第91話 果樹園の防衛戦と青天井の甘味、あるいはスキップ不可の虚無期間の過ごし方
世界にダンジョンゲートが出現してから、一年と六ヶ月が経過した。
季節は移り変わり、社会は完全にダンジョンを内包した新たな経済圏を形成している。I・G・U(国際公式探索者ギルド連盟)による管理体制は盤石となり、かつてのような無軌道な混乱は鳴りを潜めた。
探索者たちは日々のルーチンとして地下へ潜り、魔石を掘り、装備を更新し、そして消費する。
安定。あるいは停滞。
港区ミッドタウン・タワー。
ギルド「アルカディア」のマスターオフィスにて、俺、八代匠は、レザーチェアに深く背中を預け、冷めたコーヒーを啜りながら大きな欠伸を噛み殺した。
「……暇だな」
俺の呟きに、隣のデスクで書類の束と格闘していた乃愛が、冷ややかな視線を向けてきた。
「マスター。暇ならこの各部隊からの収支報告書の確認を手伝ってください。第三部隊の旭さんから上がってきた魔石の納入リスト、数が多すぎて計算が合いません」
「それはお前の仕事だ、乃愛。俺はギルドのトップとして、常に大局的なビジョンを描くために脳のリソースを空けておかなければならない」
「つまり、サボりですね」
乃愛はため息をつき、再びタブレットの画面に視線を戻した。
実際、俺は退屈していた。
『ダンジョン・フロンティア(ダンフロ)』のスケジュールに照らし合わせれば、現在から二年目――つまりあと半年後の節目に至るまでの期間は、明確な「虚無期間(ナギ節)」なのだ。
初期の混乱期を抜け、ワールドボスという巨大なレイドイベントも終わり、プレイヤーたちがひたすらにレベル上げと装備の厳選を繰り返すだけの時期。
半年後に実装される『上級職(二次クラス)』の解禁や、それに伴う『新大陸・新コンテンツ』の追加を待つための、長い長い助走期間。
ゲームであれば、ここは完全にスキップするタイミングだ。
適当に自動周回マクロを回し、ログアウトして別ゲーを遊ぶか、掲示板で「運営仕事しろ」「アプデはよ」と愚痴をこぼす時期。
だが悲しいかな、ここは現実である。
スキップボタンなど存在せず、俺たちは一日二十四時間を等速で生き、半年という時間を地道に消費していかなければならない。
「アプデ待ちの苦痛を現実で味わうことになるとはな……」
俺がぼやいていると、執務室の重厚な扉が勢いよく開かれた。
「社長! 大変です! また相場が更新されましたよ!」
飛び込んできたのは、神速のアタッカーたるリンだ。彼女の瞳は興奮にギラギラと輝き、手にはスマートフォンの画面をこちらに向けて見せつけている。
後ろからは、巨体のタンクである田中と、いつも通り無表情な氷の魔法使い、雫が続いて入ってきた。
「騒々しいな。今度はどこのギルドが馬鹿な真似をしたんだ?」
「違いますよ! フルーツです! 例の『タワーディフェンス農園』の果物が、今日のオークションで一玉百万円の壁を越えました!」
リンの言葉に、俺は少しだけ身を乗り出した。
ああ、最近話題になっているアレか。
「百万円だと? 先週までは最低五十万円だったはずだが」
「ええ。富裕層の間で完全にブランド化していますね」
雫が淡々と補足する。
「ステータスが上がるわけでも、寿命が延びるわけでもない。ただ純粋に『異常なまでに美味しい』という一点のみで、価格が青天井に跳ね上がっています」
現在、国内のダンジョン市場を席巻しているのは、強力な武器でも防具でもなく、なんと「フルーツ」だった。
以前、政府が法整備を進めた『プライベートダンジョンの私有化』。
あの一連の騒動を経て、合法的にダンジョンを管理・運営する「ダンジョンオーナー」たちが多数誕生した。
彼らの多くは、安全なF級やE級のゲートを管理し、細々と魔石を掘って生計を立てていたのだが……東京近郊の、とある農家が所有する私有ダンジョンで、とんでもない「突然変異」が発見されたのだ。
そのダンジョンの内部は、広大な果樹園のようなフィールドになっていた。
中央には巨大な「世界樹の苗木」のようなものが生えており、そこに様々な未知のフルーツが実っている。
だが、ただ待っていれば収穫できるわけではない。
果実が熟し始めると、どこからともなく魔物の群れが湧き出し、中央の樹を目指して一直線に進軍してくるのだ。
魔物が樹に到達し、果実を食い荒らされれば失敗。
逆に、樹を守り抜き、押し寄せる魔物を倒し続けると、倒した魔物から発生する魔素が直接樹に吸収され、果実の成長を爆発的に促進する。
制限時間はきっちり100分。
100分間、樹を守り切り、かつどれだけ大量の魔物を迅速に処理できるか。
それによって、最終的に収穫できるフルーツの「品質」と「味」が劇的に変化するのだ。
「完全にタワーディフェンスゲームの仕様だな」
俺は腕を組んだ。
拠点を守りながら、ウェーブ状に押し寄せる敵を殲滅し、リソースを稼ぐ。
しかも、ただ守るだけでは駄目だ。魔素を吸わせるためには「より多く、より速く」敵を倒し続けるDPS(秒間火力)レースの側面も持っている。
結果として、腕の立つ探索者たちが、この「果樹園防衛戦」に押し寄せることとなった。
農家のオーナーは入場料を取り、探索者は防衛に成功した報酬として極上のフルーツを持ち帰る。
持ち帰ったフルーツは、その病みつきになるほどの圧倒的な甘さと芳醇な香りで、またたく間に世界の富裕層の舌を虜にした。
ステータスアップなどのゲーム的な実利は一切ない。
完全に「娯楽」と「美食」のためだけに、億単位の金が動いているのだ。
「で? 百万円のフルーツがどうした。お前たちも食いたいのか?」
「当然じゃないですか!」
リンが身を乗り出す。
「昨日、旭くんたちサードの部隊が一つ持ち帰ってきて、お裾分けをもらったんですけど……もう、ヤバかったんですよ!
一口食べただけで脳味噌が溶けそうになるくらい甘くて、疲れが全部吹き飛ぶみたいな!
あれは合法ドラッグです! もっと食べたいんです!」
「私も同意します」
普段は食に執着を見せない雫でさえ、真剣な眼差しで頷いた。
「あれほどの糖度とマナの含有量を持った果実は、頭脳労働……いえ、魔法の詠唱による精神的疲労を急速に回復させる効果があると感じました。
是非とも、最高レアリティのものを味わってみたいです」
「……お前ら、完全に餌付けされてるな」
俺は呆れてため息をついた。
だが、悪い話ではない。
虚無期間の暇つぶしとしては、タワーディフェンスは最適だ。
それに、「どれだけ効率よく敵を処理できるか」というDPSチェックは、俺たちアルカディアの真骨頂でもある。
「マスター。私も、その……少し興味があります。
事務仕事の休憩に、美味しいフルーツがあれば、作業効率も上がるかと……」
乃愛までが、もじもじしながら参戦してきた。
田中も後ろで「俺も家族に食わせてやりたいっす」と頷いている。
「分かった分かった。そこまで言うなら、俺たちトップチームで出向いてやる。
どうせなら、市場に出回っている百万円程度の妥協品じゃなく、最高品質の『完熟(SSランク)』をもぎ取ってこようじゃないか」
「やったぁぁぁっ!!」
リンが歓喜の声を上げて飛び跳ねる。
「行くからには遊びじゃないぞ。100分間の完全防衛、そして限界までの湧き潰しだ。
俺たちアルカディアの殲滅力を見せつけてやる」
俺はデスクから立ち上がり、クローゼットから漆黒のコートを取り出した。
アプデ前の暇つぶし、大いに結構。
最強のステータスと装備で、農家の庭先を阿鼻叫喚の血の海に変えてやろう。
◇
東京郊外。
のどかな田園風景が広がる一角に、不自然なほどの高級車や装甲車がズラリと並ぶ場所があった。
そこが話題の「フルーツ農園ダンジョン」の入り口だ。
ゲートの前にはプレハブ小屋が建ち、人の良さそうな初老の農家のおじさんが、首からタブレットを下げて受付業務をこなしている。
「あ、アルカディアの八代さん!?
ひええ、本物だ……! テレビで見た通りだべ!」
俺たちが姿を現すと、周囲の探索者たちが一斉にどよめき、道を空けた。
農家のおじさんも目を丸くして慌てふためいている。
「こんにちは、オーナー。入場料はおいくらで?」
「い、要らねえ! 要らねえだ!
八代さんたちみたいな凄腕が来てくれるだけで、うちのダンジョンの宣伝になるだ!
どうぞどうぞ、好きなだけ狩っていってくだせえ!」
「そうはいきませんよ。ルールはルールです」
俺は規定の入場料をキッチリと支払い、ゲートをくぐった。
転移した先は、見渡す限りの青空と、柔らかな緑の芝生が広がる美しい果樹園だった。
だが、その中央にそびえ立つ一本の巨大な樹の周囲には、無数の赤黒い魔法陣が浮かび上がり、不穏な魔力を放っている。
「ここが防衛ポイントか。分かりやすいな」
俺は周囲の地形を【鑑定】の目で瞬時にスキャンした。
敵の湧きポイント(スポーン地点)は、東西南北の四方向にある森の奥だ。
そこから中央の樹を目指して、モンスターが直線的に進行してくる。
「さて、作戦会議だ」
俺はメンバーを集め、地面に簡単な図を描いた。
「ただ中央で待ち構えて敵を倒すだけなら、三流のやり方だ。
このダンジョンのキモは『倒した敵の魔素が樹に吸収される』ことにある。
つまり、樹から遠い場所で敵を倒してしまうと、魔素が空気中に霧散してしまい、果実の成長に繋がらない」
「えっ、そうなんですか?」
リンが驚いた声を上げる。
「ああ。ネットの連中が最高レアリティを出せない理由はそこだ。
奴らは敵を近づけまいとして、湧きポイントの近くで出落ちさせている。
防衛には成功するが、肝心の魔素が樹に届いていないんだ」
タワーディフェンスにおける基本は「敵を拠点に近づけないこと」だ。
だが、このダンジョンでは逆。
「ギリギリまで拠点に近づけさせてから、一網打尽にする」ことが、スコアを最大化するための最適解なのだ。
「だから陣形はこうする。
田中。お前は樹の根元、半径五メートルの円周上で待機だ。
四方から来る敵をすべて挑発で引きつけ、樹に触れさせる直前で足止めしろ。
絶対に一歩も通すな」
「了解です! 鉄壁のヘイト管理、お任せください!」
田中が深淵のタワーシールドを構え、力強く頷く。
「リン、お前は遊撃だ。
田中の漏らした敵や、遠距離攻撃を仕掛けてくる厄介な個体を優先して狩れ。
ただし、倒す場所は必ず『樹の半径十メートル以内』を心がけろ」
「はーい! 引きつけてからズバッとですね! 得意分野です!」
「乃愛と雫。
お前たちは俺と一緒に、田中の周囲に『キルゾーン』を構築する。
敵が密集したところへ、最大火力の範囲魔法を叩き込んで一気に魔素へと還元する。
いいか、100分間、息つく暇はないぞ。
敵の湧き上限に引っかからないよう、画面に表示されたら即座に消し飛ばせ」
「了解しました。燃やし尽くします」
「凍結させてから砕きます」
乃愛と雫がそれぞれの杖を構え、魔力を練り上げ始める。
「よし。防衛戦、開始だ!」
俺の合図と共に、果樹園の空気が一変した。
ゴオォォォォ……ッ!
東西南北の森の奥から、地響きのような足音が鳴り響く。
現れたのは、巨大なカブトムシのような魔物や、獰猛な牙を剥き出しにした猪型のモンスター群だ。
通常のダンジョンでは見かけない、この果樹園特有の害獣たち。
「ブヒィィィィッ!!」
数百匹の群れが、中央の樹を目指して猛スピードで突進してくる。
その光景は、さながら緑の絨毯の上を走る黒い濁流だ。
「来ました! 引きつけます!」
田中が樹の根元で大盾を打ち鳴らした。
「オラァァァッ! こっちだ害虫ども!!」
強烈な挑発スキルが発動し、一直線に樹に向かっていた魔物たちのヘイトが、全て田中に固定される。
押し寄せる質量の暴力。
だが、田中は一歩も引かない。深淵セットの絶対防御が、魔物たちの突進を強固な防波堤のように受け止める。
「ギチィィッ!?」
「ブモォッ!?」
田中に群がり、身動きが取れなくなる魔物たち。
樹の周囲わずか数メートルの空間に、黒い塊が密集していく。
「今だ! 焼け!」
俺の指示と同時に、乃愛の杖から極太の火炎柱が放たれた。
「【ファイア・ストーム】!!」
ドゴォォォォォォォンッ!!
密集した魔物の群れの中心で、紅蓮の炎が爆発する。
田中の防御力ごと飲み込むような広範囲魔法だが、パーティ設定と耐性によって田中へのダメージは無効化されている。
炎の中で、数百の魔物が一瞬にして光の粒子(魔素)へと変わった。
シュウウウウウッ……!
大量の魔素が、まるで意思を持っているかのように中央の樹へと吸い込まれていく。
樹の枝が微かに震え、青かった果実が、ほんの少しだけ色づいたように見えた。
「効率いいですね!
この調子でどんどん行きましょう!」
乃愛が額の汗を拭いながら笑う。
だが、息つく暇はない。
第一波を殲滅した直後、すぐさま森の奥から第二波、第三波が湧き出してくる。
タワーディフェンスの恐ろしさは、この「休みのなさ」にある。
100分間、常に処理能力を最大に保ち続けなければ、いずれ敵の数に押し潰されるのだ。
「雫! 東側から飛行タイプの群れだ!
田中の挑発が届きにくい! 落とせ!」
「了解。――【ブリザード・ランス】」
雫が杖を振り下ろすと、空中に無数の氷の槍が形成され、空を覆う巨大なハチの群れを次々と撃ち抜いていく。
墜落したハチを、地上を駆けるリンが双剣で細切れにする。
「アハハハッ! 甘いフルーツのためなら、何匹でも刻んであげるわよ!」
リンの動きは残像すら残さない。
彼女が通った後には、ただ魔素の光だけが舞い上がる。
俺もまた、二刀流の剣を抜き放ち、前線へと飛び込んだ。
ただ指示を出すだけではない。
俺自身の殲滅力が加われば、処理速度はさらに倍増する。
「【サイクロン・スラッシュ】!」
俺自身が巨大な竜巻と化し、密集した敵の群れを物理的に粉砕していく。
斬って、燃やして、凍らせて、砕く。
アルカディアの圧倒的な暴力が、のどかな果樹園を完璧な「魔素抽出工場」へと変貌させていた。
50分経過。
敵の湧きスピードが明らかに上がってきた。
通常個体に混じって、体長5メートルを超える巨大なボス級の個体も姿を現し始める。
「硬いのが来ました!
私の魔法を一発耐えましたよ!」
乃愛が叫ぶ。
「気にすんな! 耐えるなら二発撃て!
田中、ボスの足止めを優先しろ! 樹に一撃でも入れられたら品質が下がるぞ!」
「任せてください!
――【シールド・バッシュ】!!」
田中が巨大なカブトムシの突進を盾で弾き返し、その隙を突いて俺とリンが十字砲火を浴びせる。
無駄な動きは一切ない。
長年のゲーム経験と、現実での死闘を経て培われた完璧な連携。
80分経過。
樹の枝に実った果実は、すでに市場で見たことのないような、鮮やかな黄金色に輝き始めていた。
甘く、狂おしいほどの芳醇な香りが、戦場全体を包み込んでいる。
「……いい匂い。
お腹空いてきました」
リンが涎を拭いながら剣を振るう。
その香りが、俺たちの疲労を麻痺させ、さらなる殺意(食欲)を掻き立てる。
「あと20分だ!
ここからが正念場だぞ! 最後のラッシュが来る!」
俺の言葉通り、四方の森から空を覆い尽くすほどの魔物が一斉に押し寄せてきた。
画面を埋め尽くす敵の群れ。
通常の探索者パーティなら、ここで処理落ちして崩壊する場面だ。
「出し惜しみはなしだ!
全火力、解放しろ!!」
俺の号令に応え、乃愛と雫が同時に最強の詠唱を完了させた。
炎の流星雨と、絶対零度の吹雪が交差する。
田中が巨大なオーラを纏って敵を壁のように押し留め、俺とリンが光の刃となって敵陣を切り裂く。
100分間。
一度のミスも許されない、極限のDPSチェック。
俺たちはただひたすらに、樹に魔素を注ぎ込むための装置として機能し続けた。
◇
『――防衛成功。
報酬の収穫が可能です』
脳内に響く無機質なシステム音声と共に、押し寄せていた魔物の群れが嘘のように幻のごとく消え去った。
静寂が戻った果樹園。
俺たちは肩で息をしながら、中央の樹を見上げた。
「……すげえ」
誰かがポツリと漏らした。
樹の枝には、まるで星の欠片のように眩く輝く、数個の果実が実っていた。
リンゴのような形だが、その表面は透き通るような白銀と黄金のグラデーションに彩られている。
近づくだけで、魔力で満たされた濃厚な甘い香りが、暴力的なまでに鼻腔を犯す。
「鑑定……」
俺は震える手で果実に触れ、スキルを発動した。
【名前:神樹の蜜果】
【レアリティ:SSS級(完熟)】
【種別:消費アイテム / 嗜好品】
【効果:
・摂取時、あらゆる疲労と精神的ストレスを完全に浄化する。
・30分間、全ステータスが+50%される『至福のバフ』を付与。
・その味は、食べた者を一生虜にする。】
「……SSS級(完熟)。
市場に出回っているハズレ品とは、根本的に違う。これが、このダンジョンの本当のクリア報酬か」
俺は慎重に果実をもぎ取った。
全部で5つ。
ちょうど俺たちの人数分だ。
「お疲れ様。
見事な働きだった。これが俺たちの戦利品だ」
俺はメンバーに一つずつ果実を渡した。
リンも乃愛も雫も田中も、まるで宝石を受け取るように両手でそれを抱え込んでいる。
「これ……食べていいんですか?」
「ああ。オークションに流せば一つ1億円は下らないだろうが……。
たまには自分たちのために消費するのも悪くない」
虚無期間の暇つぶし。
だが、これほど贅沢な暇つぶしもないだろう。
俺たちは芝生の上に座り込み、揃って果実に齧り付いた。
――瞬間。
脳内を雷が突き抜けた。
「……ッ!!!」
なんだ、これは。
果汁が口の中で爆発し、想像を絶する甘さと酸味が完璧なバランスで舌を蹂躙する。
飲み込むという行為すらもどかしい。
食道を通って胃に落ちた瞬間、全身の細胞が歓喜の声を上げるような、圧倒的な多幸感。
先ほどまでの疲労が、文字通り一瞬にして消し飛んだ。
「お、おいしすぎますぅぅぅ……っ!」
リンが涙を流しながら果実を貪っている。
「私、これのために今まで生きてきたのかもしれません……!」
「……理不尽な味ですね。
化学調味料では絶対に再現できない、暴力的な甘美さです」
雫でさえ、顔を紅潮させて果汁を指から舐め取っている。
乃愛は無言で昇天しそうな顔をしており、田中は「うまい、うまいっす」と泣きながら食べていた。
俺は無言で果実を平らげ、芝生にごろんと寝転がった。
青い空。
満たされた胃袋。
そして、ステータス画面に点灯している『至福のバフ』アイコン。
「……最高だな」
スキップできない現実の虚無期間。
ゲームなら退屈なだけのこの時間も、こうして味わってみれば、悪くない。
むしろ、この理不尽なほどに美味い果実を食える権利は、現実を生きている俺たちだけの特権だ。
「マスター……。
これ、もう一回やりませんか?」
リンが物欲しそうな目で俺を見下ろしてくる。
他の三人も、激しく同意するように頷いている。
「馬鹿言え。
いくら美味いからって、一日二回もあんな高難易度タワーディフェンスをやりたくない。
……まあ、明日また来るか」
「「「やったぁ!!」」」
歓声が果樹園に響き渡る。
半年後のアプデ(上級職解禁)まで、まだまだ時間はたっぷりある。
俺たちはしばらくの間、この「青天井の甘味」の虜となって、日参することになりそうだった。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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