毒の朝
喉が灼ける。
それが最後の記憶だった。
甘い果実酒の奥に、針のような苦みが一瞬だけ走って——気づいたときには、もう遅かった。
毒だ。
三年間、王家の毒見を務めてきた。一度も通さなかった。それなのに最後の最後に、自分が——
視界が白く溶けていく中で、メイの泣き声が聞こえた気がした。
——目を開けた。
天井に見覚えがある。白い漆喰、朝日を受けて金色に光る装飾。
これは——伯爵邸の、私の部屋だ。
「セラフィーナ様、お目覚めですか? 本日は任命式ですわ」
メイの声。泣いていない。落ち着いた、いつもの声。
心臓が跳ねた。
体を起こす。手を見る。傷もない。やせ細ってもいない。三年間、毒を味わい続けた体ではない。
「……今日は、何日?」
「三月十四日ですわ。宮廷毒見師の任命式の日です。セラフィーナ様、とうとう——」
メイが嬉しそうに微笑む。
三月十四日。三年前。
全てが始まった日。
私は——戻ったのだ。
毒殺される前の、あの朝に。
胸の奥で何かが弾ける。恐怖でも喜びでもない。それは、まだ名前がつかない熱だった。
拳を握りしめる。爪が掌に食い込む。小さな痛み。これは夢じゃない。
「メイ。支度をして」
「はい、もちろんです。素敵なドレスを——」
「地味なものでいいわ。目立つ必要はない」
メイが不思議そうに首を傾げる。無理もない。前世の私は、任命式に胸を躍らせていたのだから。
王家に仕えることを誉れだと思っていた。
毒見師として選ばれたことを、才能の証だと信じていた。
——馬鹿だった。
宮殿の大広間。高い天井から薄紅色の旗が垂れている。
前世でもこの光景を見た。あのときは美しいと思った。今は、毒で飾られた鳥籠にしか見えない。
「セラフィーナ・エールステッド嬢」
王室侍従長が私の名を呼ぶ。
進み出る。膝を折る。形式通りに——ただし、前世とは違う目で広間を見渡す。
右手の奥に、宰相ダリウスが立っている。穏やかな微笑。知的な眼差し。どこから見ても完璧な宮廷人。
——あの男が、全ての元凶だった。
前世では最後まで気づけなかった。気づいたときには、もう喉が灼けていた。
「セラフィーナ嬢。本日より王家の毒見をお願いいたします」
王の声が広間に響く。
「謹んでお受けいたします」
前世と同じ言葉。だが、意味が違う。
前世の私は、命を差し出す覚悟でこの任を受けた。今の私は——狩る側として受ける。
任命式が終わり、最初の務めが始まる。
控えの間に運ばれてきたのは、王太后の午後の紅茶。
白磁のカップ。湯気が立ち昇る。紅茶の色は琥珀。見た目には何の変哲もない。
前世の私は、この最初の一杯をおそるおそる口にした。何も感じなかった。毒はなかった。
——違う。
唇にカップを近づける。まず香りを確かめる。
セイロンの葉。正しい。だが、その奥に——かすかに、青い草の匂いが混じっている。
ほんの一口、含む。
舌の先に、微かな痺れ。紅茶の苦みとは違う、金属的な余韻が歯茎に残る。
——トリカブトの二次抽出液。致死量の十分の一以下。
これは殺すための毒ではない。味覚を鈍らせるための「下準備」。
前世の私は、これに気づけなかった。
少しずつ味覚を麻痺させられ、三年後に致死毒を見逃した。
カップを置く。侍従に向き直る。
「この紅茶には、微量の毒が含まれています」
広間が凍りつく。
「……は?」
「トリカブトの二次抽出液。致死量には程遠いですが、長期間摂取すると味覚が鈍ります。王太后様にお出しするわけにはまいりません」
侍従の顔が蒼白になる。前世では、この一杯を「安全」として通した。そこから全てが始まった。
今は違う。
最初の一手から、変える。
ダリウスが広間の入り口に現れる。穏やかな表情のまま、私を見る。
「初日から見事ですね、セラフィーナ嬢」
微笑む。前世と同じ微笑。
だが私は知っている。あの微笑みの裏に何があるのかを。
「ありがとうございます、ダリウス様」
私も微笑みを返す。
今度は——負けない。
もう二度と、誰の道具にもならない。
窓の外で、王宮の時計塔が正午を打った。
二度目の宮廷生活が始まる。
お読みいただきありがとうございます!
毒殺された令嬢セラフィーナ、三年前に戻りました。
今度は死なない——彼女の二度目の宮廷生活が始まります。
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第1章12話を一挙公開中です。




