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「この程度の毒なら」毒殺された令嬢は、二度目の宮廷で微笑む  作者: 凪乃
毒の記憶

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二つの杯

 薬草園の夜。二度目の。


 エドワルドから「話がある」と呼び出されたのは、ヴェルナとの同盟を結んだ翌日の夕暮れだった。メイには「夜の薬草採取」と伝えてある。嘘ではない。銀露草の補充は実際に必要だ。


 ランタンを二つ、ベンチの両脇に置く。月はまだ低く、薬草園は藍色の薄闇に沈んでいる。月見草が白い花弁を開き始め、甘い青臭さが夜気に溶ける。


 エドワルドは杯を二つ持ってきていた。


「毒見は頼まないぞ。自分で淹れた」


「……殿下が自分で?」


「薬草茶くらい淹れられる」


 受け取る。指先に伝わる陶器のぬくもり。カモミールとミントの混合。匂いに異常はない。味も——穏やかな苦みと甘み。安全だ。


「それで——話とは」


 エドワルドが杯を膝の上に置き、薬草園の闇を見つめる。しばらく黙ったあと、低い声で口を開いた。


「父上が倒れたら、王位は兄上に行く。それが順当だ」


「……はい」


「だが——兄上は、ダリウスに依存していた。政策の大半はダリウスが立案し、兄上は承認するだけだった。ダリウスがいなくなった今、兄上は自分で判断を下せない」


 アレイン第一王子。温厚だが優柔不断。ダリウスの失脚後、宮廷では「第一王子に統治能力があるのか」という声が囁かれ始めている。


「一部の貴族が俺に接触してきている。『エドワルド殿下こそ次期国王にふさわしい』と」


「それは——」


「断った。全て」


 エドワルドの横顔にランタンの光が揺れる。灰色の瞳が琥珀に染まり、また元に戻る。


「俺は王になりたいんじゃない」


 声が静かに落ちる。月見草の花弁が風に揺れ、甘い香りが一瞬強くなる。


「ただ——守りたいだけだ。この国を。兄上を。そして——」


 言葉が途切れる。エドワルドが杯を見つめる。


「お前が毒を見つけ続けなくていい世界を作りたい」


 胸の奥が震える。


 前世のエドワルドは、何も知らないまま死んだ。毒の存在すら知らず、体が蝕まれていることに気づかず、二年かけて静かに衰弱し——消えた。


 今世のこの人は、全てを知った上で「守りたい」と言っている。


「殿下」


「エドワルドでいい。二人のときは」


「……エドワルド」


 名前を呼ぶ。初めて敬称なしで。舌の上で名前の音が転がり、不思議な甘さを残す。カモミールの残り香とは違う。


「王位継承は——あなたが決めることではないかもしれません。でも、あなたが守りたいものを守ることは、あなた自身が決められます」


「分かっている」


「私は毒見師です。あなたの食卓から毒を取り除くのが務めです。でも——それだけではなく」


 言葉を選ぶ。前世の記憶が重い。この人を失った記憶が、胸の底に錨のように沈んでいる。


「あなたが生きている世界を——私も守りたい」


 沈黙。虫の声だけが薬草園を満たす。


 エドワルドの手が動いた。ゆっくりと、迷いを含んだ動きで——私の手に触れる。


 指先が重なる。彼の手は温かい。薬草茶の余熱か、それとも体温か。指の節が硬く、ペンだこがある。書物を読み、薬草を摘み、自分の手で道を切り拓いてきた人の手。


 握り返す。指を絡める勇気はまだない。ただ、触れたまま——離さない。


「……お前は」


 エドワルドが呟く。


「本当に、不思議な人間だな」


「よく言われます」


「誰に」


「あなたに」


 小さく笑う声。エドワルドの、不器用な笑い方。口元だけで笑って、目は真剣なまま。


 月が高くなっていく。薬草園の影が短くなる。二つの杯が空になっても、手は離れない。


 帰り道。並んで歩く。半歩の距離。前回より近い。


「ヴェルナのことは信用していいのか」


「まだ分かりません。でも——彼女は本気です。育ての親を殺された怒りは、偽れない」


「お前の判断を信じる」


 短い言葉に、重い信頼が詰まっている。


 石畳の先で廊下が二手に分かれる。エドワルドが足を止める。


「セラフィーナ」


「はい」


「明日から——俺も調査に加わる。ヴェルナの件も、概念毒の件も。一人で抱えるな」


「……ありがとうございます」


「礼はいい。——お前の手が冷たかったから、茶を淹れただけだ」


 背を向けて去る。耳の先が赤いのは、ランタンの光のせいだと思うことにする。


 一人になった廊下で、触れられた手を見つめる。まだ温かい。


 前世にはなかった温度。前世にはなかった約束。


 この手を——離したくない。

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