胎動
下腹部に感じた違和感に、お腹に手をあてて美咲は呟く。
「まさか、いくらなんでも早過ぎるよね」
急速に引いていく霧は生き延びたものに安堵を与えると共に非情な現実をも突きつける。
この先受け止めねばならない惨状に人々は耐えて生き延びる事が出来るのだろうか。
外の様子を見て来た潤は、戻って来ると気楽な調子で美咲に告げる。
「霧は間違いなく晴れてきてるよ」
「そう、良かった」
答えながら、美咲は会話が何処か遠い所で行われている他人事の様に思っていた。
霧の怪物を屠った後、美咲と潤はあそこで交ったのだ。
傍から見たら強姦とも見えかねない行為だったが、そうでは無い事は他でもない美咲自身が一番よく分かっていた。
壁も窓も崩壊し、校舎内に立ち込めていた霧が、開いた壁から逃げ出すように溢れ出ていく2階の踊り場。
怪物との戦いに、滾る血が抑えきれなかったんだろう。
潤は驚嘆の事態に竦む美咲にのしかかって来た。
背にした床の感触は不思議と冷たく感じなかった美咲。
未だ異性の手も握ったことも無い美咲。
恐れもしたし、怯えも感じた。
だがそれ以上に、美咲が感じたのは、内から溢れて来る「待ち侘びていた」という感情。
男子の様に行為に憧れる事も無いし、人より自分がませていたとも思わない。
ただ潤が獣の匂いを纏わせて近づいて来た時、当然のように身体が開いた。
美咲が開いたのではない。
身体が、自分の意志で開いたのだ。
衝撃的で。
甘美だった。
獣のように抱えられ。
獣のように押し入られ。
脳天を貫く衝撃と。
全身に染みわたる充足感。
あのひと時は何だったのか。
美咲の様子に潤も思うところがあったようだ。
「御免…」
潤は身じろぎして肩を竦め視線は横に向けたまま。
「あんな事、するつもりじゃなかったんだ」
一瞬答えに淀んだ美咲が答える。
「あれ、なんだったんだろうね?」
怪物との闘いの事とも、その後の行為の事とも受け取れる質問を投げかける。
「俺にも分んないんだ」
「身体が勝手に動いちまって」
美咲のどっちとも取れる質問に潤もどっちとも取れる返事を返す。
お互いまだ若いなりに精一杯の気遣いなのだろう。
言葉足らずにも程が有るが、どうやら互いの思いは伝わっているようだ。
立ち上がった潤が壁際の自販機前に立ちポケットをまさぐる。
「何呑む?俺コーヒーだけど」
言って投入口に硬貨をねじ込む。
そう言った行動も恐らく潤なりの照れ隠しなのだろう。
潤の行動に何故かほっこりしながら美咲は答える。
「あたしお汁粉!あったかいのが欲しい」
笑顔で答える美咲に潤も笑顔を返す。
周りの状況を考えれば決して微笑んでいられる状況ではないのだが、人間は悲観してばかりでは生きられないのだ。
異常な事態が起きており、自分たちの身にもあり得ない変化が起こっていることを実感しつつ、それでもこの現状に懸命に順応しようとあがく少年少女。
窓の外では薄れていく霧の向こうに傾く西日が薄く朱を差している。
気付かず、美咲は又下腹部に手を充てていた。