仮和明のアナムネ
向宇市に転居して来て、もうどれくらいになるだろうか、なんて思うくらいに仮和明はこちらの生活にとっくになじんでいた。マラソン大会で手抜きをしていたら、後方から日野から弾を打ち込まれたなんて思い出もある、もちろん柔らかいスポンジの弾だったが、文字通り尻を叩くには十分だった。同学年や上級生が現わすアナムネに驚かなくなかったのは、超能力や魔法が当たり前の社会に溶け込むような感覚だった。まるで異世界転移だ。けれども、これは現実。時間も流れ、長袖だった制服も半袖に変わっていた。課程と一口に言っても、普通の高校の授業にプラスアルファに行われた。「アナムネ、アナムネ」とひたすら連呼した時などは本当に呪文か何かを強要されているのではないかと苦笑いさえ浮かんだ。座学も豊富でまるで自己啓発セミナーか何かとも思える講座もあったし、大学の心理学の専門的な講義もあった。それでも、仮和明には一向にアナムネが現れないということに変わりはなかったが。
ある日は突然訪れる。
夕刻の帰路、公園を通りかかった時である。子供たちの悲鳴が聞こえた。駆け付けると、子供数人を追い詰める姿があった。それは市内の清掃や治安維持パトロールのためのAIロボットが複数体合体した巨躯だった。
「ゴ……ミ……、シンゴウ……マモ」
ぎこちないほどにバグったとしか聞こえない音声の主が機能遵守を執行しようとしているのである。すなわち違反に対する制裁である。
もう仮和明は走っていた。子供たちを背にし、巨躯の前に立ちふさがったのである。それは思考があったわけではない。が、すぐに、
「子供たちが何をしたのか、それをどうするべきなのか、説明したのか?」
論理的な解決手段が口をついていた。相手はAIである。しかも、ここは向宇市である。ヴァーチャル・リアリティがゴーグル無しで可能となる、拡張現実都市なのである。コミュニケーションが対人と大差ないロボットたちの性能である。教育としても子供たちに鉄拳制裁など前時代的なことがお門違いだと理解しているはずである。
「キタク……ジカン……マモ……レ」
けれども、その質疑応答が成り立たなかった。ロボットとすれば職務執行なのだろう。けれども、それはもはや子供への暴力に発展しそうになっていた。
「話せばわかる。お前たちがこの子たちに守ってほしいことをちゃんと主張するんだ」
説得しかなかった。通じるはずの言語を仮和明は用いたのだ。ところが、
「ジ……ギ……ギギ……ギギ……」
もはや単語にさえもなっていない音声になる。もうこれは金属の塊を振るう機械になったのだと、仮和明は直感した。それは正解だった。混成ロボットは拳を掲げその巨躯で迫って来たのである。
仮和明にはどうしようもなかった。ヴァルネラビリティ値はもうすでに水準を超している。目覚ましい進展と称賛されても、アナムネを現出できなければ数字の持ち腐れだ。現に、手も足も、言葉一句すら出ないではないか。なぜ、自分はこんなところにやって来たのだろうと恨みがましい後悔が頭をよぎる。父親の消息を確かめる、体よく言えば息子らしい勇壮さかもしれない。翻ってそれは単なる好奇心だったのだろうと現実に揶揄されたとしても聞き流すだけだったのだが、正直なところそうかもしれないと、今に至っては蔑まれたとしても反論さえしないだろう。
どうあっても、この事態は打開されていない。仮和明がただただ呆然と立ち尽くす。終わる。主語がなにかは知れないが、そう思った瞬間だった。
「明、その夢がかなうと言いな」
父親の声が聞こえた。神の声でも天使の声でも悪魔のささやきでもない。仮和明が聞き覚えのある父親のいつもの穏やかな口調だった。
想いは可能であるからこそ想起されたのであり、さらに言えば、その人が成し得ることである。そうでないならば、その人が想うことは有り得ないのである。そして、それが実現していないならば、その人の選択がまだ適切ではないのだ。
――俺の、夢? 父さんに俺はなんて言ったんだ? なんて……
木、木漏れ日、走る、飛ぶ、息を切らす、まぶしい、笑顔、もっとたくさんのカットが高速で仮和明を見させた。目がかっと見開かれた。
照明よりも明るい閃光が脳裏に浮かんだ瞬間すでに仮和明は叫んでいた。
「止めろーッ!」
アナムネ、現出。彼の横には右半身が本来は昆虫をモデルにした変身ヒーローと、左半身がはるか遠くの惑星からやって来た三分間地上で戦える宇宙人ヒーローがまじりあったような姿として現れたのである。
「アナムネ……、そうだ。俺はヒーローになる!」
その時、たまたま畝摘は公園に通りかかった。なんてことはない普通の時間がはねた。彼女は現出した仮和明のアナムネを見開いて目撃した。
「人型のアナムネ……?」
これまでアナムネが人型をしていたなんてことは見たこともなければ、聞いたこともない。データベースでも検索キーワードに入っていないと記憶している。しかし、その上間違いなく目の前にいるのだ。これはアナムネだ。初の人型の。教師陣も研究者も驚愕するだろう。歓喜するだろうか。あるいは魔女狩りのような扱いになるかもしれない。そんな不確定な未来よりも、
「ヒーローは決してあきらめない」
さっきまで自失していた勇者はしたり顔で困窮者を救い出した。そればかりで人型のアナムネが活動を放棄するはずはない。事態は瞬く間に収束し、それはまさにヒーローの活躍としか言いようがなかった。
「仮和! なんなの、あんた!」
畝摘は駆け寄って仮和明の全身を舐めるように見た。恥ずかしそうに身をくねらす男子の横にもうアナムネはいない。
「大丈夫か? 怖い思いしたろ。分かったら、早く帰るんだぞ」
子供たちはゴミを道端に捨てたこともないし、この辺に横断歩道はないのに、どうしてAIロボットたちが襲いかかって来たのかわからないと主張して泣きべそをかきそうだった顔から、実に快活な表情に一変し英雄に勢いの良い返事をすると駆けだして行った。
「で、どういう状況だったわけ?」
「いや、さっきボコって分解してどっか行ったロボットが暴走してあの子たちを折檻しようとしてたから」
「守ってあげたってわけかい、ヒーローさんよ」
畝摘はからかうように肩をぶつける。
「いや、そんなんじゃないっすよ。けど、アナムネが現出するきっかけがこんなことって、あるんですね」
「まあ、ケースバイケースだけどね」
夢を進む息弾ませる男子と女子は興奮冷めやらぬ様子で公園を出た。




