銀の匙
ヴェルナと二人、薬草園のベンチに座る。
エドワルドには「女同士の話がある」と告げた。不満そうな目をしていたが、メイが控えの間にいることを条件に退いてくれた。
月見草はまだ蕾。昼の薬草園は穏やかだが、隣に座る女から漂う空気は穏やかではない。
「単刀直入に言うわ」
ヴェルナが革装丁の書物を膝の上で開く。黄ばんだ頁から薬草の乾いた匂いが立つ。
「ルンデリアでも——毒殺事件が起きている。三年前から。手口はあなたの国と同じ」
心臓が跳ねる。
「同じ、とは」
「遅効性の毒を長期間にわたって食事に混入し、標的を緩やかに蝕む。使われたのは植物毒と鉱物毒の組み合わせ。そして——最後に致死毒で仕留める」
ダリウスの手口と同じだ。
「被害者は?」
「ルンデリアの前宰相。表向きは病死とされた。けれど私が遺体を調べたとき——爪の色が変わっていた。砒素の長期摂取の痕跡」
ヴェルナの目が暗くなる。個人的な感情がそこにある。
「前宰相は——あなたにとって、大切な方だった」
「……育ての親よ」
沈黙が落ちる。薬草園を風が渡り、ローズマリーの香りが鼻に届く。
「だからあなたは外務省の特別顧問という肩書で——毒の調査をしている」
「正確に言えば、犯人を追っている。三年間、ずっと」
ヴェルナが書物の頁をめくる。中には毒物の分析記録が手書きで綴られている。筆跡は繊細で正確。
「ここに辿り着いた。ダリウスという男がルンデリア側の人間と繋がっていたことは掴んでいた。彼が捕まったと聞いて——使節団に紛れ込んだ」
「紛れ込んだ?」
「外務省の正規メンバーではないの。顧問の肩書は——自分で作った」
大胆な女だ。だが三年間犯人を追い続ける執念は——私と似ている。
「茶会の毒は——あなたが仕込んだものですか」
直球で問う。ヴェルナが一瞬、目を見開く。そして——小さく笑った。
「違うわ。でも、あの毒が茶会に紛れることは分かっていた。だから止めなかった」
「なぜ」
「あなたの実力を見たかったから。味覚だけであの毒に気づけるかどうか」
「気づいた。だが正体は分からない」
「当然よ。あれは概念毒。味覚では検出できない。あなたが反応したのは——匂い。概念毒は味を持たないけれど、ごく微量の冷気を伴う。それを嗅覚で捉えた」
概念毒。ダリウスの書簡に一度だけ現れた言葉。
「概念毒とは何ですか」
「薬学ではなく、術理に属するもの。植物や鉱物から抽出するのではなく——術式によって『害意』そのものを液体に定着させる。体内に入ると、臓器を物理的に侵すのではなく、生命の根幹を蝕む」
「解毒は」
「通常の解毒薬は効かない。概念毒を解くには、同じ術理の系譜に属する人間が必要。——つまり、作った人間か、その血筋の者」
血筋。
「ヴェルナ。あなたは——概念毒を解ける?」
沈黙。長い沈黙。
「……解けるわ。私は——毒師の家系だから」
毒師。毒を作り、毒を解く一族。
「ルンデリアには、かつて毒師の家系がいくつかあった。王家に仕え、暗殺と防毒の両方を担った。今はほとんど絶えている。私の家は——最後の一つ」
ヴェルナの指が書物の背を撫でる。革の感触を確かめるように。
「この書物は、私の祖母が遺したもの。毒師の系譜と、概念毒の調合法・解毒法が記されている」
「なぜ——それを私に見せるのですか」
「あなたの舌が必要だから」
ヴェルナが私を真っ直ぐに見る。
「概念毒を作っている人間を特定するには、毒の痕跡を辿る必要がある。術式ごとに微かな『署名』が残る。それは——普通の人間には感知できない。でも、あなたなら感じ取れるかもしれない」
「私の味覚で?」
「味覚だけではない。あなたの嗅覚。あの茶会で、概念毒の冷気に反応した。普通はありえない。あなたの体質は——単なる鋭敏さではないのよ」
心臓が速くなる。
前世でも、自分の味覚の鋭さは「体質」で片づけていた。エドワルドにもそう説明した。
だが——もし、それ以上の理由があるなら。
「私たち、同じ人間に狙われているのかもしれない」
ヴェルナの声が低くなる。
「ルンデリアの前宰相を殺し、この国のダリウスを操り、概念毒を使う人間。その人間を——一緒に追わない?」
薬草園の風が変わる。ローズマリーの匂いの奥に、ヴェルナの書物から立ち上る古い薬草の香りが重なる。
敵かもしれない相手に手を差し出されている。だが——彼女の目に嘘はない。育ての親を殺された怒りは、作れるものではない。
「……いいでしょう」
手を伸ばし、ヴェルナの手を握る。彼女の指は冷たく、細い。だが握り返す力は強い。
「ただし——私の味方はエドワルドとメイです。あなたを信じるかどうかは、これから決めます」
「十分よ。信頼は——毒と同じで、時間をかけて確かめるものだから」
ヴェルナが微笑む。初めて見せた、計算のない笑顔。




