13番目 それは依存か、共存か
1階のカウンター右、階段とは反対側の扉を開くと食堂がある。上田たちが中へと入ると、小奇麗な服に身を包んだ男や女が各々食事をしていた。人数から察するに、食堂の利用者は、宿泊客だけではないようだ。かなり混雑しているが奥のボックス席だけが不自然に空いていた。
「さあ、こっちです」
「こっちです」
兄弟の先導に従い席に着いた。予約しておいたということだろう。
「相変わらず混んでんな。そういやあソータは酒、飲めるよな?」
ソファにもたれかかりながら、隣のジョーが上田に話しかける。
「ああ、飲めるよ。好んで飲みはしないけどね」
「よし、じゃあビール四つだな。おーい、そこの姉ちゃん」
ジョーは上田の後半の言葉は無視して、従業員に声をかけた。
「それで? 馬車は手配できたのか?」
肉を頬張りながら、ジョーが向かいのゲイリーを見た。
「ああ、多分大丈夫でしょう」
曖昧な言葉にすぐさまジョーが指摘する。
「多分ってなんだよ、多分てのは……?」
「ああ、まあ、今朝厩舎を見たら、馬車用のやつはちゃんといたんでね。ん、だから大丈夫でしょうよ」
「ふーん。エクワインの連中には聞いたのか?」
「いや、馬の確認だけです。でもこの時期ですからね、いけるでしょう」
「だから、多分ってことか。まあ確かに、新年早々糞寒い中、わざわざ馬使ってどっか行こうだなんて奇特な奴はいねえだろうな」
「そうでしょう、そうでしょう」
ゲイリーはジョーの反応に満足したようだ。そしてなぜかバディもそれに続く。
「そうでしょう」
「お前は関係ないでしょうが」
「そうでしょうか?」
2人のやり取りを見てジョーが笑う。
「バディも懲りねえなあ」
ゲイリーは、また目を細めた。青い瞳が何を写しているのかはわからないが、顔は上田を向いている。
「ったくソータもなんか言ってやってくれよ……。ジョーは笑ってばっかで役に立たねえしさ」
上田は少し考える。
「悪くないと思うよ、そういうのも」
「それはジョーク? それとも単に面倒なだけ? ったくソータまで敵じゃないの」
ゲイリーは早口でまくしたてた。そうして息をつくと、後ろを振り返った。
「すいませーん。ビール追加でー」
悪くないと思う。上田の本心だった。
ブロンドの長髪を後ろで束ね、麻のシャツの上に革で出来た胸当て、明度の低い赤色のズボン。装い自体は同じだ。ただ、背の高さと顔の造形が大きく異なる。兄のゲイリーは小さく、細目で親しみやすさを感じさせる。一方で弟のバディは長身で、大きな目と表情の無さにより、人を容易には寄せ付けないだろう。大体において正反対に見える。そんな2人が、互いの距離を、関係性を、曖昧なものとしないで維持できているのは、兄弟だからなのだろうか。血のつながりが、ともに過ごした時間の長さがそれを可能にしているのだろうか。上田にはわからない。
生憎、上田には兄弟がいない。ほとんどの時間を独りで生きてきた。物理的には、他人が近くに存在することを承知していたが、決して、心理的な距離において他人の接近を許したことはなかった。両親は互いにとって、一つの装置でしかなかったため、もちろん論外だ。
だから、わからなかった。マクニース兄弟のような関係は、足りない部分を補い合おうという積極的な姿勢から形成されたのか。それとも、敵の多いこの世界で、寄り添うことが可能で一番近くにいたという消極的な姿勢から形成されたのか。あるいは、そのどちらでもないのか。もっと言えば、どちらでもいいのかもしれない。
そもそもが他人と分かりあえることなどありえないし、もしそうなったとしたら、即、嘔吐ものだ。無償の愛なんて幻想にすぎない。ただ、頑なにそれらを信じようとする人たちがこの世には一定数存在することについて承知はしていた。そして上田も、もし大海の中で、もたれかかることのできる木片が浮いていたら、きっとそれに掴まるだろう。暗闇の中では支えとなるものを探すだろう。しかし今は、それらを必要とするほど弱ってはいない。もしくは、それができないほど、考えられないほどに弱っている。どちらが正しいか判断しかねるが、上田には問題なかった。初めから他人にすがるつもりはないのだから。
損得勘定ありきでしか協力関係は結べない。それが互いのためでもある。得るものと、失うもの、二つの鎖によって縛られるからこそ信用が生まれ信頼関係が成立するのである。上田はそう信じている。だから冷静さを失わないで済む。混乱してもその揺れを最小限に抑えることができる。そうやって生きてきた・
上田は理に頼る以外の方法を知ってはいても、わからない。無条件に人をあてにしたりできない。そうする前に考えてしまう。結果どうなるのか。何がもたらされるのか。それが、わからない。どういった心理状態でそうしているのかわからないからだ。経験に欠けていた。そしてこの無理解が上田を人間社会に溶け込みづらくさせていた。だから結局のところ、何も考えずマクニース兄弟のような関係がとれるというのは、悪くないどころか幸福なことなのかもしれない。それでも上田はわからなかった。
3人の会話を聞き流しつつ上田は、水の入ったグラスをテーブルに置く。ガラスが木を叩くほんの小さな音が、食堂の喧騒にかき消された。
部屋に四つ並んだベッドの窓側の端、一番に目を覚ましたのは上田だった。昨晩は結局、最初のビール一杯しかアルコールを摂っていないのだから当然かもしれない。ベッドに入ったのは、ほか3人と同時刻だったが、出る時間は大きく異なることだろう。
「なんだ、ソータか? 早いな。いや、もう7時前か。朝飯は食っとかねえといけねえな」
上田の予想とは裏腹に、ジョーが起きぬけにそう言うと、マクニース兄弟もそれに続いた。
食堂で朝食をとるとすぐに上田たちはエクワインの厩舎へと向かった。そうして、再びの雪の中、旅の再開かと思われたが、そうはいかなかった。馬がなかったのである。
「おいおいおいおい、どういうことだよ。馬はあるって話じゃなかったのかよ?」
溢れる怒気を隠さずに、ジョーが赤いネクタイを締めたエクワインの職員へと食ってかかった。
「いえ、それが今朝早くに馬車用の馬は、他のお客様が全てお借りになられまして」
「ったく、なられまして、じゃないでしょうが。昨日は大丈夫って話だったでしょうに」
昨日、直接話を聞いていただけにゲイリーの動揺は大きい。
「ええ、そうなんですがね。こちらと致しましても全く予想外のことでして……。例年ならこの時期に大口のお客様はいないものなのですが……」
ジョー、ゲイリーに加え、バディからも無言のプレッシャーをかけられ、職員も視線が定まっていない。
「あの……」
そこへ上田が割って入る。
「厩舎の中には、まだいるよね、馬は……」
確かに厩舎内にはまだ多くの、それも数え切れないほどの馬がいる。
「ああ、ん。ソータ、馬はいるよ。でもね、馬ならなんでもいいってことじゃあないんだよ」
しかし、すぐにゲイリーからの説明が入る。
「俺たちに必要なのは、馬車用なのさ。で、今ここにいるのはそれ以外なんだ。……まあ、馬力が違うんだよね、こいつらじゃあ俺たちを引っ張っていくことはできないんだよ、困ったことにさ」
「じゃあ、馬が返されるのはいつなのですか?」
上田が今度は職員に質問を投げかける。
「今朝のお客様は、別の厩舎にお返しなされることになっております」
「だったら、馬車なしで、というわけにはいかないのかい? ジョー」
「無理だな。旅にはそれなりの備えってもんが必要だぜ。まして、こんな季節じゃあなおさらだ」
上に向けたジョーの手の平に雪が舞い落ちる。今日も太陽の日差しは地上まで届いていない。
「ってことはさ、待つしかないってこと?」
「ってこと?」
マクニース兄弟が揃ってジョーを見た。
「そういうこった」
それを聞き、これ以上ないほどに顔を歪め、ゲイリーがつぶやく。
「ったく、どこのどいつなんでしょうかね。はた迷惑なやつだよ」
ゲイリーに質問の意図はなかったが、職員は律儀にもこれに返した。
「それは残念ながら私ではお答えしかねます。ただ……、ただ、どうしてもお知りになりたいと仰られるのであれば……」
「いや、それは結構だ。そんなことよりも、だ。馬は一番早くていつ返ってくるんだ?」
職員の返答を遮ってジョーが質問を重ねた。
「はい、昼過ぎにはご用意できるかと。馬が到着し次第、責任を持ってお知らせいたします」
「ああ、そうしてくれ」
時刻は7時44分。
酔いを醒ますには充分な時間ができた。
上田たちが宿泊した施設よりもさらに町の奥、小奇麗な店を出たところで黒い犬に出会った。腰の高さくらいまである大型犬で、首に赤いスカーフを巻いている。
「こりゃ、エクワインの犬だな。馬の用意ができたみたいだ。……よし、いくぜ」
ジョーの言葉で、厩舎へと向かう。黒い犬とともに厩舎へ着くと、すでに馬車が街道に出してあった。
すぐに職員が上田たちを出迎える。
「大変お待たせいたしました。すぐに出発なされても大丈夫なように、用意しております」
「よし、じゃあ早速行きましょうかね。……大して距離も稼げないとは思うけど……」
ゲイリーが盛り上げようとするが、空元気のようだ。
とにもかくにも、4人は馬車に乗り込み、リュジュアック基地への長い旅路を再スタートさせた。
吹雪きはしないが止みもしない。淡々と降り続ける雪の中、上田たちを乗せた馬車は順調に進んでいた。
馬は1頭。前列にマクニース兄弟、後列に上田とジョーが乗り、それぞれの足元と後ろに荷物を載せている。上に屋根が付いてはいるが、両横、前後ともに何の遮りもなく風が通り抜ける。馬はエクワインの通常タイプの2~3馬力出すことができるそうだ。ただその分あまりスピードを出すことができないらしい。またこの馬車は雪道仕様ということで、車輪ではなくソリが取りつけられている。そのため、あまり揺れを感じることもなく、まさに滑るように走っていた。そうして、途中、何度か馬を休ませながら数時間。午後3時を回ったところでルートKの本流を逸れ、10~20分ほどかけて、クルトラの村へと着いた。
村内の中でも大きな屋敷へ行き、交渉の末、泊めてもらうことができた。親切なことにスープまでご馳走して貰い、短い時間とはいえ、上田たちは容赦ない風で冷え切った体を温めた。




