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1.ケモノになった彼

「なにがしたいの?」


 トモキが呆れたように問いかけてくるけど、そんなのわたしにだってよくわからない。

 ただ、いつもわたしばっかり必死で、少しも動揺する様子のないトモキに苛立ってるっていう自覚はある。


 すぐそこに、見慣れたトモキの顔がある。

 その双眸には、不機嫌そうなわたしの顔が映ってる。


「わけわからんなぁ」と仰向けに倒れているトモキが、わたしの下でこぼした。

「うん。わけわからん」

 

 本当にね、と心の底から同意しつつ、わたしはトモキの言葉を繰り返す。


 トモキはわたしのことがよくわからないのかもしれないけど、わたしだってトモキがなにを考えているのかちっともわからない。


 そればかりか、最近では自分自身がどうしたいのかさえも、よくわからなくなってしまった。


 なにもかもわからないことだらけなのに、もどかしい気持ちばかりが大きく膨らんで、そうしてわたしはわたしを持て余す。


 わたしはなにを――。なにをなにをなにをすればいいの?


 どうにかしたいのに。

 どうにかしなくちゃいけないのに。


 床の上についた両手の、手のひらの付け根あたりが少しじんじんと痛い。

 トモキを押し倒した時の勢いが強すぎたのかもしれない。


 ふいに、ぼんやりとわたしを見上げていたトモキの瞳がぱちぱちと瞬きを繰り返した。


 わたしはちょっとどきりとしたけれど、トモキの瞳から目をそらさず、手の付け根の痛みも無視して、そのまま動かずにいた。


 心の中でびくびくしながら、トモキの言葉を、次の動作を待つ。


「じゃあ、おれにどうしてほしいわけ?」


 トモキは微かに首を傾けてわたしに訊いた。

 トモキに、してほしいこと?


「泣いてほしい」

「――え?」


 トモキが目をみはる。

 自分が口にした答えに、わたしも驚く。


 そんなこと、ちっとも考えていなかったはずなのに。


 それでも、脳内には子どもの頃の、泣きべそをかいているトモキの姿が一瞬にしてよみがえってきた。


「子どもの頃みたいに、泣いてほしい」

「子どもの頃みたいに、って……。おれ、もう十七だけど」


「知ってる。でも、十年前はちょっとわたしに殴られただけでわんわん泣いてた」

「いや、あれはちょっとっていう範疇じゃなかったでしょ――」 


「ねえ、わたしとトモキの世界は、ぐんぐん離れていってる。このままだったら、きっともうすぐ、わたしはトモキの世界からいなくなる」


 トモキの言葉を遮って、わたしは続ける。


「トモキはそれでも平気なのかもしれない。でも、わたしはそんなのイヤなの。なんでトモキは、そんなに、これまでとなにも変わってないみたいに、平然としてるの? もっと、困ってよ。悩んでよ。阿呆のように泣いてよ」


「阿呆のように、って言ってもなぁ……」


 どこか遠い処を見るようにわたしから目を逸らしたトモキが呟く。


 やっぱりトモキは、わたしが消えることなんて、なんとも思ってないんだ。


 癪に障る。苛々する。腹立たしくて、我慢できなくなる。


 こんなに――こんなに、わたしは泣きそうなのに。


 トモキが泣いてくれないのなら、泣かせてやる。


 両手を床から離して身を起こす。

 トモキの上に馬乗りになっているわたしは、自由になった右手をぐーの形に握った。


 ぼんやりしたままのトモキは、そんなことには全く気づかない。


 わたしは握りこぶしにぎゅっと力をこめると、思い切りトモキの腹に叩きつけた。


 ぐぅっ、とトモキが低いう呻き声を漏らすけど、自業自得だ。


 痛みに歪められた眉の下の瞳に、じわりと光るものが滲んでいるのを見て、わたしはちょっとだけほっとする。


 やった泣いた。

 泣かせてやった。


 わたしだって、本当はこんな手を使いたくはなかった。

 でも、他に手立てがないんだからしょうがないじゃない。


 こうでもしなきゃ、トモキの平淡な顔が変わらないんだから。


 世界が分かれてからこっち、ずっとなんでもなさそうな顔をしていたトモキの、それ以外の顔が見られて、わたしは本当に安堵したんだ。


――たとえその頭に耳が生えたって、そのお尻にしっぽが生えてきたって、トモキはまだわたしの知ってるトモキだよね?

  

「あ、おい……」


「次に会った時には、本当に本気でわんわん泣かせてやるんだからねっ!」


 勢いをつけて立ち上がったわたしは、捨て台詞を吐いてトモキの世界を飛び出した。

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