第131話:背骨を溶かす魔の傾斜、全自動「エルゴノミクス・背もたれ」の衝撃
シルバーストーン特区の冬――ではなく、双子たちの魔導気象ハックによって年中快適なはずの特区において、なぜか「コタツ」だけは年中無休で稼働していた。
元理系教師の双子、アリスとエレンにとって、コタツとは単なる暖房器具ではない。宇宙の真理たる「極楽」を体現するための聖域であった。
しかし、そんな聖域にも、長年二人を悩ませていた重大な科学的欠陥が存在した。
「ねえエレン。コタツって、入っている時は最高なんだけど、座椅子にずっと寄りかかっていると、だんだん腰のL4・L5椎間板への剪断応力が増加して、脊柱起立筋が悲鳴を上げ始めるのよね。非常に非科学的だわ」
「わかるよアリス。特にコタツBarでみんなと夜通しボードゲームをやったり、冷たいコーラを飲んだりしていると、だんだんお尻が前に滑っていって、最終的に背骨が『Cの字』になって固まっちゃうんだ。僕たちが目指す『24時間完全ニートライフ』を達成するためには、骨盤の傾斜角度を常に最適に保つインフラが必要不可欠だよ」
二人の目が、またしてもQOL(生活の質)への妄執で怪しく輝いた。
二人はさっそく、特区の工房に引きこもり、開発に着手した。
アリスがノートに凄まじい数式を展開していく。
「人間工学に基づいた、頸椎から尾骨までの脊椎3次元曲線のシミュレーションよ。座る人の体重移動と、背中の筋肉の筋電位(魔力伝導率で代用)をリアルタイムで測定して、常に『体圧分散が理想的な1対1の比率』になるように動的制御するソフトを組むわ!」
それを受けて、エレンの神速のフィジカルが駆動する。
「よし、それなら僕は、人間の細かな寝返りや寝落ちのモーションに追従して、ミリ単位で無音変形する『120,000 rpm超精密削り出しチタン製多関節アクチュエーター』を物質化するよ。表面のクッションには、低反発の魔導形状記憶スライム・ゲルを採用して、座った瞬間にお尻の形に完全フィットさせよう」
こうして、わずか数時間で、コタツの四方に配置されたのが、最新リビングインフラ――全自動『脊椎連動エルゴノミクス・コタツ背もたれ』であった。
見た目は、ちょっとオシャレで無骨なチタンフレーム付きの座椅子。だが、その内部には国家を揺るがすレベルの演算装置と可動ギミックが凝縮されている。
「おーい、アリス、エレン! 今日もコタツBarの新作おつまみ、手羽先の甘辛揚げを持ってきたぞ……って、またコタツの周りに怪しいメカが増えてるべさ!」
最初にやってきたのは、両親と、もはや特区の警備そっちのけでコタツの住人と化しているアルド、そしてイゾルデだった。
「あ、アルドさん、ちょうどいいところに。これ、新しい座椅子の試作品なんです。まあ、適当に座ってコタツに入ってみてください」
エレンに促され、アルドは「これ以上コタツを改造してどうするんだ……」と呆れつつも、そのチタン座椅子にドサリと腰を下ろした。
その瞬間、椅子のセンサーが作動した。
『――生体圧を感知。骨盤の傾きを2度後傾、腰椎サポートを5ミリ前方に突入。体圧分散率、均等100%を達成します――』
「うおっ!? なんだこれは!?」
アルドが声を上げた。座った瞬間、座椅子の背もたれが「生き物」のように滑らかに動き、アルドの背中のカーブに完璧に吸い付いたのだ。さらに、お尻の形に合わせて魔導スライム・ゲルが変形し、まるで無重力空間に浮いているかのような錯覚を覚えさせる。
「背中が……腰が……全く重さを感じない!? まるで、温かい雲の上に包まれて浮いているようだ! これなら、一生座っていられるぞ!」
アルドの目が恍惚としたものに変わる。
「ふふん、計算通りね」とアリスがコーラを飲みながら微笑む。
「座る、寄りかかる、寝そべる、どんな姿勢になっても、チタン製のアクチュエーターがあなたの背骨を『最も負担の少ない黄金比率』に保ち続けるわ。つまり、人間を永久に座らせ続ける椅子よ」
それを聞いたイゾルデや両親たちも「拙者も試す!」「私も座るべ!」と、競うように四方の座椅子になだれ込んだ。
数分後、コタツの周りには、あまりの心地よさに完全に白目を剥きかけた大人たちの姿があった。
しかし、ここからが特区メンバーのドタバタの始まりだった。
この『エルゴノミクス背もたれ』、快適すぎて、人間の「立ち上がる意志」を分子レベルで消滅させる、恐るべき「人間ホイホイ」だったのである。
「……あ、あの、アルドさん? 手羽先、冷めちゃうからお皿に取ってもらえますか?」
エレンが尋ねると、アルドはコタツに胸まで埋まったまま、ピクリとも動かずに唇だけを動かした。
「……すまん、エレン。手が……動かんのだ。いや、動かせるのだが、この背もたれが『今、腕を伸ばすと肩甲骨の筋肉に3ニュートンの無駄な負荷がかかりますよ』と、私の脳に極上の快適さで囁きかけてくるのだ……。私はもう、このままここで一本の樹木として生きていきたい……」
「コタツの樹木にならないでください!」
隣を見ると、イゾルデはさらに深刻だった。
彼女が寝そべろうと上体を傾けた瞬間、座椅子が完璧な角度(135度)へと無音でリクライニングし、さらに首を支えるチタンアームが絶妙なホールド感で彼女の頭を包み込んだ。
「……あ、あかん……拙者、これまで数々の過酷な任務を耐え抜いてきたが……この椅子のホールド感は、組織の拷問よりも抗えない……。意識が、遠のく……」
イゾルデは、手に持っていたゲームのコントローラーをポロリと落とし、そのまま凄まじい速度で強制寝落ち(スリープ)へ突入した。その表情は、全知全能の神に救済されたかのような、完璧な安らぎに満ちていた。
「母さんも、もう夕飯の片付けとかどうでもよくなってきたべさ……。お父さん、あとはよろしく……」
「母さん、俺も腰が椅子と完全に融合して、自分が人間なのか家具なのか分からなくなってきたべ……」
両親までもが、コタツの中で完全に溶けてドロドロの液体と化している。
全員が快適さのあまり完全に無力化され、コタツから一歩も出られない「堕落の結界」が完成してしまったのだ。
「大変だわエレン! みんなのQOLを高めるはずが、全員の活動代謝量がゼロになって、このままだとコタツBarの経営が破綻するわ!」
「アリス、これはいったん、強制スタンドアップモードを起動するしかないよ!」
エレンがチタン製のリモコンの赤いボタンを押した。
『――警告。長時間の一動だにしない姿勢を検知。エコノミークラス症候群防止のため、強制ストレッチ・パージを行います――』
ガシャン!!!
「うおわああっ!?」「拙者の背骨がァ!?」
突然、4つの座椅子のチタンアクチュエーターが120,000 rpmの超高速で駆動し、背もたれが「直角(90度)」を通り越して「前傾120度」までメンバーの背中を強制的に押し出した。
コタツに埋まっていた大人たちが、まるでびっくり箱のようにもみくちゃになって前方へ押し出され、コタツの中央で手羽先のお皿を囲んで、頭をごっつんこと衝突させる大ドタバタ劇に発展した。
「い、痛いべさ! 双子たち、急に何を動かすんだべ!」
「ははは、ごめんなさい! でも、そうしないとみんな、一生そこから動かなくなっちゃいそうだったから!」
エレンが苦笑いしながら手羽先を頬張ると、頭をさすっていたアルドやイゾルデも、自分たちのあまりの堕落ぶりに思わず吹き出してしまった。
外部の誤解や脅威など一切ない。ただ、快適すぎるインフラに翻弄され、みんなで大笑いする平和な夜。
その日の深夜、強制前傾モードを解除し、マイルドな「ほどほどの快適モード」に設定し直された座椅子に座り直した面々は、山盛りの手羽先をアテに、またしてもコタツBarで遅くまで盛り上がった。
「いやぁ、しかしこの椅子があれば、明日の激しい訓練の後も一瞬で腰痛が治りそうだ。素晴らしいインフラだよ」
アルドがビールをグイッと飲みながら称賛する。
「拙者も、これがあれば古傷が全く痛まない。素晴らしいな」
イゾルデも嬉しそうに目を細めた。
アリスとエレンは、そんな温かい光景を見つめながら、今度こそ完璧に調整されたエルゴノミクス座椅子の特等席に体を預けた。
「背骨のQOLもこれで完全ハック完了ね、エレン」
「うん、アリス。姿勢が良くなれば、コタツでダラダラできる寿命も何倍にも伸びるからね。さあ、最高の背もたれに寄りかかって、明日も最高にだらしない一日を過ごそう!」
特区の夜空には美しい星が輝き、コタツの中の双子たちは、科学の力で守られた完璧な姿勢のまま、最高に幸せな夢の世界へと落ちていくのだった。




