二度目の涙
ダリウスの拘束から三日が過ぎた。
宮廷は騒然としていた。宰相の失脚。王族への毒殺未遂。重臣たちの動揺。政治の空白。
私は毒見の仕事を続けていた。ダリウスがいなくなっても、宮廷の食事に毒がないとは限らない。残党の可能性もある。
だが——食事は、静かになっていた。毒は検出されなくなった。
メイが言った。「宮廷が息をしている感じがします」と。
ダリウスという毒が取り除かれて、初めて宮廷が本来の姿に戻りつつある。
しかし私は——まだ震えていた。
三日間、仕事をこなしながら、夜になると手が震えた。ダリウスの目を思い出す。あの冷たい計算する目。「こいつは何者だ」と問う目。
前世の恐怖と、今世の緊張が、体の中で混ざり合っている。
四日目の夕暮れ。
薬草園に足を向けた。月見草が白い花を開きかけている。まだ日没前だが、ここにいると少し落ち着く。
「——来ると思った」
声に振り返る。エドワルドが石のベンチに座っていた。いつもの場所だ。だが書物は持っていない。
「殿下」
「座れ」
隣に腰を下ろす。今は——十分な距離を取らなくても、自然だった。
しばらく黙って、夕暮れの庭を見ていた。
「……体調はいかがですか」
「良くなった。薬草園の解毒薬が効いたらしい。——お前が調合してくれた」
「あれは殿下も手伝ってくださいましたから」
「銀露草を摘んだだけだ」
沈黙。虫の音が遠くから聞こえる。
「セラフィーナ」
「はい」
「全てが終わったら、聞こうと思っていたことがある」
心臓が跳ねる。
「お前は——何者だ」
予想していた問いだった。ダリウスと同じ問い。だが声の温度が全く違う。
「……毒見師です」
「それだけではないだろう。任命初日から百種の毒を見分け、宰相の陰謀を見抜き、俺の茶に毒が入っていることを——初めて会った日に察知した」
エドワルドが私を見る。灰色の瞳に、月の光が差し始めている。
「体質だと言ったな。味覚が鋭いと。——嘘ではないのだろう。だが、それだけでは説明がつかない」
「……殿下」
「俺に嘘はつくな」
静かな声。命令ではない。願いだ。
喉が詰まる。
全てを話すべきか。私は前世で死んだ。毒殺された。そして三年前に戻った。前世の記憶がある。だから全ての毒を知っている。
信じてもらえるだろうか。
「……一つだけ、聞いてください」
「ああ」
「もし——もし、一度死んだ人間が、過去に戻れたとしたら。全ての記憶を持ったまま」
エドワルドの目が動く。
「その人間は——前の人生で守れなかった人を、今度こそ守ろうとすると思いますか」
長い沈黙。
エドワルドが——ゆっくりと、息を吐いた。
「……そういう、ことか」
肯定も否定もしない。だが——通じた。この人には、通じた。
「全て信じるとは言わない」
「はい」
「だが——お前が命をかけて俺を守った。それは事実だ。理由が何であれ」
エドワルドが立ち上がる。私の前に立つ。夕暮れの残光が、彼の輪郭を金色に縁取る。
「セラフィーナ」
「はい」
「毒見師だとか、令嬢だとか、前世がどうだとか——そんなことはどうでもいい」
手が——伸びてくる。
「お前を、失いたくない」
その手が、私の手に触れた。
温かい。
前世では、この手を握ることはなかった。彼が死ぬ前にも、私が死ぬ前にも。二人は最後まで——触れることすらなかった。
涙が落ちた。
止められなかった。堪えようとしたのに。
前世で流せなかった涙が、全部、今になって出てくる。
「泣くな——いや、泣いていい」
エドワルドの声が困惑と優しさの間で揺れている。不器用だ。本当に。
「ごめんなさい——」
「謝るな。お前は何も悪くない」
「違うの。嬉しいの。前世では——この手を、握れなかった」
また失言だ。「前世」と口に出してしまった。だが——もういい。
エドワルドの手が、少し強く握られた。
「なら、今世では握れ」
不器用で、ぶっきらぼうで、でも——嘘がない。
この人は前世でもこうだったのだろう。誰にも見せなかっただけで。
涙が止まらない。でも今、泣いている理由は——前世の悲しみではなく、今世の喜びだった。
月見草が満開になっている。白い花が二つの影を見守っている。
「殿下」
「エドワルドでいい」
「……エドワルド」
「何だ」
「ありがとう」
彼が少し困ったように鼻を鳴らす。
「礼を言われることはしていない。——まだ、何も」
「いいえ。十分です」
手を握ったまま、夕暮れが夜に変わるのを見ていた。
前世で叶わなかった時間が、今、流れている。
エドワルドの告白——「毒見師だとか、令嬢だとか、そんなことはどうでもいい」
セラフィーナが流した涙は、前世とは違う涙でした。




