朝の食卓
朝の光が部屋に差し込む。
目を覚ます。白い漆喰の天井。金色の装飾。見覚えのある——自分の部屋。
一ヶ月半前の朝もこうだった。同じ天井、同じ光。だが全てが違う。
あの朝は——二度目の人生の始まりだった。
この朝は——二度目の人生が、初めて穏やかに始まる朝だ。
「セラフィーナ様、おはようございます」
メイが朝食の支度を整えている。温かいパンの匂い。蜂蜜の甘い香り。
「メイ。今日の朝食は——私の分は、自分で選びたいの」
「……はい?」
「毒見は必要ないわ。自分の朝食くらい、自分で味わいたいの」
メイが目を丸くする。そして——少し笑った。
「……はい。そうですわね」
食堂に向かう。
宮廷の朝食は大広間で共にするのが慣例だが、今朝は小さな朝食室が用意されていた。ダリウスの失脚後、宮廷のしきたりが少しずつ変わり始めている。
朝食室に入ると、先客がいた。
エドワルド。
テーブルの向かい側に座り、パンを齧っている。私に気づいて、少し頬を緩めた——ように見えた。すぐに無表情に戻るが。
「おはよう」
「おはようございます」
向かい側に座る。
テーブルの上には、焼きたてのパン、蜂蜜、季節の果物、温かいスープ。そして——紅茶。
紅茶のカップを手に取る。香りを確かめる。
セイロンの葉。正しい香り。その奥に——何もない。余計なものは何も混じっていない。
一口飲む。
舌に広がるのは、ただの紅茶の味。苦みと香りと温かさ。それだけ。
美味しい。
——ただ、美味しい。
目頭が熱くなりかける。馬鹿馬鹿しい。紅茶を飲んだだけで泣きそうになるなんて。
でも——前世では、最後まで「ただ美味しい」と思えるお茶を飲めなかった。どんな飲み物にも、毒がないかを確認する舌が先に動いた。三年間、一度も、純粋に味を楽しめなかった。
今、初めて——安心して飲んでいる。
「……泣くな」
エドワルドが低い声で言う。
「泣いてません」
「目が赤い」
「紅茶が熱かっただけです」
エドワルドが小さく息をつく。だが——唇の端が、わずかに上がっている。
パンを千切って、蜂蜜をつける。口に運ぶ。焼きたての温かさ。蜂蜜の甘さ。
単純な味が、今は何よりも贅沢に感じる。
「エドワルド」
「何だ」
「お体の調子はいかがですか」
「良い。——お前のおかげで」
「薬草園の解毒薬は、殿下ご自身も——」
「エドワルドでいいと言った」
「……エドワルド。あなた自身も調合を手伝ってくださいました」
「銀露草を摘んだだけだ。何度も言わせるな」
この人は本当に、素直に受け取れない人だ。だがそれが——心地いい。
朝食を食べ進める。穏やかな時間。前世にはなかった時間。
「セラフィーナ」
「はい」
「宰相府の調査で、ダリウスの書簡が押収された。——その中に、気になるものがあった」
空気が少し変わる。
「気になるもの?」
「ダリウスの背後に、もう一人いる可能性がある。書簡の宛先が——ダリウスではない第三者になっている」
第三者。
前世では——そんな存在に気づかなかった。ダリウスが全ての黒幕だと思っていた。
しかし。前世の私は、ダリウスの正体すら見抜けずに死んだ。その先に何があったかなど、知るよしもない。
「どのような人物ですか」
「まだ分からない。書簡は暗号で書かれている。解読に時間がかかる」
ダリウスの背後の存在。前世には見えなかった影。
今世は——もっと深いところまで踏み込む必要がある。
「エドワルド」
「ああ」
「一つ、お願いがあります」
「言え」
「毒見師の任を、続けさせてください」
エドワルドが眉を上げる。
「ダリウスは倒しました。でも——宮廷の毒が全て消えたとは限りません。背後に誰かがいるなら、なおさら」
「……お前は、まだ戦うのか」
「戦うのではありません。守るんです。——あなたを。宮廷を。この食卓を」
エドワルドが私を見る。灰色の瞳が、朝の光を受けて少し明るい。
「……好きにしろ。ただし、一人で無茶はするな」
「しません。——もう、一人ではありませんから」
エドワルドが目を逸らす。耳が少し赤い。
メイがお茶を淹れ直しに来る。侍女の目が少し楽しそうだ。見なかったふりをする。
朝食が終わる。
エドワルドが先に立ち上がる。
「午後から書簡の解読に当たる。——手伝うか」
「もちろんです」
「では薬草園で——いや、書斎で」
少し考えて言い直す。公の場で二人で薬草園に行くのは噂になる、と思ったのだろう。不器用だ。
「書斎でお待ちしています」
エドワルドが頷いて、去っていく。
一人になった朝食室で、もう一口だけ紅茶を飲む。
温かい。美味しい。安全だ。
窓の外、庭園の薔薇が朝日を浴びている。棘はある。でも今は——花が見える。
前世の私は、この宮廷で死んだ。
今世の私は、この宮廷で——生きている。
カップを置く。立ち上がる。
二度目の人生は、まだ始まったばかりだ。
——その日の夕刻。
王の私室に、一通の書簡が届けられた。差出人の名はなく、蝋で封印されていた。
王がその封を切り、書面に目を通す。
表情が——凍りついた。
「……これは——」
書簡を握りしめる手が、かすかに震えていた。
第1章「毒の記憶」、完結です!
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第2章では、ダリウスの背後に潜むさらなる陰謀が……? お楽しみに!




