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49. 短い夏休みとカナンの帰省(?)


 暇だ。

 一週間の合宿も終わり、カナは二日間の夏休みをもらっている。

 と言ってカナは、みんなと一緒に遊びに行ったりは出来ない。

 祖母、母、そして姉がインターハイに出掛けている今、間柴の家に居るのは、カナただひとり。

 店を出来れば閉めたくはないという、祖母たっての希望で、カナは呉服店を開けて店番をしているのだった。


 弓道大会の個人戦は男女とも初日に行われるとの事で、カナがひとりで朝食を済ませ、店を開けた時間には、美香お姉ちゃんは予選を戦っている頃だ。


 カナは店と自宅の境界部分、細長い上がり框になっているスペースにちいさな机を持ち込み、宿題を始めていた。

 宿題に飽きると裁縫道具を持ち出して、バッティンググローブの修理をした。


 駅前通りにはそれなりに車が走っているが、人の往来はほとんどない。

 真夏の過疎の町の、いつもの風景である。


 お祖母ちゃんのお友だちが店にやって来たのは、カナがチクチクと修繕作業をしている最中だった。


 祖母から話を聞いていたのだろう、特に困った事はないか、朝食は摂ったか、昼ご飯は大丈夫かなど細々と訊かれ、最後は香奈ちゃんひとりで留守番えらいねえと子ども扱いされ、そのまま去って行った。

 同じように様子を見に来たお祖母ちゃんのお友だちは、午前中にもうひとり来店した。


 ついでに言うと、午前中の客は、それだけだった――暇だ。

 お母さんから連絡があって、お姉ちゃんは四射四中(皆中かいちゅうと言うらしい)で予選を突破し、準決勝に進んだそうだ。




 昼食を摂って少しすると、引き戸をガラガラと開ける音がした。

「いらっしゃいませ――ああ、なんだカナンか」

 カナンが水羊羹を片手に、カナの陣中見舞いに来てくれた。 


「ありがと、甘いモン欲しかったんだぁ――冷えてる?」

「もちろん」

 商売道具のある店内で食べるわけにいかないので、カナンには居間に上がってもらった。


「麦茶、飲むか?」

「ああ頼む」

 居間で胡座をかいているカナンは、すっかり寛いだ様子だった。


「あーーっ、元我が家はやっぱ、あずましい(=居心地が良い)なぁっ」

 美味そうに一気飲みした麦茶のコップを置きながら、大きく伸びをするカナン。

 カナンになる前の15年間を過ごした家だもんな、当然と言えば当然か。

「穂波の家はあずましくないかい?」

「んなっ、そんなこたないさぁ」


 水羊羹を行儀良く口に運んでいたカナンが、急にきょろきょろし始めた。

「なんか、さ――家の中、綺麗になってないかい?」

「菫さんと奈月さん、だよ」

 カナもパクッと水羊羹を食べる。

 冷たい甘味がじわあっと口腔のそこかしこに広がって、ぷるぷるっとちいさな身体を震わせる。


「世話になったお礼だ、つって最後の夜、家のあちこち掃除してくれたんだぁ」


「そっか……あの日の練習、早めに切り上げたのは、そういう理由があったんだな」

 カナンの話だと、男子連中も校内の宿泊施設を清掃していたらしい。

 連合チームの合宿では、どうやらそれが慣例になっているようだった。


「ボクたちが見習うとこ、たくさんある合宿だったな……野球に対する取り組みとか、ビジターでの生活の仕方とか。吉田センセに教えてもらった高速スライダーなんか、目から鱗だったし」

 ふたりきりだと、カナンは急に饒舌になる。

 日頃はボロを出さないよう、わざと寡黙になってるのかな、そんな事も思った。


「水回りなんか、すげー綺麗になってるさぁ」

「うん。洗濯でずいぶん汚しちゃったから、特に念入りにやったさ」

 ユニフォームだけじゃなく、汗まみれのアンダーシャツやら泥だらけのソックスやら、風呂場の予洗いで汚れを落としても、やはりあちこち汚してはいた。


 先輩だけ働かせるわけにはいかなかったから、カナも当然手伝った。

 ただ、真夏にハッチャキこいたのでみんな汗だくとずぶ濡れになって、チビTにパンツで掃除した事、最後にはシャツもパンツも脱いで洗濯してしまった事、他人の家ですっぽんぽんて何かいいねー、とか菫さんも奈月さんもワケも分からずハイになっていた事などは、きちんと省いてカナンに話した。


 さらには、裸で布団に潜り込んだ菫さんが『ねえねえ、奈っちゃんて処女?』とシャレにならない方向へ話を振ってきて……いや、もうよそう。


 そんな時、お母さんからの連絡が再び届いた。

「美香お姉ちゃん、準決勝通過だって。決勝まで行ったよ」

「うおう、やったあ。決勝行ったの、何人かい?」

「えーと、訊いてみる――ありゃりゃ20人だってさ」

「まだまだ大変だねえ……」




 気だるい真夏の午後。

 上がり框に腰を下ろしたカナンは、一向に帰ろうとしなかった。

「カナン、一緒に店番してくれるのかい?」

「うん」

 間柴の店にも慣れたとはいえ、ひとりでの店番は初めてのカナにとって、経験豊富であろうカナンが傍に居てくれるのは正直ありがたかった。


「で、さ――これ一緒にやろうと思って」

 カナンは夏休みの宿題も持って来ていた。

「一緒にやろう、かい? 写ささしてくれ、の間違いじゃなくて?」

 少し意地悪な顔をして、カナンの顔を覗き込んでみる。


 カナとカナン、人格が入れ替わったと同時に、頭脳の方もそっくり入れ替わってしまった。

 その結果、カナは成績が上がって美香お姉ちゃんから頬擦りされ、カナンの成績は下がって、野球も良いけど少しは勉強にエネルギーを注げと、母に説教された。

「宿題写すって、そんな事しないさぁ――でも分かんないとこ、教えてくれ」


「分かんないとこって、どの辺さ?」

「全教科万遍なく、半分くらいは分からん」

 変な処で胸を張って応える、カナン。

「カナンお前――落ちこぼれるなよ……」


 相変わらず静かな店先で、カナンと顔を突き合せて宿題を始める――こんな近くにカナンが居るのは、久しぶりのような気がするし、それはやっぱり気のせいだというのも、カナには分かっていた。

 カナンとはいつも通り、学校では同じクラスでそれなりに絡んでいるし、帰り道は途中まで一緒だし、週一のペースで情報交換も続いている。


 遠くなったと言えば、野球部での距離くらいだ。

 ピッチャーを辞めたカナは、カナンと組んで練習する事は、ほとんどない。

 投手と野手では練習メニューが根本から違うし、試合の時もレフトの守備位置からマウンドまでは、相当遠い。


 そして今やカナンは、北北海道を代表するピッチャーだ。

 初戦コールド負け常連の栗高をベスト4まで押し上げた原動力として、少なくとも道内では、どこの媒体でも評判になっていた。

 新たな武器である高速スライダーの習得は順調で、カナンはさらなる成長を遂げようとしている。

 カナンとの距離は、この先もどんどん開いていくんだろうな――カナにはそんな、確信に近い予感があった。


 少しして、引き戸がガラガラと開き、今度こそ今日初めてのお客さんが来た。

「あっ、いらっしゃいませー」

 1オクターブ高い声で、元気良くカナが挨拶をする。


 近くにある栗川小学校の体操服を買い求めに来た、若いお母さんだった。

 ちいさな町のご近所さんなので、カナンもカナもまったく知らない人ではない。


「サイズは分かりますかぁ? ……そしたらコレですねえ……はいっ、お釣りですぅ……いやいやいや、カナもう、高一ですよぉ? ……毎度ありがとうございましたぁ」

 満面の営業スマイルで迷わず在庫を出し、そつなく接客するカナを、カナンは小机に頬杖を突きながらじっと観察していた。

「カナ、やるじゃねえか」

「へへっ、任しといてぇ」

 戻って来たカナにカナンが声を掛けると、カナはバチッとウィンクして力こぶを作った。


 そしてまた、間柴呉服店に静寂が戻り、カリカリというシャーペンの音だけが聞こえる。

「なあ、カナ」

「どした?」

「腹へった」

 なんとカナン、おやつを所望している。

「遠慮ないなぁ」


「とうきびあるから、茹でるかい」

「それもいいけど――お祖母ちゃん作った漬物、あるかい?」

「あるよ」


 栗川は山の中なので、ニシン漬けとか松前漬けとかそんな大層な代物ではなく、採ってきた山菜主体の素朴な漬物である。

 菫さんが使っていた客用の茶碗にご飯を盛り、皿に漬物全種類を入れて食卓にデンと置き、居間にカナンを突っ込んでおいた。


 しばらくは無言で、カナンがポリポリと漬物を囓る音だけが聞こえてくる。

 少しだけ、洟をすするような音も聞こえてくるような気がする。

 カナは居間に背を向けたまま、上がり框で宿題に没頭した。




 お母さんから三度めの連絡が届いたのは、カナンがまだ居間に居る時だった。

「うわああああっ!」

 画面を読んで思わず叫び声を上げたカナの元に、カナンが駆けつけてきた。

「なに? カナ、どしたぁ」


「――美香お姉ちゃん、優勝した……高校日本一だよ……」


 それを聞いたカナンが、一気に破顔した。

「マジかーっ! やったあああっ!!」

「すごいよーっ、お姉ちゃん、すごいよおーっ!」

 身長差40cmをモノともせず、ふたりで抱き合って飛び跳ねた。


 店は夕方にならないうちに、早仕舞いした。

 結局、朝から店を開けていて、服を買っていったお客さんはふたりだけであった。

 シャッター閉めるのをカナンが手伝ってくれる――こういう時、男手があると楽である。


「だいぶ捗ったわぁ……したっけ明日も店番手伝うから、また宿題手伝ってくれ」

 おっとっとカナン、明日も来るつもりか。

 まあ、ひとりよりふたりの方が退屈が紛れて、いいかな。


「カナン。ひとつ頼みがあるんだけど」

「おう」

「穂波の家からイモ団子、持って来て? お母さんが作ったヤツ」


「ああ、アレかぁ――うん、約束する」

「明日、一緒に食べよ」

「そだな――じゃあ、したっけ」

「したっけ」


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