隣国の舌
ルンデリア王国の外交使節団が王都に入ったのは、晴れた朝のことだ。
宮殿の正面広場に並ぶ馬車。深い青の紋章旗がはためく。護衛騎士の甲冑は銀ではなく黒鉄で、靴音が石畳に低く響く。この国の使節団とは空気が違う。
私は控えの間から窓越しに見下ろしている。メイが隣で小声で言う。
「外交官が六名、護衛が十二名。団長はガルシア侯爵ですが——副団長がお若い女性だそうです」
「女性?」
「ヴェルナ・レイスフェルト。ルンデリア外務省の特別顧問とか」
特別顧問。外交の実務ではなく、特定の分野の専門家ということ。
歓迎の茶会が午後に催される。王太后主催。私は当然、毒見師として同席する。
午後。
薔薇の咲く中庭に、白い天幕が張られている。テーブルクロスの上に銀の茶器。焼き菓子。砂糖漬けの果物。春の陽光が全てを金色に染める。
穏やかな光景。しかし私の舌は、穏やかさの裏を探る道具だ。
茶会が始まる前に、全ての飲食物を確認する。紅茶——問題ない。菓子——問題ない。果物——問題ない。
王太后が席につく。ルンデリアの使節団が招かれる。
その中に——彼女がいた。
黒い髪。この国では珍しい、墨を流したような真っ直ぐな長い髪。肌は白く、唇が薄い紅を引いたように赤い。年齢は私と同じか、少し上。
ヴェルナ・レイスフェルト。
私に気づくと、かすかに微笑んだ。社交的な笑みではない。品定めをする目。
茶会が進む。世間話。外交辞令。王太后は温和な方で、場を和ませるのが上手い。
だが私の注意は、一点に向いていた。
ヴェルナが自分の紅茶に唇をつける前に——ほんの一瞬、鼻先をカップに近づけた。匂いを嗅いでいる。
毒見師と同じ仕草。
その視線が私と重なる。彼女もまた、私の動作を見ていた。
「あなたが、この国の毒見師?」
茶会の合間、ヴェルナが近づいてくる。声はルンデリア訛りの柔らかい響き。だが目は鋭い。
「セラフィーナ・エールステッドです」
「ヴェルナ・レイスフェルト。ルンデリアの——まあ、色々やっているわ」
曖昧な自己紹介。意図的に情報を出さない。
「宰相を暴いた毒見師。噂は聞いているわ」
「恐れ入ります」
「けれど——本当に全ての毒を見抜けるのかしら」
挑発ではない。純粋な問い。そしてその問いの裏に、何か試すような色がある。
その瞬間——鼻が異変を捉えた。
テーブルの上の紅茶。王太后の二杯目。さきほど確認したポットから注がれたもの。
匂いが——違う。紅茶の香りの下に、ごく薄い膜のように異質な匂いが重なっている。甘くも苦くもない。冷たい、と表現するしかない匂い。氷の表面に鼻を近づけたときのような。
経験したことがない。
前世の百種を超える毒のどれとも一致しない。
「お待ちください」
王太后のカップに手を伸ばす。
「セラフィーナ嬢?」
「申し訳ございません。こちらの紅茶に——微かな異変を感じます」
カップを鼻に寄せる。冷たい匂い。舌の先でほんの一滴を味わう。
味がない。匂いだけが残る。舌に残留しない。だが喉の奥に——影のような冷たさが一瞬だけ落ちた。
これは——何だ。
既知の毒ではない。鉱物毒でも植物毒でも合成毒でもない。前世の記憶の、どの引き出しにもない。
「どうされましたか、セラフィーナ嬢」
王太后が心配そうに問いかける。
「念のため、新しいお茶をご用意させてください」
カップを下げさせる。新しい紅茶を確認し、安全を確認して差し出す。茶会は何事もなく再開される。
だが——手が震えている。
振り返ると、ヴェルナが私を見ていた。唇の端に微笑みを浮かべて。
「あら。この国の毒見師は、お茶も満足に飲めないの?」
挑発。だがその目の奥には——共犯の色がある。まるで「気づいたのね」と言っているような。
「あの毒を——ご存知なのですか」
「毒? さあ。ただの紅茶の不純物かもしれないわよ」
ヴェルナが踵を返す。黒い髪が風に揺れる。
去り際、小声が落とされた。
「あなたの舌は、思ったより鋭いわね。——でも、舌だけでは足りないものがあるの」
中庭を吹き抜ける風が、薔薇の花弁を散らす。甘い香りの中に、あの冷たい匂いの残像がまだ鼻の奥に残っている。
味覚では見抜けない毒。匿名書簡の警告が、現実になった。




