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3. 運命の、人?


「ただいま」

 事故が昨日の今日だったので、店はまだ閉まっていた。

 母と一緒に、建て付けの悪い木戸をギイ、と開けて中に入る。


 間柴の家には何度か遊びに行った事もあるし、野球の買い物もしているので、満更知らない家ではない。

 美香さんが弓道、カナが野球をしているので、その関連商品も仕入れるようになっていて、若い客も意外に訪れる。

 しかし――いつ見ても相変わらず、古い家だった。


 時代に取り残されたような、木造の平屋。

 と言っても、文化財に指定されるようなご立派な建物でもない。

 木戸を抜けて入った店先は土間になっていて、商品が並んでいる。

 店の奥に上がり框があり、そこが玄関を兼ねていた。勝手口はあるにはあるが、不便なのであまり使っていない。


「ああ、お帰り。疲れただろ? お茶でも淹れるさ」

 玄関からすぐそこの、居間のソファに座っていた祖母が立ち上がり、台所の土間に向かう。

 祖母はカナよりさらにちいさく、少し腰が曲がっていた。

「あららお母さん、いいのよ、私やるから」

 母が慌てて後を追いかけた。


 居間の隣にはかなり広い大広間があって、奥に仏壇と先祖の写真が掛けてあった。

 女所帯の四人は、居間と大広間のほぼ二部屋で生活している。

 他にも部屋はあるにはあるが、古い家なので夏はともかく、冬は寒くて凍えてしまう。

 広間の一角にカーテンで仕切れるスペースがあるものの、プライバシーはほぼ無いと言って良かった。


 言われるがままに、部屋着に着替える。

 カーテンを引こうとすると、母に変な顔をされた。

 どうやらカナのヤツ、いつもは隠さずポンポン脱いでいたらしい。


 しかし今日だけは、箪笥の中身を確認する必要があると思い、構わずカーテンを閉めた。


 六段ある箪笥の引き出しは、上から姉が何故か二段、母、カナ、祖母の順。

 いちばん下はいろんな小物が入っていると、俺になったカナに教えてもらった。

 カナの引き出しはすぐに分かった――靴下が引き出しの隙間からぶら下がっている。

 

 引き出しを開けて、思わずため息が出た。

 ――お前、女だろ……もうちょっとこう、整理整頓てヤツ、しろよ……

 それでも野球関係のソックスやらアンサポやら、乱雑だが分けて置いてあるのは、カナらしかった。


 引き出しの隙間にねじ込んであるシャツとジャージを取り出し、服を脱いだ。

 下着姿になったカナ――つまり現在の俺――の身体が、鏡台の鏡に映る。


 元々カナの身体に欲情も期待もしていなかったが、久しぶりに見るカナの裸は、脂肪というモノがほとんど存在しなかった。

 腕も脚も、筋肉のカタマリ。

 腹も筋肉の線が見えるほど、鍛えてある。

 こいつ、こんなになるまで――俺はさっきとは別の意味で、長いため息を漏らした。


 広間の片隅には、美香姉さんの机と並んで、カナの机が置いてあった。

 私物が乱雑に積み重なっているが、そのほとんどが野球の本。

 ド真ん中にはプロテインのデカい缶が、ドーンと置かれている。


 そして、特別な感じで立て掛けてあった写真立てが、ふたつ。


 ひとつは栗川在住の有名人、北海道フロンティアーズの栗川くりかわ英樹ひでき監督。

 栗川町民で、栗川監督を好きじゃない人は居ない。栗川は言葉に表せないほどの恩を、監督から受けている。


 もうひとつには、東京ドルフィンズに今年入団したNPB史上初の女子選手、遠野みづほのサイン入り写真が入っていた。

 そう言えばこないだ、懸賞で当たったって自慢していたよな――


 間違いなくカナは、女を完全に捨てて、身も心も野球に捧げている。

 だが、現実はどうだろう――俺は唇を噛んで、栗川監督と遠野みづほ選手の写真を、交互に見つめていた。




「ただいま。香奈、帰って来てる?」

 弓道部の練習を終えて、美香さんが帰って来た。

 ちなみに美香さんの事は『お姉ちゃん』と呼ぶよう、カナに厳命されてある。


「お姉ちゃん、お帰り」

 ――美香さんとは学年も違うので、あまり話した事はない。何だか変な気分だ。

「香奈、もう大丈夫? どこも痛くないかい?」

 美香さんが屈んで、おでこ同士をコツン、とぶつけてくる。甘くて良い匂いがした。


「なんもなんも、明日っから野球の練習出来るよ」

「――あんまり無理しちゃ、ダメだかんね」

「うん。分かってる」

 姉の優しい笑顔に、こっちもつい表情が緩んでしまう。


 姉もまた、カーテンを引く素振りもなく、堂々と制服を脱いで着替えている。

 女所帯の同姓ばかり、しかも家族なんだから、裸を隠す習慣などないのだろう。

 しかし俺は――今のカナは、中身は男なんだから、ちょっと目の遣り場に困っていた。

 チラッと盗み見した姉の下着姿は、どっかのグラビアみたいで、とても綺麗だった。


 少し落ち着いた頃、祖母が俺たち姉妹を呼んだ。

「香奈。ちょっとこっち来ておちゃんこ(=座る)しなさい。お姉ちゃんもおちゃんこして」

「はい」

「なにさ、おばあちゃん。いつまでも子ども扱いしてぇ」

 姉の苦笑に、祖母の表情が一瞬緩むが、すぐに厳しい顔になった。


「香奈。昨日の事故は、お前が国道に飛び出したから、て言うじゃないか。何か言うこと、あるか?」


「ない――です」

 確かにアレは、カナの前方不注意で起きた事故だ。

 俺たちを轢いたコーチの人は、完全なとばっちりだった。

 となると……カナの代わりに、カナになった俺が謝らなくちゃならない。


「カナが悪かったです。ごめんなさい」

 正座したまま、指をついて頭を下げた。


 仕入れの受け取りをしていたらしい母が、居間に戻って来た。

 母もまた、難しい顔をしている。

「そだよ、香奈。お前が車に轢かれたって聞いて、おばあちゃん真っ青になって倒れそうだったんだから。高校生にもなって、飛び出しなんて恥ずかしい」


 はい――返す言葉もございません。

「ごめんなさい。二度としません」

 再び深々と頭を下げる。

 悪いのはカナなんだけど、今は俺がカナだからなあ……


 母はカナを見下ろし、ふうっと鼻から息を吐いた。

「まあ反省もしてるようだし――したっけそろそろ行くかね」

「え? どこに?」

「穂波さんまでお詫びと、香奈を助けてくれたお礼だよ」

 そう言う母の手には紙袋が提げられている。

 明らかに穂波家への手土産用に、ひとっ走り買ってきた風だった。


「香奈、髪がわや(=ひどい有様)になってるよ。穂波さん行くんだったらきちんとしなくちゃ」

 姉が香奈の手を引いて、鏡台に連れて行こうとする。

「いいよぉ、自分でやるから」

「だぁめ。お姉ちゃんに任せなさい」


 勝手がどうにも分からない事もあり、カナは鏡台の前にちょこんと座って、姉のされるがままに大人しくしていた。




 カナの髪を丁寧に梳きながら、姉の声が肩越しに聞こえてくる。

「穂波の加南ちゃん、飛び出した香奈を抱きかかえて、助けてくれたんだって?」

「うん」

 その結果、身体がそっくり入れ替わってしまったわけだが、助けようとしたのは事実だ。


「――加南ちゃんは香奈の、白馬の王子さまだね……」

 姉の言葉に一瞬、目が点になった。

「へっ?! ――いやいやいやぁ、そんな大袈裟なモンじゃないさぁ」

「香奈こそいい加減、気付きなよぉ」

 姉の整った顔が、鏡越しにカナを見つめている。


 姉は言葉を続けた。

「小っちゃい頃から香奈、ずっと加南ちゃんの事ばっか話して……姉ちゃん知ってるんだから。香奈は加南ちゃん、好きっしょ」

「ふええっ??!」

 また変な声が出てしまった。


 カナが好きなのはフクローだと、ずっと思っていた……

 だってフクローと話す時は楽しそうなくせに、いざ俺に口を開くと、出てくるのは文句ばかり。

 手加減なしに叩かれたり、ドロップキックを食らった事も、数知れず。

 カナが女じゃなくて、こんなちいさくなかったら、完全にいじめの図式だった。


「加南ちゃんは香奈の、運命の人かも知んないよ? 女の子って一度は、そういうのに憧れるもんさぁ……現実的じゃないって知ってても、さ」

 正直なとこ、カナを助けたのは身体が咄嗟に動いただけの話だし、反応に困る。

 カナの気持ちは、本人しか知る由もないから。

 俺はカナなんだけど、カナじゃないから……なんだか混乱してきた。


「加南ちゃんはあれでも、女子たちの間じゃ評判だよ? 優しいし、身体が丈夫だし、開土ちゃんの面倒もよくみてて家事もカンペキだ、って噂……それにだいぶ背も伸びて、カッコ良くなってきたしょ。結婚するならああいう子だって、栗高じゃ早くも一番人気だよ」


 え――――???

 そいつはガチで初耳だった。

 そんな気配、欠片も感じなかったけどなあ……事実、俺の学年ではフクローファン一色だし。


「カナは、フクローが一番人気だと思ってた……」

「福朗ちゃんに目が行くのは、まだ子どもの証拠さぁ」

 姉にふふん、と鼻で笑われた。


「福朗ちゃんは確かにカッコ良いけど、あの子はお医者さんの息子だから。将来、栗川を出て行く人だから……加南ちゃんと野球したくて、栗高に残ったらしいね」

 ああ、それは本人から実際に聞いた。

 俺たちバッテリーで栗川を盛り上げようって、嬉しい事を言ってくれたんだ。


「あーあ。香奈が加南ちゃん行かないなら、あたしが獲っちゃおうかなあ」

 こ、これは……マジで何と言って良いか分からない。

 何故って、純粋に女として見るなら、美香さんはカナの一万倍は魅力的だったからだ。


「ごめんごめん、冗談だよ」

 無言のままのカナを、怒ったと受け止めたらしく、姉は優しく肩越しに抱きしめてくれた。

「さ、終わった。行こ」


 居間に戻ったカナを見た祖母に母は、少し呆れた表情だった。

「またお姉ちゃんは……香奈の髪で遊んで、仕方ないねえ……」

「えっ? なに? なにっ??」

 前から見たら、両サイドをちいさいリボンで結んであるだけ――それでもいつものカナからしたら異常な部類――だが、そう言えば美香さん、後ろでいろいろゴソゴソやってた気がする……


「なんもなんも、めんこいじゃないかね。見違えたよ」

 祖母がカナの肩にポンと手を置いたので、不安なまま、曖昧な微笑を浮かべた。

 そうして夕食の支度に入った祖母を置いて、母と姉、カナの三人で、穂波の家――今は我が家じゃない俺の家――に歩いて向かった。


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