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1001番目の男  作者: ノーマー=Z=クアーズ
第1章 ヒトトナリ
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2番目 時計が女性

 必要最低限というものに、必要以上にこだわっていた。

 10畳ほどの部屋で、目立つものといえばベッドと、机と、脱ぎ散らかされた服だけ。

 窓際のベッドには男が独り、眠っている。他には誰もいない。何の変哲もない部屋だ。

 眠る男の足側に置かれた机の上は、良く片付けられている。この机は男が小学校の入学祝に祖父から買い与えられたものだった。以来10年以上男はそれを使い続けてきた。それにしてはあまり年季というものを感じない。新品同様とまではいかないが、状態はすこぶる良い。そんな整理された机から目を移し部屋のちょうど真ん中を見ると、白い半そでのTシャツと、その上に黒い半ズボン。どうやら男は上半身から脱いで、その後ズボンを打ち捨てたようだ。ただ、それだけである。部屋の中で目を引くのはそれらだけだ。

 男が作った空間には、それらしかない。

 窓の外から音が聞こえる。

 小さな音だ。

 エンジン音に、小鳥がさえずる音。

 それから光もある。

 カーテンの隙間から朝の陽射しが漏れている。

 そしてそれが男の目を刺激する。

 男は首だけ起こして時計を確認する。

 もう少し寝ても、遅刻はせずに済みそうだ。

 男は朝の準備も必要最低限なので、まだ時間の余裕はある。

 あと3秒、2、1、――。

 見慣れた時計は午前7時をお知らせする前に、見知らぬ人へと変化した。


 男の体のバランスが崩れる。足を何度か踏みなおして、なんとか転倒は避けることができた。

 仕方がない。

 ついさっきまで男は横になっていた。

 いや、今もそのつもりだった。そのはずだったのだが、今、男は立っている。認識と実際の差が、男の体をよろめかせた。

 よくわからない空間。

 よくわからない場所。

 そこで、よくわからない人を見つめ、見つめられている。

 見慣れた時計から、見知らぬ姿へと形を変えた。

 その人物は白い修道服に身を包み、頭にも白い帽子の様なものをのせている。どちらも光沢があり、縁には金糸で細工を施してあるようだ。さらに帽子からは頭全体を覆うように布がたれており、鼻から下もマスクのようなもので同様に覆われている。かろうじて見えるのは、不思議な光をたたえた翠の瞳ばかりだ。その瞳は男を捉えて離さないが、そこから何かを読み取るのは難しい。あまり感情を表に出さないタイプなのだろうか?

「ようこそ、ノーサ・ベリカへ」

 落ち着きのある声だ。女性の声だった。

 胸の辺りに目をやれば、確かにそこにある二つの丘が女性であることを主張している。服の性質上、体のラインをはっきりと読み取ることはできない。それでも女性らしい柔らかな曲線を隠しきることはできていないようだ。修道服という特殊で、かつ神秘性を持つ服を着ていながら、覆われている肉体そのものは実に人間的といえた。肉欲的と言い換えても良いかもしれない。

 男が新たなフェティシズムに目覚めかけようとしていたところで、再び声をかけられた。

「落ち着きましたか?」

 感情の起伏はしっかりあるようだ。翠の瞳がその輝きを増して、怪しく光っている。

 彼女の機嫌は良好ではないと考えて間違いなさそうだ。

 とはいえ、彼女が怒るのも仕方がない。男は状況の把握、というより、主に彼女の観察に必死で返答をしていなかったからだ。

 何しろインパクトが強すぎた。眠っていたと思ったら、いつの間にか別の場所で、最初に見たのが、妖しい雰囲気を漂わせる女性だったのだから。これも刷り込みの一種と言えるのかもしれない。一番初めに見せられた姿に魅せられてしまっている。

 確認すべきところは多くあるはずなのだが、目に入っていなかった。

 目だけではない、思考もそうだった。もっと別に考えなければならないことはある。

 ここがどこか?

 何故自分はここにいるのか?

 ただ、さしあたって男が今、思い悩まねばならないことは、また違うことだ。

 女性の言葉に対する返答である。

 今もそうだ。関係のないことに思いを巡らせてしまっている。

 速く何か喋らなくては。

 何か。何を?

 あいにくだが、初対面の女性にかけるべき適当な言葉を男は持ち合わせていなかった。かといってだんまりを決め込むのもよろしくは無いだろう。彼女が人並みの感情を持っているということは、今まさに身をもって、決して小さいとは言えないその体を、恐怖で震えさせながら実感している。

 こういう場合は、あれだ、とにかく褒めれば良いはずだ。

 何を?

 彼女は、この目の前の女性は、非常に蠱惑的な肉体を持ちながら聖職者の清らかさを失っていない。

 その二つの差異。

 その奇跡のバランス。

「良いですよね」

「えっ?」

 間違えた。間違えたが、彼女は男の言葉の意味を理解できていないようだ。

 いや、そもそも日本語で通じるのか。彼女の言葉はすんなり耳に入ってくるが、正直それが何語なのかはわからない。なにしろ、あの瞳の色は、あきらかに純粋な日本人のものではない。一切の濁りがなく、どこまでも透き通っている。明るい色合いなのに深い。しかし綺麗だ。何か魔力のようなものを感じるようだ。惹きずり込まれると言えば良いのか。あやふやな言い回ししかできない。これは本能的なものだ。あまりに綺麗で、だからこそ危うさがある。一体どのような経緯を経て形作られ得るというのか。全くわからないがこれも仕方がない。何しろここでは、今の男は、全てがあやふやだ。

 夢か。

 幻か。

 それとも――。

 またもや男が思考の渦に引き込まれそうになっていると、だいぶ耳になじんできた彼女の声が引き揚げてくれた。

「何を仰ったのかはわかりませんが、とにかくお話しますね」

 もはや提案でもなくなっている。有無を言わせない、といった感じだ。

 とはいえ、これ以上自分だけで考え込んでも堂々巡りに陥るだけだ。到底答えもでそうにない。

「はい、お願いします」

 ここに辿りつくまでにどれ程の回り道をしたのか。夢でも幻でも、ひとまず彼女に従っていくしかなさそうだ。

 ふいに、彼女の視線が男の右に逸れる。

 つられて目をやると椅子があった。座れということだろうか。彼女に目を戻すと、静かに頷いている。

 椅子に座り、背中を背もたれにあずける。尻の沈み具合といい、背もたれの柔らかさといい、中々に上等な品のようだ。

 深呼吸を一度。

 再び翠の瞳と視線を合わせると、いつのまにか、彼女も椅子に腰をかけていた。

「……落ち着かれたようですね。あなたとは、じっくりお話をすることができそうで、安心しました。では、まず、あなた自身のことについて」

 男自身のこと、というのはどういうことなのだろうか。

 まさか男の来歴についての話でもあるまい。では、何か?

 『男のこれまで』ではなく、『男の今』、もしくは『男のこれから』だろうか。

 彼女はこの状況――自室のベッドの上で横になっていたら、突然見知らぬ女性の前に立っていた。という摩訶不思議な状況を説明するつもりなのだろうか?

 説明できるのか。

 できるとしたら、彼女は一体何なのか。

 困惑する男を無視して、彼女は優しい声で、易しくないことを言った。

「あなたには、異世界からここへ来て頂きました」

 薄暗いこの部屋を照らしているのは、電球の明かりでも、蝋燭の灯りでもなく、よくわからない石のようなものだ。部屋の中心、その天井に一つだけはめ込まれている。中々強い光を放っており、壁となっている赤茶けた岩肌を照らしている。お互いの顔を見るには充分だが、男の部屋の軽く二倍はあるこの部屋を隅々まで照らすほどではない。良く見れば、床にも何やらかかれているようである。

「あの、聞いていますか?」

 聞いていなかった訳ではない。聞いていたから、聞いていないかのように振舞っているのだ。

「ええ、聞いていますよ。ただ、少し変な言葉が聞こえたような気がしましたので。……異世界、と言いましたか?」

 聞き間違いではないと知りながら、それでも確認せずにはいられない。

「はい、異世界です。あなたの世界が私の異世界で、私の世界があなたの異世界。そういうことです」

 どうも彼女にとって先程の質問は、予想した通りのようだ。しかし男にとってもその回答は予想通りだ。他にも聞きたいことはあるが、成る程、とだけ呟いておく。

 少しずつではあるが男もこの状況に慣れてきたところだった。現状は異常なままであるにしても、動揺は薄まっている。むろん未だ混迷の中にいることに変わりはないのだが。

「聞きたいことがあるのは、承知していますが、できれば最後にまとめて、でお願いできますか?」

 どうも彼女には男の混乱もお見通しのようだ。ただ、このままでは全く進まないため、頷いてみせる。

「ご協力ありがとうございます。では続けさせて頂きます」

 

 その後彼女の口から出た言葉は、どれも奇妙で、呑み込むのにも苦労したし、消化し切るのには、さらに余計にエネルギーが必要だった。

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