に近づいたら、その周辺のことは、忘れてしまうんじゃないのか?

 リリアを巻き込んで。


 体を起こそうとした。

 そのとき、右手がなにかに引っぱられた。


「……起きた?」

 彼女がいた。

 ベッドの横の椅子に座っている。


 左手でふとんをどかすと、ハンカチで、俺と彼女の手が縛ってあった。


「これ? 離れないように」

 彼女が言った。


「それは、どういう……」

「グレイくんと私の手がくっついてると、記憶がもどるんでしょう?」

「ああ、まあ、よくわからないけど」

「治療院の先生を呼んでるところ」

「そう」

「すこし、症状が落ち着いたみたいで、よかった。……痛い?」

「ううん」

 俺は首を振った。


 彼女は笑って、椅子に座り直した。

 窓から外が見えた。太陽はまだ高いようだ。


「どうしようか」

 彼女が言う。


「どうって?」

「手を離したら、きっと、いけないんだよね?」

「そうだね」

「じゃあ、つないでないといけないよね?」

「そうなるね」


 彼女が笑う。


「ねえ、グレイくん」

「なに?」

「逆ってなに?」

「逆?」

 なんのこと?


「さっき、食堂で、私といるのが嫌だったのかってきいたら、逆って」

「ああ……」

「逆ってなに?」

「それは、なんていうか、だいたいわかるんじゃ……?」

「わかんない」

 彼女が真顔で首を振った。


「ちゃんと言ってくれないとわかんない」

「それはわかってる顔でしょ」

「ん?」

 彼女が、聞こえませんけど、と言わんばかりに耳をこちらに向ける。


「どういうこと?」

 彼女が言う。


「それは、つまり……」

「うん」

「だから……」

「うん」

「あの……」

「うん」



「い、一緒にいると……、とても、楽しいってことだよ!」


 俺が言うと、彼女はきょとんとした。


 それから、にこーっ、と笑った。


「そうなんだ!」

「まあ……」

「ふーん!」

 にこにこにこにこと、顔を近づけてくる。


「……なに?」

 わざと、面倒くさいやつめ、という表情をしても、彼女は全然気にしない。


「もっとすごいこと言うのかと思った」

「え?」


 もっとすごいこと?


「もっとすごいことって?」

「ずっと一緒にいたい、とか」


 彼女は笑いながら言った。

 それから、だんだん真顔になってくる。

 顔が赤くなってきた。


「えっと……?」

「グレイくんが言って!」

「え?」

「言って!」


 彼女が、顔をまっかにしてこっちを見る。



 そのとき、部屋がノックされた。


 反射的に、手にふとんをかけた。



「ど、どうぞ!」

 入ったきたのはおばちゃんだった。


「あら、元気そうじゃない」

「あ、はい」

「リリアちゃんも、ごくろうさま」

「私は平気です!」

 彼女が言うと、おばちゃんは軽くうなずいた。


「もうすぐ、治療院の先生が来てくれるって」

「そうですか」

「グレイちゃんは、もう、全部思い出したの?」

「……全部っていうのがどこまでかわからないですけど。子どものころをすこしと、最近のことだけ」

「そう。これからどうするか、決まった?」

「まだですけど……。まあ、権力とかは、興味ないですね」

「そうよね」

 おばちゃんは笑った。


「ひとつは、決めましたけど」

「え?」

「まあ、その、相手次第ですけど」

 俺は、彼女の手をにぎった。


「それはだいじょうぶそうよ」

 おばちゃんはちらりと彼女を見た。

「え?」

「さ、そろそろ先生が来るかしらね」

 じゃあね、とおばちゃんは部屋を出ていった。


 俺は彼女を見た。


 彼女の手に、ぎゅっ、と力が入った。

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