三度目の朝
七日目の朝。
国王の体内から、最後の根が抜けた。
ヴェルナが椅子に崩れ落ちるように座り、長い息を吐く。四日間にわたる術式の施行。彼女の消耗は限界に近かった。
「……終わったわ」
「ありがとうございます」
「礼は要らない。私の仇でもあるのだから」
国王の顔色が——生きている色に戻っている。頬に薄い赤み。指先の紫が消え、体温が正常に戻りつつある。
国王がゆっくりと目を開ける。
「……腹が減った」
その一言で、部屋の空気が緩んだ。
朝食を用意する。私が厨房で直接調理し、メイが配膳する。パンと蜂蜜、茹で卵、温かいスープ。いつもと同じ献立。だが今日は——毒がない。
国王が朝食を口に運ぶ。
「……うまい。こんなに朝食がうまいのは久しぶりだ」
毒が体から消えれば、味覚も正常に戻る。国王は長い間、概念毒に蝕まれながら食事をしていたのだ。本来の味を——取り戻したのだろう。
国王の朝食を見届けた後、エドワルドに呼ばれて薬草園に向かった。
朝の光が薬草園を金色に染めている。夜露がまだ残るローズマリーの葉が輝き、空気に青い香りが満ちている。足元の土が湿っていて、踏むたびに柔らかい音がする。
エドワルドがベンチに座っている。手には——二つの杯。
「また、自分で淹れたのですか」
「文句あるか」
「ありません」
受け取る。カモミールとミント。あの夜と同じ組み合わせ。
口に含む。——味が、する。薄いけれど、確かにカモミールの穏やかな苦みと、ミントの清涼感が舌に届く。
「味覚——戻ってきたのか」
「……少しだけ。完全にはまだ」
「そうか」
エドワルドが茶を一口飲み、薬草園の朝を眺める。しばらくの沈黙。
「父上が回復した。ガレスの追捕は両国合同で行われる。ヴェルナがルンデリアに戻って指揮を執る。——ひとまず、この件は片付く」
「はい」
「アレインが——変わった。三日間の代理統治で、自分で判断を下す経験をした。まだ危なっかしいが、ダリウスに依存していた頃とは違う」
「アレイン殿下は、本来聡明な方です。ただ——背中を押してくれる人がいなかっただけで」
「お前は——いつもそうやって、人の良いところを見つけるな」
「毒を見つけるより——良いものを見つけるほうが好きです」
エドワルドが杯をベンチに置く。そして——私のほうを向いた。
朝の光が灰色の瞳を琥珀に染めている。真っ直ぐな目。不器用で、まっすぐで、隠し事のできない目。
「セラフィーナ」
「はい」
「俺は——王になるかもしれない。兄上が自分から辞退する可能性がある。まだ先の話だが」
「……はい」
「王になっても、ならなくても。俺が守りたいものは変わらない」
エドワルドの手が伸びる。今度は迷わない。私の手を取り、指を絡める。あの夜できなかったことを——朝の光の下で。
「お前を——ずっと傍に置きたい。毒見師としてではなく」
心臓が跳ねる。頬が熱くなる。朝の空気が急に甘く感じる——カモミールの香りか、それとも。
「……殿下。それは——」
「エドワルドだ」
「エドワルド。私は——前世の記憶を持つ、普通ではない人間です。あなたの隣にふさわしいかどうか——」
「ふさわしいかどうかは、俺が決める」
強い声。だが指先は——少し震えている。
「お前の答えが聞きたい」
朝の風が薬草園を渡る。ローズマリーの香り。月見草の花弁が、朝日を受けて閉じていく。夜の花が眠り、昼の世界が始まる。
前世では——この朝は来なかった。前世のエドワルドは二年目の秋に逝き、私は三年目の春に毒で死んだ。
今世で迎える三度目の朝。前世にはなかった朝。
「——はい」
一語。たった一語。だがそれに——二つの人生分の想いを込める。
エドワルドが息を飲む。そして——不器用に笑う。口元だけでなく、目も。初めて見る、全部で笑った顔。
繋いだ手を離さないまま、二人で朝食を取る。パンと蜂蜜。薬草茶。穏やかな朝。
毒のない、ただの朝食。
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薬草園を出るとき、廊下でヴェルナとすれ違った。
旅支度をしている。ルンデリアに戻るのだろう。
「元気そうね。味覚は?」
「少しずつ」
「焦らないで。毒師の血が調整してくれるわ」
ヴェルナが足を止める。黒い瞳が——私をじっと見つめる。
「ねえ、セラフィーナ」
「はい」
「あなた——何度か『前世』と言ったわね。無意識に」
心臓が止まるかと思った。
「概念毒の署名を読み取るとき、『前世にもこの毒はなかった』と。国王の前でも。——偶然の言い間違いにしては多すぎる」
言葉が出ない。
ヴェルナが一歩近づく。声をひそめる。
「毒師の系譜には——もう一つ、伝承がある。毒で命を落とした魂が、稀に前の生の記憶を持ったまま生まれ変わる。毒に二度殺されないために——体が記憶を残すの」
「——」
「あなた、前の人生を覚えているのね」
沈黙。長い沈黙。
嘘をつくべきか。だが——ヴェルナの目は、糾弾ではなく、理解を映している。
「……はい」
「そう」
ヴェルナが微笑む。穏やかに。
「安心して。誰にも言わないわ。——でも、次に会ったときには、全部聞かせてもらうから」
背を向けて歩いていく。黒い髪が朝の光に揺れる。
私は廊下に立ち尽くす。
秘密が——一つ、共有された。
前世の記憶。回帰の真実。それを知る人間が——エドワルドに続いて、二人目。
だがヴェルナの言葉の中に、新たな謎がある。
毒で命を落とした魂が、記憶を持ったまま生まれ変わる。——それが毒師の血に関わる現象だとしたら、私の回帰は偶然ではなく、血の記憶。
第三の朝が明ける。穏やかに。だが——物語は、まだ終わらない。




