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1001番目の男  作者: ノーマー=Z=クアーズ
第2章 アキラメ
25/28

25番目 信じるか信じないかは、あなた次第です

 上田がリュジュアック基地にやってきてから、約1カ月の時間が過ぎた。

 人間というのは不思議なもので、あれだけ嫌だったこの狭い部屋にも、かなり慣れた。嫌な事には変わりないが、それでも最悪ではない。少し硬いがベッドはあるし、体を存分に伸ばせるだけのスペースもある。自分にとって嫌だったことを受け入れるというのは、果たして慣れなのだろうか。それとも諦めなのだろうか。しなびた布団にもぐりながら、上田はそんなことを考えた。

 単なる言葉の違いに過ぎない。

 確かにこの環境に適応しつつあることは事実だ。しかし、やはり駄目だ。落ち着かない。集団生活というものが肌に合わない。前世界でも学生として長い時間を過ごしてきた、というか今でも継続中だが、それは上田にとって苦痛だった。ほとんど選択の余地がないままに放り込まれ、流され、周囲から求められる自分を演じる。先人たちによって作られたこのシステムが、全くの不良品だとは思わない。ただ、どうしようもなく不快で気に食わないのだ。自身の対人能力に大きな問題はない。必要最低限の意思疎通はできる。しかし、そのために窮屈な思いをすることが腹立たしい、円滑な社会生活を送るための、ちょっとした我慢、ちょっとした諦観。

 上田が寝返りを打つ。

 こうして外側、つまり体に刺激を与えると、内側もその影響を受けるような気がする。そういえば、聞いたことがある。手を洗うことで、嫌な思い出を洗い流すことができると。完全に忘れ去ることはできないかもしれないが、平静を取り戻すきっかけになり得ると。それと似たような話だ。壁側に向いていた体を、通路側に向ける。暗い方から明るい方へ。思考も、底の見えない沼から未来へと繋がる遠浅の海へ。幸い、明日は土曜日。いわゆる花金だ。考える時間はたっぷりある。前世界に帰るための整理をしておこう。やってやり過ぎということもない。やる度に、その都度修正を加えていけば良い。

 目標ははっきりしている。元の世界に帰ることだ。

 どうやって帰ろう?

 恐らく今いる世界と前世界では次元が違う。近いのか遠いのか。近くて遠い、なんてこともあり得るかもしれない。とにかく、正攻法ではだめだ。徒歩だとか交通機関だとかでは辿りつくことができない。であれば、上田の常識の埒外。つまり魔法を使う。この世界の人間からすれば、ある意味こちらの方が正攻法とも言えるだろう。上田をこちらに喚び寄せた魔法を知れば、その逆も可能かもしれない。したがって、上田がすべきことは魔法(召喚に関わるものであればなお良い)を学ぶこと。そして、現在上田は魔法を勉強している。魔法の中でも魔術と呼ばれる分野で、使い方によっては大きな効果をもたらしてくれるらしい。とは言え、講師であるウォードによれば、魔法であろうが魔術であろうが、召喚のような物質の移動はできないそうだ。

 それを知って、先は長い、ひとまず基礎部分を理解するだけになりそうだ、と考えた。しかしながら、上田は思いもよらないところから、帰還の糸口を発見する。いや、まだ糸口とも言えない。細い細い、端の端。たぐりよせた先にあるのは、当たりの文字か、もしくはもう一方の端を見るだけなのか。できるだけ時間をかけたくない。早く目標を達成したい。そう思うが焦りは禁物だ。焦ってヘマをすれば余計な時間を浪費することとなる。慎重かつ大胆に。良く聞く言葉だが、実践のなんと難しきことよ。当たりかハズレか。結果がどちらになるにせよ、見失わないようにしなければならない。

 その可能性という名の糸は『禁じられた書庫』。このリュジュアックでの生活で得た知識。特に意識して集めた情報ではなく、何気ない会話の中から。それも積極的なものではなく、むしろ心ならない会話の中で拾った。そう、まさに、この拾ったという表現が最も適しているだろう。何の気なしに、理由なく、ふと視線を落とすと目に入った。全くの偶然だ。アダム=スミスは、かつて神の見えざる手と言っていたが実際にそんなものは存在しない。それは彼も重々承知だった。彼はただ信じていた。人の良さ、思いやりというものを。しかし今上田の身におとずれた幸運はどうだ。上田どころか、上田にその話をしたジャンでさえも相手を思いやる気持ちなどなかったのではないか。上田は集団の中で孤立することをさけるために会話に乗った。ジャンは、ジャンは、正直良くわからない。いつも笑顔で気持ちが悪いと思うが、内心でどう思っているのかは、わからない。わかりたくもない。だからこの話は一旦忘れよう。とにもかくにも、少なくとも上田本人には相手への気遣いなど存在しなかった。それでもこうして幸運に巡り合うことができた。やはり、人はただ独り自分のためだけに生きるべきなのだ。あたかも、そうでないかのようにふるまう人々がいるが、それは間違っている。口でなんと言おうと、結局はそうなのだ、そうでしかないのだ。上田はそうしてきた。これからもそうする。ゲイリーが愛ゆえになどと言っていたが、ありえない。そんな陳腐なもので片腕を失くすなど、馬鹿にもほどがある。いや、やはりあれは愛ではなかったに違いない。あの時の彼は大きな怪我をして動揺していたのだ。うまく思考ができなかったのだ。そうに決まっている。間違いない。そうでなければならない……。

 かなり話がそれてしまった。もう一度考えよう。『禁じられた書庫』について得た情報をまとめよう。

 『禁じられた書庫』について知ってから今日まで、何人かにきいてみた。


 Q.『禁じられた書庫』は本当にある?


 回答者:ファニー=ドド

「あったら行ってみたいわね」


 回答者:バーンハード=ウォード

「あ、ある可能性はなくはない」


 回答者:ジョー=クロス

「知らねえなあ」


 回答者:ジャン=ジャック=キュリス

「あってほしいなぁと思うけど、正直ないんじゃないかなぁ」


 単なる噂としか思っていないのだろう。ほとんどみな、微笑みながらこの話を流してしまった。ただ例外もいた。それがウォードとジャンだ。ウォードについては、『失われた魔法』の発見に興味があり、それに付随して『禁じられた書庫』についても関心をもっているということだった。しかし現時点ではどちらにおいても、彼の中では研究が不十分であり、他人に言って聞かせるような内容はないと言っていた。調査が進み、詳しいことが分かったら、何か教えてくれるかもしれない。

 ジャンは、元々彼が話してくれたことでもあり、一定の興味を抱いているようだった。あるいは単純に上田と話がしたかっただけであるとも考えられるが。その点はどちらでも良い。彼のための行為か上田のための行為か。それを論じるのは、元の世界に戻ってからでも遅くはない。とにかくジャンは質問の後も上田との会話を続け、新たな情報をくれた。ただしそれは、『禁じられた書庫』に直接関わるものではない。噂の真偽、真相を知るための手掛かりとなる情報を与えてくれたのだ。


 ジャンは目を細めながら、こう言った。

「そんなに興味を持ってくれて嬉しいよ。これでソータとの話も弾むってもんだね。そうだねぇ、噂を確かめるんなら、エクワインに行けば良いよ」

 エクワインは確かワールドワイドな馬貸し業者だったはずだ。それがなぜ?

「エクワインって、あの赤い屋根の馬貸しだよね?」

「それは表の仕事さ。あそこは裏の仕事として、情報屋や諜報活動を請け負ってるんだ。まぁ、裏と言っても、めちゃくちゃ有名だけどね。それと、金さえ払えば確実にやってくれるけど、当然安くはないよ」

「いくらくらいなんだい?」

「うーん、おれたちの給料12週分くらいはすんじゃないかな。でもそんなことにお金を使うぐらいなら、今度ご飯食べに行こうよ。ちょっと高いけど美味しいところをみつけたんだよね」

 なるほど安くはない。しかしほかに金を使うあても、今のところは一つや二つほどしかないので、ここは糸目をつけるべきではないだろう。

 上田が考え込む姿勢を見せたところで、別の男の声がした。同室の男だ。

「おいおい、2人して外食の計画か? もう昇格試験間近だぞ、余裕だな」

 部屋の前の廊下で話をしていたので、中にも聞こえていたのだろう。男はそう言って肩をすくめると、部屋を出て階段の方へと歩いていった。

「はは、痛いところをつかれちゃったね」

 ジャンが下を向き気のない笑いを洩らす。その顔からは、焦りや緊張が感じられたが、それも無理からぬことだろう。

 リュジュアックでは、半期ごとにDiv.昇格試験を行っていた。ジャンは去年の秋に入隊したのでこの春が初試験となる。また、彼が現在所属するDiv.Ⅴは3年以内にDiv.Ⅳへと昇格できなければ、強制的に除隊なのだ。しかも、その合格率は、かなり低いとも聞いている。初めての試験、限られた6回の内の1回め、加えて高難易度。今のジャンの様子や、先程の男の態度も致し方ないだろう。

「いや、なんでそんなソータは落ち着いてるんだよ。入隊2カ月で試験って、おれよりもソータの方が条件厳しいじゃん」

 勢いよく上田を見上げたジャンだったが、これは彼の言うことの方が一般的には正しい。ただしそれはあくまで一般的に考えて、原則としては、ということだ。そして上田は、特殊で例外だった。

 試験科目は1次の体力測定試験と、2次の筆記試験と、最終の面接試験からなる。1次合格者が2次試験を。その合格者が最終試験を、という形式をとっている。しかし、最終の面接で落とされるものはほとんどいないそうなので、そこに至るまでの、1次2次試験が難しいということになる。元々の身体能力の低さも相まって、ウォードは1次試験に苦労したらしい。Div.Ⅳになれば問答無用で除隊ということはなくなるので、丸2年は体力測定試験対策に費やしたそうだ。その点上田は、この世界に来てからというもの、ほとんど疲れ知らずで体のキレが抜群に良い。あのウォードが2年という時間を使ったとしても、到底追いつけるようなレベルではないと自負している。つまり、1次試験は楽にクリアできるということだ。次に2次の筆記では、6割ほどが魔法や魔術に関する分野で、そのほかが戦術戦略分野と聞いている。この試験がかなりの難関で、ここを突破するのは至難の業とされている。しかし、上田には勝算がある。その勝算とは、銀髪イケメンヒョロノッポのウォードだ。彼は体力不足克服のために2年間を費やした。その間ほとんど勉強はしなかった、いや、できなかったという。それでも彼は筆記試験でトップの成績を叩きだして、結果、見事昇格試験に合格した。その彼が、何を隠そう、その基地始まって以来の秀才と噂される彼が、上田の講師なのである。それに加えて、試験内容は上田が重点的に学んでいる魔法分野の比重が大きい。勝った。これを勝算と言わないことがあるのだろうか。実際ウォードの講義はわかりやすく、彼本人からもよくできているとのお墨付きをもらっている。つまり上田的には事実として余裕なのである。ただ、

「そうだね、勉強で忙しいからご飯は無理だね」

 ジャンに対しては、そう言っておくのが正解だろう。

 そうして上田は自分にできる精一杯の笑みを見せて、ベッドへと向かった。


 ジャンとの会話でつかんだのは、エクワインという企業の裏の顔と、基地の人々はこれから1か月ほど忙しくしているということだ。これらはかなり有用な情報といっても良い。『禁じられた書庫』が実在するにせよしないにせよ、真相をはっきりさせられれば、次の段階に進むことが可能となる。また、周囲の人たちが、試験対策にかかりきりになるというのも都合が良い。上田は、あまり気にしていなかったため、その事実を知れたというのは、結構な幸運だ。これで目立たず行動できる。そうとわかれば今日は、もう寝よう。そして明日、エクワインを訪ねることにしよう。


 掛け布団を押しのけ、伸びをする。休日だけあって静かだ。向かいのベッドの男もまだ寝ている。布団は腹にしかかかっておらず、彼の寝相の悪さがうかがえる。この部屋は狭いが、この暖かさは良い。魔術によって冷え込まないようになっているらしい。なんとも便利なことだ。

 部屋の壁にかけてある時計を見る。10時をまわったところだ。眠るのが遅かったために、起きる時間も普段よりかなり遅れている。とはいえ、あまり朝早くてもエクワインが開いているのかわからないので、むしろ丁度良いだろう。

 上田はベッドを下りて服を着た。

 階段を下っていき、訓練塔1階の隊員用出口から街へと出る。外に出て西側がLv.4区域、東側がLv.5区域だ。Lv.4区域の方へ向って歩みを進めていく。

 この区域は建物が乱立している。石でできていたり、木でできていたり、材質や大きさは様々だが、共通している部分もある。それは、荒れ様と汚さだ。プライバシーなどどこ吹く風で、壁に穴があき吹きさらしになっている家があったり、屋根がなかったりと、とにかく荒れている。おまけにどの壁も黒く、あるいは灰色に薄汚れている。芸術性など微塵も感じられない落書きもあるし、正直ここをブラブラと歩くのは、男女関係なく抵抗がある。街中に張り巡らされている石畳も、めくれまくって歩きにくいことこの上ない。リュジュアックに到着して、遠目から見たときに、あまり良い雰囲気はしないと思っていたが、良くないどころではない。悪い、酷い、そういう言葉がお似合いの区域だ。

 時折石畳の隙間に足をとられながら、上田は足早にかけていった。

 そして辿りつく。赤い屋根の馬貸し屋、エクワインだ。

 厩舎横の小屋の受付には事務員が座っている。鮮やかな赤いネクタイの、禿げた男性だ。早速話をしてみる。

「すみません、裏の仕事をお願いしたいのですが」

「なるほど、裏ですか。わかりました、こちらへどうぞ。ご案内いたします」

 そう言って、禿げた事務員は小屋から出ると、その裏手へと上田を案内した。縦に長い小屋の裏口へと辿りつく。促されるままに中へと足を踏み入れると、そこも受付だった。その受付には、また別の赤いネクタイを締めた、今度は禿げていない男性が座っていた。禿げの方の事務員は上田を中に入れると、表へ戻ってしまった。この禿げていない事務員が裏の仕事担当ということなのだろう。

「ようこそエクワイン諜報部“エトリエール”へ、上田様。ご利用は初めてですね?」

「はい、初めてです。噂の真偽を確かめたいのですが」

「承知いたしました。ですが、ご用件をお聞きする前に、利用規約とご注意をおききいただけますか?」

 どこか違和感を感じながらも上田がうなずくと、彼は色々と喋り始めた。利用者の個人情報について、得られた情報について、料金についてなど、細かく説明された。少々長かったが、裏の仕事で情報を扱うのだから仕方のないことなのだろう。そして。

「それでは、改めてご用件をお聞きいたします」

「『禁じられた書庫』がリュジュアックにあるのかないのか。そして、もしあるのでしたら、その場所を教えてください」

「承知いたしました。少々お待ち下さい。お待ちの間は、そちらのソファにお掛けになってください」

 彼は受付の奥の部屋へと入っていってしまった。やることのない上田は、エクワインの屋根のようなソファに座って待つ。

 10分ほどだろうか、彼が戻ってきた。少し早いようにも感じる。

 今後の行動を左右する重要な情報だ聞き逃さないようにしよう。

 上田は男性に言った。

「それで、あるのですか、ないのですか?」

 乾いた唇を舐める。

 そして、彼の口が動いた。

「その前に、料金をお支払いいただけますか?」

 ……そういえば、料金先払いだと、つい先ほど言っていた。上田は言われるままに、自分の給料10週分を支払う。

「はい、確かに頂きました。それでは、情報のお引き渡しを致します」

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