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84. 秋季北海道大会準決勝 (vs蝦夷農業2)


 二回表、雨はカナの帽子を湿らせる程度であったが、少し冷たい風が吹き始めた。

 まだ序盤でもあり、大会が大詰めになってもカナンとフクローのバッテリーは、ストレートとカーブだけで投球を組み立てている。

 高速スライダーは、いざという時に空振りを奪うための切り札だ。


 エゾノーから初ヒットが飛び出し、2アウト二塁となって7番の檜山さん。

 詰まった当たりのライトフライが、今し方吹き始めた風に乗って、思いのほか伸びていった。

 ゆっくりとバックするルイさん。

 結局ルイさんはフェンスぎりぎりの地点で捕球した。3アウトチェンジ。


「ちょっと危なかったね」

「ああ。どうやらライト方向は、打球が伸びるみたいだな」

 ベンチに戻りながら、スズと会話を交わす。




 残念ながら雨は一向に止む気配がなく、それどころか、次第にそれとはっきり分かるような雨脚に変わってきた。

 二回裏の栗夕月奈は無得点、三回表もカナンは12球、三者凡退でエゾノーを抑えたが、そのわずかな間にカナはびしょ濡れになってしまう。


「お前ら、アンダーはイニング毎に着替えとけよ。今は大丈夫でも、後から寒さ、やって来っから」

 左内監督が手を叩きながら選手たちを出迎える。

『はいっ』


「いやぁ、肩ぐるんぐるん回るし、大丈夫だべさぁ」

『おめーがいちばん気ぃ付けなきゃ、ダメっしょっ!』

 カナンの大放言にチーム総出でツッコむが、良く見ると着替えを出しながら言っていたので、どうやら冗談のつもりだったらしい。


 カナン、お前ほんと、変わったな。

 以前はもっと気を張っていて、そんな冗談を言うようなヤツじゃなかった。

 肝腎の冗談は、ちっとも笑えなかったけれど。


「香奈ちゃん、一緒に着替えに行こ」

「はいっ」

 三回裏の攻撃は3番フクローからなので、菫さんもカナも、出番まで少し余裕がある。

 ふたりは着替えを持ってベンチ裏のダグアウトに入った。


 高校野球に女子が参加出来るようになって四年め。

 基本的には依然として男の世界であるが、運営側もだんだん慣れてきて、女子選手にもほんの少し、配慮がされるようになった。

 例えばここ北海道では、ダグアウトの片隅にパーティションの仕切りがあって、カナたち女子の着替えスペースが設けられている。

 菫さんとカナは、そのわずかなスペースに入り、チャチャッとユニフォームを脱ぎ始めた。


 案の定アンダーシャツは、汗と雨水でぐっしょりだった。

「こんなとこで裸になるの、勇気いるなぁ……」

 菫さんは思い切ったようにスポーツブラも脱ぎ、大きくないが形の良い乳房が露わになる。


 確かに薄いパーティションの向こうでは、男どもが普通に野球をやっていて、外で脱いでいるのとほとんど変わりはない。

「恥ずかしいけど、クセになっちゃうよりは、全然良いっしょ」

「やだぁ、露出狂かい? 香奈ちゃん変なこと言うねえ」

 タオルで濡れた身体を手早く拭きながら、ふたりでクツクツ笑う。


「――香奈ちゃんはブラ、着けないの?」

「あっ、はぁい。カナ、胸ないから」

 カナの絶望的な胸周りでは、激しく運動するとスポーツブラでさえもずれてしまうのが常なので、野球の時はノーブラで通していた。




 着替え終わってベンチに戻ると、ちょっと凄い事になっていた。

 フクローとルイさんの連続安打に続いて、5番チュージさんフォアボール。

 なんとノーアウト満塁の大チャンスである。


「雨が、なあ……マウンドの足場、悪くなってるんでないかい」

 カナンが呟きながら、ネクストサークルに向かう。

 なるほど少しの間に雨は激しくなり、今や本降りと言っても良いほどまでになっていた。


 この雨の中で、山越さんは持ち前のコントロールを、少し乱しているようだ。


 ともかく栗夕月奈にとっては願ってもない、さらに突き放すチャンス。

 6番を打つ巧打者の北野キタさんが、少し震えながらバットを構える。




 カキーン。

「おおおっ」

 痛烈な打球がショートの頭を越した――かに見えた。

 ところがエゾノーのショート、空知そらちさんがジャンプ一番。

 伸ばしたグラブの先ぎりぎりに、ボールが収まってしまう。これで1アウト。


 強くなった雨のせいもあったか、飛び出したランナーの戻りが悪い。

 セカンドベースカバーの浦河さんに送球。

 ルイさんが泥んこになってヘッドスライディングするが、間に合わない。

 2アウト。


 セカンドの浦河さんも、巧かった。

 ほとんどボールを握り直す事もなく、素早く一塁に転送した。

 チュージさんも慌ててベチンとヘッスラするも、判定はアウト。


「うわあ……」

「アンラッキーも、いいとこだぁ……」

 ノーアウト満塁がすべてフイになる、三重殺だった。

 栗夕月奈、無得点。スコアは3対0のままである。




 天候も試合自体も、すべての雲行きが怪しくなった、四回表。

 雨は容赦なくグラウンドに降り注いでいる。

 天気予報は曇り『時々』雨だったし、今の時刻がピークみたいな話だったので、雨が弱くなってくれればなあ……と願うばかりだ。


 カナの守備位置からは、ホーム近辺が雨に霞んでしまうほど、視界が悪くなっている。

 それに――寒いなあ……

 まだ10℃前半くらいの気温の筈だが、冷たい風がライト方向に向かって吹いていて、グラウンドでの体感温度は、かなり低い。

 カナがその場で細かく足踏みすると、天然芝のグラウンドがぴちゃぴちゃと水音を立てた。


 エゾノーの攻撃は、2番浦河さんから。

 カナンのストレートは、遠くからなら、相変わらず走っているように見えた。

 しかし二球め、詰まった当たりのショートゴロが事件を起こした。


 内野のクレー部分は、想像していたよりもひどく、泥濘化を起こしていたようだ。

 バウンドした打球が泥にめり込み、タッキーの遥か手前で止まってしまう。

 急いで前進し、ボールを拾うショートのタッキー。

 しかし間に合う筈もなく、バッター浦河さんは一塁を既に駆け抜けていた。


 栗夕月奈にとっては不運すぎる内野安打、エゾノーこの試合初めてのノーアウトのランナー。

 しかしこの瞬間、球審が両腕を挙げてブンブンと左右に何度か交差させた。


 試合中断を告げる合図だった。


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