22番目 顔ではなく、行動に表れるタイプ
ここは、とにかく狭い。
本当に狭い。軍隊ということで、ある程度の覚悟はしていたが、それでもやはり、狭い。
部屋内にプライベートな空間というものは確かに存在する。しかしながら、安らぎを感じることのできるようなものではない。ただの、単なる、空間。本当にそれだけなのである。
上田自身、元来部屋にものをあまり置かない方であると思っているが、それは取捨選択をしたうえで、しっかりと吟味したうえでのことだ。置かないと置けないは違う。大きく異なる。たった一文字の違いは、かくも決定的な差異を生む。いや違う。二つの相違を生んでいるのは、2文字めがカ行のア段かエ段かではなく、自由の有無だ。それの有る無しで、劇的な距離ができる。周回遅れどころの話ではない。しかも、これは物理的な距離の問題ではない。どれだけ走っても解決しない。では、物理的でなければ何か。心理的な距離だ。そう、気持ちの問題なのだ。選択の自由があるだけで、相当変る。不自由さ、窮屈さ、やるせなさ、その他もろもろ、それら全てにひとまずの決着をつけることができる。自分がやったことなのだからと。それができない、自らの心の内で無理矢理の着地をきめることができないというのが、今、上田がおかれた部屋、もとい、おかれた状況だ。この上田にあてがわれた部屋、正しくは、リュジュアック基地Div.Ⅴ訓練塔1階D-γ-4、これが今の上田の住所となる。
基地内には五つの訓練塔があり、それぞれ隊員のDiv.に応じて割り当てられる。上田は入隊したばかりであるため、最下級のDiv.Ⅴで、このDiv.が最も所属人数が多い。また各訓練塔の大きさは、どれも同じである。これらが意味するものは、つまり、Div.Ⅴ訓練塔はすし詰め状態であるということだ。
部屋内に個人用の机はある。椅子もある。ベッドもある。それで充分ではないのか。それ以上を求めるのは贅沢というものではないのか。しかも部屋自体は実は狭くない。だが、その中で、1人に割り当てられた空間が狭いのだ。上田の部屋は台形の形をしており、最大8人住むことができる。この8人というのは、ベッドが8台あるということであり、8人が余裕を持って寛ぐことができるということではない。部屋の奥、両側の壁に沿って、2段ベッドがそれぞれ2台ずつ。それと同じように、1.5m四方で区切ったスペースに机と椅子が4セットずつ。部屋の真ん中は通路となっているが、人とすれ違う際には注意しなければ肩をぶつけてしまう程の幅しかない。ただ、上田はそういった物理的な狭さよりも、まさに心理的な窮屈さに嫌気がさしていた。もちろん、それが面積というような、狭さに起因していることは疑いようもない。意識しようがしまいが、この狭さでは、ほかの居住者のことが目に入るし、上田もまた視界の端に入ってしまっている。仕方のないことだ。しかしそれが嫌なのだ。どうも落ち着かない。そして、そのことは、上田のこれからのことにも大きく関わっていた。
上田は、遅かれ早かれ逃げる気でいた。少なくとも、自分がこの基地にいる間に逃げたいと考えていた。訓練を終えてしまえば、本当に戦争の真っただ中に放り込まれてしまうことになる。責任を負わされてしまう。現に隊長という立場を与えられてしまった。事態が進めば、さらなる深みに引きずり込まれてしまうことだろう。そうなる前に、逃げなければならない。逃げるには、できるだけ目立たない方が好ましいが、帰還の方法を探るには、召喚者の近くにいた方が手っ取り早い。だが、それは同時に自分の身も危険にさらすことになる。その引き際はまだ見極められていないが、見当はついている。それが、この基地での訓練を終えたときだ。戦力としてのめどが立ち、戦地に送り込まれてしまえば、もう逃げ場はない。だから、訓練と並行して、帰還の方法を探し逃亡の算段をつけなければならない。そして、上田が多くの時間を過ごすことになるのが、この部屋だ。落ち着かないということもあるが、それよりも問題なのは、人の目があるということだ。ここで、調べて、考えていかねばならない。そして、その姿は見られるわけにはいかない。何か怪しいことをしていると報告などされてしまえば、どうなるか、わかったものではない。要するに上田は、他人が邪魔なのである。
そんな上田も、ほかに行くあてはない。となればこの部屋に住むほかない。そうして1週間がたった。
「やあソータ、お疲れ様」
声をかけてきたのは、同室のジャン=ジャック=キュリスだ。
上田よりも一回り体は小さく、顔つきも幼い。軍隊だけあって身長が2mはありそうな男も多くいる中、彼の整った容姿と細身ながらも引き締まった体は、非常に目立つ。正直、彼の身が心配だ。彼に向けられる視線の内、30%くらいは、色と熱がこもっている。ただ、上田にそういった趣味はないし、やっかいごとに巻き込まれるのもご免だった。だから上田は、あまり深く関わらないようにしている。
「お疲れ様」
上田は目を合わせずに挨拶をして、自分のベッドへ向かった。
あまりにそっけない挨拶であるが、それは、関わりあいを持ちたくない上に、今は、1日の訓練を終え、シャワーを浴び、食事の時間まで独りでゆっくりしたい気分だったからだ。
しかしながら彼は上田とは考えが違うようだ。微笑みながら、再度上田に声をかける。
「もぅ、相変わらずつれないなぁ。せっかく同期で同部屋なんだから、もっと仲良くしようよ」
そうなのだ。上田がジャンに話しかけない理由があるように、彼もまた、上田に話しかける理由を持っているのだ。それが充分な動機になり得るかどうかは置いておいて、年が近く、同期で、しかも同じ部屋であるとなれば、良好な関係を築いておきたいと思っても不思議ではないと言える。当然上田も、全くの無視というわけにはいかず、ジャンの思惑通りに、なし崩しに距離が縮んできてしまっているのが現状だった。
上田は仕方なく立ち止まり、ジャンに先ほどの態度の弁明をする。
「いや、疲れててね」
振り返って目に入ったジャンは、栗色の癖っ毛も相まって、一層幼く無邪気に見えた。
「そうだね、おれもすごく疲れたよ。だから、上に行かない?」
ジャンの提案について考える。
『上』というのは、3階のことだ。食堂やラウンジがあり、隊員の多くが利用している。使用用途は、基本的に食事であるが、朝は6:30~7:30、昼は12:00~14:00、夜は18:15~22:00というように料理が出される時間は区切られおり、隙間の時間は談話スペースとして利用される。上田も使用するが、それは専ら食事のためで、友人との会話のためには、まだ一度しか使用したことがなかった。そしてその時一緒にいたのがジャンだ。1週間前に初めて出会い、誘いを受け、基地での生活についてアドバイスをもらおうと時間を共にしたのだった。かなり時間を使って話を聞いたので、上田はそれで満足して、それ以来誘いを断り続けていた。
今は17:30を回ったところで、食堂で料理が出され始めるのは18:15なので、まさしくちょっとした時間といったところだ。食堂は安い割にそれなりの味のものを出すため利用者も多い。そもそもDiv.Ⅴは人数が多く、食堂はかなり混雑する。週末であれば街に出て、という者も増えて幾分ましになるが、今日は木曜日でそれも期待できない。上田は普段ならラストオーダー直前まで時間を潰して、混雑する時間帯を避けている。人混みが嫌いということと、特定の人物との仲を深めたくないという思いから、これまでほとんど会話をしてこなかった。そうして上田の目論見通り、基地の大半の人間は、この1週間の内に、あまり話しかけてこないようになっていた。そんな中、しぶとくというか粘り強くというか、上田へのアプローチをやめなかった男がいた。それがジャンだ。最早うっとうしく感じるほどで、態度にも出てしまっていたが、それでもジャンは変わらなかった。何か裏があるのか。そう思わないでもない。ただ、いつも笑顔を絶やさないジャンからは、邪念というものは見えない。加えて、このままでは基地内で本当に孤立することになり、逆に目立つ可能性もあるので、今日のところはジャンに付き合うことにしようと思う。
といっても、上田には今一つ確認しておきたいことがある。
「今、混んでるかな?」
「いや、まだ大丈夫だと思う」
「そう。じゃあ行こうかな」
上田は、待つのも待たされるのも嫌いなのである。
上田とジャンは階段にほど近いテーブルへと座った。
「よかった。座れた」
「そんなに疲れてたの?」
待たされなくて済んだ、という意味だったのだが、ジャンは違う風に捉えたようだ。
しかし、わざわざ訂正する必要もないと上田は判断した。
「ああ、まあね」
「へぇ。……あれ? でも今日の午前は魔術講義じゃなかったっけ?」
ジャンの言う通りだ。
火曜日と木曜日はDiv.単位の訓練となっているが、遅れて入隊した上田は別メニューをこなしている。午前中は魔術の勉強で、午後に戦闘訓練だ。どちらも初心者の上田は特別講師の元で訓練を行っており、上田を見ることはほとんどない。特に午前中はほかの隊員と顔を合わせる事は稀だ。また、そうしたメニューについては、前回一緒に食堂へ来た時に少し喋った程度である。それなのに、よく憶えているものだ。
「良く憶えているね。でも、頭を使うというのは、自分で感じている以上に疲労をためるものだよ」
「そっかぁ。まぁおれは勉強は苦手だからね。そういうのはよくわかんないや。魔術ってどんなことしてんの?」
会話を進めるのは、いつもジャンだ。他愛もない話題を四方八方からみつけてくる。
今日も生産性のない、くだらないよもやま話が始まる。
「今は魔術の歴史についてだね。『四大流派』だとか『失われた魔法』だとか……」
「あぁ、それ知ってる」
前者か後者か、はたまた両者か。ジャンは主語がはっきりしないことが多い。
「それって?」
「その、『失われた魔法』ってやつ」
後者に食いついたようだ。実は上田も、この『失われた魔法』というものに、どこか引っかかりを感じていた。
ジャンが得意げに話す。
「今はもう使えないけど、昔はなんかすごいのが使えたってやつでしょ?」
「そうだね、使用法が失われてしまった魔法のことだね。……どんなものがあったのか、伝承やおとぎ話からしか推測できないから、その存在さえも怪しいと僕は思うな。だから本当に、単なる教養として学んだということだね」
真実と虚偽が、半分ずつといったところだ。
「へぇ。でもさ、このリュジュアックに伝わる噂知ってる?」
「噂? 知らないな」
ジャンのしたり顔は変わらない。向かいに座っている彼は、身を乗り出して上田の耳元で囁いた。
「何でもさ、リュジュアックには『禁じられた書庫』ってのがあって、そこに『失われた魔法』の本がいっぱいあるんだって」
「どれくらい……、どれくらいの信憑性があるんだい、その話は」
「お、ソータにしては珍しく興味あるみたいだねぇ」
何も考えていないようで、案外、観察はしているようだ。確かに今の発言は、つい、気持ちがこもってしまっていた。
一度ジャンから目をそらして、上田は今度は努めて冷静にふるまった。
「……単ねる噂だよね?」
しかしながらジャンは声をあげて笑いだした。
上田はそれを無言で見つめる。
「ふぅ、いや、まぁ、ごめんよ。えぇっと、それで、ホントかウソかってことだけど、おれは結構信じてるな」
他人の意見を聞くというのは悪いことではない。上田はごく自然にききかえそうとした、
「へ、へえ、その根拠は?」
ジャンの頬のゆるみは止まらない。口角を持ち上げ、なぜか優しい目で上田を見やりながら説明しだした。
「うん。ここら辺に住んでる人で『禁じられた書庫』のことを知らない人は、まぁいないんだ。それもよく知られてるってだけじゃない、誰もその話をしないんだ。失われた~とか、禁じられた~とか、井戸端会議にはもってこいのはずなのにね。……だからおれは、みんな心のどこかで本当なんじゃないかって思ってるんだと思うんだ。怖がってるんだ。本当のことで、実はヤバイことなのかもしれないってね」
全くありえないというわけではない。
次回、ウォードにきいてみよう。
「あ、もう時間だね」
誰ともなしに言ってジャンは食堂のカウンターへと立ち上がった。
今日のA定食は、パンとビーフシチューだ。嫌いではない。
「ちょっとソータ、そんなに急がなくても大丈夫だって」
ジャンの笑顔は、どうも鼻につく。




