真の黒幕
三日目の朝。国王の顔色に、わずかな赤みが戻っていた。
ヴェルナは一晩中、国王の枕元で術式を施していた。私が特定した「焔の系譜」の署名を手がかりに、概念毒の根を一本ずつ引き抜く作業。繊細で、消耗の激しい術だ。
三本の根のうち二本は抜けた。残り一本——最も深い根が、まだ国王の体内に留まっている。
「最後の一本は——もう少し時間がかかる。でも、もう命に別状はないわ」
ヴェルナの声は疲弊しているが、確信がある。黒い髪が額に張りつき、目の下に濃い隈。それでも書物を手放さない。
私の味覚は——まだ戻らない。舌の先に薄い膜が張ったような感覚。食べ物の味が遠い。だが嗅覚は生きている。それだけで十分だ。
「署名が焔の系譜だと分かった以上——犯人の範囲はさらに狭まる」
エドワルドが地図を広げる。ルンデリアと我が国の国境地帯。ダリウスの暗号書簡で判明した取引記録。そして——ヴェルナが持ち込んだ、ルンデリア側の調査資料。
全ての線を並べる。
「ダリウスがルンデリア側の人間と繋がっていたことは分かっている。書簡の暗号を解読した結果、取引相手は——ルンデリアの元宰相府に所属していた人物」
「ヴェルナ。あなたの育ての親を殺した犯人と——」
「同一人物よ。間違いない」
ヴェルナが書物の最後の頁を開く。そこには、一枚の肖像画が挟まれていた。灰色の髪、鋭い目つき、痩せた顎。
「ガレス・ファルケン。ルンデリアの元宰相補佐。表向きは五年前に失脚し、追放された。だが——実際には姿を消しただけ」
「ファルケン——焔の系譜の」
「そう。断絶したはずのファルケン家の——最後の一人。毒師の血を引き、概念毒を扱える。ルンデリアの前宰相を概念毒で殺し、この国のダリウスを操って国王を狙った」
全てが繋がる。一本の糸が、三年分の闇を貫いて真っ直ぐに伸びている。
ダリウスは使い捨ての駒だった。通常の毒殺で前線を張らせ、自分は影に潜んで概念毒を仕込む。ダリウスが失脚しても、概念毒による本命の攻撃は続いていた。
「動機は」
「復讐よ」
ヴェルナの声が低くなる。
「ファルケン家は百年以上、ルンデリア王家に仕えた毒師の名門だった。だが毒師の存在が政治的に不都合になり——王命で一族が解体された。ガレスの一族は財産を没収され、名誉を剥奪された。ガレスは——王家そのものへの復讐を企てた」
「ルンデリアの王だけでなく——この国の王まで」
「毒師を迫害したのは両国の王家。だから両方を潰す。それがガレスの計画」
国王が薄く目を開ける。
「……聞こえていた。全て」
「陛下」
「ダリウスは——操り人形だったということか」
「はい。真の黒幕は隣国に潜伏している元宰相補佐ガレス・ファルケンです」
国王が天井を見上げる。長い沈黙の後——息を吐く。
「証拠は揃うか」
エドワルドが頷く。
「ダリウスの暗号書簡に含まれる取引記録。ヴェルナが持ち込んだルンデリア側の調査資料。そして——概念毒の署名が焔の系譜であることの証言。セラフィーナの舌と、ヴェルナの術式が物的証拠を補強します」
「セラフィーナ嬢」
国王が私を見る。
「……お前の舌に、この国は救われた。礼を言う」
「勿体ないお言葉です」
「ヴェルナ殿」
「はい」
「ルンデリアとの共同でガレスを追捕する。両国の合意が必要だ。——あなたの力を借りたい」
ヴェルナが一瞬、目を見開く。そして——深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。三年間、一人で追い続けました。ようやく——」
声が震える。初めて見る、ヴェルナの脆さ。
「ようやく、終わりが見える」
私はヴェルナの肩に手を置く。細い肩が震えている。
「全ての毒は——一人の人間に繋がっていた」
呟く。前世の記憶が脳裏をよぎる。あのとき解けなかった謎。あのとき救えなかった命。全ては——この一人の男に起因していた。
今世で、ようやく糸を辿り切った。
エドワルドが私を見る。灰色の瞳に、静かな誇りがある。
「よくやった」
短い言葉。だがその重さは——どんな勲章よりも深い。
窓の外で、朝の光が差し始めている。長い夜が明けようとしている。ヴェルナの書物が机の上で開かれたまま、古い薬草の匂いを放っている。その匂いの中に——もう恐怖はない。




