26番目 それは陰謀だったのだ!
右を見れば、中途半端に取り壊された石造家屋。左を見れば落書きをされ穴のあいた木造家屋。もう何度もこれと同じ光景を目にした。何もない空き地となっている空間もあったが、結局どれも似たようなものだ。
一様に荒れ果て、人の住みかとしての体をなしていない。当然そうでない建物も散見したが、2時間以上かけて歩きまわって、せいぜい両手で数えられるほどだ。同じような、うんざりするような景色ばかりで目印となるものもないまま長時間、このエリアLv.5を徘徊した。体力的な疲れはないが、精神疲労を感じる。早くいつものベッドの上で寛ぎたいものである。
右の半壊状態の建物内に椅子がある。木製で細い脚は、扱い方によっては簡単に壊れてしまいそうなほど頼りない。それでもひと時の休息を求めて、腰を下ろす。木のきしむ嫌な音がした。
そういえば、ここに来るまでに、ほとんど人を見なかった。それなりの規模を持つリュジュアックである、もう少し住人と遭遇しても良いのではないだろうか。
風が髪をなでる。さすがの魔術も気温まではコントロールできないようだ。早く基地へ戻ろう。
もう一度周囲を見渡す。この道の先も変わり映えしないボロ屋が立ち並んでいる。そして向かいの木造家屋の壁には、思った通り性器を連想させるような絵が描かれている。そう、思った通りだ。
とどのつまりが、上田は齢21にして、迷子となっていた。
本格的に帰ろうと決意して――迷子であることを自覚してから30分ほど経過したが、その間誰にも出会わなかった。人がいれば道を尋ねることができたのに、それができない状況だった。木か石か空き地か。わずか3パターンの風景しかなく、おまけにどの建物も隣接して建てられており、見通しが非常に悪い。方角がわかるような道具も、ましてや地図も持っていない。つまり、上田が迷子になったのは、仕方がないことだったのである。このような状況では、対処のしようがない。上田が悪いのではない。この、わかりづらい街の構造がいけないのだ。しかし、この上田にとっては迷宮とも言えるエリアLv.5に足を運んだのは、まぎれもなく自分自身の意思だった。
「まず結論から申し上げますと、『禁じられた書庫』は、ここリュジュアックの街に存在します」
あくまでも営業スマイルをたずさえて、男性はそう言った。彼は、グローバル馬貸し業者エクワインの裏仕事である諜報部を担当するエトリエールの職員であり、禿げていない。ブロンドの髪をオールバックに固め、グレーのスーツを着こなす彼は、いかにもやり手のビジネスマンといったところだ。ただ座って客の応対をしているだけにもかかわらず隙がない。艶のある木製のカウンター、奥に見える整理された机の上、それから目の前の彼。全てが洗練された雰囲気を持ち、見るものに単なる会社員という思いを抱かせない。それでも、あくまで、彼は営業スマイルを崩さない。ただ、どこかに違和感を感じるのも事実だった。
上田は『禁じられた書庫』というものの噂を知り、その真偽と、もし本当であれば所在地を聞くために、エトリエールへと来ていた。情報料は上田の給料10周分と決して安くはなかったが、今、やり手風の職員から例の噂は、ただの噂ではないとのお墨付きをもらった。このエトリエールという機関の信頼度はかなり高いそうで、この世界の人間であれば、誰にきいてもエトリエールが言うことに嘘は無いと言っていた。それを鵜呑みにするわけでも、ましてや雰囲気にのまれたわけでもないが、母体であるエクワインの規模や評判と合わせて考えても、事実だろうと考えられる。やり手風職員の言ったことは確からしいと考えられる。となれば続きをきかねばならない。『禁じられた書庫』が実在するのであれば、それはいったいいずこになのか。
上田がグリーンの瞳を見ながらきく。
「それで、『禁じられた書庫』は、どこにあるのですか?」
彼はそれに即答した。
「場所については、別料金を頂くことになりますがよろしいでしょうか?」
即答だった。
「え?」
上田は、つられて意味のない言葉を漏らす。
「え? 別料金、ですか?」
相手の言葉を繰り返すというのは、何も考えていないか、意味を捉えきれていない場合がほとんどだ。
彼は軽く首肯して言葉を繰り返した。
「はい、別料金をお支払いいただくことになります」
「つまり、先程払った分では、噂が嘘か真かという部分しかきくことができない、ということですか?」
「いいえ、それは正確ではありません。場所についてはその通りですが、お支払い済みの料金でこちらがお教えできるラインはそこではありません。『禁じられた書庫』があるということと、それに付随してもう少しお話できることがあります」
「なるほど」
これもほとんど意味のない言葉だ。
「ちなみに、追加料金というのは、いくらですか?」
職員が紙に金額を記入して差し出してきた。上田が紙に目を落とす。
「なるほど」
給料40週分だった。
黙ってその紙を押しかえすと、やり手風職員はそれを受け取りはさみで切った。
そして、あくまでも笑顔を絶やさずに。
「またのお越しをお待ちしております、上田様」
それでも違和感はぬぐいきれなかった。
上田は諦めた。金が足りない。40週ということは、10か月ということだ。それも一切使わないと仮定した最短期間でだ。現実には食費や雑費で、全てを貯金に回すわけにもいかない。突然の出費もあるかもしれない。よくて1年半、場合によっては3年近くかかるかもしれない。その間ずっと切りつめて、貧しい思いをし続けなければならない。別段浪費家ということではないが、ただでさえストレスの溜まりやすい今の環境で、別の要因を発生させたいとも思わない。さらに、いきすぎた貯蓄行動は経済の停滞を生むのである。自身の心に加えて、街の経済にも悪影響を与えたくはない。
そういうわけで、上田は諦めた。40週分の料金を支払って『禁じられた書庫』の場所の情報をきくことを諦めた。ゆえに、自分で探すことにした。とにかく、リュジュアックにあることは、確かなのだ。さらに、『ある』という情報があるということは、誰かがみつけたことがあるということでもある。そうでなければ、その存在を証明することはできない。エトリエールは既に場所を知っているはずなのだ。だからこそ、あのように自信を持って断言することができるのだ。
そして、上田は考えた。なぜ、あんなにも高いのだろうか。場所についての情報は、上田の給料で40週分する。上田の、つまり軍の給与水準は決して低くない。それどころか、ここリュジュアックのボリューム層である工場勤務者からすれば、高給取りの部類に入る。その上田が数年間も過剰な消費抑制を行わなければならないほどの値段。なぜ“『禁じられた書庫』の場所”の情報がそれほどまでの値段なのか。
価格を決める要素というものは、様々なものがある。専門ではないのであまり詳しくないが、希少性や需要などがそれにあたる。まず希少性だが、この情報は間違いなく貴重だろう。街の人間のほとんどが、その存在にさえ懐疑的なのだ。まして所在地を知る者などいないと考えるのが妥当だ。そして一般的に希少性が高い方が価格が上がる傾向にある。次に需要だ。街の人々は存在自体を疑い気味で、場所を知りたいとまで考える人は稀だろう。ということは、これは価格を下げる要因となるはずだ。
しかしながら、そのようなマイナスの要因を含みながら、尚この価格である。何かほかにも理由があるに違いない。
視点を変えてみる。需要ではなく、供給。情報を与える側、情報の管理者側の都合。
エクワインのエトリエールというブランドは、相当強い。多分競合する企業もほとんどない。つまり彼らに価格の決定権がある。そして利用者には、その内訳がわからない。どのような基準で価格を決めているのか。さらに、情報の入手経路もわからない。どんな内容でも調査可能だとの話なので、場合によっては入手困難なこともあるだろう。もしかしたら非合法なやり方で、命の危険を伴うこともあるのかもしれない。そう考えると、今回はそうだろうか。『禁じられた書庫』の場所。危ない香りがしないわけでもない。禁じられたという部分から、何者かが行動した結果そうなったと読み取れなくもない。深読みだろうか。ウォードは言っていた。『失われた魔法』は大きな組織が意図的にそうさせた、と。であればそこにつながる『禁じられた書庫』に関しても同様に考えることができないだろうか。となるとこの値段にも合点がいく。そもそも知られたくないのだ。だから値段を上げる。利用者が核心に迫ることがないように、重要な部分の情報は高額にする。そうすれば、たいていの人間は諦めてしまう。諦めさせられてしまう。 ――馬鹿馬鹿しい。
そのようなものは、ただの陰謀論にすぎない。自分で考えておいて何だが、行き過ぎだ。だいたい、『失われた魔法』にまつわる組織があったとして、その組織とエトリエールとの繋がりは? 仮に『禁じられた書庫』の場所を知られたくない組織があったとして、エトリエールまでそれに従う義理などないはずだ。つまり、単なる妄想にすぎない。邪推し過ぎだ。
ただ、ただ、組織がエトリエールどころかエクワインさえも操ることのできる強大な力を持っていたとしたら――。
ありえない。
そして上田は自力で探すことに決めた。真相がどうあれお金を払うことができないことは事実だったし、貯める気もなかった。かといって何もせずに諦めるという選択肢もない。『ある』ことは確定した上に、幸運にも今の時期は昇格試験間近でこっそりと動くのには都合が良い。試験が終わるまでの1カ月半くらいは、自分の足で探しまわっても良いだろう。
その結果、上田は迷子となった。
予想外だった。街の広さや、荒れ様や、道のわかりづらさ。
これ以上闇雲に歩き回っても無駄だろう。
眉間に手をあて考える。
価格がどうこう言っている時ではなかった。今はどうやって帰るか。それだけだ。
立ち上がり周囲を見ても、これといって何か目立つものもない。落書きは似たようなものばかりだったし、荒れ方もそれぞれに特徴があるわけでもない。とにかく、目印さえあればどうにかなるはずだ。書くものはないし……、この際通りすぎた建物を片っ端から破壊して、それを通った跡とするのも良いかもしれない。いや、もちろん良くは無いが、なくはない。人が住んでいるような気配はしないし、緊急事態だ。許してくれるだろう。
よし、そうと決まれば、善は急げだ。今の筋力であれば、木製なら割と楽に壊すことができるだろう。
崩れ落ちる天井に巻き込まれないために、一旦家の外に出る。
力をこめて、渾身の一突き。をお見舞いしようとしたところで、声が聞こえた。
「ウェーダ隊長、ウェーダ隊長」
あの紺のジャケットはリュジュアック基地の隊員だ。
助かった。
初めの内は良かった。道幅が広く見通しは利くし、工場ごとに、社名がわかるような看板や塗装があった。これなら同じ過ちを繰り返すこともない。
そもそも、20歳を超えて短い間にそう何度も迷子になるはずがないのだ。
街の中心から離れるにつれて、工場よりも家が増えてきた。どれも同じデザインだ。とはいえ、まだ道はわかる。後ろに行けば戻ることができる。
だいたい、前世界でも迷子になった憶えなどない。
めくれ上がった石畳につまずいたときに既視感をおぼえた。中央の基地を囲む壁を見失って久しい。今や目に映るのは木でできた単純な建物ばかりだ。壁には相変わらず卑猥な落書きがあり、角には穴があいている。時折黒い影がその穴に出たり入ったりするのを見た。多分ネズミだろう。
記憶力には自信がある方だが、映像記憶能力はなく、徹底した反復で憶えるタイプだ。
今度は真新しい建物を見るようになった。しかしもう少し探索した方が良いだろう。『禁じられた書庫』という大仰な呼び方をされているのだから、うんとわかりにくい、へき地にあるに違いない。そう信じて突き進んでいく。
確か遭難した時の心得は、『遭難した場所から動くな』だったはずだ。
今回は時計もコンパスも持ってきている。基地近辺の店で買ってから探索に取り組んだのだった。時計の針は丁度てっぺん。時刻は正午だ。つまり店を出てから、1時間30分が経過したということになる。昨日は、だいたいこの時点で迷子になったと判断したが、今日はコンパスも持っている。まだいける。
急に建物がない平原に辿りつき、そこから引き返すことにした。それから3時間たっても基地へ戻ることはできなかった。行きより倍の時間をかけても帰ることができなかったということで、ようやく諦めた。
認めることにしよう。納得することにしよう。
とどのつまりが、上田は齢21にして、2日続けて迷子になっていた。
そうして上田が破壊した家が10軒を超えたところで声が聞こえた。
「ウェーダ隊長、ウェーダ隊長」
またもやあの紺のジャケットにお世話になるとは。
助かった。
上田は考えていた。何かおかしい。どうも怪しい。
どうして自分が2日連続で街の見回り当番に保護されなければならないのか。
もちろん一番の理由が自分の迷子にあることはわかっている。路地が複雑な街のせいでもあるが、日をおかずに、しかも対策してまで迷子になってしまった以上は認めざるを得ない。しかし、どうも変だ。都合が良すぎる。迷子になったことではない、助かったことが、だ。
行き、帰り、発見。それぞれにかけた時間がその異常さを物語っている。2度の迷子、いやこれはもう遭難と言っても良いが、2度にわたる遭難において、行きと帰りは、ほとんど同じ時間を費やした。出発して引き返すことを決意するまでの時間と、その決意をして遭難したことを自覚するまでの時間。どちらもほとんど同じだ。一方で、自覚して発見されるまでの時間、これは圧倒的に短い。短すぎている。上田が多少帰還能力に欠けることは信じざるを得ないが、それでも多少だ。この街は中心から外れるほどに複雑化していくことは疑いようもないし、遭難もある程度はやむなしといったところだ。聞くところによると、移民の流入で街は少しずつ拡大しており、その全貌を把握できているものはいないらしい。特に上田が足を踏み入れたエリアLv.4とエリアLv.5はそれが顕著で、奥まで行く人はめったにいないとのことだ。それなのに、上田が遭難を自覚して、つまり立ち止まり考えを整理し始めてから30分程で見回りが駆けつけてくる。見回りといっても基地周辺の限られた区域しか見回ることはない。それなのに、遭難しやすい区域の、さらにわかりにくい場所にいた上田を確実に保護できたというのは、あまりに幸運が過ぎる。
ただ、上田を発見する何時間も前から捜索を開始していたという可能性も、なくはない。
初めて遭難してから1週間。上田はエリアLv.5の見回り当番詰所にいた。
「先日はご迷惑をおかけしました。今日も散歩がてら、エリアLv.5を歩いてみようと思います。ただ奥の方へ行くつもりはないので、心配されなくとも大丈夫ですよ。では」
ジャンに街で流行っているといって渡された未開封のお菓子を詰所の隊員にあげて、上田は街の雑踏の中に消えていった。
それから1時間。なるべく人目につかないように歩いていき、目的の場所へと着いた。木の根元に座り込み、じっと待つ。
そしてさらに30分。紺のジャケットを着た見回りによって発見された上田がいたのは、エリアLv.3奥地の森の中だった。




