月下の薬草
夜の薬草園は、昼とは別の顔を持つ。
月明かりの下、薬草たちが銀色に光る。夜に咲く花もある。月見草がそうだ。白い花弁を月に向けて開いている。
私がここにいるのは、仕事のためだ。
エドワルドに密かに盛られている遅効性の毒——睡蓮花の根の抽出液。これに対する解毒薬を調合するには、夜にしか採取できない薬草がいくつか必要だった。
籠を手に、月見草の根を掘り起こす。銀露草の葉を摘む。
「……こんな時間に何をしている」
声に振り返ると、エドワルドが立っていた。
ランタンを手に持ち、不思議そうに——いや、少し心配そうにこちらを見ている。
「殿下こそ、どうしてここに」
「眠れなくて散歩をしていたら、灯りが見えた」
エドワルドが薬草園に入ってくる。私の手元の籠を覗き込む。
「月見草の根に……銀露草? この組み合わせは——」
「お分かりですか」
「解毒の基本処方だ。だが、何の解毒に?」
鋭い。薬草学の知識は伊達ではない。
迷う。ここで真実を話すべきか。エドワルドが狙われていることを。
いいえ——まだ早い。全てを話せば、この人が動く。動けば、ダリウスに気づかれる。今はまだ、静かに守る段階だ。
「予防用です。毒見師として、万一に備えて常備しておきたいので」
「夜中に一人で薬草を採って?」
「銀露草は夜に採らないと効能が落ちるんです」
エドワルドが少し考え込む。そして——
「手伝う」
「え?」
「銀露草は茎が折れやすい。二人で採ったほうが効率がいい」
そう言って、ランタンを地面に置き、膝をつく。銀露草の根元に手を伸ばし、丁寧に茎を支えながら葉を摘む。
慣れた手つきだ。この人は書物の知識だけではなく、実際に手を動かしてきたのだ。
「……お上手ですね」
「暇だからな。宮廷で出番がないと、庭いじりくらいしかやることがない」
自嘲的に言うが、その手つきは確かだ。
しばらく、二人で薬草を摘む。月明かりと虫の音だけが包む静かな時間。
不思議な感覚だった。前世では交わらなかった二人が、月下の庭で薬草を摘んでいる。
「セラフィーナ」
「はい」
「君は……なぜ、毒のことをそんなに知っている?」
手が止まる。
「毒見師だからです」
「任命されてまだ三週間だ。三週間で百種の毒を見分ける人間はいない」
灰色の瞳が、月光の中でまっすぐに私を射る。
この人は——鈍くない。書物の虫に見えて、本質を見抜く目を持っている。
嘘をついてもいい。だがこの人に嘘をつきたくない。
「……生まれつき、味覚が鋭いんです。伯爵家の体質で」
半分は真実。半分は——言えない。
「体質か」
「はい。匂いも、味も、人より強く感じます。毒見師に推薦されたのは、そのためです」
エドワルドが頷く。納得したのか、しなかったのか。
「もう一つ聞いていいか」
「はい」
「なぜ——あの日、俺の茶を心配した」
中庭で初めて話した日のことだ。彼の茶から甘い匂いを感じ取り、私が毒見を申し出た。
「毒見師として、王族の飲食物は全て気になります」
「毒見師が担当するのは国王と王太后の食事だけだ。第二王子の茶など、管轄外だろう」
正論だ。私の行動は、職務上の理由では説明がつかない。
「……殿下のお茶から、不自然な匂いがしたんです。微かでしたが」
「匂い」
「ええ。甘い——花のような。お茶の香りではないもの」
エドワルドの表情が変わる。驚きではない。何か——確認するような目。
「……俺も、最近少し体調が悪い。原因が分からなかった」
心臓が締め付けられる。
前世と同じだ。彼は体調の異変を感じていたが、原因が毒だとは気づかなかった。そのまま二年間、少しずつ蝕まれて——死んだ。
「殿下。今後は——私が確認したお茶だけをお飲みください」
「……なぜ、そこまで」
「毒見師の職業病です」
苦しい言い訳だ。エドワルドの目がそれを見抜いている。
だが彼は追及しなかった。代わりに、小さく頷いた。
「分かった。頼む」
その言葉の重さに、胸が震える。
前世では交わせなかった約束。前世では守れなかった人。
銀露草の葉を握りしめる。今度こそ。
帰り道、エドワルドが並んで歩いてくれた。十分な距離を取りながら。
「また薬草が必要なときは言え。手伝う」
「……ありがとうございます」
「礼は要らない。俺も——久しぶりに面白い夜だった」
月が高い。庭を横切る影が二つ。
これが信頼の始まりだと、私は知っている。前世では存在しなかった、二人の繋がり。
エドワルドとの秘密の共同作業。
二人だけの夜の薬草園、楽しんでいただけたら幸いです。




