第二十話 欲望の果て
丁度そのとき、空が白み始める。
地平線から陽の光が差し、グラッジの顔を照らし出した。
グラッジの顔からは目と鼻が消えていた。
髪がばさりと落ちていき、頭部は肉の風船のようになっている。
開いた口から歯がぼろぼろと抜け落ち、丸い穴だけが残った。
それでいて、首から下は人の姿のままだ。
「うわっ!」
俺たちはそれを見て、思わず後ずさり、距離を取った。
「オオレノモモノダ~」
声がくぐもり、泡の破裂するような音が混じって聞こえづらい。
しゃがんだ体勢から、藤堂の、子供の方へ飛び出し、曲刀を振るう。
それを俺が剣で受け止める。
金属同士の甲高い音が響く。
重い。さっきより鋭さはないが、速くて力強い。
「正面は俺に任せろ。盾のない小田切や、三上の力では危険だ」
俺は叫んだ。
「ほんがー!」
雄叫びとともに、小田切がヘビーフレイルを振り抜く。
グラッジの左袖が引き千切られるが、その下は人の肌とは思えない黒紫色で、ぬめるように朝日を反射していた。あったはずの傷はまるで見当たらない。
ガチャリ。
三上はライトフレイルの先の鎖をグラッジの足に巻き付けた。
体重をかけて引き倒そうとするが、ピクリとも動かない。
ガキン、ガキン、ガキン。
その間も、俺はグラッジの曲刀を受け続ける。
俺の剣も、グラッジの曲刀も刃こぼれがひどい。腕もだんだん上がらなくなってくる。
ヤバイな。
そう思った瞬間、俺の剣が折れた。
次の一撃を盾で受けようとするが、たぶん盾ごと斬られるだろう。
俺は思わず目をつぶる。
バリッ。
目を開けると、三上が俺の前に出て、盾で受け止めていた。
三上の盾が真っ二つに割れ、曲刀の刃が三上の前腕で止まっていた。
なぜ吹き飛ばない? 三上の前腕には白い棒のようなものが取り付けられていた。
「これは死んだ大蛇の牙。予想通り、パワーアシストスーツのように操作できたよ」
だが、腹にグラッジの蹴り。
ぎりぎりガードしたが、ふんばりが効かず、ゴロゴロと地面を転がる三上。
そのとき、後方からガラガラと音がする。
気づくとグラッジの前に木のレールが敷かれていた。
小田切の乗ったトロッコが、俺の横を通り過ぎた。
「小田切、ホームラン!」
小田切がバットのようにヘビーフレイルを振り切ると、グラッジの右腕が千切れ、曲刀とともに飛んでいく。
だが、トロッコとともに地面に投げ出される小田切。
それでも二人は立ち上がる。俺も剣を捨て、槍を拾う。俺たちは三人でグラッジを囲んだ。
人間を辞めても、曲刀さえなければ……。
だが、その予測は悪い方向に裏切られる。
「オォレレレノモモネノダダ~」
グラッジが、もはや人間の声とは思えない濁った叫びを上げた。
グラッジの全身の服が裂け、中から黒紫色の細い無数の手が噴き出した。
俺たち一人ひとりへ、複数の手が同時に襲いかかってくる。
それを必死で斬り、払いのけ、叩き落す。
だが、俺の肩が掴まれた。
次の瞬間、腕も押さえ込まれ、別の手が盾と槍を毟り取る。
そのまま地面へ引き倒され、俺は身動きできなくなった。
見ると、小田切も三上も、同じように無数の腕に押さえ込まれていた。
そして、一番遠くにいる藤堂へ向かって、黒紫色の手が一斉に伸びていく。
彼女の後ろには、ぐったりした山岳民族の子供がいる。
彼女は、無数の手を槍と鉄盾で留め、弾いていく。
「ここは絶対に通さないよ!」
俺たちの倍以上の手が伸びるが、それでも藤堂は手を通さない。
「ボババアバ~」
グラッジの既に人とは思えぬ口から、怪音が鳴る。
その体はもはや人というより、巨大なイソギンチャクのような形へと変わった。
俺たちから奪った武器や盾が、その体に取り込まれていく。
さらに手が増える。
藤堂は槍が奪われるが、盾とバスケのようなステップで子供へ手を通さない。
ついにグラッジの黒紫色の手は、藤堂の袖を、ズボンの裾を、鎧を毟りはじめた。
それでも藤堂は、キャプテン・ブレイズの鉄盾で防ぎ続けた。
「この盾は、絶対、みんなを守るんだから!」
俺たちも、手から抜け出そうと力を振り絞るが、それは叶わない。
グラッジの手は、藤堂からあらゆる物を毟り取っていき、それでも盾だけは奪えなかった。
周囲へも手を伸ばし、岩や土などまで取り込んでいく。
グラッジの体はどんどん大きく膨らんでいき、取り込んだものがボコボコと体表に浮き出る。
際限なく膨らむかに見えたが、やがて無数の手が一斉にもがき、ぴたりと静止する。
次の瞬間、グラッジの体は破裂した。
シュウシュウと液体が飛び散り、俺たちを掴む手も力を失って地面に転がる。
みんな、それぞれ自分の上の手を払いのけて立ち上がる
「藤堂、大丈夫か?」
男たち三人が、藤堂に近付こうとして固まった。
藤堂は、鉄の盾を体の前にかざして立ち尽くしていた。
俺たちは、その場に座り込んでしばらく休んだ。
藤堂は、怯える山岳民族の子供を横に座らせ、肩を抱いている。
「アイツ、何だったんだ」
小田切が誰にともなくつぶやく。
「魔族、じゃないですよね。ジェイドとも全然違いました」
三上が顎に手を当てた。
「変身する生物、というより……人間が怪物になって、爆発した?」
思いつきで口にしたが、たぶんそれが一番近い気がした。
やがて隊商が近付いてきた。どうやらここは通り道だったらしい。
俺たちは隊商に合流し、そのままミドラス高原を抜けた。
その先に広がっていたのは、白荒野だった。
乾きひび割れた土にはガラス質の砂が混じり、岩肌のあちこちにも白く鈍い光が浮いている。
草木さえほとんど生えないその地に、なぜ人が住もうとしたのか、俺には分からなかった。
それでも隊商は白い荒野を進み、数日後、サントナール王族の住む街へ辿り着く。
そこは岩山をくり抜いて築かれた、半地下の都市だった。
◇
深夜のカンザ。パルネ子爵邸の前庭で、二つの集団が対峙していた。
片側には肥え太った貴族と、その護衛らしき目元を仮面で隠した二十人ほどの兵士。
もう一方には外套で全身を覆い、目深にフードを被った五人の来訪者。
「ようこそ、星雨博士ヒュエトス様。お待ちしておりましたよ。キヒヒヒ」
太った貴族がねっとりと笑った。
「子爵。アステリオ様の話は本当なのだろうな」
外套の一人、長身痩躯の男ヒュエトスが聞いた。
「もちろんですよ。おい」
子爵が顎をしゃくると、仮面兵たちが左右に割れた。
奥には手枷をはめられた十人の魔族。その中のに、顔を俯かせた赤髪の男がいた。
「お兄様」
別の一人がフードを跳ねのけ、言った。赤い髪。彼女はメディアだった。
「なぜ手枷をつけているのだ!」
さらに別の一人、外套越しにも分かる巨躯の男が怒鳴ると、フードが落ちた。
そこには赤黒い狼の頭があった。
「もちろん、暴れられないためですよ。ここで暴れないよう、説得して欲しいのです」
子爵は悪びれもせず言ってのけた。
そこに突然、鋭い声が響く。
「そこまでだ!」
庭の木陰からガストン師団長と白い鎧をまとった天城が姿を現し、同時に門が破壊された。
五十人近い兵士が雪崩れ込んで来る。
「やはり、騙し討ちか!」
狼頭が右手を、子爵に振り下ろす。
「げはっ」
後ろにいた仮面の黒騎士が子爵を引いたが、浅からぬ傷を負ってしまう。
「人間どもめ! この狼炎軍団長リュカオンの力を見るがよい」
リュカオンが王国兵に襲いかかり、御堂たちが立ち向かう。
「メディアさま、我らはアステリオ様を」
ヒュエトスの言葉に、メディアたちがアステリオたちの元へと向かう。
「子爵様を守れ!」
仮面兵たちが子爵を館に連れ出そうとし、それを天城が追いかける。
その前に黒騎士が立ちふさがった。
「魔族か!」
天城が剣を振るうが、黒騎士がそれを受け止める。激しい斬り合いが始まった。
「子爵を追え!」
ガストン師団長と王国兵の一部が館へ向かう。
一方、御堂たちはリュカオンに押されていた。王国兵が一人、また一人と倒されていく。
「炎竜巻!」
御堂の掛け声とともに、炎が渦巻きリュカオンを飲み込む。
「何だ、そよ風か?」
炎は彼を焼くことなく、突き抜けた。そのままメディアたちに向かう。
「しまった。メディア様、お逃げ下さい!」
ヒュエトスが叫んだ。
「メディア、よせ!」
アステリオや魔族たちも制止の声を上げる。
「いいえ、この程度の炎」
彼らを庇い、炎に飛び込むメディア。
彼女の衣は燃え尽きるが、その肌が焼けることはなかった。むしろ、体の一部が炎と化す。
炎の渦が御堂へと押し戻され、二人の魔力がその中心に集中する。
熱量が膨れ上がった。
「いけない、このままでは」
メディアの言葉に、御堂も焦る。
「星雨招来」
ヒュエトスが唱えると、突然の豪雨が炎に降り注ぐ。
白煙が広がり、視界を覆った。
そして轟音とともに、衝撃波がその場の者たちをなぎ倒した。
だが霧が晴れたとき、致命傷を負った者はいなかった。
誰もが、最悪は避けられたと思った。
その瞬間だった。
「天鳴斬!」
「剛魔撃!」
白光を放つ天城の剣と、黒炎をまとう黒騎士の剣が衝突する。
「やああっ!」
「ちぃっ」
黒騎士の一撃が天城の剣筋を弾いた。
逸れた光と闇の奔流が、砲弾のようにアステリオたちへ飛ぶ。
「危ない!」
メディアが叫ぶ。彼女は躊躇なく、彼らの前へ躍り出た。
「やめろおおおっ!」
アステリオの叫びも届かない。
光と闇が、彼女の身体を呑み込んだ。
「あ……っ」
メディアの身体が力を失い、崩れ落ちる。
「メディアーっ!」
彼女の前に膝をついたアステリオが絶叫する。
「くそぉ、人間めっ!」
彼の唇から血がこぼれた。
「彼女は……?」
天城は剣を握ったまま、動けずにいた。
そこへドカドカと館からガストン師団長が出てくる。
「裏切り者のパルネ子爵は討ち取ったり!」
その手には、子爵の首が掲げられていた。
この後、黒騎士は退き、魔族たちも王国兵を突破して撤退した。
子爵が秘密裏に行っていた魔族との捕虜交換。
人間と魔族を結ぶ、か細い架け橋。
天城たちは、自らそれを壊したと知り、愕然とするのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第二章「白荒野への危険な旅」編は、これにて終了となります。
最後までお付き合いいただいた読者の皆様へ、心より感謝申し上げます。
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次章の更新まで、少し間が空く予定です。
気長にお待ちいただけましたら幸いです。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。




